第18話 義経を追討せよ
九郎を見送ったあと、
「明日には、我らも出立します。長らくお世話になりました」
そう言う閑に、主は丁寧に頭を下げる。
「では、せめて今宵はごゆるりとお過ごし下さい」
不自然なまでに愛想よく笑っていた。かつて無い事だ。
「どうやら、私たちを追い出せて、せいせいしている様子でしたね」
呆れたように弁慶が言う。
「そうだな」
答えた閑だったが、何か引っかかる。果たしてそれだけだろうか、と。
深更、商家を取り囲む武者の姿があった。
月夜だ。灯りは持っていない。
合図と共に武者たちは屋内へ突入した。打ち合わせ通り、戸締まりはされていなかった。
易々と閑の寝所へ駆け込むと、三人の男は彼女が眠る布団に、何度も抜き身の太刀を突き立てた。十分な手応えがあった。
くぐもった悲鳴があがり、布団に血が滲む。
弱々しい呻き声もすぐに途絶えた。
男たちは顔を見合せ、頷いた。一人が勢いよく布団をはね除ける。
「……!」
声の無い動揺が男たちに拡がった。
布団の中にいたのは、全身を縛り上げられ、猿轡を噛まされたこの家の主だった。
血塗れで、すでに絶命していた。
「違う、あの女ではないぞ」
頭目らしき僧形の男が、愕然とした表情で呻いた。
「あの女とは誰だ」
背後からの声に、男は苛立った。
「聞いていなかったのか、陸奥のじゃじゃ馬娘だと言われたではないか」
「ほう、誰に言われたのだ」
「だから頼朝さまに……え?」
☆
「駄目じゃないですか、みんな殺してしまって。これじゃ情報がとれませんよ」
弁慶はため息をついた。
三人の男は全て一刀の下に倒されていた。
他にも何人か居たようだが、悲鳴を聞いて既に逃げ去っていた。
「命じた奴が分かれば十分だ」
閑は吐き捨てるように言った。
「しかし、頼朝だと?」
なぜあの男が、わたしを狙うのだ。閑には納得がいかなかった。
あれ、と弁慶が声をあげた。
「この男、比叡山の僧兵ですよ。名は確か、
弁慶は死体を改めて言った。見覚えがあったらしい。
「これは、鎌倉殿と法王の共謀という事も考えられるのでは……」
ああ、後白河か。閑は頷いた。
だったら閑にも、多少の心当たりがないでもなかった。
「そうか。以前、
後白河法王の胸ぐらを掴んで脅し上げるのを、懇ろと云うのかは知らないが。
閑を亡きものにすることで、九郎と平泉との繋がりを断つとともに、恥をかかされた恨みに酬いる。まさに一石二鳥。有りそうな事だった。
「いい大人が、揃いも揃って何をやっているのだか」
京を発つ前にもう一度挨拶をせねばならんようだな。閑は、ふふっと笑う。
「止めましょう、お願いですから」
弁慶は懇願するしかなかった。
☆
「でも、それでは九郎さまの方も危険なのでは」
閑は振り向いた。じろり、と弁慶を見据える。
しばらく逡巡した後、ひとつ舌打ちをした。
「わたしの知った事か、あんな馬鹿。無節操で、女であれば見境い無い、色狂いの男など。それにあいつはな……」
よほど建礼門院の一件が腹に据えかねているらしい。彼女の罵詈雑言は
も、もう勘弁してあげて下さい。弁慶は涙目で訴えた。
ふーっふーっ、と荒い息をつき、ようやく閑は黙り込んだ。
どうやら喋り疲れたらしい。
「まあ確かに弁慶の言う事ももっともだ。あいつに死なれては、父上に申し訳が立たないからな。仕方ないが、父上の為だ」
自分で言って、うんうんと頷いている。
「弁慶、九郎の馬鹿を追うぞ」
どこか嬉しそうに、閑は宣言した。
「これは、
閑は、並べられた二頭の馬を見て言った。声に力がなかった。
奥州の馬と比較して、一回り以上小さい。そういえば源氏も平家も、こんな馬に乗っていたな、閑はため息交じりに思った。
「お嬢さん、ここいらじゃこれが馬ですぜ。まあ、年取ってるんで老馬ですがね」
この馬を調達してきた伊勢義盛が、申し訳なさそうに言った。
どうやら、頼朝か後白河法皇か知らないが、既に手が回っているようで、この二頭ですらやっとの事で手に入れたものだった。
「そうか、すまない義盛。よくやってくれた」
へえ、と言って頭を下げる義盛。
閑と弁慶は即座に騎乗した。
「残りの馬が準備でき次第、お前たちも来い」
義盛に言い残し、馬を走らせる。だが……。
「おい、弁慶。この馬、遅くないか」
わたしが走った方が早いぞ、閑は絶望的な声をあげた。
もちろん馬のせいもあるが、街道を行き交う人々を蹴り殺す訳にもいかない。この速度が精一杯だろう。こんな状態で数日が過ぎた。
イライラしながら馬を進めていると、落ち武者のような薄汚れた集団とすれ違った。小柄な男を中心に、とぼとぼと歩いている。
弁慶は横目でそれを見ながら通り過ぎようとした。
突然、ああっと大声をあげた。先を行く閑へ慌てて呼びかける。
「閑さま、お待ち下さい。居ましたよ、九郎どのです!」
男は、ぼんやりと顔をあげた。おう弁慶、と呟く。
「ええ? 護送役も解任されちゃったの?」
閑の言葉に、九郎は胸を押さえてうずくまった。
連れて行った兵力もすべて取り上げられ、供回りだけで京へ戻る所だったのだ。
「鎌倉へ入ることさえ許されなかった」
閑は背筋が寒くなった。これは危険だ、そう思った。
その予感はすぐに現実となった。
伊勢義盛が後を追って来たのだ。彼は馬を飛び降りると、叫ぶように言った。
「
鎌倉の頼朝はそれに応じ、直ちに軍を発した。
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