第15話 それぞれの壇ノ浦
「他の船に移るのですか」
幼い安徳帝を膝に抱いた
彼女は前に座る兄、
知盛は冷静な表情を崩さず、彼にとって最後の作戦となるであろう、この源氏覆滅策を彼女に語った。
敵将、源義経の狙いは明らかだった。この船に在る三種の神器である。あの男の作戦傾向からも、必ず自らがこの宝器を奪いに来るだろう。
そして、平家が真に怖れるべきは、この義経ただ一人だと云うことに知盛は気付いていた。知盛が綿密に築き上げた戦略は、すべてこの小男の奇襲攻撃によって打ち砕かれて来たからだ。
この作戦は、やつのその性格を利用する。
つまり、この
乗り込んで来た義経を待つのは三種の神器ではなく、完全武装の武者たちになる。
そして、義経さえ討ち取れば。
平家は再び、源氏に対抗し得る勢力を取り戻すことも出来るだろう。
討ち取ることができれば、だが……。
「
知盛は院号ではなく、妹の名を呼んだ。
哀しくも、静かな声だった。
「私は、この子や兄上と一緒に居られましたから、辛くはありませんでしたよ」
建礼門院 徳子は我が子の頭を撫でながら言った。
そして、微かに笑みを浮かべる。
「ですから、兄上は思い残すことなく、存分にお戦い下さい」
知盛は、黙って頭をさげた。
☆
「ほう、船を移っておられると」
鎌倉軍の軍監、梶原景時は使者を迎えていた。
「御座船は囮でございます。お気を付け下さいと、わが主は申しております」
ふふん、景時はその男を見た。
「
平時忠。清盛の妻の弟であり、かの『平氏にあらずんば人にあらず』と豪語した平家の重鎮中の重鎮である。その男が源氏に通じて来ていた。
「ところで」
景時は声をひそめた。
「この事を他の者には…」
使者は首を横に振った。
「よかろう。別けても九郎などに伝える必要はないからな」
罠に陥るがいい、九郎め。景時は満足そうに頷いた。
☆
陸奧守
「わしは、秀衡どのに何と言って詫びればいいのだ」
九郎は継信を葬ったあと、その遺髪を抱きしめ号泣した。
勇敢でありながら誠実な、まさに陸奥の武士という男だった。彼を配下に持つ事によって、九郎は鎌倉軍の中で一目置かれていた面さえあった。
「忠信、お主は継信の遺髪を秀衡どのに届けてくれ」
九郎は弟の忠信にそれを託すことにした。
彼までも失う事は人材の少ない九郎の陣営には大きな痛手だったが、他の者に任せる訳にはいかない事柄だった。
そして、九郎は
「閑、お前も忠信と一緒に平泉へ帰れ」
彼女は唇を一文字に結んだまま答えなかった。ただ九郎を睨み付けている。
「平泉で、わしの帰りを待て」
必ず帰るから、九郎は涙声で訴えた。
「無理だ」
閑は一言、呟いた。
「何がだ。何が無理だというのだ」
「私がいなければ、九郎など、そこらの路傍で野たれ死ぬに決まっているではないか。だから無理だと言ったのだ」
涙を浮かべて、閑は微笑んだ。
「忠信、どうか父上に伝えてくれ。閑は必ず、九郎どのを平泉に連れて帰りますと」
☆
下関沖の壇ノ浦に両軍は集結した。
いつの間にか、源氏の方が船の数で上回るまでになっていた。
一ノ谷、屋島と続いた敗戦が、西国の豪族を平氏から離反させていたのだ。特に屋島陥落により、瀬戸内の絶対的な制海権を失った事が大きかった。
知盛は御座船を使った囮作戦のほか、瀬戸内の海流を利用する事を考えていた。彼が、源氏に先駆けて陣を敷いたのもその為だった。
この位置取りであれば瀬戸の急流は自軍から源氏方へ向けて流れる。海流に乗って源氏の水軍に斬込み、一気に決着を付ける狙いだ。
「この作戦の要諦は、速戦速決である」
知盛は兵を前に宣言した。
必ず勝てる、彼の言葉に兵達は歓声をあげた。
だが、この作戦の弱点を知り尽くしているのも彼だった。
瀬戸内、とくにこの壇ノ浦周辺の海流方向は変わりやすい。今は平家側から流れているが、昼過ぎには反転する。
源氏方からの強い水流に変わるのだ。
(海流が変わる前に、決着がつかなければ……)
知盛は頭を振って思念を追い払った。
その後の事は、もはや考えるまでも無かったからだ。
こうして平家と源氏の最後の決戦、壇ノ浦の海戦が始まった。
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