第8話

「……次はここの厩舎だな。お前は先生からコメントもらって来い。なんでもいいぞ。俺はスタッフさんたちに取材してるから」

おや、お客さんだ。

午後の作業もすべて終わった夕方あたり。

ちょうど道具の片付けをしていたところ。

スタッフさんたちって言っても、馬房あたりに残ってるのは俺だけなんだけどねぇ。


「お疲れ様でーす……ってあれ、あんただけかい」

やって来たのは顔なじみの競馬新聞の記者。今日は後輩を連れて何かネタを探しに来たらしい。

俺がこの厩舎に来たのとほぼ同じぐらいに記者になったとかで、何かと馬の合う存在。

駆け出しの頃はどちらからともなく誘っては安い飲み屋で愚痴を言い合った仲でもある。

最近はとんとご無沙汰だけど。

その彼が「後輩出来て大変よ」と言いながら連れ回してるのが、まだ大学を出たばかりにしか見えない女性で、みんなびっくりしてたっけ。


俺しかいねぇよ、すまんな。

わざとぶっきらぼうに言うと、記者は「まあそんなとこだろうと思ったよ」と返してくる。

たぶん、わざと俺しかいない時間帯を狙って来たんだろう。そのくらいのことはやる奴だ。

で、今日はどの馬の話聞きに来たのよ。


「いやいや、たまには世間話でもと思ってさ。しばらく飲みにも行ってないし」

そうだなあ。2歳預かってから飲みに行ってないな。

「その2歳を見に来たんだ。能力試験ですごいタイム出したのがいるよな?」

ん?そんなのいるわけないだろ?

わざととぼけてみるが、通用するはずもない。

おそらく能力試験は見てたはずだしな。


「またまたぁ。あんたが持ってる2歳、ありゃ本物だよ」

記者は目を輝かせてる。

「能力試験のタイムはぶっちぎりだったし、動きだって中央のエリートに負けてないさ。あいつはスターになれる器だわ」

んなこたぁない。体は小さいし血統は地味だし、なによりうちで一番のやんちゃ坊主だぜ。

モノになるかもまだわからんさ。

「いやいや、俺ら記者連中はすっかり本命打つって気合入れちゃってるんだよ。で、どうなのよ」

どうなのよってなぁ……。見てった方が早いね。

そう言って、記者をゴーヘーの馬房に連れて行く。

薄暗くてあまり良くは見えないかもしれないが。


ゴーヘーは同僚の協力もあってあまり暴れなくなった。

とはいえ、自分が納得しないことには全力で暴れにかかる。

この間も鉄屋さん来て蹄鉄の打ち換えに馬房から出そうとしたらずいぶんと抵抗された。

3人がかりでなんとか打ち換えしてもらったが、俺と先生は鉄屋さんに平謝りだった。

やはり、うちで一番の暴れん坊なのは変わらないらしい。

そんなところを見せたら、きっと熱も冷めるだろう。

あまり人気になっても困るからね。


……ところが。

ゴーヘーは大人しく牧草を食べてるだけ。暴れる素振りすら見せようとしない。

「……この仔?」

ああ。こいつがあんたが騒いでた仔さ。ちっこいし見栄えしないだろ?

「これから大きくなるんじゃない?本格化の前からあれだけ動けるんなら楽しみでしょ」

いやいや、大きくならんから毎日苦労してんだってばさ。

カイ食いはいいが身になってない気がしてなあ……。

「実力馬を預かると気苦労が絶えませんか」

記者は笑いながら言う。どんな馬でも気苦労が絶えないのは一緒なんだけどな。

でも、走ってくれたらそんな苦労なんか飛んでっちまうけどね。


「あー、先輩ここでしたか。先生からすごい2歳がいるから見てけって言われたんですが……」

記者の後輩がやって来た。先生のことだからニコニコしながら「いい馬だよー」ぐらいは言ったかもしれない。

すごい2歳って隣の厩舎じゃないのととぼけてみる。

「いえいえ、この2歳で来年中央の馬を返り討ちにするんだって。そりゃもうすごい勢いでしたが……、もしかしてこの馬ですか?」

先生、でかいラッパ吹いちゃったなあと頭を抱える。

そう見えるんならそうかもしれないよと答えるしかない。

相変わらずゴーヘーは大人しく牧草を食べてる。馬房の前にいる記者たちに関心がないのか、それとも今は牧草を食べていたい気分なのか。

「これが未来の名馬だぞ。よく見て覚えておくんだ。こんないい馬は滅多にいないんだから」

記者はさも自分が探し当てたかのように後輩に言う。

そんないい馬に見えるかい?

記者に聞いてみた。


「ああ、今年の2歳じゃ文句なしの一番だな。中央に一泡吹かせるのも夢じゃない」

記者はわざと大仰に頷いてみせた。先生のラッパに乗るつもりなんだろう。

印つけるのはあんたらの勝手だけど、馬券でしくじっても責任は取らんからな。

そう言うと、「あんたの馬で損得なんか考えたことないわ」と返された。


記者たちが帰った後、ようやくゴーヘーは馬房から顔を出した。

さてはお前、馬かぶってたな?

ゴーヘーの鼻先をなでて遊ばせる。

まあいいや。人気になろうがなるまいが、お前には関係ないもんな。

人気になってプレッシャーかかるのは俺たち人間だけだ。

特に、俺にとっちゃ初勝利もかかってる。

とはいえ、無理に仕上げて壊しちゃ元も子もない。

だから、先生が言うようにいつも通り。

そう思ってゴーヘーには接してきた。


……もうすぐ新馬戦だな。明日は追い切りだってさ。頑張ろうな。

こう言うと、ゴーヘーはうんうんと頷いた。

そして前掻きをしてもっと飯をくれと催促する。

飯の時間じゃないんだがなあ。

苦笑いしながら、ニンジンがあるのを思い出す。

飯には足りんが、おやつ代わりだ。

こう言って差し出すと、ゴーヘーは思い切りよくかぶりついた。


追い切りはまた抜群の動きを見せたらしく、先生も番頭もニコニコしてる。

厩舎全体で見てもここしばらく成績がふるわない事を番頭は気にしていたし、俺たち厩務員もなんとかしなきゃなあって思ってたところ。

ゴーヘーが新馬勝ちしてくれたら、厩舎全体で勢いに乗れるんじゃないかって先生も言ってたしな。

そうなれるよう、俺も頑張らなくちゃだね。

明後日は新馬戦。俺は気合を抑えられずにいた。

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