第3話 姉妹と過ごす夜

 今日の夕飯はシチューだった。萌絵が俺の隣でネズミのように「チューチュー」とうるさい。


「萌絵、少しは静かにしなさい。近所迷惑よ」

「う~、静かにしろって言われると余計に騒ぎたくなる」


 子どもかよ。まあ年齢的にはまだ子どもか。


「小学校でTPOを習ったでしょ。もう忘れたの?」

「てぃー・ぴー・おー? 何それ」


 姉貴は「はぁ」ため息をつき真剣な顔で萌絵を見る。確か、時(Time)、場所(Place)、場合(Occasion)だっけ。


「萌絵、よく覚えておきなさい。TPOはち……」


 俺は目を大きく見開き、アイコンタクトで「それ以上言うな」と伝えた。何かものすごく嫌な予感がする。あっちの方に行きそうな気がしてならない。十五歳の高一女子に十八禁を教えるぐらいだからな。姉貴は俺に怯え、顔を引きつらせて言った。

 

「せ、せめてPOだけでも言わせて」

「ダメだ。どうせロクなことじゃないだろ」

「ねぇ、ち……何なの?」

「チョップ(Chop)、パンチ(Punch)、オーバーヘッド(Overhead)だ」

「チョップはCじゃないの?」

「細かいことは気にするな」


 萌絵は疑うような目で見てくるが俺は無視した。世の中、知らなくてもいいことはたくさんあるんだ。

 夕飯を食べ終え、俺は自分の部屋に戻って今日のことを振り返ることにした。三人の中で一番ヤバいのは姉貴だ。男を落とす技術では美優が一番優れているが、頭のイカレ具合は姉貴が突出している。その気になれば本当に俺を洗脳してしまうかもしれない。

 萌絵は今のところ脅威になりうる存在ではないが、油断はできない。俺はこれからどうすればいいのか……。

 八時を過ぎ、そろそろ風呂に入ろうと部屋を出ると萌絵とばったり会った。


「お兄ちゃん、今からどこ行くの?」

「風呂入るんだよ」

「お風呂? 私も一緒に入る!」

「お前もう高校生だろ。一人で入れよ」

「えー? 一緒に入りたい! お兄ちゃんのおち……」


 俺は目を大きく見開き、アイコンタクトで「それ以上言うな」と伝えた。その続きを言ってみろ。テレビなら確実に自主規制音が入るぞ。ピーピー鳴るぞ。漫画や小説だったら伏字が入るぞ。萌絵は俺の姿に怯え、顔を引きつらせて言った。

 

「おち……落ち武者姿が見たいなぁ」


 ……お前、それは無理あるだろ。世界のどこに兄の落ち武者姿を見たがる妹がいる? 


『お兄ちゃん、その落ち武者姿すってきー!』

『だろー?』


 カオスすぎる。自分で想像して寒気したわ。


「私と一緒に入るの嫌なのぉ?」


 上目遣いで萌絵が聞いてくるが俺には効かない。お色気攻撃は美優で慣れている。

 萌絵は俺がまったく無反応なことがショックだったのか、悔しそうにしながら脱衣所に向かった。俺の番はもう少し後だな。

 俺に順番が回って来て風呂場に行くと、誰かのシャンプーが置かれていた。多分萌絵の物だろう。

 風呂を上がり、俺は萌絵の部屋に向かいドアをノックした。数秒経ってドアが開かれ、萌絵が薄着の格好で俺を迎える。


「お兄ちゃん、何の用?」

「ほら、これ萌絵のだろ」

「あ、ショックで忘れてた。ありがとう」


 やっぱりショックだったのか。表情ですぐ分かったよ。……ん?


「萌絵、手に持ってるピンクのノートは何だ」

「これ? 冷蔵庫の下に落ちてた。それよりも私のお色気が効かないなんて……もう少し精進しなきゃね」


 いや、別に究めなくていいよ。それより勉強に勤しんでくれ。

 俺が部屋に戻り、ベッドで寝転がっているとドアがノックされた。萌絵だろうか。

 ドアを開けると、そこには神妙な面持ちの姉貴が立っていた。


「姉貴、何の用だ」

「私のノート知らない?」

「ノート?」

「えっと、その……そうノートよ」


 何やら言葉がぎこちない。見られたらマズイことでも書かれてるのか?

 

「どんなノートだ。具体的に説明してもらわないと分からない」

「色はピンクでA4サイズ。今日帰ってきたときはあったから家にあるはずなんだけど……」

「部屋は?」

「探したけどなかった。一年の時から使ってる大事な物なの」


 姉貴は声を震わせながら言った。相当大事な物なのか。ピンクのノートねぇ。確か萌絵が持っていたような気がするんだが……後で行くか。

 

「見つけたら私に教えてね。あ、一つだけ言っておくけど、ノートの中身は絶対に見ちゃダメ。絶対、絶対だからね!」

「わ、分かった」


 珍しく姉貴が焦っている。どれだけヤバい事書いてるんだ。

 姉貴が部屋に戻った後、俺は再び萌絵の部屋に向かった。


「お兄ちゃん、今度は何?」

「萌絵、さっき俺が来たときピンクのノート持ってたろ。それどこにある?」

「ちょっと待ってね~。えーと……あったあった」


 萌絵は学習机に置いているピンクのノートを取り、タタタと軽快な動きで持ってきた。そしてパラパラとノートをめくっていく。悪いな姉貴、約束守れなかった。


「これお兄ちゃんの?」

「違う。多分姉貴のだ」

「そっか。見てこのノート、男の人の絵がいっぱい描かれてるよ。ほら」


 ノートには小便小僧とダビデ像のイラストがいくつも描かれていた。姉貴が絶対に見るなと言った理由がなんとなく分かった。……まあこれはまだセーフではなかろうか。彫像だし。ただ、この二つの彫像を何体も描いて何をしたいのかが気になるな。

 俺は萌絵からノートを受け取り、姉貴の部屋に行ってノートを渡した。

 

「中身……見てないよね?」


 思いきり見てしまったが当然ここでは言わない。


「見られたら都合でも悪いのか?」


 俺が訊くと姉貴は頬を赤らめ、ゆっくりと口を開いた。


「私、漫画を描きたくて。その、性描写があるんだけど……安心して、やましいものじゃないから」


 性描写があるやましくない漫画って何だ。小便小僧とダビデ像を描いてるノート所有している時点で説得力ねぇよ。

 俺はそのことを口にせず、無言で自分の部屋に戻った。そういや姉貴、高二まで漫研に入ってたんだっけ。

 時間は午後十時を過ぎ、俺は就寝した。この後待ち受ける危機など露知らずに……。

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