第10話  四月十四日(月) その三  相談


 明日香の鋭い踏み込みで、足下あしもとの玉砂利が水しぶきのように激しく飛び散る。


 直後――振り下ろされた白刃が、銀のきらめきを放ちながら黒い影へと襲い掛かる。



 闇を切り裂く剣閃けんせんが迫った刹那――『オリジナル』は一歩引いた。半身はんみでかわし、さらに後ろに跳び退すさる。ギリギリで避けた剣身けんしんが途中で止まり、真横にいできたからだ。



 渾身こんしんの第一撃。続く全霊の第二撃。ともに必殺の剣をかわされた明日香は、払った刀身の動きに歯止めをかけず、横に回転しながら間合いを詰める。再び足下の玉砂利を派手に散らし、影の敵を追撃する。二転、三転、四転、五転――。遠心力を最大に込めた高速の第三撃を斜めに振り下ろした。



 瞬間、『オリジナル』は黒い光と化した。迫り来る白刃よりも素早く動き、身を屈めて真横にかいくぐる。さらに避けた日本刀の背に拳を振り下ろし、『吉日』を地面に叩き落とす。そのまま獣のような黒い爪を明日香の胸に突き伸ばす。



 瞬時に明日香は剣を捨てて、素早くバク転。『オリジナル』の爪を紙一重でかわし、さらにバク転して距離を取る。



 影の獣は黒い爪の連続攻撃でセーラー服の剣士を追う。



 明日香はわずかに角度を変えてバク転し、すべてをギリギリでよけ続ける。しかし六度目の突きがセーラー服の肩をかすめた。黒い布地が鋭く裂ける。バランスを崩した明日香の動きが瞬時に止まる。



 チャンスとばかりに『オリジナル』は間合いを詰める。うずくまった明日香の頭に黒い爪を突き下ろす。



 瞬間、明日香は肩越しに手を伸ばす。背後にはもう一本の日本刀、『大安』が地面に突き立つ。明日香は獣の爪より一瞬早く剣を抜き、目の前に立つ『オリジナル』に神速の第四撃を気合いとともに解き放つ。銀に煌めく剣閃が敵の頭に直撃した――。



「――っ!?」



 瞬間、『大安』が木っ端微塵に砕け散った。



 明日香は両目を見開きながら真横に転がり、黒い爪をかろうじてかわす。剣の衝撃で『オリジナル』の攻撃速度は遅くなっていた。しかし影の獣はふらつきながらも、すぐさま体勢を整えてこぶしを構える。



「まさか、我が剣が砕け散るとは……」



「こっちこそ、まさか一撃もらうとは思わなかったけどな」



 明日香は飛び石の上に立ち、手刀を構えて敵を見据える。同時に思考をフル回転。



(……『大安』は砕けたが、まだ『吉日』が残っている。どうやら敵の全身を覆う影の衣にやいばは通じないらしい。しかし、『オリジナル』の十メートル後ろに転がる『吉日』さえ戻れば、まだ戦える。勝ち目は薄いがゼロではない。そのためにはまず――)



 明日香は再び鋭く踏み込んだ。向かう先は、地面に突き立つ『大安』の鞘。



(この敵に剣は利かない。しかし打撃は有効だ。鞘を使って打撃戦に持ち込み、隙を見て『吉日』を拾い上げる。あとは竹林に飛び込み、『アレ』を使って一気に勝負を決め――)



「なにぃっ!?」



 明日香は思わず足を止めて目を剥いた。地面に突き立つ『大安』の鞘が、目の前でいきなり縦に割れたからだ。しかも、鞘を切り裂いたのは細長い布――柔らかそうな白いリボンだ。さらにそのリボンの先を目で追うと、湾曲した道の奥、藤瀧ふじたき邸を囲む外壁の上まで伸びている。




「――そこまでよ」




 夜の闇に、長いリボンを握る人物の声が凛と響いた。若い少女の声だ。



 その言葉を耳にしたとたん、『オリジナル』の肩がビクリと跳ねた。



 黒い敵の表情は見えないが、明らかに動揺の気配が伝わってくる。明日香は敵に注意を払いながら、外壁の上に立つ人物に目を凝らす。遠すぎて顔は見えないが、髪型は短いツインテールで、フリルの付いたドレスを着ているようだ。



「……大丈夫。なんとかなるわ」



 謎の少女がぽつりと呟いた。



 明日香には意味がまったく分からない。しかし『オリジナル』には通じたようだ。全身を黒い影で覆った敵は、すぐさま横の竹林に大きくジャンプ。そのまま竹を蹴り、反動を利用して一気に屋敷の外に飛び出した。理由は不明だが、どうやら撤退したらしい。



「君は……私を助けてくれたのかな?」



「そうよ。あなたは弱すぎて、手加減してもらっていることに気づいていないから」



 明日香の問いに少女は淡々と答え、再びリボンを優雅に振るう。柔らかそうな細い布が暗い夜を滑らかに切り裂き、地面に転がる『吉日』を優しくなでる。直後――『吉日』は粉々に砕け散り、銀色に煌めきながら消失した。



 明日香は思わず眉を寄せて外壁を見上げる。しかし、少女の姿は既に消えていた。



「……やれやれ。黒い獣と、白い天使か。逢魔時おうまがときとはよく言ったもんだ」



 明日香は暗くなった藍色の空を見上げ、細い息をゆっくり吐き出す。



 よい明星みょうじょうが静かにまたたき、冷えた風が竹林をわずかに揺らす。肩に目を向けると、セーラー服の袖が鋭く切り裂かれている。地面を見ると、ものの数分で粉微塵こなみじんとなった自信作の愛刀たちが転がっている。


 明日香は徒労感に肩を落としながら、剣のつかと鞘を拾い、ふと振り返る。竹林で見えないが、はるか奥の離れでは、真面目で優しい臆病者の幼なじみが、趣味の読書にふけっている頃合いだ。



「……勝てないと分かっていても、逃げられない時があるんだよ」



 明日香は小声でそっと呟く。



 それから、門に向かってゆっくりと歩き出した。




 そして、誰もいなくなったあと――。




 藤瀧邸の外壁によじ登り、一部始終をこっそり目撃していた少女が、おそるおそる屋敷の外に飛び降りた。



「……どうしよう。やっぱり美玖みくちゃん、魔法少女だったんだ……。でも、あの黒い人は誰だろ? どっかで会ったことがあるような気がするけど……」



 仙葉学園女子中等部の茶色いブレザーを着た少女は、アゴに指を当てて首をひねる。するとその時、ポケットの携帯電話が振動した。少女は慌てて走り出し、『もうすぐご飯の時間だよ』という着信メッセージを読みながら、藤瀧邸をあとにした。




***




 オレは『相談』というモノが大キライだ。



 そもそも、相談する意味が分からない。


 何か悩み事ができたとしても、結局は何かを選択するだけのことだし、自分の悩みに答えを出せるのは自分しかいない。たとえ誰かの意見を参考にしたり、誰かの意見に従ったりした場合でも、行動するのは自分以外の何者でもない。


 つまり、それは結局、自分の道だ。

 自分自身の人生だ。


 だったら誰かに相談するよりも、自分の頭で考えて、答えを探す方がよほど自分自身のためになる。それで答えが出なかったとしても、それも一つの答えだ。そうやって、自分で出した答えを背負うのが人生だと思う。だからオレは悩み事ができても他人に相談なんかしないし、誰の相談にも乗らないようにしている。



 はずだったのだが――。



 今夜に限って言えば、マジでどうすればいいのか分からない……。申し訳ございませんが、誰かオレを助けてください。プリーズヘルプミー。いったい何が起きたのかと言いますと、うちのおバカな妹さまが、ワケの分からない相談をしてきやがって、何て答えればいいのか心の底から分からないのでございます。



「ねぇねぇ、アヌキ~。何人倒したら、世界は平和になるの?」



 夕食後、ザンバラショートヘアの昼瑠ひるるが我が『図書神殿』に駆け込んできて、大マジメなフェイスで質問してきやがりました。というか、何で『平和』のために『ヒトを倒す』という前提が出てくるのか、そこが分からん。理解できん。



「え~、だって、ゲームとかアニメって、ぜんぶそういう設定じゃん? モンスターを倒して、悪いヤツを倒して、そうやって地球は平和になるんでしょ?」



 うーん、やばい。そうきたか。そういうふうに訊かれてしまうと、一言も出てこない。というか、この純粋無垢な中学三年生の質問に即答できるヤツなんて神しかいないだろ。


 ……まあ、おそらく普通のニンゲンなら、『現実は、アニメやゲームとは違うから、誰かを倒しても平和にはならない』って答えると思う。


 だがしかし、その答えは百パーセント間違っている。

 なぜならば、悪いニンゲンをすべて倒せば、世界は間違いなく平和になるからだ。


 そして、我がおバカな妹が口にした質問の根底にあるモノは、『人類が平和に生きられないのは、いったい誰のせいなのか?』ということなのだ。まったく。なんちゅー深い質問だ。これはもはや相談というより、禅問答に近いだろ。



「ねぇ、アヌキ~。何人倒せばいいのか教えてよぉ~」



 椅子に座るオレの膝に、昼瑠がすり寄ってきやがった。しかもオレの太ももに頭をのせて、スリスリしていやがる。まったく。身長はオレより高いくせに、頭の中身は小一の夜以よいと同じレベルかよ。ほんと、しょうがねぇなぁ……。



「あー、いいか、昼瑠。この世に百億のニンゲンがいたら、それをすべて倒せば、間違いなく平和になるはずだ」



「え? それじゃあ、人類を滅ぼせば、平和になるってこと?」



「いやいや、違う、そうじゃない。いいか? 『倒すこと』と『滅ぼすこと』はイコールじゃないんだよ。倒すのは、ニンゲンの中の悪い心だ」



「悪いココロ?」



「そうだ。ニンゲンってのは誰だって、いい心と悪い心を持っている。誰だって優しい言葉をかければ優しくなるし、尊敬すれば尊敬される。だけど、誰だって調子にのってつけ上がる時があるし、無自覚に他人を見下す時がある。そういう悪い心が、争いを引き起こしているんだ」



「じゃあ、その悪いココロはどうやって倒すの?」



「それには『正しい言葉』をぶつけるしかない。『ヒトを差別するのはどうして悪いことなのか』、『ヒトを傷つけるのはどうして悪いことなのか』――その理由をきちんと言ってやるんだ。そうすれば、すぐには直らなくても、その『正しい言葉』が悪いヤツの中で成長する。そうすると、そいつはいつの間にか『いいニンゲン』に変化するんだ。それが、地球を平和にする唯一の方法なんだよ」



「でも、ゲームやアニメじゃバッサバッサ倒してるじゃん。そっちの方が手っ取り早くない?」



「そりゃおまえ、ゲームやアニメは時間がないからな。そうやって敵を倒すシーンを子どもに見せて、現実ではどうやれば平和になるのか、何が正解なのか考えることを、みんなに促しているんだ。だからおまえも答えを求めて、オレのところに相談に来たんだろ?」



「え? そうなの?」



(いや、知らねーよ)



 オレは歯の裏まで出かかった言葉を飲み干し、昼瑠の頭を軽くなでる。



「とにかく、これで一応、おまえの質問にはちゃんと答えたぞ。あとはおまえの問題だ。本当に地球を平和にしたいのなら、おまえは自分なりの『正しい言葉』を見つけなくちゃいけない。それが、おまえだけの『オリジナルの武器』だ」



「おお! うちだけの武器か! なんかカッコイー!」



(まったく。単純なヤツだ……)



 オレは思わず小さなため息を吐いた。しかし、これはバカにしたわけでも、呆れたわけでもない。素直で単純な妹の心が、微笑ましいと思ったからだ。


 オレは昼瑠の頭をなでながら、くせっ毛に指を通す。手のひらに体温が伝わってきて、あったかい。たぶん、このぬくもりが、かわいいということだと思う。



「あ、それじゃあ、アヌキ。もう一つ相談なんだけど」



「なんだよ。まだ何かあるのか?」



「うん。えっとね、どうやったらアヌキと結婚できるかな?」



 …………。



 ああ、どうしよう。

 一言も出てこないテイクツーだ。



 オレは思わず絶句して、半分白目を剥きかけた。



「……えっとですね、昼瑠さん。兄と妹じゃ、どうやっても結婚できないんですけど」



「じゃあ、何人倒したら結婚できるの?」




 ……ほんとごめん。



 どうやったらこのおバカな妹を説得できるのか、マジで誰か、相談に乗っていただけませんか?



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