第11話 九郎、引き籠もる。

 平家復権の橋頭堡きょうとうほとなるべき一ノ谷は陥落し、彼らは再び海上へ追い落とされることになった。


 敦盛あつもり忠度ただのりをはじめ多くの武将が命を落とし、清盛の第五子である重衡しげひらも虜となった。この合戦で平家が失ったものは、あまりに大きかった。

「だが、まだ終わってはいない。必ず京へ戻る」

 我が子の知章ともあきらを討たれ、憔悴してはいたが、知盛とももりに諦めの色は無かった。この平家きっての名将はすでに新たな戦略を考案していた。


 彼らは今、讃岐の屋島にいる。幼い安徳帝も一緒である。当然、天皇家の正統性を表す三種の神器もこちらに有った。

 ここを行在所あんざいしょとし朝廷をたてる。現在の日本の中心はここなのだ。


「奴らは下関に天皇がおわすと考え、そちらへ向かうはずだ。その背後に上陸し、補給路を断つ。鎌倉の者どもは、すぐに立ち枯れるであろう」

 知盛は捕らえた源氏の兵を使い、天皇に関する偽の情報を流させたのだ。

「たとえそれが偽りと分かったとて、奴らは他に手立てはない」

 軍船が無い限り、この屋島を攻撃する事はできないからだ。


 ただし陸上兵力で劣る平家にとっても、他に打つ手が無いのは事実だった。


 ☆


「ねー、九郎」

 しずかは、何度目になるか分からないが、彼に声をかけた。部屋を閉め切って、出て来ないのだ。

 強引に開けようにも、戸に、棒か何かが噛ませてあるようで開かない。

 蹴破るのは簡単だけど、他人さまの家を借りてる訳だし。

「お腹空いたんじゃないの?」

「……」

 やはり返事がない。

 なんだか、しくしく泣くような声が聞こえる。


「えーい、鬱陶しい」

 閑は憤然と立ち上がった。


「いい加減にしなさいよ、いつまで拗ねてるの。何の功績も認められなくて、恩賞が無かったくらいで。そりゃ、範頼さんだって何処かの国司になったかもしれないけどっ…」


 いきなり戸が開き、九郎が顔を出した。やはり涙に濡れている。


「うるせーよ。拗ねてなどいるものかっ。ば、ば、馬鹿じゃねーの」

 その胸ぐらを閑は掴み、部屋から引きずり出した。

「や、止めろ閑」

 暴れる九郎を、あっという間に床に組み伏せる。


「弁慶どの、確保しましたよ」

「さすが、閑さまです」

 物陰で息を潜めていた弁慶や佐藤兄弟から拍手が起きた。


 先程、論功行賞の沙汰があったのだが、九郎に対しては何一つとして与えられなかった。全く、功がないと言われたのと同じだった。

 実のところ、九郎の武芸は大したものではない。だが、それなりに平家方の武士を討ち取ったのも確かだ。


 なにより、一ノ谷での勝利を決定づけた平家本陣の焼き討ちを指揮したのは九郎だ。それなのに。

 これは閑も、いぶかしいと思わざるを得ない。


「梶原だ」

 九郎は吼えるように言った。

「あれが、わしの事を。…讒言ざんげんしたに違いない」

 梶原平三景時。

 鎌倉軍の軍監である。参戦した者たちの功績を記録し、頼朝へ報告するのが彼の役目だった。

 功が認められなかったというのは、やはりそう言う事なのだろうか。


「で、九郎は国司さまにでもなりたかったの?」

 閑の言葉に、九郎はきょとんとした顔をあげた。

「……いや、そういう訳ではないのだが」

「だったら別にいいじゃない。その、…九郎。あの時、格好よかったよ」


 ざわっ、と部屋の空気が動いた。


 弁慶、佐藤兄弟他、みな一斉に身を引いた。


「おい、お前たち。なぜ逃げ腰になる!」

 耳まで真っ赤になった閑が座を見渡した。

「か、勘違いするな。そ、そんなんじゃ、ないんだから。う、馬が格好良かったって、そういう事なんだから」


 は、はは、成る程、馬が……。ひきつった笑いで、弁慶たちは逃げるように部屋を出て行った。


「なあ、閑。わしは……」

 ぽつり、と九郎が言った。え、と閑は胸を押さえる。

「やはり、腹がへった」


 悲鳴を聞いて駆け戻った弁慶たちは、部屋の中を見て、目を覆った。


 ☆


 知盛の狙いどおり、鎌倉軍は陸路下関へ向け軍を発した。

 総大将は範頼。

 九郎へは出陣の命令すら出なかった。


 九郎はまた、部屋に引き籠もることになった。

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