第7話 木曾義仲は愛に殉ず

 木曾源氏の領袖、木曾義仲には幼馴染みがいる。

 名を、今井四郎兼平という。

 まだ少年とさえ言えぬ義仲が京を逃れてきた時から、つねに彼に付き従っている。

 精悍な義仲に対し、まだ子供っぽさの残る、柔らかな容貌だった。

 彼らは、主人と郎党の域を越え、もはや、お互いがそれぞれの身体の一部になっていると言っても良い。


「四郎。おれはもう駄目かもしれぬな。鎧が重くてならん」

 端正な顔に暗い表情を浮かべ、義仲は言った。

 力ない、かすれた声だった。


 源頼朝は、木曾義仲を討つために京へ兵を差し向けた。

 すでに宇治川の畔にその軍は集結している。その兵力は数万ともいう。

 これは決して大軍とは言えない。しかし、義仲の手元の兵は、もはや1千を大きく割っている。

 頼朝軍至る、の報により、その多くが逃げ去っていたからだ。


「殿、そのような弱気ではなりません。運命とは山を行く街道と同じ。昇る時もあれば下る時もあるのです。きっと必ずまた上り坂になりましょう」

 今井四郎もかすかに涙を浮かべ、義仲の手をとった。

「わたしもこうして、おりますれば……」

「……四郎」

 義仲も涙に濡れた顔で、呻くように言った。

 見つめ合う二人の唇は自然に近づいていった。



「いい加減にせい、お前らっ!」

 激怒したともえが二人まとめて蹴り飛ばす。


「さっさと陣の配置を下知せんか。愁嘆場は死んだ後にゆっくりとしろ!」

 巴は義仲の首根っこを掴み、天幕から引きずり出した。


 ☆


 一方、京を目前にした鎌倉軍は宇治川の急流を前に、その進軍を阻まれていた。


「このような所、渡れるはずもないであろうが。経路を変更じゃ。急ぎ北国街道から入るぞ」

 総大将の範頼を差し置き、傲慢な声をあげた男がいる。鎌倉軍の軍監、つまり目付役の梶原平三景時である。頼朝の信頼も厚い男だ。

「わしに続け」


「ふん! 行きたい者は平三と共にいけ。わしはここを突っ切るからな!」

 九郎は馬上で叫んだ。

 しかし多くの兵は冷笑混じりに梶原景時の後に続いた。

 去って行く彼らを見送った九郎のもとに残ったのは、1千ほどだった。


 その中に意外な男が残っていた。

 その男は手折った梅の小枝を手に、ふっと小さく笑う。


「この川を越えれば、そこに栄光が待つというのに」

 白い花の匂いをかごうとして、それがまだ蕾であることに気付いた。

「よかろう。では、我がために咲くがいい」

 彼はその枝を襟元に挿した。

 男の名は、梶原源太景季かじわらげんたかげすえ。平三景時の長男だった。


 それを横目で見ながら、川面の様子を窺っているのは佐々木四郎高綱。かれの乗る馬は鎌倉軍の中でも一際見事なものだった。

 頼朝から拝領した名馬『池月』である。

 かれはこの『池月』で京への一番乗りを果たす事だけを考えていた。

「絶対に負けられん」

 彼は、景季に聞こえないよう呟いた。


 高綱と景季は、お互いに牽制しながらじりじりと川岸に進んでいった。

「か、景季どの」

「なにかな」

 緊張した高綱の声に、景季は鷹揚に答えた。やはり長男だからだろうか、どこかのんびりしている。


「大変でござる。お馬の尻尾が失くなっておりますぞ!」

「な、なんと!」

 さすがに慌てて後ろを振り向く景季。


「失礼!」

 その隙に高綱は、一気に『池月』を宇治川に駆け込ませた。

「しまった。たばかられたかっ」

 景季も自分の馬の尻尾が有る事を確かめて、その後を追う。

 二頭の馬は、急流をものともせず、対岸を目指した。


「皆の者、続けいっ!」

 九郎の号令一下、騎馬隊は宇治川へ突入した。

「騎馬隊は上流に立ち、壁を作れ。兵はその下流を進むのだ!」

 畠山重忠の指示により、騎馬と歩兵は並行して川を進んで行く。


 ☆


 鎌倉軍が二方面に別れたことで、義仲はさらに窮地に陥った。

 それで無くとも少ない兵力を分散しなければならないからだ。

 京都へは多くの街道が集まっている。とにかく守りにくいのだ。

 そのためだろう。古来、京都を守って勝利を収めた例はない。


 義仲軍は各地で打ち破られた。


「へえ。九郎って、戦の指揮は上手いんだね」

 弁慶とともに後方で控えていたしずかは感心した。あの男、小っちゃいくせに、戦場の全体をよく把握している。

 なるほど、大将になれば個人的戦闘能力はさほど必要としないのか。

 なんかちょっと、悔しい。


 その軍の前方で悲鳴があがった。

「なんだろう」

 閑は伸び上がってみるが、様子が分からない。

「あれ、九郎どのではないですか?」

 弁慶が指さす。


 その、九郎が血相を変えてこちらに向かってくる。

 逃げろー、と叫んでいるようだ。

 その背後で、鎌倉軍の陣が左右に割れた。まるで道を開けるように。


 一人の騎馬武者がそこを突っ切ってきた。薙刀を振るい、遮るものを次々に血祭りにあげていく。

 全身を返り血に赤く染めた、その女武者。


ともえさま!」


 彼女はしずかの前で馬を止めた。

「おお、閑どの。無事でなによりだ」

 血にまみれた凄惨な笑顔を向ける。

 周囲の兵も怖れて、誰も彼女に近づこうとしない。


わらわは木曾へ帰ることにした。さらばだ」

 そう言って立ち去ろうとした巴に、閑は声を掛けた。


「あの。義仲さまは」

 こちらを向いた巴の顔を見て、閑は後悔した。訊くんじゃなかったと。


「奴はわらわよりも……、男を選びおったわ」

 木曾義仲は今井兼平と一緒に死ぬことを選んだのだという。

「最後に、手ひどく振られてしもうた」

 彼女は怒っているのか、それとも泣いていたのか。


「おい、義経!」

 巴に大声で呼ばれ、九郎はびしっ、と固まる。

「閑どのを泣かせるような事があれば、妾が駆け戻り、成敗してくれるからな。心しておけ!」

「は、はいっ」


「おのれ、道を空けい!」

 そうして巴は、ふたたび文字通りの屍山血河を造り出しながら北へと去った。


 木曾義仲と今井四郎兼平は同じ場所で自害し、果てた。

 二人は手を繋いだまま、戦場とは思えないほど安らかな死に顔だったという。



 こうして、京は鎌倉軍の手におちた。


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