第17話 四月十九日(土) その二 ながれぼし
オレはワケの分からないことが大キライだ。
しかし、今の状況はそんな生易しいレベルなんかではない。頭が完全に混乱している。なにがなんだかさっぱりワケが分からない――。
今日は朝から
花見の時期はとっくに終わったが、どうせ酔っ払いか何かだろう――。
オレはそう思ったが、気づいてしまった以上、放っておくワケにもいかない。それでちょっと声をかけておこうと近づいてみたのだが――なんとビックリ。倒れていたのは隣の家の
オレは即座に全力ダッシュで駆けつけた。
すぐに地面に膝をつき、細い肩を揺すってみる。しかし
え、ちょ、どうしよう。
マジでワケが分からない。
事故か? 病気か?
まさか、転んで頭を強く打ったのか……?
いやいや。ほんと、とにかくどうしよう。まずはやはり救急車か? それとも自宅? とりあえず警察か? ――って、『ひゃくとーばん』って何番だ? ああ、イカンイカン。焦りすぎて頭がぜんぜん働かん。
とにかく落ちつけ。
落ち着こう。
――って、そんなんムリに決まってるだろっ!
目の前に女の子が倒れているんだぞ? こんな状況で落ち落ち落ち落ち、落ち着けるワケがない。だったらどうする? ……ダメだ。まるで分からない。マジでさっぱりアイ・ドント・ノゥ。
ンだがしかし。
分からないけど考えろ。とにかく何とかしなくちゃいけない。――ぃよし。そうだ。こういう時はアレしかない。自分がダメなら他人を頼れ。誰か冷静なヤツに丸投げだ。
オレは震える手でスマホを取り出し、電話をかけた。相手はもちろん、この世で一番頼りになりそうな、我が家の母親チックな妹だ。
「――ああ、もしもし、
『はあ? シンくん? どうしたの? なにを言っているのか、ぜんぜんわかんないんだけど』
ああ、うん。
ほんとオレ、なに言ってんだろ。
「ああ、すまんすまん。あまりの異常事態にちょっと混乱しただけだ。とにかく、最初から順を追って説明するからよく聞いてくれ。えっと、まず、オレは今日、朝起きて――」
『いや。とりあえず、夜の七時からスタートしてくれない?』
ごもっとも。
オレは公園の横を通りかかったところから説明した。
『――えっと、つまり、
「ようやく分かってくれたか。
『うるさい』
いきなり鋭い音が耳に響いた。おそらく
『それよりシンくん。私、
「あ、ああ、たしかにそうだな。それがいい。おばさんが来てくれると助か――」
「……ま……まって」
不意に弱々しい声が漂った。
反射的に顔を向けると、
「あ!
オレの言葉に、
「うん……だいじょうぶ。ちょっと……疲れただけだから……」
「いや、疲れたって、そんな立てないほど疲れるなんてあり得ないだろ。……ああ、いやいや、今はそんなこと言っている場合じゃないな。とりあえず、おばさんは呼ばない方がいいのか?」
「うん……。お母さん、仕事で疲れていると思うから……」
(おいおい……。そんな
オレは思わず言葉に詰まった。
「……分かった」
他の選択肢なんか思いつかない。オレは
「――あ、
『え? 本気? シンくんの体力じゃ厳しくない?』
「いや。ここから家まではそんなに遠くないから、なんとかなるだろ。それじゃ、何かあったら電話するから」
オレは
だけどまあ、そりゃそうだよな。
子どもってのは、親に心配かけたくないからな。
オレはなんとか
「……ごめんね、
「いや、ぜんぜん重くない。
オレはできるだけ明るい声で返事をした。
だがしかし――。
そうはいっても、相手は中学三年生。ショートツインテールが似合う小柄な女の子でも、体重は確実に四十キロを超えている。おまけにオレの体力と腕力は人並み以下で、足腰なんかこれっぽっちも鍛えちゃいない。
正直、公園を出る前から呼吸は乱れ、腕も膝もブルブルと震えている。
だけど――。
ほんと、なんでだろ?
なにがなんだかよく分からないが、今日だけは弱音を吐いてはいけない気がする。何があろうと今夜だけは、
だったら――。
死ぬ気で頑張るしかないだろ。
だからオレは、奥歯を噛みしめて踏ん張った。
ふらつきながら、一歩一歩、前へと進む。
「
不意に
なんというか、とても切ない声だった。
なんのことだか意味はまるで分からない。
だけど、気持ちは痛いほど伝わってきた。
たぶん――。
この子はきっと、何かを一生懸命がんばったんだ。
オレには分かる。
今のオレにはハッキリ分かる。
だからだろう。
そう思ったとたん、オレの口は動いていた。
「……オレもだ」
え? ――と、
「だからさ、オレも、結局なにもできなかったんだ……」
歩きながら、オレは話し始めていた。
息は完全に上がっているが、なんとか言葉をひねり出す。今日の出来事を最初から順番に説明する。
朝からクラスメイトとショッピングモールに行ったこと。そいつと一緒に映画を見て、ランチにガーリックシュリンプを食べたこと。ハワイ風の喫茶店でボーイッシュな不思議ちゃんに出会ったこと。そして、その不思議ちゃんに話したことと同じ内容を、オレは
ある小説家のドキュメンタリー番組を見て、自分も小説を書こうと思ったこと。三年という時間をかけて、ようやく超大作を書き上げたこと。そして、
そのせいで、思わず涙を流したこと。そのまま落ち込んで寝込んだこと。次の日に学校をズル休みしたこと。そして、初対面の優しいボクっ子に
「……だからさ、オレは結局なにもできなかったんだ。オレは多くのヒトを感動させる小説を書きたかったのに、オレの超大作はほとんど誰にも読んでもらえなかった。たぶん、オレは一人よがりだったんだ。自分が面白いと思って作ったストーリーは、みんなも面白いはずだと勝手に思い込んでいたんだよ……」
ああ……本当に恥ずかしい。何も分かっていなかった自分が本当に情けない。
恥ずかしさで耳が熱い。みっともなくて目も当てられない。
穴があったら入って隠れて、内側から出口をふさいでしまいたいぐらいだ……。
だけど――。
だからこそ。
今なら分かる。
「……でもさ、
「え? えっと……よくわかんない……」
「そうだ。よく分かんないんだよ。未来のことなんて分からなくて当然だ。だけどさ、オレはこう思うんだ。やりたいことを
「また……あきらめる……?」
そうだ――。
オレは首を縦に振った。それから
ほんと、ごめんな。体力なくて。
でも――今夜だけは
何があろうと絶対に、家まで送り届けてみせるから――。
オレの腕は、もはや隠しようがないほど震えまくっている。体のあちこちがケイレンしまくっている。しかし、ここで
「
オレは別に自分のことを優しいニンゲンだなんて思っちゃいない。だけど、
分かる。そうだ。たしかに分かる。
それは分かるのだけれども――。
しかし、オレは自分について
……だけどまあ、今だってどうせフラフラのみっともない姿をさらしているワケだから、恥の一つや二つや、三つや四つが増えたとしても、
「オレはさ……自分が苦しい時に、誰かに助けてほしいと思ったんだ……」
いかん。口を
「だけど……オレを助けてくれるヒトは……いなかった……。だから……」
ダメだ……。息が切れて、声がほとんど出てこない……。
「だから……もしも、オレの目の前に……」
やばい……。なんだか目の前が暗くなってきた……。
「困っているヒトがいたら……オレは、できる限り、そいつのチカラになってやりたいんだ……」
「
ごふ……。
まずい……。いきなり
いや……ちょっとまてよ……?
そうだ……。この経験を
――アヌキ~。
ああ、いかん……。本気でやばい……。幻覚が見えてきやがった……。これがウワサの
「……あ、
ンなに?
頭の後ろで
うーむ。たしかにいつものラフな短パン姿で、ザンバラショートヘアを風になびかせながら元気いっぱいに駆けてくるアホっぽい女子中学生の姿が見える。どうやらマジで
「アヌキ~。迎えにきちゃったよ~ん」
オレの目の前でスタンッと足を止めた
「あとはうちが
オウ。ナイス。ナイスだ
……って、オイコラ、ちょっと待てや。
ということは、
「ほらほら、アヌキ。さっさと
「お……おう……ちょっと待て……」
ま、とりあえず助かったことには違いないので、怒りは脇に置いておこう。それよりも、助けが来たと思ったとたん、急に全身からチカラが抜けて目の前が白くなった。
オレはその場でヘナヘナとうずくまり、
しかも、そのまま歩道で四つん這いになり、顔を上げることすらできない。もはやほとんど土下座状態だ。とんでもなくみっともない格好だが仕方ない。こうでもしないと呼吸すらままならん。
ついでにいうと、アゴの先から汗がボタボタと
「ごめんね、
「い……いや、すげー軽かった……」
こんなにバレバレの嘘をついたのは生まれて初めてかもしれない。
だけど、今のオレには強がることしかできない。
だったら最後まで強がってやろうじゃないか。
オレは残りの精神力をすべて集めて息を吸い込み、奥歯を噛みしめて立ち上がった。
ンだがしかし。
残念ながら、体は正直者だった。
ちょっとガチでシャレにならないほど膝がガックンガックン震えていやがる。おそらくこれが『生まれたての子鹿のようにブルブル震える』ってヤツだろう。
うーむ。これでまた一つ、オレの描写力はアップした。ぬひひ。転んでもタダじゃ起きないって、ちょっと気持ちいいざます。……まあ、ちょっと気持ちよすぎて、胃液がリバースしそうだけど。
「アヌキ、だいじょうぶ? なんか顔がニヤニヤして気持ち悪いんだけど」
「う……うっせー。ほっとけーき……」
「あっ! なんだかうち、ホットケーキ食べたくなってきたっ!」
オウ……。なんて単純な妹だ……。
しかし、思考がシンプルな分、
「――シンくん。大丈夫?」
おっと。いきなり
前を見れば、いつの間にかうちの妹ズが全員そろって近づいてくる。
しかし、無邪気でメチャメチャかわいいけれど、事故に
「
コイツはいったい何をしやがる。
――と思いきや、
それからすぐに、オレたちは
二階の部屋のベッドまで運んで寝かせると、
そして本当にワケが分からないが、血の気が
オレたちは
頭上には薄い星空が広がっている。
街の灯りで淡く
しかしなぜか、今夜はとてもきれいに見える。
「あ。おにいちゃん。ながれぼし」
不意に
見ると、次から次に光の尾が駆けていく――。
「今夜は流れ星が多いな。なんだろ。なんとか流星群ってヤツかな」
その
それから明るい家に入り、鍵をかけた。
***
「……なるほどねぇ」
巨大なタワーマンションの屋上に、長い赤毛の少女が
黄金色の鎧をまとったその少女は、床に突き立てた長剣に寄りかかった。そして、眼下に広がる夜の街を見つめながら言葉を続ける。
「あの五人姉妹を守るために、ツインテールちゃんはたった一人で頑張っていたってわけか」
「どうやらそうみたいだね」
完全武装した少女の隣に、細身の少女が立っている。その少女もまた、彼方の地上を眺めながら、小さな口元に笑みを浮かべる。
「だけどヒカリ。あのツインテールちゃんを最初に背負った子は、どうやら男の子みたいだよ」
「え? うそ。マジで?」
「もちろん。ボクの言葉が間違っていると思う?」
「
「そうかもね」――細身の少女はくすりと笑う。「それよりヒカリ。これからどうする? 別の星に移住するなら送ってあげるけど」
「は? いきなり何の話だよ」――赤毛の少女は首をひねる。
「キミもさっき見たでしょ?」
細身の少女は、夜に向かって短い息を吐き出した。
「――なぜだか分からないけれど、この星の神々はニンゲンに優しくない。たとえマテリアルが崩壊しても、自分たちは無傷だからどうでもいい――そんな無責任な態度が
「そうなったら、そうなったで別にいいさ――」
赤毛の少女はわずかに微笑み、軽く肩をすくめてみせる。
「どこの星の、どんな世界にも、問題ってのは必ず存在するからな。完全な世界なんて、どこの宇宙にもありはしない。だったら、どこで生活してもそう変わりはないだろ」
「それはたしかにそうかもね。でも、この星の居住評価は平均以下だよ?」
「だから、余計なトラブルに巻き込まれなくて済むんだよ。それに、あたしの願いはもう
「ふふ。ヒカリは本当に欲が少ないね」――細身の少女はくすくす笑う。
「まあな。欲ってのは酒と同じだ。多すぎると、我が身を滅ぼす毒になる。どっかの魔王も言ってたけど、『何事もほどほどが一番』なのさ」
赤毛の少女は長剣を床から引き抜き、そのまま
「それに、
赤毛の少女は細身の少女に腕を伸ばし、軽々と胸の前に抱き上げる。
「まあね。でも、本当にいいの? この星の神々は、ニンゲンを見捨てるかもよ?」
「そうなったら、そうなったで別にいいさ――」
赤毛の少女は細身の少女を抱いたまま、タワーマンションから飛び下りる。そしてふわりと風にのり、夜を自在に駆けていく。
「その時は、あたしが地球の神々を斬り殺す。
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