第5話

調教パートナーが決まって、ゴーヘーの今後にも見通しが立ったと先生が言う。

次の能力試験に出せるよう、調教メニューが組まれる。

それに合わせて俺たちも動くことになる。


ゴーヘーにはゲート練習が組まれることになった。

騎手を背にしたゴーヘーを曳いて練習用のゲートへ向かう。

レースで使うものと同じゲートだが、4頭分ぐらいしかない。

いつもの馬場から少し離れたところにあるので、そこに向かうのは少しだけ神経を使う。


いつもの順路じゃないと、こっちじゃないって抵抗する馬もたまにいる。

ゴーヘーがそうじゃないことを願うだけだが。


「今日はゲート入るからねー。頑張ろうなー」

鞍上の若手騎手はゴーヘーに声を掛けながら。

彼はいつもこうやって、ゴーヘーに何かしら声を掛けてる。

それがゴーヘーにとって良い影響になってる気がするんだ。

俺の直感なんで、あまり当てにはならんけどね。


ゲートを目の前にして引き綱を離す。

騎手が合図を出してゲートへと歩き出す。

だけどゴーヘーは動かない。むしろ後ずさりしてる。

「大丈夫だよー。さあ行こうか」

騎手がこう言って促すが、なかなか入ろうとしない。

やっぱりなぁ……。


育成場でもある程度ゲート練習はしてくるんだけど、実際連れてくるとやっぱり苦手な馬は多い。

競馬に使うとなるとゲートの中でじっとしてなきゃいかんから、慣れてもらうしかないんだけどさ。

しゃあない。はみ環に引き綱をつけて引っ張る。

ゲートに収まったところで騎手が抑え込む。

引き綱を外してゲートの後ろ扉を閉める。頼むからじっとしててくれよ……。


ゴーヘーは前掻きしたり立ち上がろうとしたりで落ち着かない。

それでも1分は飛び出さずに我慢した。

ゲートの前扉を開くと、ゴーヘーは右に吹っ飛んでった。

もう一度ゲートに入れたら、今度は左に飛び出すし。

一度も前扉破らなかったのが唯一の救い。

こりゃあ前途多難だわ……。


ゲート練習は散々だったが、他はまずまず。

馬体もそれなりに出来て来てるとは先生の見立て。

だから、これからはゲート練習を多めにやるようになるらしい。

こっからは君の腕にかかってるんだぜと騎手に言うと、「責任重大ですねぇ」って苦笑いしてた。


今日はもう一頭の担当馬が出走の日。

レースはちょうど午後の作業の時間。なのでゴーヘーの世話は同僚に任せることに。

もう一頭の担当馬、チーコはこれが32戦目。

俺が担当になってからは勝ててないが、毎月一度は出走して、時々は入賞してくる。

出来はいいし、なんとか今日こそ勝ちたいもんだと気負ってみるが、走るのは馬だからね。

それよりも、ゴーヘーのことが気になる。

俺のいない間に大人しくはしてないだろうからなぁ……。

いささか重たい気分にはなるが、チーコだって俺の担当だもの。

こっちに集中だ。


チーコはなんとか掲示板を確保してきた。

勝てなかったが、無事に戻って来てくれただけでも満足だ。

少しホッとした気持ちで厩舎に戻れば、ゴーヘーはまた大暴れしたらしい。

同僚のひとりは前蹴りを食らったとのこと。

プロテクターのおかげで大したことはなかったけど、こうなるとまずいよなぁ……。


先生も戻ってきた。

チーコの入賞でニコニコしてたが、同僚たちの報告で顔が曇る。

俺だって報告聞いて青くなってるぐらいだもの。先生だってそうだろう。

そう思ってると、突然先生はこんなことを言い出した。

「これからゴーヘーはみんなで世話するか。みんなゴーヘーに顔を覚えてもらうんだよ」

スタッフ一同、キョトンとした顔になる。


「今日ゴーヘーの生産牧場の方が来てて挨拶に行ったんだよ。そしたらゴーヘーの当歳の頃を教えてもらえてさ」

先生は続ける。

「ゴーヘーはものすごい人見知りだったんだと。知らない人が来るとすぐに飛んで逃げてたし、世話するスタッフさんにしかなつかなかったんだってさ」

そういうことだったのか。特定の人が嫌いで逃げる馬は見たことあるけど、特定の人しか好きじゃなかったのか。


「ただ、世話しないスタッフさんも毎日顔出してるうちに逃げなくはなったみたいだ。うちもこれでやってみようや」

先生はそう言ってみんなを解散させた。

俺は残った。先生に聞いてみたいことがあったからだ。

先生、この間あのアンチャンと俺の雰囲気似てるとか言ってましたけど、あれ冗談でしょ?


「バレてたか。もちろん冗談さ」

先生は笑いながら言う。

「キミにしろアンチャンにしろ、声がけから作業するだろ?あれがゴーヘーにはいいみたいなんだ」

へ?声がけ?

「そうそう。育成場からの申し送りで、声がけからする人にはなつきやすいってのがあったんだ。だからキミに任せることにしたんだよ」

それは最初からみんなに知らせるものなんじゃないですかね?

「いやいや、なつかない人相手に暴れるとは聞いてなかったんだよ。わかってたら教えてたさ」

ともかく、みんなにも声がけは徹底してもらうよう伝えますね。

そう言うと、先生は「キミから言ってもらえれば助かるよ」と苦笑いしながら言った。


わかってしまえばどうってことはない。

次の日の朝から、早速同僚たちはゴーヘーに声をかけだした。

忙しいのもあって、みんなあまり口数は多くない。黙々と作業するほうが慣れてるってのもある。

でも、それじゃゴーヘーは嫌なんだろう。馬に気分良くいてもらうのも、俺達の仕事のうちだ。

「ゴーヘー、おはよう」

「ゴーヘー、今日は暴れんでくれよな」

みんなゴーヘーの前を通るときに必ず声をかけてくれる。

当のゴーヘーはというと、なんだか鳩が豆鉄砲食らったような顔して見つめてる。

俺は苦笑いしながら「ほらゴーヘー、稽古に行くぞ」と馬装をつけ始める。

遅れてアンチャンもやってきた。

さあ、今日もゲート練習だ。

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