第19話 最後の戦い

 ややもすると情に流されそうになる頼朝を戒めたのは、妻の政子だった。彼の最大の後見人である北条時政の娘である。

「あの者は、必ずや頼朝どのに災いをもたらします。この機会に必ずや討ち取られますように。よろしいですね!」

 一族が居並ぶ前で、義経を討つ事を厳命されてしまった。


 天下を手中にしようとしている頼朝だったが、彼女にだけは頭が上がらなかったのである。

「ああ、分かった。そうする」

 としか、言いようがなかった。

 そして彼女が命ずるまま、京へ軍を発したのだった。


 一方の九郎は、平泉からの船団が停泊しているのを見つけた。折良く、商売のために上京していたのだった。

 まず、閑と弁慶。そして彼女付きの郎党を乗せる。そして自分は配下の侍たちと、もう一隻の船に乗り込んだ。

「先に行け、閑」

 九郎が一生懸命に手を振った。泣いているようにも見えた。

 なんだ、いったい。閑は少し可笑しかった。


 船が港を出た。そのまま紀伊半島を迂回するため、南へ進路を変える。

「おい、後ろの船が来ないぞ」

 閑が訝しげに言った。

 弁慶をはじめ、誰もが目を逸らし、答える者はいなかった。

 九郎の乗った船は、真っ直ぐ西を目指していた。瀬戸内海を突っ切り、西国へ落ちていくのだと、閑は気付いた。


「方向を変えろ、この船も西へ向かうのだ!」

 閑は船長らしき男に向かって叫んだ。男は振り返ると、顔を覆った頭巾を取った。

「九郎さまの命令で、姫さまをお迎えに上がりました」

 彼女を姫と呼んだ男。

 屋島の合戦後、兄の遺髪を携え平泉に戻っていた佐藤忠信だった。

 平泉の船団を率い、再びやって来ていたのだった。


「いやだ。戻らんぞ」

 どうしてもダメだというなら武力に訴える、そう言いかけた閑は、忠信の暗い表情に気付いた。

「どうしたのだ、忠信」

 忠信は言葉を詰まらせた。

秀衡ひでひらさまは」

 お館さまは、もう長くは……。やっと、それだけ言った。


 閑は全てを悟った。九郎の計画だったのか、と。

「そうか。……帰ろう。わが故郷、平泉へ」


 出航の翌日には大時化おおしけとなった。幸い、すぐ近くの港に滑り込み、事なきを得た閑たちだった。

「九郎は無事だろうか」

 閑は、黒い雲が拡がる空を見て、呟いた。


 秀衡は床に伏したまま閑を迎えた。衰えは明らかだった。やはり、忠信の言ったとおり、この奥州王にも最後の日が近づいていた。

 秀衡は戻って来た娘の手をとり、涙ぐんだ。


「九郎を連れて帰る事はできませんでした」

 閑が言うと、秀衡は微かに笑った。

「いや……九郎どのは、きっと帰ってくるだろう」

 ささやくような声だった。


 ☆


 陸奧守藤原秀衡がこの世を去って間もなくの事だった。

 平泉に頼朝からの命令が届いた。

 それは、義経と閑を殺せというものだった。出航後すぐの嵐によって西国行きを阻まれた義経は、行方ゆくえをくらまし今は平泉に潜んでいるとの噂が、まことしやかに流布されていたのだ。

「義経をかくまってなどおりませぬ」

 秀衡の嫡男、泰衡やすひらは弁明に努めたが、もとより受け入れられる筈もない。ついには閑を生贄にえとする他なかった。

 泰衡は百人ほどの武者を率い、閑が暮らす衣川館を包囲した。


「兄上、これはどう云うことですか!」

 柵越しに閑が叫ぶ。

 泰衡は目をそむけたまま、軍勢に、行けと命じた。


 守る側は、寄せ手の半分にも満たなかった。奮戦するも、徐々に屋敷の中へ追い込まれていく。

 背後からの矢の唸りに、閑は振り返った。

「弁慶!」

 何本もの矢が、閑をかばった弁慶の身体に突き立った。

「奥へ、……お入りください、ここはわたしが、守りますので…」

 辛うじて声を絞り出す。

「馬鹿を言え、そんな身体で」

「なんの、閑さまの木刀と較べれば、それほどでも」

 半分は嘘だった。もう駄目なのだろうな、そう弁慶は覚悟していた。


 遠くで喊声があがった。


 悲鳴と共に、寄せ手の兵達が逃げ去っていった。

 その騎馬武者は、敵兵の真っ只中を大薙刀を振るい切り裂いていく。

 そうしてこじ開けた道を、一直線に屋敷へ駆け込んできた。

 ああ、どこかで見た事がある光景だ。弁慶は思った。


「無事か、閑どの!」

 長い黒髪を後ろで束ねたその美貌の武者は、閑を見つけると、返り血を浴びた顔で、にこりと笑った。

 閑は思わず声をあげた。

ともえさま!」


「言っただろう。閑どのを泣かせるような奴は、わらわが成敗してやると」

 高らかに笑うと、配下の木曾兵を集結させた。


「そこの鎧武者のむくろを、屋敷の奥へ放り込んでおけ」

 巴はからかうように言う。

「奴らのために九郎義経の身代わりを用意しておいてやろう。閑どのの兄上も、鎌倉への手土産が必要だろうからな」

 そして屋敷に火をかけさせた。


 混乱の中、巴と閑たちは衣川の館を脱出する。重傷を負った弁慶も馬に乗せられ救出された。


 閑は殿軍しんがりを務める小柄な男に気がついた。正確な狙いで、追跡してくる騎馬武者を次々に射倒している。その姿に見覚えがあった。

 彼女が、一日として忘れた事のない男の姿だった。

「あれは、九郎じゃないか?」


 巴は笑みを含んだ表情で閑を見た。

「いや。あの男は丸男まるおといって、妾の下僕よ。北国ほっこく街道で野垂れ死にかけているのを召し抱えたのだが、どうにも働きが悪くてな。良ければ、閑どのに進呈するぞ。こき使ってやってくれ」


 

 義経のものと称する、その焼け爛れた首は鎌倉へ届けられた。

 それを見た頼朝は横を向き、顔を伏せた。小さく、よし、とだけ答えた。


 ☆


 木曾の山中深く、しのびと呼ばれる特殊な技能を持った者どもに守られた集落があった。彼らは平家の落ち武者の子孫だとも、木曾義仲の一族だとも伝えられていた。この当時、日本各地にこのような集落があったのだろう。

 鎌倉の追跡もこの里には届かなかったようだ。


 この里にはひとつの言い伝えがある。

 そこに生まれる子供は、なぜか、女子の方に武芸に秀でた者が多いのだと。

 だが、その真偽のほどは定かではない。


 終わり。 

 

 

 

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義経と弁慶、そして陸奥王の姫 杉浦ヒナタ @gallia-3

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