第8話   四月十四日(月) その一  百メートル走


 オレは月曜日が大キライだ。



 だって、学校に行きたくないもん。明日は学校かぁ~って思うと、日曜の夕飯を食べている時から憂鬱ゆううつになってくる。その時間帯のテレビ番組のテーマ曲を聞くだけで気が滅入めいるほどだ。


 ンだがしかし。


 今日は違う。今日だけは違う。今日は一日かけて体力測定とかいう、ワケの分からないイベントがあって、普段なら余計に気が滅入るはずなのだが、今日だけは朝から心が軽い。足が弾む。思わず口笛を吹きながらスキップで登校しちゃうぐらいだ。


 ンなぜならばっ!



「――あ~、スズキく~ん。おっはよぉ~」



 唐突にのんきな声が飛んできた。見ると、校門前のバス停から菜々美がテクテクと駆け寄ってくる。くそぅ。こいつはほんと、いつも突発的にオレの思考に割り込んできやがる。しかも何ということでしょう。アノヤロー、スカートの下にブルーのジャージをはいていらっしゃる。


 あいつ、あの格好でバスに乗ってきたのか?


 いったいどこの勇者だよ――と思いきや、スカート・プラス・ジャージの女子がうようよいる。おいおい、マジかよ、なんだここ? ほんとにオレの知ってる地球なのか?


「あれぇ? どうしたの、スズキくん。なんだか今日は、にこにこしてるね」


「ん? ああ、まあな。昨日の夜、ついに我が超大作の書き直し作業が終了して、小説投稿サイトに掲載したばかりだからな」


「あっ、そうなんだぁ~。すごいすご~い。ねぇ、なんてタイトルなの? わたしも読みた~い」


「それは秘密だ」


 オレは菜々美の鼻を指で押して、昇降口に足を向ける。菜々美はきょとんとしながらオレの背中を追ってきた。


「え~? なんでなんで~? 教えてくれてもいいじゃ~ん」


「ダメだ。オレはな、我が超大作の真価を知りたいんだ。まっさらな状態で、どれだけの人間の心をつかめるのかを知りたいんだよ。だから知り合いにはしばらく教えない、って決めているんだ」


「え~、いいじゃんいいじゃん。ちゃんとブックマークつけるから、教えてよぉ~」


「だから、そういうのがイヤなんだよ。エコひいきでブクマをつけてもらうなんて、そんなセコイ真似なんか絶対にお断りだ。オレは自分の実力だけで、ブクマを二百万個ぐらい獲得しなきゃ気が済まないんだよ」


「え? でもあそこの会員ってたしか、百万人ぐらいじゃなかったっけ?」


 うぐ……。


「そっ……そりゃおまえ、一人がパソコンとスマホでそれぞれブクマすればいけるだろ」


「そっかぁ~。さっすがスズキくん。あたまいいねぇ~」


(……まあ、ブクマはログインしないとできないわけだから、会員数を超えるブクマなんて絶対につくはずがないんだけど、それは黙っておこう……)


「それじゃあわたしも、お母さんにパソコン買ってもらおっかなぁ~」


「え? なに、おまえ? パソコン持ってないの?」


「うん。だって、今どきパソコン使ってる人なんていなくない? 中学の時にパソコン持ってた子なんて、クラスに二人ぐらいしかいなかったし」


「えっ? うそ、マジで……? パソコンの普及率って、そんなに低いの?」


「だってほら、スマホは生活必需品だけど、パソコンってなんかめんどくさくない? ベッドの上で使えないし」


 おおう……なんてこったい、そうだったのか……。


「最近の地球人は、そういう生活スタイルだったのか。そうするともしかして、スカートの下にジャージのズボンをはくのも、ごく普通のことだったりするのか?」


「え? うん、普通だよ? だってほら、みんなはいてるし」


 言いながら、菜々美はスカートをめくってクルリと回る。


 うーむ、なんというか、女子高生のくせに色気がまったく感じられない。これはさすがにやばいだろ。このまま色気のない女子高生が地球上に増殖すると、男子は女子に恋をしなくなり、結婚率と出生率がゼロになって、人類は絶滅してしまう。そしておそらく、今日のこの日、この時こそが、人類存続のターニングポイントだったのだ――。


「という出だしで、小説が一本書けそうな気がするな。うん」


「もぉ。スズキくんの頭の中って、ほんとに小説ばっかりなんだね」


 菜々美はにっこり笑って、昇降口の下駄箱へと駆けていく。



 それからオレたちはいつもどおりガラガラの教室でホームルームを終えて、ジャージに着替え、体力測定という地獄のイベントに足を向けた――。



 何を隠そう、オレは死ぬほど体力がない。運動に費やす根性もない。したがって、当然ながら気合いもない。五十メートル走は十四秒で、百メートル走は二十八秒だ。四百メートル走? 途中でギブアップさせていただきます。


 他にも握力、反復横跳び、立ち幅跳び、立位体前屈、ハンドボール投げなども、すべて小学生にすら勝てる気がしない。でも大丈夫。ちょっとにわかには信じられないが、この学校にはオレと同じレベルのヤツが、あちらこちらにいらっしゃる。


 菜々美はまあ、見た目どおりという感じだが、他のクラスにもトロいヤツが何人もいる。さすが女子高。こういうところはオレにピッタリだ。まあ、オレは一応男子なのだが、見た目は女子だから大丈夫ということにしておこう。



「――おいおい、シンヤ。おまえ、ほんとに足遅いんだな」



 校庭の端に座って見学していたオレと菜々美のところに美空が近づいてきた。こいつはたった今、ものすごいスピードで百メートル走を突っ走ってきたところだ。横で見ていたオレたちが、思わずポカンと口を開けてしまうほどの超スピードだ。ゴール地点に立つ教師たちがザワザワと騒いでいるほどだから、よほどすごいタイムだったのだろう。


「美空ちゃん、今の百メートル走、すっごく速かったねぇ~。何秒だったの?」



「ん? ああ、七・八秒だったかな」



 ……はい? 



 ああ、いやいや。いくら何でもそれはないだろ。七・八秒なんて、ニンゲンの出せるタイムじゃないからな。たぶん、十一・八秒と聞き間違えたんだ。まあ、「なな・てん・はち」と「じゅういち・てん・はち」では、「てん・はち」しか類似点がないのだが、オレは自分の目や耳よりも、世界の常識の方を圧倒的に信じます。だから、まあ、うん、そういうことにしておこう。


「へぇ~、さっすが美空ちゃん。わたしなんて二十三秒だったよぉ~」

「でも、シンヤより速かったじゃん」


「えへへぇ。わたしより遅い人って、生まれて初めて見たよぉ~。ありがとね、スズキくん」

「いやいや、礼を言われるようなことじゃないからな。というか、ありがとうとか言われると腹立つな、オイ」


「……それよりシンヤ」


 ん?


 不意に、オレの隣に座った美空がぽつりと言った。


「おまえ最近、なんか困ったこととかないか?」


 困ったこと? 


「いや、別にないぞ。我が超大作を投稿サイトにアップしたばかりだから、むしろ絶好調だ。おそらく明日には、ブクマの登録件数が軽く百万を越えているはずだから、今から楽しみで仕方がないくらいだ」


「ははっ、そっか。やっぱおまえ、面白いな」


 美空はカラリと笑い、オレの肩をスパーンと叩いた。ちょっと痛い。


「それより美空。おまえ、そんだけ足が速いってことは、やっぱ陸上部に入るのか?」


「いや。陸上部の練習だと物足りないから、アタシは体力トレーニング専門の同好会を作る予定だ」


「同好会?」


「ああ。もう既に顧問のセンセイは決まっているからな。それで、シンヤとナナミはどうするんだ? 今朝の全校集会でも言われたけど、ここの生徒って、基本的にどこかの部活に入らないといけないんだろ?」


「そうなんだよ。それでオレもちょっと悩んでいたんだよ。はっきり言って、オレには部活をする暇なんてないからな。執筆作業で手いっぱいだっつーの」


「わたしは手芸部か茶道部かなぁ。あ、でも、同好会にもちょっと面白そうなのがあったから、いろいろ見てから決めたいなぁ」


「そっか。それじゃあ二人とも、入りたいところがなかったらアタシの同好会に来なよ。かわいいマネージャーが二人もいると、アタシも嬉しいからな」


「あっ、うん、いくいくぅ~。ね、スズキくんも一緒に入ろうよ」


「そうだな。マネージャーだったら小説を書く時間が自由に取れそうだから、それも悪くないかも知れん。とりあえず、おまえの同好会の名前を聞いておこうか」



「スーパー陸上同好会だ」



「やっぱやめとく」



 オレは〇・二秒で手のひらを美空に向けた。


「え? なんでだよ?」


「そんなことは決まってる。オレは目の前の現実よりも、世界の常識を尊重するニンゲンだからだ。そもそも、なんで『陸上』の前に『スーパー』がつくんだよ。ニンゲンのレベルを超えちゃイカンだろ。というか、超えるな。また目の前で百メートルを七秒台で走られたら、オレの心がついていけなくなるだろうが」



「でもアタシ、本気出せば五秒は切れると思うけど?」



「あー、あー、きこえないー、きーこーえーなーいー」



 オレはとっさに立ち上がり、両手で耳を押さえて駆け出した。


 しかし、美空からは逃げられなかった。


 先週のように背後から持ち上げられ、高い高いで振り回されて、もはやメリーゴーランド状態だ。むー。やはりこいつの腕力は半端じゃない。ついでに言うと、うらやましそうに横でキャーキャー笑っている菜々美ののんきレベルも半端じゃない。


 まったく。


 こんなトンデモ超人がこんな身近にいるんだから、魔法少女だってもしかしたら本当にいるのかも知れない。やはり、夕遊ゆうゆの言葉を頭から否定しなくてよかった。


 だって。


 ヒトの言葉を信じないニンゲンは、自分もヒトに信じてもらえないからな。




 なんて――。

 のんきに考えていたけれど、この時のオレは、地獄の日々が目の前に迫っていることに、まだ欠片も気づいていなかった。




***




「ただいまぁ~」


 菜々美が家に帰ると、ジャージ姿の母親がテレビの前でヨガのポーズを決めていた。


「あら、おかえり。早かったわね」


「うん。今日は体力測定だけだったから。それより、ねえ、お母さん」


 母親は『英雄』のポーズを取りながら「なぁに?」と菜々美に顔を向ける。


「うちのクラスにね、すっごく足の速い子がいたの。タイムがなんと七・八秒で、センセイたちもビックリしてたの」


「あら、そうなの。でも、お母さんだって若い時は、それぐらいのタイム出てたわよ?」


「えぇーっ!? そうなのっ!? お母さんすごーいっ!」


「まあ、お母さんはこう見えても、若い時は足が速かったからね。それよりあんた、汗かいたでしょ? ちょっと早いけど、お風呂沸かして入っちゃいなさい。その間にお母さん、お夕飯作っておくから」


「あ、うん。それじゃあ、ちょっとお風呂入ってくるね~」


 菜々美はすぐにお風呂を沸かし、無線のお風呂用スピーカーで音楽を聞きながら、湯船に浸かって鼻歌を歌いまくる。そうして一時間半後にお風呂を出ると、既に夕飯ができていた。


「あ、そうだ、お母さん」


 豚ロースのからし焼きを一枚食べた菜々美がぽつりと言った。


「なぁに?」


「七・八秒って、百メートル走だよ?」


「あらそう。それで?」


「ううん。なんでもない」


 それから菜々美と母親は、テレビのバラエティ番組を見ながら食事を終えた。


 菜々美は食後のお茶をゆっくりすすり、歯を磨いてベッドに入り、翌朝元気に起きて、最寄りのバス停へと駆けていく。


 玄関先で菜々美を見送った母親はゴミ捨て場にゴミを出し、食器を洗って掃除して、菜々美の布団を庭に干した。それからホットコーヒーをいれてテレビをつけて、一息入れる。その時ふと、気がついた。



「……百メートル走?」


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