第10話 電話

 ブルーノとフェリクスが病院で偶然出会った日から遡ること数日前。ブルーノは、胸にもやもやとしたものを抱えながら、馴染みの喫茶店に足を運ぶ。取り付けられた鈴がカランカランと音を立て店内に入ると、カウンターにいた中年の男性がブルーノに目を向けた。

 軽い挨拶をして着席を促す店主に、ブルーノは今回の来店目的を口にする。


「あ、今回は……ちょっと、電話を借りたいんですけど……」

「あぁ、でしたらあっちの部屋の奥のものをどうぞ」


 にこやかに頷いた店主は、併設された小さな邸宅にある小屋へと案内する。短く礼を述べて一旦店外に出ると、店舗のすぐ隣に小さな小屋があり、シャッターが開放されている。そこでは店主の息子がなにやら椅子に腰掛け釣り道具を弄っている。恐る恐る声をかけると、アメジスト色の双眸がブルーノへ向けられた。


「サミュエルくん?」

「ん? あ、ブルーノさん、どうもこんにちは! 電話借りに来はったんですか?」

「そう、すまんの。ちょっと長なりそうなんじゃが、かる借りても、じゃない、借りてもええかの?」

「どーぞどーぞ!」


 応対してくれた店主の息子、サミュエルは、ブルーノに気づくとにこやかに快諾する。反射的に短く礼を述べて、妹達に電話をかけるために、少し汚れた電話機の前に立った。

 そう、ブルーノは妹達に電話をかけようと考えているだけなのたが、ただそれだけにしては割に非常に緊張していた。原因は、ブルーノと妹達の仲がイマイチであるといった理由だろう。更には頼み事の内容も関係して、不安により胸が激しく脈打つ。

 妹達への頼みは、アルフレッドの面倒を見るのを手伝ってほしいというもの。ブルーノは、今まで妹達を頼るのを意図的に避けてきたが、いい加減に心身ともに負担が大きいということと、自分一人では対応しきれないということを認めざるを得なくなった。

 アルフレッドに関しての連絡がとれるのは現在ブルーノだけである。こんな状態になって数年が経過したが、アルフレッドのためを考えるとこのままでは良くないと、他人を頼る決心をした。

 しかしブルーノは友人や近隣の者に軽々しく何かを頼ることは得意ではない。交流があるものや頼めば手伝ってくれそうな人は何人か思いつくが、どうしても抵抗感が勝る。

 そのため、まずは妹達に相談することにしたのだが、今更すぎることや妹達の現状が分からないことから不安で仕方ない。受話器に添えた手が少しだけ震えた気がした。



 それから暫くして、ブルーノは額に滲む汗を拭いながら、本日三回目の電話をかけていた。相手は一番歳が近く、いつもブルーノに対して当たりが強かった妹。彼女が妙に苛立った声色で電話に出たことに動揺しながらも、ブルーノは何とか話を切り出し事情を説明する。その間の妹の相槌はどこか冷めているものだった。


「……じゃけぇ、できればわれにも、てご手伝ってほしいんじゃが……」


 大体の説明を終えたブルーノは何とか声を絞り出す。すると、耳元に添える受話器の向こうから、あからさまに不機嫌そうな声が響いた。


『悪いけどそれは無理』

「あ、そ、そうか。……えっと、なんでか、聞いてもええ? こっちも、その、どうしてもひとりじゃぁ無理での……」


 故郷の方言など全く口にしない妹は、交換手に聞かれていることなど気にする様子もなく言い切った。トゲのある言い方により会話をしづらくさせてしまっているが、妹はそんなことに気づく様子はない。ブルーノもなにも言及せぬまま彼女の言葉を待った。

 数秒後、ふうっと溜息をついた妹は、呆れた様子で言葉を続けた。


『あのさ、アル兄さんって入院させてるんでしょ? それじゃダメなの? 手伝ってほしいって、入院してるならそこまであんたの負担にもならないんじゃない? それともなに、金銭的な問題? 独身のくせに兄さんそんなにも貧しいの?』


 苛立ちを含んだ言い方に少しだけ不快感を抱くが、なんとかそれを払い除けて事情を話す。また額に汗が浮かんで、片腕で拭った。


「……確かに入院させとるが、させときゃええってもんでもないじゃろう。わしは、普段のアルの状態も知ってにゃあいけんし、なんかあった時には身内の誰かが行かにゃあいけん。じゃけぇ、わしゃそんなすぐ病院行けんときもある。じゃから、われにもてご手伝ってほしいなと……」

『つまり兄さん達の為に引っ越せと?』

「いや、そこまでしてもらうつもりやあないんじゃ。時々様子見に来てほしいだけで……」


 慌てて取り繕うブルーノに、妹は更に不機嫌さを露にする。一瞬舌打ちのようなものが聞こえたのは気の所為だと思いたいものだ。


『随分軽々しく言うけど、往復だけでどれだけ時間と費用がかかるか分かってるの? それに、他の妹達の方が近いでしょ。あの二人を頼ってよ。というかおかしな話し方しないで、普通に喋ってよ。こっち住んで何年経ってると思ってんのあんた』

「……すまん。えっと……他の二人には断られた。今体調が悪いとか、家族と揉めとるとか。……えっと、だから、われ……お前に電話しとる」

『……へぇ』


 言葉遣いに気を払いつつ低い声を絞り出しながら、ブルーノは数十分前のことをそれぞれ思い出す。

 末妹はかなり穏やかに応対してくれたが、本人の体調を理由にやんわりと断られた。二番目の妹は、現在家庭内で揉め事が起きておりそこまで気を回す余裕はないという事だった。

 ただ末妹は体調が回復したら、次妹は家庭内の事情が落ち着いたら可能な限り協力すると言ってくれており感謝している。しかし彼女達が手伝ってくれるとしても、それは遠い話になってしまう。

 そのため、数々の不安要素を抱えながらも今話している妹にも電話をかけたのだ。可能であれば先の二人のように落ち着いて話をしたかったが、それは難しそうである。ならばこれ以上機嫌を損ねぬよう言葉を選ぶしかない。

 ズキリと頭が痛みを訴えるので思わず手を添えた。その頭に不機嫌そうな妹の声が響く。


『……本当は私が協力するのが筋なんでしょうね。でもね、妹だからってなんでも協力できる訳でもないし、こっちも事情があるの。……悪いけど他をあたってくれる?』

「他か……」

『近所の人でも友人でも、いっそそういうお手伝いさんでも雇えばどう? 女のお手伝いさんなら普通に呼べるんじゃない?』

「……それは、そうだけど……、体格いいアルの面倒を見てもらうのに女のお手伝いさんって少し不安で……暴れたときになんかあったら……」

『はぁ? なによ、それはつまり、妹はなんかあってもいいってことなの? こっちのこと馬鹿にしてんの?』

「あ、いや、そんなつもりはない! 今のは言葉のってやつで……だから、お前が無理なら、無理でよくて……」

『だったら最初に無理って言った時点で引き下がってよ! もう私しかいないから何とかって思ってるんでしょうけど、無理なものは無理! 自分で何とかしなさいよ!』

「そりゃあ、すまん、ちょっと冷静になってくれんか……わしが、悪かったから……な?」


 鋭い語気で言葉を放つ妹に下手に出つつ、何とか冷静になってもらおうと試みるが、大した効果はない。寧ろ妹は余計に怒りを燃え上がらせていく。ブルーノ本人は自分にも失言があったと認識しているため説教をされるのも致し方なしと考えてはいるが、感情的に話す彼女の言葉は聞いていて気分が良いものではないし疲弊感が増していく。

 次第に、結婚だの家庭だのといった電話の内容との関連性がない話題にまで言及が及び、何とか相手を宥めながら半ば無理矢理会話を終了した。ブルーノにとってはそういった話は可能であれば避けたいものであったのだが、話の終わらせ方からして、次会った時に責められることは必至だった。

 汗ばんだ手で受話器を元の位置に戻したブルーノは、バクバクと高鳴る胸元へと無意識に手を置いた。未だに頭に妹の声が響いている気がして、更には頭痛が悪化しそうな感覚に襲われ、頭がずっしりと重くなる。


「妹さんえらい強烈ですねえ」


 ブルーノの様子を見ていたサミュエルが、瓶に入った黄色く細長いドライフルーツのようなもの口に運びながら、同情するような声を上げた。傍らには修繕し終えたらしい釣り道具が綺麗にしまわれている。


「長々とすまんの。うるさかったじゃろ、電話代も払うわ」

「長電話自体はまあええですし、金に関しては親父に言うたってください。多分気にすんなーって言うと思いますけど」


 物憂げな面持ちのブルーノに対して、サミュエルはなんでもないように返し、瓶の中の食べ物をポリポリと頬張る。サミュエルはそれを飲み込んで、ふと電話の内容を思い出したらしく顔を曇らせる。


「しかし、最後に話してはった妹さんばりとても話し方が怖かったですねぇ。普段からあんな感じなんです?」

「あー、まぁ、ほうじゃの」


 少し悩む素振りを見せながら一応言葉を選ぶサミュエルの問いをブルーノは困ったように肯定した。すると、サミュエルは怪訝そうな表情を浮かべて言葉を続ける。


「だとしても会話する姿勢ちゃうと言うか……。喧嘩売ってるみたいな感じでしたよね。あと、後半、結構酷いこと言ってましたよね。あんな言い方どうかと思ぅてしまいますけど」

「あー、まぁ、しゃあないんじゃ。昔からあんなぁあいつあがぁなあんな態度だし、わやめちゃくちゃなことを言い出したんはこっちじゃけぇの」

「いやでも、そこまで言うほどの要求でもないような……」


 苦い笑みを浮かべて返したブルーノは、先程までの電話の内容を思い出す。最初から機嫌が悪かった妹は、ブルーノの言葉のいちいちに苛立ちを示し、無関係なことにまで言及した。早く結婚しないから頼れる人がいなくなるのだとか、アルフレッドの病状が悪化したのも何もかも全部お前のせいだとか。因果関係などあるわけもないことも全部こちらのせいにするような物言いに、ブルーノは萎縮し、後半は言い返すこともろくに出来なかった。

 その様子を見ていたからだろう、サミュエルはどこか憐れむような視線を一瞬向けた後すぐさま逸らした。続けて、短い沈黙の後、サミュエルは思いついたように、あ、と端的な声を上げた。


「ブルーノさんは、その、アルフレッドさんの面倒を見てくれる人を探しよるんですよね」

「そうじゃな」

「ご家族以外て頼れる人はおらへんのですか?」

「頼れる人、なぁ……」


 そう言われて思い出すのは、何故か随分昔にあったような記憶がある昆虫好きの少年だった。いつ頃出会ったのかどんな名前だったのかも覚えていない相手を思い出すという奇妙かに疑問を抱きつつ、なんとこ他の頼れそうな人物を思い浮かべるが、これといった者はいない。いや、思いつきはするのだ。しかし、申し訳なさから反射的に候補から取り下げてしまうため、結局頼れそうな人はいないということになってしまう。

 その返答に、一瞬目を丸くしたサミュエルは迷いなく口を開く。


「なら、俺がやります! 俺なら、アルフレッドさんのことも知ってますし、アルフレッドさんより背もでかいので、もしなんかありよったとしても、妹さんとか女性のお手伝いさんとかよりはなんとかなるんちゃうかなと!」


 その申し出にブルーノは思わず動揺し、頷くことを躊躇った。事実、非常に有難い申し出ではあるが、身内でもないのに軽々しく頼っていいのかも悩んでしまう。しかし、現在その頼れるべき身内にことごとく断られた上に、彼が自ら口にしているのだからいいだろうと思い始める。


「……でも、喫茶店の仕事あるじゃろ?」

「あっ……まぁ、でも、弟がいますから……! 俺が嫌々やるより、接客向いてる弟がやる方がいいんで!」

「…………やとしても、とりあえず、われのお父さんに話してからにしてもええかの」

「えぇ、まぁ、はい。いいですよ!」


 サミュエルのぎこちなさに多少の不安は抱きつつも、彼の提案は非常に幸甚なものであったため、前向きに検討することに決めた。


 その後、ブルーノはサミュエルの父親にこの話をし、多少の条件付きで彼の協力を得ることになった。

 世話の心得がある訳でもないサミュエルだけでは心配な所もあったが、言い出したからにはと真面目に取り組んでくれたおかげで、ブルーノも幾許か楽になった気がしている。時々小さなトラブルが発生することはあったものの、頼れる相手の存在は非常に有難く、ブルーノの余裕もできる。これで気を緩める気はないが、いい傾向であることは確実だった。


 そんな折であった。病院から、アルフレッドがいなくなったという連絡を受けたのは。



 慌てて駆けつけたブルーノは、関係者から説明を受けて、もぬけの殻になったベッドを目にする。そこにアルフレッドの姿はなく、抜け出したばかりのように布団が捲れあがっていた。

 他の被害者は乾涸びたように殺害されている中で、行方不明とされるのは初めての例だというのは聞いたが、だからなんだと言いたい気持ちが湧き上がる。生きている可能性はあるのだろうが、慰めの言葉にはならない。何故アルフレッドが被害者になるのか。この事態に直面した自分はこれからどうすればいいのか。関係者の話を上手く飲み込めないまま、答えの出ない問いがぐるぐると頭を駆け巡り痛みを生じさせる。

 受け入れ難い現状の中、なんとか病室を後にして、絶望に打ちひしがれるように重い足を動かした。どこに行くという目的もなく力尽きたように廊下の片隅に座り込んだ。頭の中にて渦巻くのは、強烈な痛みと数日前の妹の言葉だ。

『全部お前のせいだ』――訳も分からず罵られた記憶が蘇る。正常な思考であれば言いがかりだと跳ね除けたであろうその言葉は、弱っていたブルーノにとっては無視できない大きな傷となっていた。

 そして、悲しみとは異なる嫌な感情が湧き出ていることを、ブルーノは認めたくなかった。

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