第15話  四月十九日(土) その一 ナラティヴ


 オレは『自分についての質問』というヤツが大キライだ。



 なぜならば、『自分の考え』をヒトに話すことがキライだからだ。たとえばこんなクエスチョンなんかされたりしたら、それはもう心の底からベラボーに腹が立つ――。


『どうして小説を書こうと思ったの?』


『どうしてそんな小説を書いてるの?』


『どうして小説に夢中なの?』


――なんて、ヒトの心にズケズケと踏み込んでくるヤツがけっこういるんだが、そういうヤツらには『天を穿うがミドルフィンガー中指』とともに、この言葉を全力のキメ顔で解き放ってやる。



 うるせーよ。


 ほっとけーき。



 というかさあ、逆にこっちがきたいんだけど、そんなこと聞いてどうすんの? オレの思考や生き様を知って何がしたいの? どうなるの? バカにしたいの? コケにしたいの? どうせ聞いたところで「ふーん、そうなんだぁ~」で終わるんだろ? 


 そして暇つぶしの話のタネに「そういえばアイツさぁ、コレコレこういう理由で小説を書いてるらしいんだけど、ホント変なヤツだよなぁ~」って、たいして興味もないクセに、バカみたいなうすら笑いを浮かべながらうわさして、軽く笑い飛ばしてなぐさみ者にするだけなんだろ?


 ほんっっっと、ニンゲンってのは自分勝手でわがままで、意味もなく他人を痛めつける残酷なイキモノだってつくづく思う。



 だから今のオレはジャストナウ。


 全身全霊の気合いをブチこんだ『スーパージト目』で、菜々美ななみを真正面から見据みすえている。



「そういえば、スズキくんって、どうして小説を書こうと思ったの?」


「……うるせーよ。ほっとけーき」


「えぇ~、いいじゃん、いいじゃん、教えてよぉ~。あ、このケーキうまオイシっ☆」


 菜々美はココナツケーキをパクリと食べて、幸せそうに片手でほほを押さえている。


 オウ、なんてこったい……。


 まさかこのオレの『ゲイズ・オブ・凍りつくコキュートス嘆きの視線』を完全に無効化スルーするとは……。どうやらこいつの精神力は、『シュワルツシルトゼロ電荷・ゼロスピン・ブラックホール』のようにすべてを飲み込み、のほほんと消し去ってしまうらしい……。


 オレはため息をきながら自分のスマホに目を落とす。

 時刻は午後の1時過ぎ――。


 オレたちは今、新都心のショッピングモールでアニメ映画を楽しんだあと、ハワイ料理の店でガーリックシュリンプ・ランチを堪能たんのうし、ワイキキ・ビーチっぽいBGMが流れるカフェでコーヒーブレイクと洒落しゃれ込んでいるところだ。


 ……まあ、ビーチなんて近所の海浜公園しか行ったことがないけどな。


 しかし、そんなことはどうでもいい。


 それよりも、今日はなぜか心の中がモヤモヤする。何か大事なことを忘れているような気がしてイライラする。なんというか、頭の奥で違和感らしきモノがグルグルと渦を巻いているのに、その正体がなんなのかまるで見当もつかない。


 だからだろうか?


 麦わら帽子を脇に置き、ピンクのワンピース姿でケーキをつついている菜々美を見ると、無性むしょうに複雑な気分になる。見た目だけなら年相応にかわいらしいし、それ自体は認めてやらんこともない。


 ンだがしかし。


 オレの心に土足で踏み込む質問をしてきやがったので、もはやかわいいなんて絶対に言ってやらん。オレも今日はワンピースだが、外見だけなら100パー負けちゃいないからな。……まあ、千尋ちひろおばさんのお古だから、ちょっとウエストがゆるいけど。――って、うん?



「はい、スズキくん。あ~ん☆」



 いきなり菜々美がフォークを突き出してきた。

 見ると、一口大ひとくちだいのココナツケーキが刺さってる。


 パクリ。


「……うん、ふつう」


「どう? おいしいでしょ?」


「いや、今ふつうって言っただろ」


「わたし、ココナッツってだーい好き☆」



 オウ、ノゥ……。



 マジでスゲーなコノヤロー。冷たい視線どころか、オレの声まであっさりスルーしやがった。これはもはや『言葉が通じない』なんてレベルじゃない。それ以前にこっちの声が脳みそを素通りしていらっしゃる。なんなの、この子? マジで怖い。どんだけ無敵の精神構造してるんだよ。


「そういえばスズキくんって、たしか自己紹介の時に、小学校六年生から小説を書き始めたって言ってたよね? それってなにか、キッカケでもあったの?」


 ぬぅ。そのくせ記憶力はけっこういいとか、マジでコイツなんなんなん? まあ、うちの学校に入学しているワケだから、そんなにバカなハズはないのだが――ンだがしかし。ここはあえて言わせてもらおう。


「……おまえ、やっぱアホだろ」


「えっへっへぇ~。バレたかぁ~☆」


 オウ……あっさり認めやがった……。

 もはや勝てる気がしねぇ……。


 だけどまあ、今度はオレの言葉にちゃんとこたえたワケだから、その姿勢だけはホメてやろう。それができるニンゲンとできないニンゲンとでは、天と地ほどの精神的な格差がある。どちらが『善』で、どちらが『悪』というワケではない。しかし、燈子とうこ先生の言葉を借りれば、どちらの好感度が高いかなんて言うまでもないからな。


 だからオレも気は進まないが、質問にはキチンと答えておくとしよう。誰かに何かをかれたら、自分の言葉でキチンと返す。それがヒトとしてのマナーだからな。


 オレはホットのコナコーヒーを一口すすり、あきらめの息を吐き出した。


「……なあ、菜々美。おまえさぁ、さっきのアニメ映画、面白かったか?」


 え? ――と、菜々美はキョトンとまばたき。


「うん、ちょー面白かったよ。ロケットで打ち上げた世界中の戦車隊が、宇宙から降ってくる百万発の核ミサイルを撃ち落とした時なんか、ものすごーく盛り上がったし」


「ああ、そうだな。たしかにあのシーンはすごかった。まさかあんな方法で世界を救うだなんて普通は思いつかないからな。――だけど、本当にすごいのは脚本なんだよ」


「脚本?」


 そうだ――と、オレは菜々美の小さな鼻に指を向ける。


「いいか? テレビのドラマやアニメもそうだけど、一番重要なのはストーリーだ。どんなに映像がすごくても、ストーリーが面白くないとダメなんだよ」


「ストーリーって、お話のことだよね?」


「ああ。オレは小学六年の夏休みにそのことを知ったんだ。あのクソ暑い夏の日に、一人でボーっとテレビを見ていたら、ある小説家のドキュメンタリー番組が流れていた。その番組で、オレはこの世界の真実を知ったんだよ」


「ドキュメンタリーってなぁに?」



「ドキュメンタリーというのは、『ありのままに伝える』って意味だ。その番組では、ある小説家にインタビューして、そいつがどんな人生を過ごしてきたのかを紹介していた。そして、その中で、その小説家はこう言ったんだ――。



 この世で一番大切なのは『ストーリー』だ。どんなにたわいのない日常でも、すべてが『かけがえのないストーリー』だ。そして小説家とは、そういう『かけがえのないストーリー』を文章としてつむぎ出し、読む人の心をいやす、世界で一番重要な仕事なんだ――。



――ってな」



「わぁ~。それはすっごくいい言葉だねぇ~。だからスズキくんは小説を書こうと思ったんだぁ」


「そう言われると身もフタもないんだが、まあ、そういうことだ。だけど、考えてみると、たしかに世界というのはストーリーのかたまりだ。朝起きて、学校に行って勉強する――。たったそれだけの日常だって、立派なストーリーになっているからな」


「なるほどぉ~。それじゃあ、わたしたちがこうして一緒にお茶してるのは、ラブストーリーってことなんだねぇ~」


「いや、ラブはつかないだろ」


「えへへぇ~。それじゃあ、ラブコメってことでっ☆」


 だから、なんでラブが入るんだよ……。


 菜々美はココナツケーキをパクパク食べて、桃色の唇についた生クリームをペロリとなめた。ほんと、どこまでも無邪気というか、のんきなヤツだ。




「――それは、すごくいい文章」




 へっ?



 ビックリした。不意に横から声が聞こえたので見てみると、背の低い女の子がテーブルの脇に突っ立っていらっしゃる。黒い髪を短いポニーテールにった、ボーイッシュな服装の女の子だ。


「え? だれ? スズキくんのお友達?」


 菜々美もキョトンと小首をかしげ、女の子を見つめている。


「いや。初めて見る子だけど」



「……あなた、駄文だぶんにおいがする」



 ああん?

 なんだと、コノヤロー。



 いきなりショートポニーの女子がオレの隣に腰を下ろし、真剣な眼差しでオレの顔を見上げてきた。


 というか、なんなんだよ駄文ってよぉ。小説書いてるニンゲンに、それは究極の侮辱ぶじょくだろ。ガチでシメて泣かせんぞ、このカワイ子ちゃんヤロウ。


 ――と思ったが、さすがに中学生ぐらいの女子に『ゲイズ・オブ・コキュートス』は使えない。本気で泣かれたらシャレにならんからな。そういうワケで、今日のところは軽くにらむだけでカンベンしてやろう。


「わぁ~。さっすがスズキくん。女の子にモテモテだねぇ~」


 オウ……やっぱコイツはアホの子だ。


 菜々美は相変わらずのほほんと微笑んで、ミルクティーのカップに口をつけている。うーむ。どうやらコイツには警戒心という概念がいねんがないらしい。


 まあ、いくら見知らぬ相手とはいえ、こんな背の低い女子に警戒する必要はないけどな。ンだがしかし。やはり『駄文』と言われると無条件でムカつくな、コンチクショー。


「……ねえ。もっと文章見せて」


「はあ? 文章を見せろって、本を見せろってことか? それともまさか、話の続きをしろって言ってるのか?」


「そう。おはなし聞かせて」


 ちっこい女子は淡々とした表情のまま、ノンストップでうなずきまくっていらっしゃる。


 むぅ……。うちの夜以よいもそうなのだが、子どもってのは基本的にお話を聞きたがるイキモノだ。しかし、初対面のヤツに、しかもこんな中学生ぐらいのヤツにここまでせがまれた経験はさすがにない。ホント、世の中ってのはいろんなニンゲンがいるんだな。


 はあ……と、オレはため息を一つ漏らす。


 それからドキュメンタリー番組の続きを話し始めた。


 あれはもう四年も前のことだから、細かい部分は覚えていない。しかし、ものすごく感動したことだけは絶対に忘れない。あの小説家の言葉は間違いなく、オレの心に根を下ろしたのだ――。



――世界はストーリーでできている。

 そして、誰かが生み出したストーリーもまた、世界を支えるえだになる。


 その中のいくつかは、人々の間で語り継がれる物語、すなわち『ナラティヴ』として成長する。ナラティヴとは、神話や伝説、民間伝承のことだ。


 そして、そういった語り継がれる物語とは、人々の希望そのものである。

 つまり、ストーリーで作られた小説とは、未来につながる希望そのものなのだ。


 だからこそ、良い小説は誰かの心の支えになる。


 背中を押す。心をいやす。なぐさめる。ワクワクさせる。

 元気にさせる。ヒトとヒトの心をつなぐ。平和を生む。


 そしていつか、世界を一つにすることができる――。



「……とまあ、そんな話だったな」


 ふぅ……。


 オレは長い息を吐き出した。なんとか記憶を掘り起こし、曖昧あいまいな部分はオレの言葉で補完したが、大筋おおすじは説明できたと思う。



「……やっぱり、あなたの文章、けっこう好き」



 話が終わると、ショートポニーの女子はポツリと言った。そしてすぐに店の外に出ていった。


 まったく……。


 現れた時も突然だったが、去る時もあっという間だ。子どもってのは、本当に気まぐれなイキモノだ。


「えへへぇ~。わたしも好きだよ。スズキくん☆」


「お世辞はいらん」


 なぜか菜々美が嬉しそうに声を弾ませた。その柔らかく『ふにゃけた顔』にオレはまっすぐ指を向け、上目づかいでジットリにらむ。


 しかし菜々美は、気にするそぶりをチラとも見せない。冷めたミルクティーを飲み干して、さらにニッコリ微笑んだ。敵意も悪意もフニャフニャに溶かしてしまう、お日様のようなスマイルだ。正直言って、コイツのこういうところはスゴイと思う。どんな時でも笑顔を忘れないヤツってのは、ある意味、無敵なのかもしれん。



 それからオレたちは菜々美の立てた予定どおり、やたら広いショッピングモールに点在するファンシーショップをすべて回った。――のだが、それはもはや拷問だった。


 クソつまらない――。


 なんて、そんな生易しいレベルではない。ピンク色の小物ばかり見せられて、頭がオカシクなりそうだ。だから三店目に入ったとたん、オレの思考は強制停止フリーズ。途中から完全に白目をき、手を引かれるままに足を動かす自動人形に成り果てた。もはやどこをどう歩いたのか、カケラも記憶に残っちゃいない。



 それでも菜々美はおかまいなしのチョーノリノリで、オレを次から次へと連れ回す。


『きゃ~、かわいい☆』と言いながら牧場ぼくじょうソフトクリームの店にダッシュして、『きゃ~、かわいいっ☆☆』と言いながらペットショップに嬉々ききとして突進し、『きゃ~、かわいいっっ☆☆☆』と言いながら誰かの飼い犬らしき小型犬を抱き上げて、一人でブラジルサンバの大ハシャギをなさっておられる。


 女子高生のテンションって、マジでホント、なんなんなん?


 オレはガックリと肩を落とした棒立ちで、もはやウォーキングデッドゾンビ状態だ。


 なぜか足下には誰かの飼い猫どもが群れをなしてすり寄ってきて、どこかの幼児どもがオレの両腕を引っ張り出したが、こっちの精神力はとっくにゼロのエンプティからっぽだ。まとわりつくエネミーどもを振り払うエナジーなんか、一滴たりとも残っちゃいない。ホントもぉ、どうにでも好きにしておくんなまし……。



「それじゃあスズキくん。そろそろ、お夕飯ゆうはんにしよっかぁ」



 菜々美に言われて、オレは近くのポール時計に目を向ける。

 時刻は5時半ちょっと過ぎ――。


 ずいぶんとまあ早い夕飯ゆうはんだが、今のオレに抗議する気力なんてこれっぽっちもありはしない。


 だから、言われるままにフードコートでチャンポン食べて――あ、チャンポン美味しい。どうしよう。これなら毎週食べたいかも――それから軽く本屋をのぞき、ゲームセンターでシール写真を半分白目のダブルピースでハイ・チーズ☆



 ああ……。ようやく終わった……。



 そうして一日中遊びまくったオレたちは、ショッピングモールをあとにした。


 二人で紫色の空を眺めながら、高層ビルが建ち並ぶオフィス街をゆっくり歩き、駅前のバスターミナルに足を向ける。


 菜々美は無邪気に手を振りながらバスに乗り込み、去っていく。その横顔を見送って、オレも自宅方面に向かうバスに乗り込んだ。そして静かな住宅街のバス停で、頭をフラつかせながら外に降りる。すると世界は、黒い夜におおわれていた――。


 走り去るバスのエンジン音を背中で聞きながら、オレは呆然と顔を上げる。


 ああ……肩が重い。疲労感が押し寄せてくる。

 ほんとにもぉ、心も体もヘトヘトだ……。



 それに、学校が休みの日に小説を書かなかったなんて、おそらく四年ぶりぐらいだろう。なんというか、時間をムダにしてしまったような気がしてならない。むなしさと焦燥感しょうそうかんがほんのチョッピリ胸をよぎる。



 だけど――。


 たまにはこういう過ごし方も、そんなに悪くはないかもしれない。



 なぜならば、『人生』とは『かけがえのないストーリー』だからだ。


 どんなに短い時間でも、どんなにたわいのない出来事でも、すべては『自分の人生オリジナル』という美しい色に輝いている。だから今日の経験も、すべてが自分だけの大切な思い出だ。すべてが『オレの人生』という小説のストーリーなのだ。


 それに今日一日歩き回ったおかげで、小説に使えそうな情報も手に入った。ショッピングモールの構造も分かったし、どれだけ歩くとどれぐらい疲れるのかもよく分かった。


 同い年のヤツと一緒に歩く時はどれくらいの歩幅がいいのかも分かったし、不意に会話が途切れるタイミングがあることも分かった。それで同時に口を開いて、思わず一緒に笑い合っちゃうことがあるのも分かった。



 そして。


 友達と遊びに行くのは、けっこう楽しいこともよく分かった。



 ああ……なんだろう。


 菜々美に引っ張り回されていた時は、『いい加減にしろよコノヤロー』――なんて思っていたのに、今になって思い返すとそんなにイヤじゃなかった気がする。


 たしかに今日は歩き過ぎて、ヘロヘロに疲れている。だけど胸に手を当てて、体の声にジックリ耳を傾けてみると――不思議なことに、心も頭もサッパリしている。


 なんというか、なんだかチョッピリ気分がいいぐらいだ。街のあかりで薄暗い星空も、どういうワケか今夜はきれいに感じてしまう。本当になぜだろう? 流れ星が多いせいだろうか。


 オレはいつの間にか、ルンルン気分で鼻歌を歌っていた。

 

 そしてそのまま、夜の住宅街をのんびり進む。



 ……ああ、うん、たしかにそうだ。

 今日はけっこう、いい一日だったと思う。



 ――って、うん?



 何かが見えたのは、そう思った瞬間だった。


 オレはピタリと足を止めた。そこは公園の入口だった。視界のすみに何かがある。目を向けると、けっこう広い公園の真ん中に、何かが転がっているように見える。


 なんだありゃ?

 なんか、黒いかたまりのような……。


 夜の闇に目をらして見てみると、それはモノではなく、誰かが倒れていると分かった。こんな暗い時間に子どもが遊んでいるはずがないから、おそらく酔っ払いか何かだろう。


 オレは一瞬躊躇ちゅうちょした。酒にのまれるようなヒトとは、あまり関わりたくはない。しかし、いくら春とはいえ、夜は少し肌寒い。あんなところで寝ていたら、体を壊すに決まっている。



 仕方ない。ちょっと声をかけておくか。



 オレは一つ息を吐き出し、倒れている人に足を向ける。そして五、六歩進んだとたん、相手の顔がはっきり見えた。



 直後――オレは愕然がくぜんと両目を見開き、全速力で駆けつけた。




***



「あ、胡蝶こちょう。おかえりなさい」


 閑静かんせいな住宅街の奥にひっそりと建つ、白い外壁の一軒家――。

 その玄関ドアが開いたとたん、中から淡々とした少女の声が漂ってきた。


「……ただいま」


 ドアを開けた短いポニーテールの女子が、言葉を返しながら家に入り、脱いだスニーカーを丁寧に並べ直す。その様子を、廊下に立つ背の高い女子が口を閉じて見つめている。茶色い髪を短く切った、幼さが残る顔立ちの少女だ。


「ねえ、祈里いのり」――と、胡蝶こちょうと呼ばれた女子が声をかける。


「なに?」


「今日は面白い文章を見つけたよ」


「そう。お夕飯食べる?」


「うん」


 ボーイッシュな格好をした胡蝶こちょうは洗面台にまっすぐ向かい、丁寧に手を洗う。それから、仙葉せんよう学園女子中等部の茶色いブレザー姿の祈里いのりに続いてダイニングに入り、食卓の椅子に腰を下ろす。


祈里いのりは今日、なにしてたの?」


夕遊ゆうゆ真歩まほと、トリを殺してきた」


「そうなんだ。面白かった?」


「よくわからない」


 祈里いのりはキッチンから料理を運び、テーブルにそっと置く。料理はその一皿だけ。どりのマヨネーズソースと、もやし炒めが盛られている。


「これ、そのトリ肉」


「ジビエ料理研究会って、そういう活動するんだ」


「そうみたい。みんなキャーキャー言って殺せなかったから、ワタシと真歩まほがぜんぶ殺した」


「むずかしかった?」


「よくわからない」


 祈里いのりも自分の席に腰を下ろし、両手を合わせて食事を始める。二人はぎこちなくおはしを使い、無表情でゆっくり食べる。


「ねえ、胡蝶こちょう。今日見つけたおもしろい文章って、どんなの?」


駄文だぶん。でも、生き生きしてた。たぶんアレが、『ココロ』っていうものだと思う」


「そうなんだ。夕遊ゆうゆ真歩まほも元気な文章だから、あの二人も『ココロ』ってことなのかな?」


「そうだと思う」


 それきり二人は口を閉ざした。


 そのまま無言で食事を終えた少女たちは、一緒に食器を洗いにいく。それから再びテーブルに戻り、ブラックコーヒーを静かにすする。


「ねえ、祈里いのり。コーヒーって、おいしい?」


「よくわからない。胡蝶こちょうはおいしい?」


「わかんない」


夕遊ゆうゆ真歩まほみたいに、牛乳と砂糖をいれてみる?」


「うん」


 二人はマグカップを手にしてキッチンに入り、ミルクとシュガーをたっぷり注ぐ。


胡蝶こちょう。これ、おいしい?」――と、背の高い祈里いのりが尋ねる。


「ぬるい。祈里いのりはおいしい?」――と、背の低い胡蝶こちょうき返す。


「甘い。でも、よくわからない」


「ニンゲンの料理って、むずかしいね」


「うん。めんどくさい」



 二人はカフェオレをシンクに流し、あっさり捨てる。


 それからマグカップを丁寧に洗い、水切りラックにそっと並べた。



***



「ただいまぁ~」


 帰宅した菜々美が居間に入ると、母親がテレビの前で縄跳びをしていた。


「あら、おかえり。けっこう早かったわね」


「うん。お土産みやげにケーキを買ってきたから、一緒に食べよぉ~」


「あら、いいわね。それじゃあコーヒーをいれてちょうだい。その間にお母さん、あと千回ぐらい跳んじゃうから」


「はーい」――と、菜々美は返事をして湯を沸かす。


 そのままフンフンと鼻歌を歌いながらテーブルに皿を並べ、ケーキを取り分け、マグカップにお湯を注いでインスタントコーヒーをいれる。


 その間に母親は、超高速で縄跳びを跳び続ける。時折ハヤブサとツバメを器用に混ぜながら、ノンストップで鋭い風切り音を響かせている。



「お母さ~ん。コーヒーできたよぉ~」



 娘の声と同時に、風切り音がピタリと止まる。

 母親は呼吸を整えながら縄をちょうちょに結び、テーブルへと足を向ける。


「あ~~~。やっぱり運動のあとのケーキは美味おいしいわねぇ~~~。お母さん、カロリー大好き」


「プラマイゼロになっちゃうけどねぇ~」


「別にいいのよ。何もしない人よりは、よっぽど健康的なんだから」


 母親はドヤ顔でケーキを頬張りながら、さらに言う。


「それよりあんた、今日はどうだったの?」


 へ? ――と、菜々美はキョトンとまばたき。


 それからすぐに「ああ、うん、楽しかったよぉ~」と、幸せそうに口を開く。


「映画も見たし、ガーリックシュリンプとケーキも食べたし、ぬいぐるみも買ったし、ソフトクリームも食べたし、ワンちゃんとネコちゃんとも遊んだし。それから、お夕飯にはチャンポン食べて~、本屋さんに行って~、ゲームセンターで遊んできたから、予定はバッチリコンプリートっ☆ 今日はすっごく楽しかったよっ☆」



「パソコンは?」



***



・あとがき


『オレの超大作がブクマ2個って、どう考えてもオマエらには見る目がない。』――略称『ブク2』の第15話をお読みいただき、まことにありがとうございました。



今回の第15話では『ナラティヴ』という単語を使用しましたが、これは意味が非常に難しい言葉ですので、簡単ではありますが補足説明をしたいと思います。



narrative 名詞 ナラティヴ(発音はネェアティヴ) 

      物語、物語文学。

      説話、話術、語り口。

      語りの部分。



narration 名詞 ナレーション

      物語を語ること。

      物語。

      話法。



story   名詞 ストーリー

      話、物語。



『narrate 動詞 ナレイト 話す・ものがたる』の名詞形が『ナラティヴ』と『ナレーション』になります。ナレーションはなじみのある言葉なので、ナラティヴの意味を理解しやすいと思い、参考として記載しました。


問題は『ストーリー』と『ナラティヴ』の違いです。

どちらも『物語』という意味なのですが、厳密には違いがあります。


ストーリー :始まりと終わりのある物語。


ナラティヴ :決められた結末がない。自分の経験で作っていく物語。


大まかに説明すると上記になります。ただし、この解釈は当方の意訳になりますのでご注意ください。


そして本作、ブク2の第15話では、『ナラティヴ』を『説話』の意味に限定して使用しました。


説話とは本文に記載したとおり、『神話、伝説、民話』などの意味になります。


本作では『ナラティヴ』のことを、暗に『人生そのものを表現する言葉』としてサラッと書きました。なぜなら、あまり深い解釈を書き加えると文書のテンポが落ちてしまうからです。そのため、本文中では意味・解釈などの説明について不十分な部分がありますが、ご容赦くださいますようお願い申し上げます。



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