異世界の常識、非常識 2

 エレニアの東門を出ると、草原が広がっている。

「うわぁあぁぁぁあっ! 凄い、凄いっ! ホントに草原にいるみたい!」

 草原へと飛び出したアリスが、両手を広げてクルクルと回る。

 陽の光を浴びて輝く髪をなびかせながら、幸せそうな笑顔を浮かべる。その姿は物凄く絵になっているが……やっぱり言ってることがよく分からない。

 草原にいないのなら、おまえは一体どこにいるんだ?


「もう、アリスったらあんなにはしゃいで、恥ずかしいわね。……でも、現実じゃあんな風にはしゃげないから仕方ないよね」

 ユイがぽつりと呟いたのが偶然耳に入った。

「ときどき会話の内容が理解できないんだけど、エルフ特有の言い回しかなにかなのか?」

 それとも、ちょっと残念な子なのか? とは声に出さずに問い掛ける。それに対して、ユイが少し感心するように目を瞬いた。


「へぇ、そんなことに疑問を持つように設定されてるのね」

「だから……」

「あぁ、ごめんなさい。そうね、言うなれば……あたし達は異世界の住人なのよ」

「異世界の住人?」

 なにを言ってるんだ、この子は。


「まあ信じられないわよね。あたし達は……そうね。簡単にいうと、遠い世界から来たプレイヤー一族の姉妹。だから、貴方達とは若干常識が違うのよ」

「……分かった」

 よく分からないけど、分かったことにしておく。深入りしたら面倒くさそうだし。


「ユイ、アルくん。あっちに角の生えたウサギみたいなのがいるよっ!」

 アリスが草原の向こうを指差す。

 その先をたどると、体長50cmくらいの一角ウサギが見える。


「あぁ、あれは一角ウサギだな」

「一角ウサギ? 魔物なの?」

「いや、魔力を持ってないから、分類的には動物だな」

 ちなみに、体内に魔力を宿しているのが魔物で、宿していないのが動物である。ちなみに、魔力を宿している敵は倒すと魔石が手に入り、動物は倒しても手に入らない。


「動物っていうことは……襲ってこないの?」

「動物だからってことはないけど、一角ウサギは襲ってこないな」

 俺がアリスに答えていると、ユイが「ノンアクなのね」と呟いた。


「なんだそれ?」

「ノンアクティブの敵。こっちから手を出さないと襲ってこない敵のことよ」

「あぁなるほど。一角ウサギはこっちから手を出しても逃げるのが大半で、滅多に反撃してこないけど……一応はノンアクになる、のか?」

「ふむふむ。なら、あれで戦いの練習をすれば良いのね?」

「……は?」

 予想外すぎて変な声が出た。


「ほら、あっちの方でも戦ってる人がいるじゃない」

 ユイが指差す方に、逃げる一角ウサギを追い回している男がいる。

「あれは……狩人だろ」

「あたし達と同じような格好に見えるけど?」

「格好が同じだからって、目的も同じとは限らないだろ? というか、冒険者を目指す奴が、ろくに反撃もしてこない一角ウサギと戦ってどうするんだよ?」

「……そういうもの?」

「まあ……じっくり経験を積む余裕があるならそれでも良いけど?」

 いま見える範囲にはわりといるが、一角ウサギは数も少ない。非効率だし、一日追い回していても日銭を稼げるか怪しい。冒険者にならなくてはいけないような者には苦しいだろう。

 それでも、一角ウサギと戯れたいって言うなら止めないけどどうすると問い掛けると、森に行くという返事が返ってきた。



 少し歩いて森の入り口に到着、そのまま森の中へと足を踏み入れる。

 森――といっても、入り口付近は歩きやすい浅い森だ。木々のあいだを抜けて、ずんずんと森の奥へと進む。少し歩いたところで、俺は魔物の気配を察知した。


「二人とも、向こうを見ろ」

 俺は小声で森の奥に見え隠れしているブラウンガルムを指差した。


「え、なになに?」

 ユイが俺の腕に身を寄せて、その指差している方を見る。ユイのプラチナブロンドが俺の頬に触れてくすぐったい。というか、ちょっと近いんだけど。

 とか思ってたら、アリスは俺の背後に立って指差す先をたどった。首筋にアリスの吐息を感じる。この二人、ちょっと無防備すぎじゃないですかねぇ。


「あ、ホントね」

「私も見えた、オオカミみたいなのがいるね」

「あれはブラウンガルム、この辺りでは最弱な魔物だ。とはいえ、魔物が危険な相手であることに変わりない。仲間がいる可能性も高いし、慎重に――」

「――まずは、殴ってみましょう」

「うん、そうだねっ」

「……はい?」

 こいつら、なにを言ってるんだと思ったときには遅かった。二人はそれぞれの武器を構えて、ブラウンガルムに向かって駈け出していた。


「――ちょ、まっ! ……えぇ?」

 ブラウンガルムの全長は1mくらい。

 訓練を積んでいる冒険者でなければ、武器を持っていても無傷での勝利は難しい。初心者冒険者は、四人くらいで協力して倒すのが普通だ。

 そんな魔物に、なんの策もなく突撃を仕掛ける二人の少女。そのあまりの無謀っぷりに、俺は呆気にとられてしまった。

 そして、俺が呆れているあいだに、二人はブラウンガルムに襲いかかる。


 ユイが細身の剣で斬り掛かるが、ブラウンガルムは難なく回避。そこにアリスが杖で殴りかかるが、やっぱりこっちも回避される。

 というか、アリスが持ってるのは魔術を使うための杖、だよな?


 なんでアリスは魔術用の杖を振り回しているんだ? ……いや、良いんだけどさ。なんて俺が呆れているあいだに、ユイがブラウンガルムの体当たりを喰らって吹き飛んだ。


「ユイっ、大丈夫!?」

「……ぃたた。あたしは、大丈夫、だけど……なにこれ、むちゃくちゃリアルなんだけど」

 その衝撃からか、ユイは上手く立ち上がれないようだ。

「よかった――ひゃわっ!?」

 ユイに気を取られたアリスが、ブラウンガルムに組み敷かれる。


「ふええええぇっ!? 口がおっきいっ! っていうかキバが凄くリアル! やだ、やだやだっ、ホントに恐い! 食べられちゃう、私食べられちゃう!?」

 ブラウンガルムにのし掛かられたアリスが、杖で押し返しながらパニックに陥っている。

 ……死んだら死んだときとか言ってたけど、死に対する恐怖は一応あったんだな。ちょっと安心したような、そうでもないような……


「ふえぇえぇんっ、誰か助けてよーっ!」

 おっと、アリスがホントに食べられそうだ。これに懲りて危機感を持つだろうし、そろそろ助けてやろう。そう思った瞬間、アリスの手から杖が滑り落ちた。


 ブラウンガルムのキバがアリスへと――届く寸前、俺は落ち葉を踏みしめて距離を詰め、ブラウンガルムを蹴り飛ばした。

 ――手応えが軽い。

 俺に蹴られる寸前、自分から飛び退いたようだ。

 さすが獣、反応が良い――と言いたいところだけど、その後が隙だらけだ。ブラウンガルムが着地した瞬間を狙い、俺は魔剣を引き抜きざまに振るった。

 ぱっと鮮血が舞い、ブラウンガルムは倒れ伏す。


「さてと、他に敵は――おっと」

 通常のブラウンガルムよりも二回りほどデカい個体が突っ込んでくるところだった。俺はステップを踏んで側面へと回避。すれ違いざまに中級スキルの月華一閃を使って倒した。

「よし――っと。他には……目につくところにはいなさそうだな」

 安全を確認した俺は、落ち葉のベッドで呆然としているアリスに向かって手を差し出す。


「……まったく、いくらなんでも無謀だぞ」

「うぅ、ごめんなさい……」

 さすがに堪えたのか、起き上がったアリスはずいぶんと殊勝な態度になっている。ちょっと可哀想に思ったので、俺は落ち葉まみれになっている背中をパタパタと払ってやる。


「怪我はないか?」

「え? あ、う、うん。大丈夫……みたい。というか、さっきのでっかいのはなに!?」

「あれはブラウンガルムのネームドだ。いわゆるボスってやつだな」

「……ボ、ボス? でも、アルくん、一撃……だったよね?」

「まあ……しょせんはブラウンガルムのボスだからな」

「……でも、ボス、なんだよね?」

「ボスはボスでも、雑魚のボスだからな」

 せいぜいブラウンガルム十体分くらいの強さだから雑魚には変わりない。


「アルくん……凄いんだね」

「俺が凄いんじゃなくて、二人が無茶しすぎなんだ。俺がいなきゃ死んでたぞ?」

「……うん、ごめんね。それと……護ってくれて、ありがとう」

 しょんぼりへにょんと萎れている耳が可愛らしい。ユイの方は――と視線を向ければ、こちらも無事なようで、なんとか立ち上がっている。


「もう懲りただろ? 街へ送ってやるから、冒険者になるのは諦めろ」

 俺がいなければ二人はほぼ間違いなく死んでいた。さすがにいまので、冒険者がどれだけ危険な職業か分かったはずだ。


「心配してくれてありがとう。でも、冒険者にはなるよ」

 アリスが首を横に振る。

「――っ。なんでだよ。今度こそ死んじゃうかもしれないんだぞ?」

「それでも、だよ。私はいつか死んじゃうとしても、どうしても冒険者になりたいの」

 俺はハッと息を呑んだ。

 さっきまでの死に無頓着だったアリスとは違う。いまのアリスは死を受け入れている。澄んだ深緑の瞳は、死を覚悟した者だけが持つ輝きを秘めていた。


「……どうしてそこまで」

「それが、ここでしか叶えられない私の夢、だからだよ」

 アリスの瞳は決して揺るがない。自分の言葉じゃアリスを説得出来ないことを察して、俺はユイに助けを求める。


「なあ、なんとか言ってやってくれ」

「私はアリスの夢を叶えるためにここにいるの。だから、反対するつもりはないわ」

「どうしても、か?」

「どうしても、よ。でも心配しないで。アルの心配は杞憂だから。無理に付き合ってくれなくても良い。アルがもう付き合えないって言うなら、二人で狩りを続けるわ」

「そう、か……」


 正直に言って、ここまで付き合う義理はない。もう十二分に義理は果たした。二人が危険を承知で戦うというのなら、それは俺の知ったことじゃない。

 だけど――

 

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