第6話 巴と木曾義仲
(だが、なんという太刀筋の速さだ。こんな強い人は初めてだ)
閑は唇をかんだ。
一方の巴も、信じられない思いでこの少女を見た。
彼女は木曾義仲の軍にあって、一方の大将を務める程の剛勇の持ち主だった。個人的戦闘能力では主将の義仲に次ぐと言っていい。
その彼女がどれだけ斬込んでいっても、切っ先が少女の身体をかすめる事すらできないのだ。
これは薙刀ばかりではなく、もっと剣の修行をしておくべきだったな。
苦笑する彼女の顔を、鋭い突きが襲う。
(これは油断していると、殺られる)
巴は更に激しく斬撃を繰り出した。
九郎は腰を抜かしたまま、女たちの一撃一撃に悲鳴をあげていた。
「うるさい、黙って見てろ!」
振り向きもせず、閑に一喝される。
ほぼ互角の戦いだったが、次第に閑の不利が見えてきた。
(ええい、動きにくいっ!)
原因はその服装だった。
当然の事ながら、壺装束と呼ばれる女性用のそれは戦闘を前提としていない。手足の動きが極端に制限されていた。
そしてそれは、急速に閑の体力を奪っていった。
ついに、閑が足を
その隙を見逃さず、巴が間合いを詰めた。
閑は倒れ込みながら、巴の両脚を鋼仕込みの杖で横薙ぎになぎ払った。
「きゃん!」
意外なほど可愛らしい声をあげ、巴はその場にうずくまった。
現在なら『弁慶の泣き所』というところだが、この当時は何といったのだろう。ともかく、巴は両方の向こうずねを押さえて呻いている。
「さあ、逃げるよ」
閑は九郎を引きずるように駆けだした。
「待て、お前らっ」
巴が呼びかけた。もちろん待つ訳が無い。
「待ってくれ、お願いだから」
懇願する声に、二人は足を停めた。
「本当に歩けないんだ。肩を貸してくれ……」
閑と九郎は顔を見合わせた。
「お前たちの正体は誰にも言わぬ。陣屋まで連れて行ってくれないか」
涙目で訴えられては断れなかった。彼女の両側から肩を貸して立ち上がらせる。
「大丈夫ですか、骨が折れてませんか」
「ああ。それは無さそうだ。だけど強いな、閑どのは」
「いえ、巴さまも。あなたのように強い
さっきまで本気で斬り合いをしていたとは思えない会話だった。九郎は無言で背筋を震わせた。
義仲の陣屋では、思いがけない男が待っていた。いや、当然といえば当然なのだが。
「なんだ、お嬢さんたちも捕まったんですかい。仕方ねぇな」
「てめえ、殺すぞ義盛」
どこの世界に、主人の似顔絵を描いて敵に渡す奴がいるのだ。
「でも、あの絵は上手だったよ」
閑に褒められた義盛は、えへへと笑っている。
「こいつも連れて帰っていいからね」
巴は義盛の縄もほどいてくれた。
「どうした、巴」
陣屋の奥から長身の男が出てきた。色白で端正な顔立ち。どこか九郎や頼朝に似た所がある、この男が木曾義仲だった。
精悍な印象だが、世上に伝わるほどガサツな男には見えない。よほど、貴族たちが悪口を流しているらしい。
今も心配そうに、青アザになった巴の脚を撫でてやっている。
「
この男も、と義盛を指さす。この方たちの従者だとか。
「それは、巴が世話になった。では、飯でも食って行かんか。ちょうど
さすがにそれは遠慮させてもらう。
「だが、あの男」
三人を見送りながら、義仲は首をかしげた。
「九郎義経ではないか……うげ」
突然、義仲はみぞおちを押さえ、うずくまった。
「あら、失礼。肘が当ってしまったわ」
巴は肘を撫でながら、艶然と微笑んだ。
☆
京の情勢は混沌の度合いを深めていく。
木曾の勢力は凋落の一途をたどり、それに反比例するように洛中での狼藉がまた横行し始めた。さしもの木曾軍も前途に不安を感じている証拠だった。
「木曾義仲を朝日将軍に任ずる」
その詔勅は、彼らを
この頃、平家は下関を拠点としている。
軍を率いる
その圧倒的な海軍力をもとに瀬戸内周辺を制圧しつつ、京へ向かう喉首となる一ノ谷(現在の神戸市)という地へ陸上拠点を設けていた。
そして、いつでも京に攻め上れるのだぞ、という姿勢を誇示しているのだった。
東国に勢力を伸ばす頼朝。瀬戸内を制圧した平家。それに対し、京を押さえたはずの義仲が最も弱体であったのは皮肉と言うしかない。
木曾兵が逃げ腰になるのも無理はなかった。
☆
法皇はついに木曾追討を決意した。
義仲を焚き付け、平家との戦いに向かわせる一方で、密かに詔勅を発した。
『征夷大将軍』
武家に対する切り札と言って良い。
それを鎌倉の源頼朝に与えるというのだ。かつてこの称号が源氏に与えられたことはない。しかし、この時より源氏のみが受けることが出来る最高の権威となった。
頼朝は軍を発し、京へ向かわせた。
主将は頼朝の異母弟にあたる
九郎は別働隊を率いる。
義仲は西国へ向かう軍を返し、京の防衛にあてた。
源頼朝 対 木曾義仲。源氏同士の戦いが始まろうとしていた。
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