第5話 五条大橋の決闘

 京は陥落した。


 木曾義仲の侵攻に対し、平家は全くの無抵抗で都を明け渡した。

 生まれ育った地を戦乱で焼きたくないとの思いがあったのかもしれないが、あまりにもあっけなかった。


 総大将として苦しい戦いが続いた維盛これもりは、妻子を京に残すことにした。彼女らをこれからの放浪生活の艱難に合わせたくなかったのだろう。信頼できるものに預けて身を隠させ、一人京を去った。


 若き琵琶の名手、経正つねまさは、『玄象げんじょう』と並び古今に名高い琵琶『青山せいざん』を天皇より賜っていた。だが、この名器を戦塵に汚す事を怖れた彼は、それを仁和寺へ納めている。


 維盛の副将を務めた薩摩守さつまのかみ忠度ただのりは、自ら詠んだ歌を一巻にまとめ、彼の師匠である藤原の三位 俊成しゅんぜいに託した。

 後に編まれた歌集に残る一句がある。


  さざ波や 志賀しがの都はあれにしを 昔ながらの山桜かな


 詠み人知らずとされるこの歌が、忠度の詠んだものと言われている。


 ☆


 あまりに貴族的になってしまった平家を逐ったのは、後白河法皇が『山猿』と呼ぶ一団だった。

 義仲の軍は規律も何も無く、洛中を掠奪して回った。屋敷という屋敷はすべて押し入って一切の家財道具を奪い去り、女とみれば容赦なく犯した。

 朝廷は、狼藉を止めるよう義仲に申し入れたが、何の効果もなかった。

 元々これが目的で木曾軍に加わったものが、そのほとんどだったからだ。


 だが、一通り奪い尽くすと、その者たちは勝手に京を離れ故郷へと帰って行き、いつの間にか義仲の軍勢はその数を半分以下に減らしていた。


 残ったのは、今井兼平、樋口兼光、参謀役の太夫房覚明ら旗揚げ時から付き従う者たちばかりだった。その数、約1万。

「これぞ、我が精兵よ」

 義仲はさして気に留めてもいなかった。


 だが、その精兵をもって平家を追撃した義仲だったが、大敗を喫してしまった。



「数を頼むだけの輩に、戦さというものを教えてやろう」

 平家軍を指揮するのは清盛の四男、知盛とももりだった。もの静かで、決して戦上手という評判はなかったこの男だが、存亡の危機にあたり、その才能が開花したとも言える。

 さらに、先陣をきるのは猛将、能登守教経のとのかみのりつね。最後まで義経を苦しめる事になるこの二人が最前線へ登場した瞬間だった。

 木っ端みじんに打ち砕かれた義仲の木曾軍は、我先にと京へ逃げ返った。


「では西国で戦力を整え、すぐにまた京へ戻りましょう」

 知盛が殿しんがりを務め、平氏一族はゆっくりと西へ向かった。中国、四国から九州地方は平氏の直轄領もあり、このような状況でも平氏に与する豪族は多い。

「必ずや、京へ」

 知盛は力強く頷いた。


 ☆


 義仲の京入りを聞いた頼朝は、その日一日、部屋から出なかった。

 それだけショックだったのだろう。


「九郎、九郎を呼べ!」

 やっと出てきた頼朝は、彼に京への潜入調査を命じた。あの平氏を追い落とした木曾軍の実力が知りたかった。

 九郎は、彼の郎党から選りすぐり、急ぎ京へ向かった。



「本当にこの格好で京の街へ出るのか」

 九郎は不満の声をあげた。

「いやいや、お似合いでございますよ」

 彼らが拠点とした商家の主は嫌みっぽく笑った。九郎は稚児の格好になっていた。そしてもう一人。壺装束つぼしょうぞくの少女。

「ふん、ふふん♡」

 京の都で浮かれているしずかだった。


「まあよい。御曹司と婢女はしための組み合わせなら怪しまれまい」

 納得がいかない様子ではあるが、九郎は仕方なく言った。


 いやどう見ても、やんごとなき姫と、そのお付きの者でしょう。弁慶は思った。



 二人は木曾義仲についての噂を聞き集めながら、五条大橋の上まで来ていた。

「やはり評判悪いんだね、木曾義仲って」

 うむ。

 閑の言葉に、九郎は黙り込んだ。会った事は無いとはいえ、やはり自分の一族の悪口は気分が悪いらしい。


「おい、そこの男」

 すれ違いざま声を掛けられた。

 二人が振り向くと、狩衣姿で立つ人影があった。


 それは、ほとんど腰まで届く黒髪を後ろで束ね、太刀をいた長身の女性だった。

「お前は、わらわが捜している男ではないのか」


「だれ?」

 閑が九郎の背中を突っつく。

「わしが知るわけなかろう」

 だが、九郎はその女から目が離せなかった。意志の強そうな黒い大きな瞳に吸い込まれそうになっていた。なんて美しく、艶やかなのだ。どこかの誰かとは大違い……。

 後ろから閑に蹴り上げられて、やっと我に返る。


「お前は、源九郎義経であろう」

「は、はい……」

 返事をしかけて、もう一度蹴られる。

「バカか、お前はっ」


 その女は、一枚の似顔絵を取り出した。のぞき込んだ閑は、ぷっと吹き出した。

「これ、そっくりだよ」

「何をいう。わしは、こんな出っ歯ではない」

「いやいや。『閑どの、もう勘弁してー』とか言って泣いてる時はこんな顔だ」

「きさま、嘘ばかり言うではないぞっ!」


「でも、ちょっと待って」

 閑が何かに気付いた。

「この絵は、誰が描いたのですか」


 ああ、と女は微笑んだ。

「なあに。『最近京で噂の義経さまの顔を見てみたいな-、きっといい男なんだろうなー』と呼ばわりながら歩いていたら、通りすがりの男が描いてくれたのだ」

「何ですか、それは」

 閑は、うーん、と考え込んだ。


 よく見ると、絵の下に小さく字が書いてあった。

 画、いせ よしもり。落款まで押してある。


「義盛、お前かっ!」

 九郎は叫び、閑は額を押さえた。

「あんたたち主従は、何でそんなにバカなの」


「もうよかろう。その首いただくぞ」

 女は太刀を抜き放ち、九郎に斬りかかった。

「おわっ!」

 逃げようとした九郎は、足をもつれさせ仰向けに転倒した。それを女の剣が襲う。


 ギン、という金属音が響いた。

 女の剣は、閑の持つ杖によって受け止められていた。


「ほう、やるな。名を訊いておこう」

 女は感嘆の表情で言った。

しずか

 短く答える。

「そうか。妾は、ともえという」


 では、行くぞ。二人は激しく斬り結び始めた。


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