第7話

能力試験の朝が来た。

チーコの調教を先にしてもらい、俺はゴーヘーにブラシをかける。

4ハロン、800メートルを55秒以内でタイムは合格。

その他にゲートでの振る舞いも見られるから油断はできないが、普通にしてたらクリア出来る条件だ。

なにも深刻に考えなきゃならんほど動かないわけじゃない。

軽く追ったら52秒台で走ったらしいから、タイム的には問題ない。

ゲートは不安だが、それ以前に俺自身が緊張でどうにかなりそうだった。

こんなことは今までなかったなぁ……。


俺の緊張がゴーヘーに伝わったらまずい。

そう思えば思うほど、緊張が高まってくる。

何も新馬の能力試験が初めてってわけじゃない。

どうしたんだろうと自分で考えてみると、思い当たるフシがあった。


「ぶっちゃけると、俺はゴーヘーに賭けたんだ。オーナーがそれに乗っかってくれた。だから結果で応えなきゃ申し訳が立たん」

ゆうべの先生の言葉だ。

結果を出さなきゃいかんと頭のどっかで思ってるんだろう。

もうやれることはあらかたやった後なんだけどな。


集合時間が近づいてきた。

ゴーヘーを連れて装鞍所へ向かう。

ゴーヘーはリラックスしてるように見える。まだこれから調教するんだぐらいに思ってるんだろう。

曳かれてるのにグイグイ自分から歩くのも普段どおり。

たぶん、これなら緊張することはないと思うんだけども、やっぱり自分の腕に自信がないからなんだろうなぁ……。


装鞍所に着くと、先生がニコニコしながら待ち構えてた。

「まあいつも通りだ。ここで焦ってもなんにもならん。落ち着いて行こうや」

俺が相当青い顔してるから、わざとリラックスさせようとしてる。

大丈夫ですよ。ゴーヘーが落ち着けって言ってくれてましたから。

わざと作り笑顔を見せて鞍をつけにかかる。

アンチャンから預かった勝負用の鞍。

能力試験で使うことは滅多にないけど、先生から勝負用でと頼まれたらしい。

追い切りでも勝負用使わんのに、先生も勝負かけてるなぁ……。


パドック周回。

スクーリングの効果か、ゴーヘーはリラックスして歩いてる。

曳くのは俺と番頭。

本当は同僚に来てもらいたかったんだが、手の空いてるのが番頭だけ……というのは表向き。

自分の目でゴーヘーの能力試験を見たいって、先生に志願したらしい。

普段はいつもクールに振る舞ってるが、ことゴーヘーのことになると結構熱い。

なんだかんだで気にかけてるんだろうねぇ。

試験にはゴーヘーの他にもう5頭。

どれも480キロから500キロはあろうかって大型馬ばかり。

でも、落ち着きっぷりはゴーヘーが一番かな。

こんなことを番頭に言うと、番頭も笑顔で返してくる。

「当たり前だ。あれだけ厩舎で人間相手に暴れた馬だもの。こいつらなんか目じゃないって顔してるぜ」

新馬戦もこうだといいんですがねぇ。

「そこは担当さんが頑張ってやるしかないでしょ?頼んだよ」

これには苦笑いするしかない。


止まれの合図でアンチャンが駆け寄る。

アンチャンをゴーヘーに乗せてもう3周。

そうしてるうちに先生がやってきた。

「位置取りは馬なりでいい。ラスト2ハロンでさらっと追ってくれればいいからね」

先生は乗り方の指示をいつも直前で出す。

今日もそうだ。いつも通りを徹底してる。

たぶん、ゴーヘーに本番の気分を感じさせたいのだろう。

こっちは本番さながらの緊張感だけども、ゴーヘーがどう感じてるか。

アンチャンが乗った途端に気合を入れたらしく、ますます自分から歩こうとする。

それをなだめながら本馬場まで進む。


本馬場に入って引き綱を離す。

離す間際にアンチャンに一声かける。

後は任せた。お願いします。

ゴーヘーは早く走りたいとばかりに口を割ってるが、アンチャンはそこを抑えながら返し馬に向かって行った。

それを見送って、俺たちは待機所へ向かう。


待機所からはゲートの様子がよく見えない。なので、モニターを見る。

気がつけば、モニターの前は能力試験に来た厩務員たちで満員だ。

みんな祈るような表情でモニターを覗き込んでる。

俺はというと、やっぱり同じようにモニターを見ている。

いや、見ている格好をしているだけかもしれない。

心の中は不安でいっぱいだから。


ゲートの中で我慢は出来るようにはなったけど、まっすぐ出てくれるかどうか。

ましてやよその馬が騒いだらつられるんじゃなかろうか。

不安ばかりでちっとも画面の様子が頭に入って来ない。


どっかの馬がゲートに入らずに手こずってる。

その分先に入ったゴーヘーは待たされる。

頼むぞおい。すんなり入ってくれよ。

「すみません」と誰かが声を上げた。

どうやらこっちも声に出てたらしい。


なんとか全馬ゲートに収まって1分間。

ここで我慢出来なきゃ試験は不合格。

ゴーヘーは我慢出来てるように見える。

隣の馬が騒ぎ出してこっちは気が気じゃない。

頼むぞ……。


ガシャン。

ゲートが開いて、ゴーヘーはまっすぐ飛び出した。

そのまま馬なりで先頭に立つ。他の馬とはスピードの差が違うんだろう。

1頭が気合をつけて外側から絡んでくる。

ゴーヘーとアンチャンは馬なりのまま。行きっぷりは良さそうに見える。

他の4頭は離されてる。着順は関係ないとはいえ、どうせなら先頭で来てほしい。


直線に入ってすぐに残り2ハロンの標識がある。

そこを通過すると、アンチャンは軽く追い出した。

その瞬間。

ゴーヘーの体がぐんと沈み込んだように見えた。

同時に外の馬がみるみる離されて行く。

そのまま3馬身ほどの差をつけてゴール。

タイムは?と隣りにいた番頭を見ると、番頭はモニターのラップタイムを見て固まってた。

「嘘だろ……。50.5秒だって……」

えええええ?

番頭の答えに、今度は俺が固まった。

とんでもないタイム出しやがった。

いや、走りそのものがとんでもなかった。

ゴーヘーは間違いなく走る。それもかなり上の方に行けるはずだ。

すげぇ……。


係員に促されるまで、俺と番頭は固まってたらしい。

少し慌てて馬場の出口に向かう。

出口ではアンチャンがゴーヘーに乗ったまま待ってた。

「少し気合つけただけであんなに離しちゃいましたよ。新馬戦もいただきですね」

アンチャンはニコニコしてる。ゴーヘーも少し疲れた顔はしてるが、どこか痛そうな素振りはない。

ホッとしながら引き綱をつける。

アンチャンは降りてから番頭に「新馬戦予定空けてますんで、よろしくお願いします」と頭を下げた。

番頭は「先生もこれなら降ろしたりしないんじゃない?後で依頼するんでよろしくな」と応じる。

俺はそのやり取りを聞きながら厩舎へ向かう。

結果はまだ出てないが、合格間違いなしの内容だ。

心底ホッとしながらゴーヘーと歩く。


1時間ほどして、正式に合格の連絡が来た。

今度は2週間後に新馬戦がある。

そこに照準を合わせて調教が進められることになる。

馬房に戻ったゴーヘーをチェックしながら、これなら問題ないかなと思う。

あれだけの走りが出来るんなら新馬は勝ち負けだろう。

とはいえ、本番は頭数も違うし、お客も入るし、いろいろと違うところも出てくる。

まだまだ気が抜けないなと思いながらゴーヘーを見れば、早速飼葉を完食してた。

まるで「もっと気楽にやっていいんだよ」と言ってるみたいだ。

そう出来たらいいんだけどなぁ……。

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