第9話   四月十四日(月) その二 オリジナル


 嫌な予感はあった。



 あれは先週の火曜日。入学式の翌日だったと思う。

 何の前触れもなく逢見おうみ先輩に呼び出されたからだ。


「突然お呼びしてごめんなさいね、美千留みちるさん」


 校舎三階の角にある特別室に足を運ぶと、逢見先輩に優雅な微笑みを向けられた。由緒ある家柄を体現するかのような福々しいお顔とお体は相変わらずだ。一言で言えば『ぽっちゃりした日本人形』みたいなお姿なのだが、それを口にすると大変なことになるから黙っておこう。


藤瀧ふじたきセンパイ、お久しぶりですわ」


 不意に赤茶色の髪の少女が、笑みを含んだ声で言ってきた。


 ソファに腰を下ろしたまま立ち上がりもしないその新入生とは、前に二度ほど何かのパーティーで顔を合わせたことがある。その子の隣に座る黒髪の女子は初めて見る顔だが、なぜか二人とも、どことなくいやらしい笑みを浮かべている。


「美千留さんはもうご存知だと思いますが、そちらが仙女せんじょ会の新しい一代いちだいに就任された甘崎由姫あまさきゆめさんで、お隣は一代補佐の千条杏子せんじょうあんずさんです」


 仙女会とは、仙葉学園女子高等部OG子女会、つまり、この学園の卒業生を親に持つ生徒しか入ることを許されない伝統あるクラブだ。そして一代とは一年生代表のことで、私は二年生代表の二代、逢見先輩は三年生代表の三代となる。


「実は、逢見センパイと藤瀧センパイに、折り入ってお話があるのですが」


 なるほど、そういうことか。


 仙女会の総会は来週の予定だが、新しい一代には何か急ぎの要件があるらしい。私は心の中でため息を吐きながら、不敵に微笑む甘崎由姫の向かいに腰を下ろす。


「話というのは他でもありません。今年の新入生にオトコが混ざっておりましたので、その生徒を退学にしていただきたいのです」


 やはり、か。


 この学校は、数年後に男女共学に変更することを検討している。そのモデルケースとして、今年は男子を一人入学させたという話は聞いていた。そしてその時から、こういう『物騒な意見』が出てくるのではないかと思ってはいたが、はっきり耳にするのはやはり気分のよいものじゃない。


「そうですわね。あたくしも前々から危惧きぐしておりましたが、やはり伝統ある我が校に男子を入学させるのは、無理があったと思います」


「やはり逢見センパイも、そうお思いになられますわよね」



「……ですが逢見先輩。生徒を退学させる権限なんか、仙女会にはないと思いますが」



 しまった。思わず口が滑ってしまった。

 三人のお嬢様たちが、じっとりとした目つきで私をにらんでいる。


「藤瀧センパイは、男子がいても平気なんですの?」


 ええ、平気よ。

 ――と言いたいところだが、部屋の空気が重すぎて口が動かない。


 仙女会は年功序列で、基本的に上級生の意見は絶対なのだが、それ以外にもう一つ、親の資産と家柄がモノを言うクラブだ。はっきり言って私の家は一流止まり。日本有数の歴史を誇る逢見家と、超がつくほどの資産を持つ甘崎家にはとてもかなわない。つまりこの二人は最初から、お飾りの代表である私の意見なんか求めていないのだ。


「ですが美千留さん。男子がいるせいで、千条さんのクラスでは十二人もの女子生徒が登校を拒否していらっしゃるそうなのです。これは、由々しき事態だとは思いませんか?」



「……はい。それはたしかに、そうですね……」



 私は折れた。

 折れるしかない。


 甘崎由姫と千条杏子がにやりと笑っているが、仕方がない。私にはそもそも拒否権などないし、こういうことには慣れている。いつものことだ。黙って見過ごしておけばいい。逢見先輩と甘崎由姫に逆らったら、私だけでなくうちの親まで肩身の狭い思いをすることになる。中途半端な金持ちというのは、こういうみっともない生き方しかできないのだ。


「ご理解いただき、ありがとうございます。藤瀧センパイ」


「それでは仙女会の総意として、その男子生徒の退学を学校側に要求いたしましょう」



 逢見先輩のその一言から、仙女会は動き出した。



 彼女たちはあらゆるコネクションを動員し、生徒、教師、理事会に根回しをして、例の男子生徒の退学を要求――いや、強要した。


 意外にも理事会と教師陣は猛反発したが、学校経営には金持ちからの支援が欠かせない。寄付の停止、運営資金の融資の見直し、不動産の優遇使用停止などのカードを切り出されたら、逆らえるはずがない。そして最終的に、一年H組に所属する十三人の生徒たちが、他のクラスへの異動を希望していた事実が決め手となった。



 今月中に、寿々木深夜は退学処分となる――。



 なんて汚い世界なのかしら……。



 廊下を歩く足が自然に止まる。窓の外に目を向けると、何人もの生徒が校庭のトラックを走っている。どうやら体力測定の百メートル走をしているらしい。校庭の片隅では、赤毛の生徒が長い黒髪の生徒を抱えて振り回している。微笑ましい光景だ。どうしてみんな、ああいうふうに仲良くできないのだろうか。



 そして、どうして私は、こんなに心が弱いのだろう……。



 嫌な予感というのはなぜか当たる。



 やはり私は、また私が嫌いになった。




***



「――また悩んでいるみたいだな」


 バスの座席に座ったとたん、横から声をかけられた。顔を上げると、黒い髪を短く切りそろえた女子生徒が立っている。


「あ、さざなみさん……」


「もう学校帰りだ。いつもどおり、明日香あすかでいい」


 漣明日香は淡々とした表情のまま、私の隣に腰を下ろす。カバンは持っていないが、手ぶらではない。幼児の背丈ほどもある細い棒を二本持っている。藍色と紫色の巾着袋でそれぞれ包んでいるが、中身はまず間違いなくアレだろう。


「なんだ、美千留。こいつの中身が見たいのか?」


 聞いてもいないのに、明日香はさっさと巾着袋の紐を解く。中身はやはり、日本刀だった。


「こいつは最新作の『大安たいあん』と『吉日きちじつ』だ。なかなか見事な出来栄えだろう。どちらも、今までで一番硬い刀身に打ち上がった逸品だ」


「ちょっと。バスの中でそんな物騒なもの出さないでよ」


 私の言葉に明日香は軽く肩をすくめ、刀をしまう。


 代々続く剣士の家系に生まれた明日香は、日本でも有数の女性剣士に成長した。しかし、あまりにも剣が好きすぎて、刀鍛冶まで始めてしまった日本刀バカでもある。女子高生の刀鍛冶なんて、おそらく日本中探しても明日香しかいないだろう。


「それで、どうした美千留。眉間にしわが寄っていたぞ」


「別に。いつものことよ」


「なるほど。仙女会の逢見麻代おうみまよか」


「それと、新しい一代の甘崎由姫あまさきゆめ。あの人たち、今年入った男子生徒を退学させるんだって」


「いいではないか。女子高に、男なんていらないだろ」


 そうだった。この幼なじみも男嫌いだったんだ。


 だけどほんと、こういう反応はバカだと思う。六百人の中に男が一人入ったところで、何が問題なのかまったく分からない。学校の外に出れば男なんてゴロゴロいるし、多くの家庭には父親や兄弟がいるだろうに。


 女子高だから男は排除するって、それはただの思考停止だ。女子高では学校運営が成り立たないから共学にする。そのテストとして、わざわざ入学してもらった男の子を追い出してどうするのよ。そんなことでは近い将来、学校が潰れてしまうなんて目に見えているじゃない。


「それに、美千留。男子が嫌いだから、女子高を選んだ生徒も多いだろう」


「だから、あの男の子はわざわざ女装してるんじゃない。しかも見た目はそこら辺の女子よりかわいいし、何の問題もないでしょ」


「おやおや。ずいぶんとその男子の肩を持つじゃないか」


「別に。弱いものイジメみたいな真似が恥ずかしいだけよ。後輩を守れない先輩なんて、みっともないにもほどがあるでしょ」


「最終的に決定したのは大人たちだ。美千留が気に病むことじゃない」


「それをきつけたのは私たちなのよっ!」


 あ、しまった。

 つい大きな声が出てしまった。


 バスの中にいる生徒たちが全員こっちを見ている。ああ、まずい。私が男子生徒の肩を持つ発言をしたことは、たぶん明日には逢見先輩の耳に入るだろう。面倒だけど、また何か言い訳を考えなくてはいけない。ほんと、こういうのって気が重い。早く家に帰って、何か楽しい小説でも読まなきゃやってられないわ……。



「――さて、降りようか」



 学校の前から、バスに乗っておよそ二十分。バス停で降りて、徒歩で十五分ほどの住宅街に私と明日香の家はある。お互い、同じぐらいの敷地を持つ日本建築だけど、明日香の家には大きな道場がある。


「それでは美千留。また明日」


 いつもは門の前で別れる明日香が、今日はなぜかうちの玄関先までついてきた。軽く手を振ると、日が沈んだ藍色の空の下を彼女はゆっくりと去っていく。たぶん、バスの中で大声を出した私を気遣ってくれたのだろう。


 まったく……。


 どうして私は、こんなにみっともない人間になってしまったのだろう。


 一つため息。

 肩が落ちる。


 そのまま重い足取りで廊下を進み、奥の離れのドアを開ける。高校進学と同時に作ってもらった私の新しい部屋だ。すぐにパソコンの電源をいれて、制服を脱ぐ。


 それからようやくお楽しみ。

 小説投稿サイトのチェックだ。


 新規投稿をざっとチェック。あらすじが面白そうなものはとりあえず読むことにしているが、今日はそれほど多くない。



 あ、これがちょっと面白そう。



『めた・りある・はんたずぃ』



 どうやら新人の作品らしく、文章が硬い。出だしがつまらない。会話が多すぎる。引きがない。しかもちょっと読みづらい。でも、三人称は嫌いじゃない。誤字脱字がほとんどないのも悪くない。うん。とりあえずブックマークに登録して、夕飯のあとにじっくり読もう。



 こういう、誰も最後まで読みそうにない小説は大好物だわ。



 あら、よだれ出てきた。




***




「――さて。そろそろ出てきたらどうだ」



 藤瀧美千留が家の中に入っていくのをこっそり見送った漣明日香は、藤瀧邸の広い前庭で足を止めて静かに言った。


 湾曲した道の左右は、うっそうと茂った竹林になっている。

 足元には整然と並ぶ飛び石と、敷き詰められた白い玉砂利。


 夜のとばりが降りた暗い世界に、庭園灯が淡い光を投げかけている。



「……へぇ。よく気づいたな」



 闇の中から、忽然こつぜんと『黒い何か』が現れた。



 明日香は鋭く目を凝らす。それは異形そのものだった。


 両手両足、胴体、頭部――その見た目は人体そのものだが、まさに黒い影としか言いようがないほど全身が真っ黒に染まっている。よく見ると、水のような影が体全体を包み込み、炎のように揺らめいている。そのせいで顔はおろか、肌も服もまったく見えない。


 しかし、声からして影の中身は若い女性のようだ。


 明日香は『大安』を地面に突き刺し、『吉日』を素早く抜刀。



「気配がないのは逆に気を引く。それより、そちらの目的を聞いておこうか」


「別に、そんな大したことじゃない。ちょっと藤瀧美千留と話がしたいだけだ」


「そうか。では、お引き取り願おうか。顔を隠している『怪しいモノ』を、この先に通すわけにはいかないからな」


 明日香は握っていた鞘を脇に放り投げ、鋭い切っ先を影人間にまっすぐ向ける。


 しかし黒い影は悠々と三歩進み、足を止めた。


「引く気はない――ということか。いいだろう。では、最後に名を聞いておこうか。化け物と言えど、墓ぐらいは建ててやる」


「逆だ、ニンゲン。こちらがオリジナルで、バケモノはおまえらの方だ」


「では、墓には『オリジナル』と刻んでやろう」


 明日香は『吉日』を肩に構え、夕闇の空気をゆるゆると胸に吸い込む。



 直後――。



 一瞬で『オリジナル』の眼前に踏み込んだ。


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