第8話

「転校する手続きをお願いします」


「…………………………はい?」


 無機質な空間。

 カーテンが閉められた室内はLEDの人工的な明るさのみで照らされている。

 ほとんどの生徒が見たことすらない部屋——生徒相談室で天方は椿先生に抗議を行っていた。


「桔梗院高等学校から転校したいのでその手続きをお願いします」


「いえ、丁寧に言い直すとかそういうことではなくて……一体どうしたんですか天方さん? 何かあったのですか?」


「……この学校はやはり合いません。ですからすぐにでも転校の準備を——!」


「ちょ、ちょっと一旦、落ち着いてください、天方さん!」


 興奮気味の天方を椿先生は宥めようとするが、前のめりとなった天方の勢いに呑まれ、逆に先生までもが混乱を起こし状況が悪化する。

 ……なんだか予想通りの光景で安心した。

 さっきの天方と金倉の諍いが終わった後、教室から消えたと思ったらやっぱりここか。

 何だかんだで椿先生のことアイツも頼りにしているからそうじゃないかと思ったけど……ビンゴだ。

 天方は余程興奮しているのか、相談室に入ってきた俺に気づかないまま椿先生に抗議を続けている。

 ……興奮してるから気づかないだけだよな?

 ……存在感薄すぎて気づかなかったとか真顔で言われたら悲しすぎる。空気以下の存在感て、それ存在しないのと変わんねぇだろ。


「いいえ。私は落ち着いています。とにかく転校の手続きを——」


「とりあえずはなしを聞いてくださぁぁぁぁぁい!!」


 ——パンッ


 乾いた音が部屋全体に響く。

 ついに先生のビンタが天方に炸裂したか……と思ったが普通に柏手を打っただけでした。残念。

 そういえばこの前、体罰に関する調査が厳しくなってきたとか愚痴ってたな。

 ……え、体罰したことあんの、この人?

 ……これからは関わらないでおこう。


「というわけで、鈴木さん。説明の方お願いします」


「……ですよねぇ」


 見つからないように方向転換してドアに手をかけると同時に椿先生に呼び止められる。

 絶対に、センサーか何か仕込んであるだろ、ここの扉……


「それで一体、彼女には何があったのですか?」


「えーと、それは…………あ」


 どっからどう伝えたらいいのか模索していると偶然、天方と目が合った。

 ——てめぇ、こっちの不利になること言うんじゃねぇぞ、わかってんだろうな?と脅迫じみた声が聞こえてきそうな目力にほぼ反射的に視線をそらす。

 だが、今回はあくまで平等に伝えるのが俺の役目だ。だから、そんな獣みたいな目で俺を見ないでください。心がガクガクします。

 どうせ見るんならもっと心がピョンピョンするやつで頼みます。

 ……あぁ~心がガクガクするんじゃ~。


「とりあえずはじめから説明すると——」






 ◆◆◆






「なるほど……」


「そういうわけです。で、その後いきなり教室から走って——」


「……低級生命体のくせに喋り過ぎよ。少し黙りなさい」


 物凄く理不尽な気がする……誰か俺に人権をください。

 椿先生への状況報告がひと段落したところで、すかさず天方は毒舌で無理矢理ストップをかける。

 そしてそのまま俺の役を奪い取ると、先生との会話を引き継いだ。


「そういうわけです先生。ですから改めて、転校の手続きをしてください」


「……………………なるほど」


 腕を組み、難しそうな表情で考える素振りの椿先生。

 だがその答えはあっけなく、いや既に決まっていたかのようにサラッと答えた。


「無理です」


「な……………………」


 天方が絶句していた。ついでに瞳孔までパッカリと開いてる。


「……な、なぜですか」


 今度は弱々しい口調になった。

 ありえない、と言わんばかりにその目は見開かれる。


「昨日、貴方には課題を出したばかりですよ? 今、逃げ出すことは簡単かもしれませんが今後も同じことが起こる可能性が極めて高いでしょう。なので転校しても同じだと判断した……むしろより悪化すると思ったからです。それに」


「……それに?」


「今朝、書いたと思いますが——これです」


「?」


「椿先生、何ですかそれ?」


「転校するにあたっての天方さんに書いてもらった書類ですよ」


 机から先生が取り出したクリアファイルには数枚の書類が入っていた。そして一枚を、その中から取り出すと天方の前に突き出すように掲げて見せる。


「ここ、よく読んでください」


「ん?」


 書類に書かれているところを天方と同様に俺も目で追っていく。

 だが、特におかしなところはない。


「先生、えっと……どこですか?」


「ここですよ、ほら」


「んん?」


 胸ポケットにぶら下げてあったボールペンを取り出して書類の中の一点を指す椿先生。

 そこには……


「は、半年間の転校を禁ずる……」


「そうです。半年は無理なんですよ」


 絶望したような天方とは対照的に明るさに満ちた笑みで勝ち誇る椿先生。

 でも、ちょっと待てよ。おかしくないか?

 そもそも天方は不登校だっただけでこの学校の生徒だ。だから転校という話じたいも俺は偽名と同じで嘘と思っていたんだが……違うのか?

 

「……先生、そもそも私は偽名用で使うだけだから形式上のものだけと聞かされていたのですが?」


 どうやら天方も俺と同じ疑問を抱いたようで先生に質問していた。


「そうですね、確かにそう伝えましたね。は、ね」


「? それと何が違うのですか」


 わざと含みを持たせた言い方をする先生に天方は戸惑いながらも質問を続ける。

 ……だけど正直、あの笑い方をしてる時の椿先生って大体ろくでもないこと言い出すんだよな。

 ほんと独身アラサー教師って闇が深い。ついでに谷間も深い。


「ですがに関しては形式上などとは私、一言たりとも言っていませんよ?」


「……………………は?」


「ですから偽名に関しての書類は形式上と確かに言いましたが、転校の書類に関してはそれに限った話ではないと言っているのです」


「いや、どういう意味だよ……」


 ……耐えかねてツッコんでしまった。

 いや、ほんとどういう意味だよ。なんで、そんなことをした?

 偽名の書類は形式上にも関わらず、転校の書類だけ……?


「……ぐ……なるほど、そういうことですか……」


「はい、そういうことです」


 椿先生の意図に気づいたのか天方は表情を一気に曇らせる。初対面の俺の時みたいに。

 ……どんだけ俺嫌われてんだよ。ヤリチンでもないのに……なんなら童貞なのに……


「つまり先生は、こうなることを予想して……あらかじめ私が生徒とトラブルを起こして、転校するという計画を知っていて潰した——その認識でよろしいでしょうか?」


「はい、その認識で結構です」


「……あのー、二人とも一体なんの話をしているんでしょうか?」


 一人だけで話についていけていない俺。

 こんな時でもボッチとか、俺のボッチ度高すぎんだろ。

 ……あれ?なんかこの前にも似たようなこと言った気がするぞ。ま、いいか。

 

「えっと、そうですね。まぁ、簡単に言うとさっきの天方さんの感情の発露——あれは演技ということです」


「え」


 あっけらかんと簡単に椿先生は口にしてはいるが正直、理解が追い付かない。

 だっていきなりそんなこと言われても……それに、あの、天方のあの表情は明らかに本物だった。

 それこそ馬鹿な正義感で俺を勝手に動かすくらいとても強いもの……

 それが……演技?


「まぁ、話を聞いている限りだと全部が全部演技だとは思いませんが。突然彼女が黙り込んだ、とさっき貴方は言っていましたが……本当に違和感を覚えなかったのですか?」


「それは………………」


 確かにあの時、天方が黙り込んだのは不自然だった。それまで饒舌に話していたから余計に目立つ形で。だからこそ後半は金倉が有利な流れになった。

 でもそれは……


「それは過去に天方自身が、その……体のことでトラウマを抱えていたからじゃないんですか?」


 ……そうだ。

 だからこそ金倉の「白髪頭」という言葉にあれほどの反応をみせた。黙り込んでしまうほどに。


「そうですね、ですが演技だと彼女自身が認めたことですから」


 その言葉とほぼ同時に俺は天方のいる向きに顔を向けていた。


「…………本当に演技だったのか?」


「ええ、そうよ」


 なんの迷いもなくそう答える。


「でもなんでそんなことを……」


「決まっているじゃない。この学校から転校するためにね」


 意味が分からない。

 なんでわざわざ、それだけのためにそんな演技が必要なんだ?


「……でも、転校するにしたってもっと違う手段なんかいくらでもあるだろ?」


「ええ、そうね。お前の言っていることは正しいわ。普通ならね。でも、そんなに簡単に出来たら私は……私は、不登校になんてなってない!」


「———っっッ!」


 今度こそ正真正銘の感情の発露——爆発。

 言葉を震えさせながら言葉を紡ぐ天方の……少女の姿は俺にそう確信させるだけの悲壮感が漂ってた。

 紫の繊細なガラス細工のような瞳が淡い光に包まれる。

 涙を必死にこらえる彼女の姿が——少なくとも俺は、それが偽物だなんて思うことはできなかった。


「私だってほんとは……不登校になんてなりたくなかった……男性嫌悪症なんて演技も……」


「——え?」


 男性嫌悪症も……演技?

 どういう……


「やはり、そうでしたか」


「椿先生?」


「っっッ‼」


 一人だけ頷く椿先生に天方までもが驚愕の感情をあらわにする。

 そして椿先生は、授業を行うように丁寧に天方の前に身を寄せた。


「天方さん……なぜ、転校したかったのか、理由を言ってもらってもよろしいですか?」


「それは………………できません」


 涙目のまましばらくの沈黙を有した後で、天方は会話を拒否する。

 だが、そんな天方に先生は優しく微笑むと、そっと彼女の頭に手を置いた。


「え……」


「よくこの一年間頑張ってきました。でも、辛いならハッキリと言ってください」


「……、、……」


「そうなった原因は貴方の親——」


「っっッ!」


「いえ、正確には貴方の——父親ですよね?」


「——ッ!……ど、どうしてそれを?」


「ふふふ、その説明はきちんとします、ですがその前に……鈴木さん」


「は、はい?」


「貴方も説明を聞いてください。彼女のパートナーなんですから。よろしいですね天方さん?」


 椿先生の問いに無言のまま小さく天方は頷いた。

 けど、それ以外は何も言わない。

 二人の会話に夢中になっていてずっと黙っていたけど本当にこれ、俺がいていいのか?

 今更になって疑問に思う。本当に今更だけど。

 ただ純粋に……個人的になんで天方はそうまでして転校したかったのかが知りたかった。

 どうしてあんな顔になるまで隠していたのかが。

 どうしてそんな顔になれるのかが。


「まず、鈴木さん」


「はい」


「念のために言っておきますが、この話は絶対に——」


「漏らしたりしません」


「はい、お願いします。それでは——」


 一息おいて椿先生は語り始める。


 



——彼女の過去を、


 ——名前だけの生徒の過去を、


 ——天方雪花の過去を。

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青春に疑似恋愛は含まれない 株式会社 無乳の境地 @sarinzya

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