第14話
次のレースまであと4日。
ゴーヘーはすこぶる順調に来ている。今日の追い切りも番頭が舌を巻くほどの動きだったらしい。
こうなると、否が応でも期待は大きくなる。
それと同時に、こっちはプレッシャーが大きくなるわけだ。
「お、そいつが噂のゴーヘーかい?」
曳き運動の最中、よその厩舎の厩務員に声をかけられた。
俺よりもずっと年配で、大ベテランの厩務員さん。
昔は騎手をやっていたが、当時いた競馬場の廃止でこっちに流れてきたんだって聞いたことがある。
噂かどうかはわかりませんが、こいつがゴーヘーですよと紹介する。
ゴーヘーは俺に引き綱を握られてるからか、大人しくしている。
「うーん……、噂通りだね。間違いなく上の方まで行けるよ」
彼はゴーへーをしげしげと眺め、そう言って微笑んだ。
「これだけの馬をここで見られるなんて思わなかったよ。すごいのがやって来たもんだねぇ」
いえいえ、まだまだやんちゃ坊主で何しでかすかわからんのです。気が抜けないですよ。
俺は苦笑いで答えるのが精一杯。
「小さいが雰囲気がもう全然違うもんね。次の特別戦使うんだろ?うちのも使う予定だけど、こりゃ敵わんなぁ」
彼はそう言いながら自分の厩舎へ戻って行った。
「どこ行ってもゴーヘーは次どこ使うんだって聞かれるわ。えらい人気者になっちまったなぁ」
大仲に戻ると、先生がこんなことを言いながら苦笑いしてる。
「まだ新馬勝っただけだってのになぁ。みんな警戒しすぎよな」
ですよねぇ。まだどうなるかもわからないんですから。
「ただなぁ、どこ行ってもうちのスターホースになるんだから大事にせぇよって言われててなぁ。それはそれでプレッシャーだよな」
ですよねぇ……。
考えてみれば、ここの競馬場でのオープンクラスは大半が中央や他の地方競馬から流れてきた馬ばかり。
生え抜きもいないわけではないが、どうしても実力は中央下がりに見劣りする。
それだけに、生え抜きのスターホースに出てきてほしいってのはわかるんだ。
でも、ゴーヘーがそうなれるかどうかはまた別だからなぁ……。
そうなってほしいのはあるけど、そうなれるとは限らないのでね。
レース2日前。出馬表が配られてくる。
大仲から「うわぁ参ったなあ……」と番頭の声。
どうしたんですかと大仲に顔を出すと、番頭が頭を抱えながら出馬表をこっちに手渡してきた。
「もうこの時期から中央下がりが来てるよ。てっきり平場に回ると思ってたのになぁ……」
こう言ってはいかにも参ったという顔をしてる。
この時期に中央から降りてくる馬は早々と見切りをつけられたか、地方のダートの方が合うと判断された馬のどちらか。
そして特別戦に出てくるということは、地方に合うと判断された馬の確率が高い。こうした馬は能力がこっちの馬と比べるとかなり高くて、転入してすぐに勝ち負けも期待できる。
つまり、ゴーヘーにとっては強敵だと言うことになる。
「どうせいつかは当たるんだ。同じ当たるなら早い方がいいじゃないか」
先生もやって来た。
「中央で鍛えたとはいえ同じ馬だ。ゴーヘーだってそう見劣りせんだろうさ」
先生は不敵な笑みを浮かべてる。きっとゴーヘーの出来に自信があるんだろう。
もちろん、俺もここまで最新の注意を払って仕上げてきたつもり。
「だから、相手がどうこうなんて考えてもしゃあない。ゴーヘーの競馬をすればいいんだ。番頭もそう思うだろ?」
番頭もいくらか自信を取り戻したように「ええ、ゴーヘーなら中央下がりにだって負けませんよ」と顔を上げた。
そこで俺も口を開く。
仕上げについてはかなりいい感じに来たと思ってます。痛いとこもないですし、きっとやれますよ。
「それなら次も勝ち負け出来るな。ゴーヘーがどれくらい強いか見せつけてやろうや。なあ」
先生はそう言って笑った。
俺も番頭も笑った。
レース前日の夜。
ゴーヘーはいつものようにリラックスしてる。
実はここ数日、飼葉の量を少し減らしてる。
というのも、急激に増えるといいことがないのでという先生からのオーダーが入ってたから。
牧草の量も少し減らして与えてたんだが、ゴーヘーはもっとよこせとも言わずにじっとしてる。
なあゴーヘー、明日はレースだなあ。
前走の時のように話しかける。
相手はうんと強くなる。前みたいに楽はさせてもらえんかもしれん。
だが、お前なら間違いなく勝てるからな。思い切って暴れてこいよ。
ゴーヘーはうんうんと頷いて、眠そうに目をしばたかせた。
ああ、眠かったのか。すまんな。
ゆっくり寝るんだぞと言って馬房から離れる。
しかし、レース前日にこの落ち着きよう。
やはりゴーヘーはただ者じゃないのかもしれない。
もしかしたらうちで生え抜きのスターホースになってしまうのかもしれない。
でも、そうなってもならなくても、俺の担当馬だもの。
チーコや他の馬たちと同じようにやるだけさ。
レース当日。
ゴーヘーは416キロで出走。だいたい読みどおりの体重になってて、少しホッとする。
パドックに出れば、明らかに客の数が多い。2人曳きの外側を曳いてる番頭が「重賞でもないのにこんなに来るとはなあ。ゴーヘー目当てだといいなあ」なんて言ってる。
きっと競馬新聞の記者が書いたブログを読んだ人が来てるのだろう。俺は読んでないけど、えらく好意的に書いてもらってたって同僚が言ってたっけ。
これだけのお客さんにゴーヘーの強さを見てもらえるんですから、ありがたいですよね。
俺もこう答える。
そうしてるうちに騎乗命令がかかって騎手が出てくる。チラッと見ると、中央から来た馬にはゴーヘーの調教をつけてくれてたベテラン騎手が乗ってる。
相手はゴーヘーのタイプを知ってるだけに、少しだけ不安がよぎる。
アンチャンがゴーヘーに乗って、先生もやって来た。
「相手は強いかもしれんが、ゴーヘーの出来を信じて乗って来い。今日も任せたからな」
先生はそう言って俺たちを送り出してくれる。
そうだ。
ゴーヘーを信じるしかないよな。
本馬場に出て引き綱を離す。
離し際に一言。
ゴーヘーが一番強いってこと、見せつけてやってよ。願います。
アンチャンは軽く頷いて、キャンターでゲートへ向かって行った。
ゲートが開いて、ゴーヘーはいいスタートが切れたようで馬群の先頭に立つ。
だが、そこにベテラン騎手の馬がハナを奪おうとせっついてくる。
さあ、アンチャンどうするつもりだろう。
そう思って見ていると、アンチャンはハナは譲らないとばかりにゴーへーを前に出す。
ベテラン騎手も負けじと競りかける。おかげで3番手以降ははるか後方。
「とんでもないハイペースじゃねぇか。ゴーヘー持つんかねこれ」
番頭は心配で息も止まりそうな顔になってる。
たぶん俺も同じ顔をしてるはずだ。
こんな競馬してたら後ろの馬にやられる。そう覚悟した。
ところが、最終コーナーを回ってもゴーヘーはバテた様子を見せない。
直線でベテラン騎手を振り切ると、そのままの勢いでゴール板を駆け抜けて行った。
ベテラン騎手の馬は最後方まで落ちて、最後はゆっくりとゴールしてた。
俺も番頭も、この様子を半ば呆然と見ていた。
すげえ競馬しやがったよ。
まさか中央下がりを競り潰すとは……。
ゴーへーを出迎えると、さすがにバテた様子。後できっちり確認せんといかんなと思いながら引き綱をつける。
検量所へ戻ると、それまで黙ってたアンチャンがようやく口を開いた。
「競られて控えようとしたんですが、ゴーヘーが最後まで持つから行かせろーって言ってたんで行かせました。ホントにすごい仔ですよー」
先生は「まさかこんな強い勝ち方するとはなあ。ともあれ、これで次は若鯱賞だな。ねぇオーナー」とニコニコしてる。オーナーも「これで重賞使わないわけには行きませんね」と、こちらも笑顔だ。
番頭は「さすがに控えてほしいぐらいのペースだったが、よく堪えたな。ゴーヘーよくやったぞ」と言いながらゴーヘーを撫でてる。
俺はと言えば、すごい競馬を目の当たりにした衝撃でまだどこかふわふわした気持ちでいた。
俺の担当馬がこんなに強かったことなんて、今までなかったから。
厩舎に戻って状態を確認するが、特に変わったことはないようで一安心。
先生は「いよいよ重賞だ。きっちり仕上げて勝ちに行こうや」と言う。
俺も番頭も頷いて、それぞれの持場に戻る。
いよいよ重賞かぁ……。
考えただけで緊張してくるのが自分でもわかる。
うちの厩舎で重賞に出たのもまだ数度だけ。
もちろん、俺は初めてのこと。
勝ち負けどころか、出るなんて今まで想像すらしたことがなかった。
それがゴーヘーのおかげで重賞に出ることが出来る。
ありがたいことだが、それだけの馬を預かる責任というものが重たい。
俺のやることは今までと変わらないはずなんだが、妙な緊張感がついて回るのを感じる。
若鯱賞まで一ヶ月。
それまでプレッシャーに潰されないようにしなくちゃなぁ……。
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