第13話 療養

 ブルーノが家から持参した荷物と共に診療所に戻ると、サミュエルは姿を消していた。どうやら、テュルスと少し雑談をした後1人で帰ったらしい。大丈夫なのかと不安になったが、彼も大人の男に近いのだ。過剰に心配する必要もないだろう。余計なことは考えず受付の女性に戻ったことを伝え、割り当てられた部屋に向かうことにした。

 診察室から2部屋ほど隣の病室には、4つほどのベッドが設置されており、それぞれのベッドを覆い隠すようにカーテンが垂れ下がっている。4つあるうちのひとつはカーテンが閉じられ、物音が聞こえる。どうやら誰かが使っているのだろう。ブルーノは、残る3つのうちのひとつが割り当てられ、ちょうど看護婦がシーツを敷いた所だった。

 声をかけて良いのか躊躇っていると、看護婦はにこやかに返し、荷物をしまう場所を指示される。それに従い鞄を片していると、病室の扉がゆっくりと開き、テュルスが姿を表した。


「早いお戻りで良かったです。では、少し今後のことと、症状の確認などしたいので、別室で話をしたいのですが……イングルビーさん、職場への連絡はお済みですか?」

「――あっ」


 テュルスの言葉に、ブルーノは一瞬体が冷えるような、身が縮こまるような思いがした。思えば、ブルーノはアルフレッドの件で一時的に外出をしたにすぎない。にも関わらず、別の病院に来て自分自身の診断を受けている。これは重大な過失だ。もちろん自分が受け持っていた仕事は一区切りを付けてはあるが、どちらにせよなんの連絡もなく外出していることに変わりはない。その事を思い出してサッと血の気が引くような思いがした。

 やはりサミュエルの言葉など無視してしまうべきだったのだろうか? しかし、彼が言っていた『今行かなければ恐らく病院に行く機会はない』というようか予想は、自分でも当たっているような気がした。

 それに、サミュエルの行動を拒絶しなかったのはブルーノ自身だ。下手にサミュエル――しかもまだ一応子供である――を責めるのは筋違いだ。

 もうブルーノが怒鳴られることを覚悟で連絡し謝罪するしかない。怒鳴られようが殴られようが、自業自得なだけまだマシである。そう思って覚悟を決めたが、致し方ないとはいえ心がずしりと重くなる。

 一方、ブルーノの傍らで彼の様子を見ていたテュルスは、見かねたように静かに口を開く。


「説明が難しいようならば、私が代わりに話しても構いませんからね」

「…………ありがとう、ございます。でも、大丈夫、です」


 彼女の申し出はありがたい。しかしいい歳した大人が甘えてもいられない。苦い笑みを浮かべたブルーノは、電話機のある部屋へと案内されると、乱れた心と痛む頭で受話器を手にした。そして、自らは上官が基地にまだいるのかどうかを気にしながら、民間からかけられる番号を経由し、特殊な手段で自らの上官へと繋げ、今回のことを報告した。


 暫く後、ブルーノは複雑な気持ちで受話器を置いた。先程、電話は無事上官に繋がり今回の事情説明と謝罪を行った。上官は大層遅くなった連絡に当初は怒っていたが、ブルーノが身に起きたことを説明すると、小さな溜息と共に少しばかりの理解を示す。


『……そちらの身勝手な行動は如何なものかと思う。本来なら先に事情も説明してから診療所に行くのが筋だと思うけれど……そうもいかなかったか……。――しかし、思えば、貴方の不調は明らかだった。突然前兆なく倒れるよりはまだマシだったと思っておきましょう』

「……申し訳、ありません」

『とはいえお咎めなしとはいかない。明日にでも診断書を持って私の所に来てください。そこで今後の話をしましょう』

「……はっ」


 丁寧な話し方をする上官の声がブルーノの耳に届く。ブルーノは彼の言葉にただひたすら謝罪と礼を述べるしかなかった。今のブルーノの上官はかなり紳士的な人物だ。そんな相手に負担をかけてしまうと思うと胸が痛むが、報告を終えたことで僅かに気は楽になっていた。


 電話がある部屋を後にしたブルーノは、ちょうど別室から出てきた看護婦に案内され、別の部屋に移動した。そこではちょうどテュルスが何か書類を用意しているところであった。


「無事、連絡は終わりましたか」

「あ、はい……すみません、電話、ありがとうございます。無事、終わりました。……ただ、明日呼び出しを受けました。診断書を持って来るようにと……」

「そうですか。では診断書は明日お渡ししましょう」

「ありがとうございます……」


 明日の予定について時刻などを含め正確に伝え終えると、話は漸くブルーノの症状について切り替わった。

 テュルスに椅子に座るように指示されたブルーノは、それに従い腰を下ろす。

 ひとまずテュルスから簡単に症状の確認をされた後、彼女はブルーノにとっては衝撃的なことを口にする。


「そういえばイングルビーさん、あなたは診察の時に『眠ると疲れる』といっていましたが、実はそれはかなり危険な状態である可能性が高いです。あなたの感覚は麻痺しているかもしれません」

「……へ?」


 突然の話に目を丸くするブルーノに対し、テュルスは真面目な顔つきで話を続ける。曰く、疲労が溜まっていることが普通の状態になっているブルーノは、心身ともに苦痛に慣れきっている状況に近いらしい。そこから睡眠をとることで正常の健康的な状態に近づくため、麻痺していた感覚が元に戻るのだという。そのため、今まで認知できなくなっていた『疲労』が体に現れるのだとか。

 とはいえ、理由は他にも考えられる。他にも睡眠の質が悪いため疲れがとれていない、不調から疲労が回復しにくくなっているといった可能性は多々あるため、一概にこれだと断定するのは早いが、あくまでもその可能性があるということは耳に入れておくべきだろうとの判断か。

 その話を聞いて、流石のブルーノも驚き、戸惑いを見せる。丸く開いた青い瞳をうろうろと漂わせ、そんな馬鹿な、なんて小さな声を零した。

 自分の体は確かに不調はあるが、そこまでおかしなことにはなっていないはずだと思っていた。彼女が嘘を言っていると判断した訳では無いが、つい疑いたくなってしまうその気持ちから、確かめるように手を握ったり開いたりしてみた。普通に動いているように見えるが、なんだか反応が鈍いように見えてくる気もして、よく分からなかった。

 分かりやすく動揺するブルーノに、テュルスは変わらず落ち着いた様子で静かに話を続ける。


「驚かれる気持ちは分かる。ですが、あくまでも可能性ですし、なんにしろ治療する手立てはあります。頑張りましょう」

「……はい」

「そのためにも、まずはあなたの睡眠状況についてもう少し詳しく知る必要があります。これから、1〜2週間、睡眠記録をつけてください」

「……睡眠記録?」


 自然と顔を伏せ気味になっていたが、テュルスの声で引き上げられるように顔を上げ、聞き慣れぬ言葉を復唱した。

 睡眠記録とは、その名の通り患者の一日の眠りについての記録である。何時にベッドに入りおおよそ何時から何時まで眠っていたのか、いつ頃眠気に襲われたか、昼寝の有無や夢を見たかどうか、それに付帯する不調なども含めて記録していくものである。

 テュルス曰く、不眠過眠問わず、睡眠に関する病のものにはまずこういった記録が大事なのだそうで、どうやら薬を出されるだけでは終わらないらしい。


「試しに今日の分の記録を書いてみてくれませんか。覚えている範囲で構いません。見本はこちらにありますので」

「あ、はい……」


 先程纏められていた書類から、1枚手渡される。どうやら睡眠記録の用紙は、ブルーノが席を外している間に準備してくれていたらしい。鉛筆を受け取りベッドに腰掛け用箋挟ようせんばさみを下敷きに見様見真似で書き記していく。その中で改めてほぼ一日中頭痛があること、しっかり眠れたという感覚がほぼないことを目の当たりにし、自分の事ながらゾッとした。

 稀に浅いながらも眠れたという感覚があるが、それはごく短い。ただその時に穏やかな夢を見ることが多く、それ故か気分は少しだけ落ち着いていた。その夢は今日は見ていないが、とりあえず用紙の端にその夢についての補足をつけておいた。

 悩みながらも書いたそれは、慢性的頭痛と不眠に支配され、どう見ても健康的な生活を送れているとは読み取れなかった。寧ろ、今までよくこれで普通に生活出来ていたものだと自分でも実感しながらテュルスに紙を渡すと、彼女も改めて同じようなことを思ったのだろう。ほんの僅かに眉根を寄せた。隣にいた看護婦も、ついつい驚いたように目を丸くする。


「本当に、ほぼずっと頭痛がしているんですね……」

「はい、軽い時もあるんですけど、ずっと頭が重いっちゅうか痛いっちゅうか、そういうのは、あります……。あと、診察の時も言いましたけど、たまに気持ち悪いとか吐き気とかもあります。……じゃけぇ、いや、だけど、今日はそりゃあ無い、です」

「そうですか。……これはさぞかしお辛いでしょう。ですが、頭痛も吐き気も、不眠の治療すれば改善されると思います。このように記録をとりつつ、ゆっくり治療していきましょう」

「あ、はい……」

「あと、この補足についても、聞いていいでしょうか」

「は、はい……」


 厳しい面持ちながら治療についての前向きな見解を見せたテュルスが次に言及したのは、ブルーノが補足として書いた夢についての話だった。そのことについて、ブルーノは、『気の所為かもしれない』と前置きをした上で恐る恐る口にする。


「…………その、特定の夢を見た時だけ、よう眠れてるような、そんな感覚になるんです。……なんや変な話ですけど」

「別に変とは思いませんね。……で、それは、いつ、どんな時に見ますか?」

「っ、はい。えっと…………げに、いや、本当に精神的に辛い時に見ます。……それくらいしか、わからなくて……。頻度も、毎週見る時もあれば、数ヶ月に1回の時もあって、ハッキリしません」


 ブルーノは、以前その夢の見た時の事を思い出す。不審死事件やアルフレッドのことで余計に頭を悩ませていた時期か。その頃に、ほんの僅かに気持ちを和ませるようにその夢を見た。昔から、何度でも。

 どのような夢か? それも問われたため、ブルーノは思い出せる限り口にした。公園や山奥、草原などのような場所で見知らぬ少年と遊ぶといったものだが、しかし、その場所にも少年にも何も心当たりがないのが疑問である。

 ブルーノの話を一通り聞いたテュルスは、少し考え込んだ後真面目に口にする。


「恐らくその相手は貴方にとって相当大事な人だったと推測できます。昔過ぎて……または貴方の精神的不調により余裕がなくて覚えていられないだけで、その相手との交流は心を癒すものだったということかと。何故見るか、ということについては……昔の大事な記憶を引っ張り出して、気力を回復させようとしている……といった所でしょうか。推測なので外れているかもしれませんが」

「大事な人……。……そんなこと、あるんじゃろか」

「有り得ないとは言いきれませんよ」


 テュルスから目線を外しふと考え込む。脳裏に浮かぶ少年の姿は朧気だが、大事な人であるかもしれないというと、少し嬉しくなる。ただ、名前も顔も思い出せない相手の少年に申し訳ないが。

 そんなことを考え込むブルーノの耳に、楽しそうな看護婦の言葉が耳に入る。


「なんだかロマンチックな話ですね。もしかしてその人、運命の相手だったりして! ……あ、でも、少年って言ってますしそういうのとは違いますか」

「は、はは……まぁ、多分、昔の友達あたりだったんでしょう、ね」


 話を聞いていた看護婦の言葉を機にブルーノは現実に引き戻され、彼女の言葉に苦い笑みを浮かべた。その傍らで、テュルスは淡々とカルテであろう書類にブルーノとのやり取りの記録を記していく。


「その相手がどのような人物であれ構いません。もし、今後ともその夢を見た記憶があれば、きちんと記録してください。治療の役に立つでしょう」

「は、はい……」

「では、話はこのくらいで。とりあえずあなたは休んでください。今後は、休暇申請などの件で出勤するというのは認めますが、できるだけ病室内で休むように」

「はい……」

「もちろん、訓練などと言って走りに行ったり筋力トレーニングをしたりなんてことは、絶対にやめるように」

「は、はい……」


 少し語気を強めて発されたその言葉に思わず怯む。どうやら、自分はとにかくベッドで寝ているしか基本的に選択肢はないらしい。

――寝たら、疲れる……けど、げに本当に感覚が麻痺しとるっちゅうんなら、それを何とかせなあかんしなぁ……。

 眉を顰めてそんなことを思いながら、ブルーノは足取り重く病室に戻った。

 

 病室に戻ると、ベッドを使用していた患者と顔を合わせる。初老くらいの男性は、ブルーノの姿を見ると瞠目した後にこやかに話しかけてくる。ブルーノも折角同室になったのだからと戸惑いながらも言葉を交わす。途中、うっかり出てしまったブルーノの方言に男性は時折笑いながら、彼は自分や家族のことをたくさん話してくれた。その中で知ったのは、彼は足を悪くしているらしいということ。今までは家族に面倒を見てもらいながら自分でなんとかしてきたのだが、今回は症状が酷く、診療所の世話になることにしたのだという。

 早く治して家族を安心させたいとにこやかに言う男性は、ブルーノよりも大層溌剌としたように見えた。


 それからブルーノは軽い食事を摂り、借りた寝巻きに身を包んでベッドに横たわった。消灯時刻きっかりに部屋の明かりは消され、真っ暗になった部屋は当然のように静まり返っている。窓にかけられたカーテンも閉められ、僅かな隙間から月の光が差し込むかどうかという程度だ。そんな中で、カーテンで区切られたベッドに重い体を沈めて、天井を眺める。

 今日1日の事を振り返りながら、ブルーノはアルフレッドの事を脳裏に浮かべる。彼の失踪を知った直後は動揺から酷いことも考えたが、今改めて思うと、やはり、無事でいてほしいという気持ちが強い。これまで大変な思いもしてきたが、アルフレッドは自分にとっては大事な兄だ。無事でいてほしいし、自ら捜しに行くことも厭いたくない――だが、そのためにはまずは己が休まなくてはならない。

 ひとまず目を閉じ、なんとか眠りにつこうと試みる。しかし、静かになったからこそ実感する痛みに脳内を掻き乱す謎の騒音、そして何故か蘇る昔の嫌な記憶……そういったものがうるさくてどうにも寝付けない。いつもの事だが、こんなに落ち着きやすい環境を整えてもらっているのにまともに寝ることすら出来ないのが焦る。

 やがて眠れたかどうかの判断も危ういまま時間だけが経過し、気がついた時には窓の外がぼんやり明るくなっており、外から鳥の鳴き声が聞こえるようになっていた。

 殆ど眠れた実感がないまま、ブルーノは今日も活動を始めることになる。

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Fergus-E 不知火白夜 @bykyks25

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