第15話 典薬寮の人形《ヒトガタ》


 典薬寮は大きな校舎の脇にあった。他の建物とは趣が違っている。


 古風ではあるが最新の設備が整っていると解る木造の治療棟、その裏には木で組み上げられた精巧な薬倉が所狭しと並んでいた。日当たりがいい場所には生垣が広く設けられて、薬草が栽培されている。しかも小さな小川が流れている付近には、牛まで飼っていた。


 典薬寮のそこかしこで人影が動いている。かなりの人数の職員がいるらしい、白い衣服を着た人々が遠目にも休みなく典薬寮を手入れしている様子が、見て取れた。


「物凄いスタッフの数ですね」

 

 この中に降りていくと考えると、気が引けた。あのエリート達のような人間ばかりだったら、新参者の契汰が何を言われるか想像するだけでうんざりだ。


 スカーレットはそんな契汰の憂鬱など意に介さず、優雅に薬草園の脇に降り立つ。すっくと生徒会長は龍の背から飛び降りるが、少女を抱いている契汰はそうもいかず、ずるずると滑り落ちるように地面に降りた。


 すると働いている職員が一斉に視線を向ける。白い制服に反射する光が眩しい……と思ったが、彼らが着ていたのは服ではなかった。いや、もはや彼らは職員ですらない。人間でなかったという方が正しいか。


 全員が紙で作られた人形だ。人の頭ほどの大きさで、昔の日本のまじないなどで使われていたような、人型に切り抜かれた和紙である。

 

 夥しい数の彼らは皆ひとりでに動いて、薬倉から生薬を取り出したり、農園の手入れをしている。各々の人形の胴体には墨で「薬採」だとか「清掃」だとか記されていた。


 驚くことに「草刈」と書かれた人形は手の先が刃物の形に切り取られていて、そのペラペラな腕で本当に草を刈っていた。「牛飼」と記された人形は、紙の手で水に浸したブラシを持ち、牛を洗っている。「運搬」と書かれた人形などは、風に吹き飛びそうな身体で人の背丈ほどもある長櫃を運んでいた。人形は物も言わず休みもせずにひたすら働いている。


「珍しいか、少年」


 生徒会長は呆気にとられている契汰に笑いながら言った。


「なんですか、これ。これも式神ですか」

「こやつらは人形と書いてヒトガタと呼ばれるものだ。式札という紙にシュをかけて、雑用などをさせる」


「シュ?」

「……貴殿はどなたか。ご用件は」


 背後から人のような、機械のような声がした。振り返ってみると、一枚の人形がひらひらと三人の前に控えていた。胴には「声」と書かれている。契汰はシュについて聞き損ねてしまった。


「私は七辻炎羅ななつじほむらだ。怪我人を運んできた」

「怪我人はどこに」


 生徒会長が契汰と少女を一瞥すると、「声」の人形がか細い音を出した。すると何十枚もの人形が、治療棟から飛んできた。それぞれ胴に「診」と書かれている。

「診」の人形は一斉に契汰と少女に突進し、びたびたっと折り重なって身体に貼りついた。


「わわわっ! なんだ?」

「お静かに。状態を観察中である」


「声」が口元に手を当てて制止した。言われた通りにじっとしているとぺらり、ぺらりと人形が一枚ずつ離れる。


「女性、軽度の霊障あり。霊力値も異常数値ではない……この女性の情報は?」

総極院永祢そうきょくいんとおね。流派は陰陽道、総極院流」

 

 少女の姓があまりにも厳めしいことに、契汰はやっと気付いた。


(陰陽道の総極院流って……?)


 聞いたことがない名前だが、少女が流派を名乗るほどの名家の出であることは明らかだ。


「承知した。身体的損傷あり。胸から腹部に掛けて深い裂傷、しかし多量出血は無し。貴女が応急処置をされたか」


 身体を翻しながら「声」が二人の目の前まで寄ってきた。


「そうだ、簡単なものを」

「承知した。総極院永祢は治療を要すと判断いたした。これより搬送させていただく」


「こちらの少年は大丈夫なのか」

「男性、霊障なし。軽い打撲、擦り傷あり。そして舌先に少々の噛み傷、と判断した」

 

 契汰は思わず咳き込んだ。口の中までお見通しなのかと、人形の有能さに感心する。


「では治療棟には入らなくても良いのだな」

「人形による治療を行う、人形を随行させる許可を」


「許可する。少年はどうだ」

「え? あの……許可します」


「承知した」

「では総極院を頼む。私は少年と生徒会室に戻る故、何かあれば伝令を送られよ」

「承知した」


「声」がまたか細い声を発した。すると「搬送」と記された人形がやってくる。

彼らは担架も使わずに宙に浮いたまま、紙の腕で少女を優しく持ち上げて行った。その丁重な仕事ぶりは、人間並みだ。


「紙の身体なのに、すごい力ですね……動きもすごく繊細」

「術者の実力次第だ」

「優秀な方なんですね、ここの術師さんは」

 

 生徒会長がにやりと、からかうような笑みを浮かべた。


「きっと喜ぶだろう、ここの責任者がな」

「では治療の人形をつけさせていただく」

 

 会話に割り込むように「声」が喋った。人形は空気を読む異能は持ち合わせていないらしい。また例のか細い声で、三枚の人形を呼んだ。

 

 人形の胴には、「医」「看」「薬師」とそれぞれ書かれている。「医」と「看」は時代劇の医者が持つような医療用具一式が入っているであろう皮鞄を、「薬師」は漆塗りの古風な薬筥くすりばこを、それぞれ捧げ持っていた。


「では行くぞ。スカーレット、準備は良いか」


 スカーレットが嬉しそうに黒焔を吐いた。その時、近くで仕事をしていた少なくとも三、四枚の人形がその焔に焼かれてしまった。


 よく見るとスカーレットの熱気で、近くにあった生垣の薬草も少しばかり焦げてしまっている。「声」の人形は顔が無いため表情は読めなかったが、あからさまに迷惑だと言わんばかりに大きく空中を回転し、治療棟へ飛んで帰って行った。


 来た時と同じように注意しながら、契汰がドラゴンによじり登ると、人形も契汰の背にピタリと貼りついてきた。スカーレットが再び高く舞い上がると、人形の持つ道具類が揺れて契汰の背をガタガタと叩く。


「さ、これから生徒会棟へ向かうぞ。少年、生徒会には鬼が棲むから気をつけろ」

「お、鬼?」

「怖―いガミガミ鬼だ、私も頭が上がらんからな」

 

 そう言うと、会長は大口を開けて笑った。


(さっき電話で話していた人のことか?)

 

 この人にも怖いものがあるのかと思うと、契汰は会長を少し、好きになれそうな気がした。


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