第13話
次のレースまで10日ほど。
先生が「軽く1本追い切っておこうや」なんて言ったもんだから、今日は追い切りをやることに。
チーコの世話も済ませて、俺は本馬場の入り口近くに向かう。
追い切りでどのぐらい動けるか、自分の目でも見ておきたかった。
「併せとはいえ馬なりだし、一週間前だし、そんな時計出すわけじゃないからな」
横で番頭がつぶやく。
記者連中が天狗山と呼ぶ高台には先生がタイムを取ってくれてる。
番頭が馬場のすぐ横で動きを見る。
後で突き合わせてこの先一週間の調教メニューを固めていく。
俺がその場にいても調教メニューに口出しは出来ないが、決まったメニューに沿って作っていくことは出来るので。
今日のゴーヘーのスパーリングパートナーは3歳のC2クラス。
それでもめっぽう稽古駆けするのを相手にしたと、先生は教えてくれた。
「同世代じゃ稽古にならんし、少し上くらいを相手にしなきゃ本気は出さんだろうさ」
確かに、ゴーヘーは他の馬を見下してる節がある。
曳き運動のときに他の馬が騒いでてもお構いなし。どうかすると何してんだかって目で見てたりする。
慣れない人にはキツイけど、馬が相手だとあまり暴れたりしないもんな。
スピードを上げて3歳が4ハロンの標識を通り過ぎる。
その後をゴーヘーが追いかけていく。
アンチャンが気合をつけた瞬間、ゴーヘーの体がぐんと沈み込んで加速する。
みるみる差が詰まって行く。
直線に入ってちょうど競り合う格好になり、そのままの態勢でゴール。
タイムはと番頭に聞いてみると、番頭は「先生に聞いてみないとわからんが、結構いい時計出たんじゃないか」と笑いながら言う。
ほどなく先生が天狗山から降りてきて、ニコニコしながらこう言った。
「馬なりで51.3だよ。まだ2歳だぜ。やっぱあいつは走る」
昼飼いの少し前。
先生と番頭が作戦会議を開いた結果が降りてきた。
稽古はやればやるだけ走るが、テンションを上げすぎないようにしたいよね、と。
つまり、こっちはできるだけリラックスさせることを心がけなくちゃいけない。
今まではそんなにカリカリすることはなかったけど、この先調教の強度が上がったときにどうなるかだ。
そんなことを考えながらゴーヘーの馬房に向かう。
手にした飼い桶には飼葉がいっぱい。
追い切りした後だというのに、ゴーヘーは元気いっぱいだ。
俺の顔を見るなり飯の催促で鼻を鳴らし、前掻きもする。
おいおい、もうちょいだけ待ってくれよ。
こう声をかけて飼い桶をセットすると、待ちきれないとばかりに鼻先を突っ込んで食べ始める。
それを見届けてから脚元のチェックに入る。
脚元は問題なし。毎度のことだが、問題ないとわかるとホッとする。
後ろで見ていた同僚が「ゴーヘー、少し大きくなったんじゃない?」と言う。
でかくなったかな?明日体重測る予定だけども、でかくなってるといいなあ。
「うんうん。見違えるほどじゃないけど大きくなってるって。大丈夫だよ」
たとえ気休めでもありがたい。なにせゴーヘーは400キロそこそこでここに来た。
新馬戦は412キロで出られたが、まだまだ小さいことには変わりない。
せめて420キロあればなあと番頭が常々言うのを聞いてるだけに、体の大きさには敏感になる。
食欲は落ちないからあまり心配ないのかもしれないが、それでも、なあ……。
朝になったら500キロぐらいになってるといいんだがなあと冗談を言うと、ゴーヘーは飼い桶から顔を上げてうんうんと頷く。
「ゴーヘーはお前の言うことに必ず頷くんだよなあ。俺らが喋ってもあんまり反応ないんだけどな。不思議だよなあ」
同僚は感心したような口調で言う。そこは俺も気になってた。
俺やアンチャンが何か言えばうんうんと頷いてくれるが、他の人に対してはどうなんだろうと。
どうやら、なつく人にしか頷かないらしい。
きっとゴーヘーなりに返事したり相槌打ったりしてくれてるんだろうか。
まさか、ねぇ……。
次の日。
キャンターから戻ってきたゴーヘーを受け取り、体重を測りに行く。
なぜかアンチャンもついて来た。
「気持ち大きくなった気がするんですよねー。気のせいですかねー」
こんなことを言ってはニコニコしてる。
太めではないから成長してるんだとは思うけど、気のせいかもしれないねぇ。
期待してるのを隠すように返事する。
そんなすぐに大きくなるわけないんだが、筋肉の付き方は入厩した頃からすれば変わって来てる。
気のせいじゃなきゃ、いいんだけどね。
厩舎区域の一角にある小さな掘っ立て小屋みたいなのが馬の体重計。
床全体が体重計になってて、馬を載せると壁のモニターに体重が出るという仕組み。
たいがいの馬は平気で乗ってくれるが、たまに嫌がるのがいて厩務員を困らせる。
そういや、チーコも来てすぐの頃は嫌がってたっけか。
ゴーヘーは全然嫌がらないんで心配ないけどね。
ゴーへーを体重計に載せて、壁のモニターを睨みつける。
……418キロ。
やったぜ。アンチャンとハイタッチで喜び合う。
「しっかり作ってくれたおかげですねー。本番までに430キロぐらいなってるかもですよー」
アンチャンは嬉しくてたまらないという表情になってる。
そうだなあ。この分で行けば本番は450キロで出走かなぁ。
俺も笑いながら冗談を飛ばす。
もし実際にそうなってたら明らかに太め残りで笑えないが。
先生に体重を含めて状況報告。
「おお、さすが担当さんだ。きっちり作ってるねぇ」とニコニコしてる。
「本番までにもう1本追い切って、後は軽めで行けそうだな。若鯱賞までは詰めて使うしかないんで、頼むよ」
ええ。ところでオーナーさんに遠征の件は……?
「ああ、オーナーさんからはゴーヘーのためになるなら遠征はしていいってさ。若鯱賞でもし2着なら11月にどっか遠征で稼いでくるしかなくなるからな。そういう意味でも次の自己条件できっちり勝ちに行かんとな」
ですね。本番までには万全で出せるようにします。
返事をしながらいくらかプレッシャーがかかってるのに気がついた。
いや、今まで気づかない振りをしていただけかもしれない。
遠征で大レースに勝ちに行くなんて、うちの厩舎でもたぶん初めてのこと。
それだけの馬を任せてもらってることはありがたくもあり、プレッシャーに感じることもあり。
でも、気にしていてもどうにもならん。
まずは次のレースまで頑張らんと。
プレッシャーを跳ねのけるように、小さく気合を入れた。
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