彼女が生きられる世界 1

 アリス達を見送った後、宿に戻るとティーネがやって来た。

「アルベルトさん、お願い! お母さんを助けてっ!」

「え、ミレーヌさんがどうかしたのか?」

「お母さんの容態が急に悪化して、意識が戻らないの!」

「――っ。分かった、いま行く!」

 ミレーヌさんの危篤の知らせを聞いた俺は、すぐさまお見舞いに駆けつけた。ベッドに横たわって荒い息をするその姿は、先刻より明らかに容態が悪化している。


「ミレーヌさん、しっかりしてください」

 手を取って呼びかけると、その目がこちらを見たが、その焦点は合っていない。視線もわずかにズレているから、目が見えていないのかもしれない。

 思った以上に容態が悪そうだと、俺は唇を噛んだ。


「……アルベルトさん、ですか? はぁ……っ。せっかく来てくださったのに、お構いも出来なくて……っ。すみません……」

「そんなこと気にしないでください。それより、どこか痛いところはありますか?」

 問い掛けるが、帰ってきたのは苦しげな呼吸だけだった。どうやら意識を失ってしまったようだ。俺は失礼しますとおでこに触れて熱を測り、その後は手首で脈を測る。

 俺の知識じゃ詳しいことは分からないけど、熱があって呼吸が荒く脈拍も乱れている。もしかしたら、弱っているところに別の病気を併発したのかもしれない。


「アルベルトさん、お母さん、大丈夫だよね? すぐに良くなるよね?」

「……ポーションは飲ませたんだよな?」

「うん、ちゃんと飲ませたよ」

「そう、か……」


 俺はもう一度ミレーヌさんへと視線を向ける。息をするのも苦しそうで、見ているだけで胸が苦しくなる。俺が何度も、何度も見てきた光景だ。

 このままでは、ミレーヌさんは死んでしまう。


 だが、ポーションがまったく効いていない以上、治癒魔術も期待できない。

 ハイレベルな治癒魔術なら症状を緩和できるかもしれないけど、彼女はこの世界にいるかどうかも分からない。

 ミレーヌさんを救うには、他の手段が必要だ。

 けど、街で売られてるような薬は効果がなかったって話だし、病を癒やす類いのポーションがあれば別だけど、少なくとも俺は聞いたことがない。

 もちろん、俺が知らないだけで、どこかには在るのかもしれないけど……少なくとも、この状況をなんとかするには間に合わない。


「アルベルトさん、どうしよう? どうしたらいい?」

 ティーネが縋るような視線を向けてくるが、ミレーヌさんを助ける手段が思い浮かばない。

「熱を冷ますために、濡れた布を額に当てて熱を下げるしかない。あとは、ミレーヌさんの体力次第だと思う」

 もっともらしく口にしたけど、それは打つ手なしといったも同然だ。それに、ミレーヌさんは衰弱している。もし今夜を乗り切ったとしても、きっと明日の夜は乗り切れない。

 俺が口にしたのは、死の宣告も同然だった。


「そうな……っ。他に、方法はないんですか!?」

「他の方法は……」

 ちらりと浮かんだ可能性を打ち消した。とても現実的な方法じゃないから、ティーネに叶わぬ希望を抱かせ、傷付けることになる。


「なにか、なにかあるんですか? もしなにかあるなら教えてください。私にとって。お母さんだけが残された唯一の家族なんです! だから、お願いします、アルベルトさん!」

 唯一の家族という言葉が俺の胸を打った。

 孤児院で育った俺は家族を知らない。だけど、だからこそ、家族のような存在を大切にしてきた。家族を求める俺は、家族を失いたくないというティーネの気持ちが分かる。


「可能性は、ある。けど、それは本当にわずかな可能性だ」

「教えてくださいっ! どんなに低い可能性でも、希望があるなら諦めたくないです!」

 ティーネが間髪入れずに詰め寄ってくる。


「……体力を回復する程度のポーションじゃ効果がないように見える。だけど、いまティーネが作ってる高品質のポーションを完成させれば、もしかしたら……」

「効果があるかもしれない?」

 ティーネの問い掛けに、俺は分からないと本音を曝け出した。

 品質の良いポーションは、体力の回復や疲労の回復、それに解毒作用などなど、傷の回復以外にも様々な効果が付随する。

 初級のポーションでも品質を高めればあるいは、という可能性はなきにしもあらずだ。


「病自体が治らなくても、時間は稼げるかもしれない」

「そうしたら、そのあいだに病を治すポーションを作れるかもしれないってことですね!」

 ティーネがばっと立ち上がるのを見た俺は、とっさにその腕を掴んだ。


「――待った。たしかに可能性はある。だけど……」

 その先を、残酷な現実を口にするべきか否か迷う。


「だけど……なんですか? 言ってください、お願いします」

「高品質のポーションを作れるかどうか分からない。作れたとして、効果があるかどうか分からない。それ以前、ミレーヌさんが今夜を乗り切れるかどうか分からない。だから――」

 側についていてあげた方が良いと、俺は小さな声で付け加えた。


「嫌ですっ、私は諦めません! 絶対に間に合わせて見せます!」

「……分かった。ティーネが後悔しないのなら、俺がミレーヌさんの看病をしてやる」

 どっちが正しいか分からなくて、俺はティーネの判断を指示することにした。

「ありがとうございます。お母さん、絶対、お母さんを助けるからっ、病気を治すポーションを作ってみせるから、だから、もう少しだけがんばって!」

 ティーネは悲痛な願いを残して、工房へと駈けていった。


 ……俺も出来る限りのことはしよう。俺は冷たい水を絞った濡れタオルを用意して、ミレーヌさんのおでこに乗せて、つきっきりで看病する。

 それから、どれくらい時間が経っただろうか?

 しばらく看病をしていると、不意にミレーヌさんが目を開いた。


「……アル、くん?」

 熱に浮かされたようなミレーヌさんが、俺をそんな風に呼んだ。

「えっと……たしかに俺はアルベルトですけど?」

「……そう。あなた、だったのね」

 ミレーヌさんがぽつりと呟いた。

 ……熱で浮かされて、ぼーっとしてるのか?


「ティーネにあなたの様子を見て欲しいと頼まれました。そのティーネは工房にいます。待っててください、いまティーネを呼んできますね」

 そう言って立ち上がろうとするが、ミレーヌさんが弱々しい声で俺を引き留めた。


「あなたに、頼みたいことが……あるの」

「なんでしょう?」

「そこの引き出しに、ペンダントが……入っているわ。私が……っ。お母様から頂いた思い出の品、なの」

 言われた引き出しを開け、木箱にしまわれたペンダントを取り出す。意匠を凝らしたペンダントは、部屋の灯りを受けて銀色に輝いていた。


「あの子に、どう、か……それ、を……渡し、て。あなた、なら、信用……でき、るから」

 力ない言葉は意味をなさなくなり始めている。

「すぐにティーネを呼んできますから、自分で渡してあげてください」

 俺はネックレスの入った小箱を枕元に置き、ティーネを呼びに行こうとする。

 だけど――


「……ティーネ。ごめん、なさ……い。幼い、あなたを……うくっ。残して、先に逝く、ことを……どうか、許して……っ」

 ミレーヌさんは虚空を見つめ、そこにティーネがいるかのように言葉を紡ぎ続ける。ここで席を外したらその言葉を聞き逃しそうで、俺は唇を噛んで踏みとどまった。


「はあ……はぁ。ティーネ。私の、可愛い……ティーネ。……はぁはぁ……愛し、て……いる、わ。どう、か……どうか、これ、からは……自由に生き、て……幸せ、に……」

 途切れ途切れで言葉を紡ぎ終え、ミレーヌさんは静かに瞳を閉じた。俺はミレーヌさんの脈を確認してから、重い足取りで工房へと向かう。



 工房には、真剣な顔つきで調合台の前に立つティーネの姿があった。よほど作業に集中しているようで、俺が部屋に入ってきたのにも気付かない。


「ティーネ。……ティーネ」

 何度か呼び続けると、ティーネはようやく気付いて顔を上げた。

「アルベルトさん、見てください!」

 ティーネは瞳を輝かせ、調合したポーションを抽出する器具を指差した。

「このあいだ教えてもらった方法で、更に素材の段階で品質を上げられたんです。これならきっと、もう少し効果の高いポーションが出来ると思います!」

「そう、か……」

 これなら、お母さんの症状を和らげることが出来るかもと希望を抱く。そんなティーネになんと言葉を掛ければ良いのか分からなくて、俺は唇をかんだ。


「アルベルト、さん……? そんな顔をして、どうしたんですか?」

「ティーネ、聞いてくれ。ミレーヌさんが、さっき……」

 口ぶるを噛む俺を見て察したのか、ティーネが目を見開き、一歩後ずさった。

「……嘘、だよね? 嘘、そんなっ、嘘だよ! ――お母さんっ!」

 ティーネは器具を放り出して、ミレーヌさんの寝室へと走り去る。それからほどなく、母を呼び続ける悲痛な声が響いてくる。

 俺はやるせない怒りを拳に込めて、壁を殴りつけた。

 

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