死という概念のある世界 12

 襲いかかってきた男とのあいだに、アリスが飛び込んできた。

 俺はとっさに剣を止めることが出来たが、男はそのまま剣を振り下ろした。アリスが悲鳴を上げ、石畳の上に倒れ伏す。


「ア、アリスちゃん、なにやってるんだよ!? くっ、お前が、お前みたいなNPCがアリスちゃんをたぶらかすからだぞっ!」

 男が意味不明なことを喚き散らしながら剣を振りかぶる。だが、二度も同じ過ちは犯さない。俺は即座に距離を詰めてカウンターの一撃を食らわした。


「……へ? い、痛いいだいっ! 腕が、ボクの腕がっ! うわあああああああああああああああああああああああああああ――っ」

 痛みに耐えきれなかったのか、男はひとしきり悲鳴を上げて意識を失った。それを確認した俺はすぐに倒れたアリスのもとへと駆け寄る。

 抱き起こした手にヌルリと、アリスの流した血が纏わり付いた。


「アリス、しっかりしろ、アリス!」

 腰の小物入れからポーションを取り出し、アリスの口に流し込む。ほんの少し咽せたものの、アリスはポーションの中身を飲み下してくれた。

 ただし、治癒のポーションに即効性はないし、短時間で複数使っても効果は変わらない。いまもアリスの傷口からはとめどなく血が流れていて、このままじゃ間に合いそうにない。


「ユイ、ギルドに行って人を呼んできてくれ!」

「分かった、ここはお願いね!」

 ユイは少し迷う素振りを見せた後、ギルドへと走って行った。


「アリス、もうすぐ助けが来るから、しっかりするんだ!」

 必死に呼びかけると、アリスがゆっくりと瞳を開いた。


「アルくん、大丈夫……だった?」

 心配げに俺の頬に振れる。自分の方がよっぽど大怪我なのに俺の心配をする。そんなアリスの姿が記憶にある誰かと重なって、俺は泣きそうになる。


「俺は大丈夫だ。だから、自分に治癒魔術を使うんだ。魔力は残ってるだろ?」

「……分かった、やってみる、ね」

 アリスが自分の胸元に手を添えて、治癒魔術を使おうとする。だけど、治癒の光は一瞬だけで、すぐに霧散してしまった。


「あれ? おかしい、な……もう一度使ってみる、ね」

 アリスがもう一度治癒魔術を使う。

 だけど、やはり治癒魔術は発動しない。痛みに集中力を乱されて、治癒魔術を発動させられないようだ。

 このままじゃダメだ。

 あまり動かしたくないけど、抱き上げてギルドに連れて行った方が良い。そう思ってアリスをお姫様抱っこで抱き上げようとする。

 だけど、斬られた肩に痛みが走って、アリスを取り落としそうになる。


「……アルくん?」

「いまからギルドに連れて行く。出来るだけ揺らさないようにするから耐えてくれ」

 死なないでくれと願いを込めて訴えかけるけれど、アリスは弱々しく首を横に振った。


「アルくん、良いの。もう、間に合わない、から」

「そんなこと、そんなこと言うなよ!」

「心配掛けて、ごめん……ね。……でも、大丈夫……だよ」

「なにが大丈夫なんだ! ちっとも大丈夫じゃない! アリスが死んだら、アリスまで死んだら、俺は……っ。そんなの、絶対にダメだっ!」

 俺は過去にも大切な誰かを失っている。

 そんな失ったはずの記憶が引き金になり、胸が締め付けられるように苦しくなった。絶対に間に合わせてみせると、俺は歯を食いしばってアリスを抱き上げる。

 だけど――


「アル、くん。私は、大丈夫……だか、ら……」

 腕の中で、アリスの身体が弛緩した。


「アリ、ス……? 嘘だろ? おい、アリス? アリス!」

 どれだけ呼びかけても答えない。それどころか、魔石を回収していないのに、アリスの身体が光の粒子になって消えていく。

 そんなありえない現象に、俺は頭の中が真っ白になった。


「嘘、だろ? なんだよこれ、アリス? アリス!」

 呼びかけても止まらない。

 アリスは俺の腕の中で、光の粒子となって消え失せた。



「――お待たせ、アル。ギルドの職員を連れてきたわ」

 呆然と立ち尽くす俺のもとに、職員を連れたユイが戻ってきた。アリスのことを護るように頼まれていたのに、逆に俺がアリスに護られた。

 どんな顔をしてユイを見れば良いのか分からない。


「……アル? アリスはどうしたの?」

「アリスは……」

 死んだ。その三文字が言葉にならなくて、俺は自分の両腕を見つめる。まるでアリスなんて初めからいなかったかのように、アリスの温もりと血が消えている。


「……え? あぁ、そういうこと」

 ユイがぽつりと独り言を呟いて、ギルド職員に少し離れた場所で気を失っている襲撃者を捕らえるように指示を出した。

 殺されたはずのアリスは消えてしまったが、目撃者がいたことで犯人であると証明され、意識を失っている男は運ばれていった。


「アリスは死んじゃったのね」

「すま、ない。護ってくれって頼まれてたのに……っ」

 アリスを失った悲しみと、護れなかった悔しさがないまぜになって上手く言葉にならない。


「え? アルのおかげで厄介なストーカーは一人捕まったじゃない。アリスは死んじゃったけど、結果的に見れば良かったわ」

「……なに、を……なにを言ってるんだ? ――ふざけるな! アリスは大切な妹だったはずだろ!? そのアリスが死んだのに、良かったってなんだよ!?」

「なにを怒って……って、あぁ、そっか。アルは知らないのね。アリスなら大丈夫よ」

「……は? 大丈夫? なにが? アリスは、斬り殺されたんだぞ? しかも、その身は光の粒子になって消えた。遺体すら、残らなかったんだぞ!?」

「だから、それは誤解よ。ついてきて」


 ユイは半ば強引に、混乱する俺を引っ張っていく。そうして連れてこられたのは、孤児院があったはずの場所にある広場。

 その片隅にあるベンチにぽつんと座る少女を見つけた瞬間、俺は思わず駈けだしていた。


「あ、アルくん、さっきはごめん――」

「――アリスっ!」

 ベンチから立ち上がろうとしたアリスを抱きしめた。


「ふええぇっ?! ア、アルくん!?」

「良かった、本当に良かった。俺、アリスが死んじゃったと思って……」

 失ったと思った。もう二度と会えないと思った。そんなアリスの温もりが、たしかに腕の中にある。俺はその事実を確かめるように、アリスをぎゅっと抱きしめる。


「……アルくん。心配掛けてごめんね。でも、私はまだ死なない。この世界で死んじゃっても、デスペナがあるだけで生き返ることが出来るの。だから……大丈夫だよ」

「……そっか」

 生き返るなんて意味が分からない。だけど、死んだはずのアリスが生きて、俺の目の前に居る。その事実だけで十分だ。


「……アルくん。ちょっと放してくれる?」

「――っ、ごめんっ」

 慌てて距離を取ろうとしたら、アリスが俺の腕を掴んだ。


「……アリス?」

「アルくん、さっきの人に斬られて、腕を怪我してるでしょ? 治癒魔術を使うから、放して欲しかっただけ。だから、その、嫌だったわけじゃ……ない、よ」

 ちょっぴり恥ずかしそうに微笑んで、アリスが俺の腕に治癒魔術を掛けてくれる。治癒速度が遅い気がしたけど、俺の肩の傷は綺麗に治った。


「……ありがとう、アリス」

「うぅん、私こそ、庇ってくれてありがとう。それに、心配掛けてごめんね。もっとちゃんとお礼を言いたいけど、そろそろ落ちないと怒られちゃうから、続きはまた明日ね」

「あ、あぁ……明日、また来るんだな?」

「うん、もちろん、また明日遊ぼうね」

「アル、また明日ね」

 アリスとユイが、いつものように広場の奥へと消えていく。

 ここから一歩踏み出せば、俺もアリスと同じ世界にいけるのかな? そんなことを考えながら、俺はアリスの消えた広場をしばらく眺めていた。

 

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