第7話   四月十三日(日) 誰だって、そうやって生きている


 オレはサプライズというヤツが大キライだ。

 


 ビックリさせたい?

 驚かせたい?


 いやいや、そんなモノはマジでいらない。心の底からノーサンキューだ。たとえばデート中に周囲の歩行者がいきなり音楽をかけて踊り出し、曲が終わった瞬間に男が女にプロポーズをするとか、もうね、ほんとワケが分からない。

 

 結婚式で「はーい、お写真撮りますよー、パシャ」の瞬間に音楽が大音量で流れ出し、カメラマンとかコックとか、ウェイターとかウェイトレスがノリノリでダンスを踊りまくるとか、マジでなんなの? 何がしたいの?


 サプライズ?


 ああ、たしかに死ぬほどビックリするよ。驚きすぎて、ドン引きゲージが百パーセントを突破しますよ。オレが花嫁ならその場で離婚届に記入・捺印なついん・花婿の口に突っ込んで、そのままマッハで実家に帰り、三年ぐらいは引きこもる自信がある。まあ、オレはオンナじゃないけれど、それぐらいサプライズというヤツは大キライだ。



 だがしかし――。

 今日に限って言えば、正直、なんと言っていいのか分からない。



 それはほんのついさっき、我が超大作の書き直し作業が終了し、これから小説投稿サイトにアップしようとした瞬間だった。まさにオレの人差し指がマウスをクリックする寸前に、誰かが我が『図書神殿』のドアをノックしやがったのだ。


 どこかで監視でもしてたのか? 


 というぐらい、あり得ないほどの絶妙なタイミングだ。しかも、どことなくクルミ割り人形の行進曲っぽい感じでドアを叩き続けているのが、余計にオレのハートをムカつかせる。


 時計を見ると、時間は午後の二時三十分。


 うちの家族でこんなイタズラっぽいノックをするヤツは昼瑠ひるるしかいない。だからオレは目を吊り上げ、怒りを叩きつけるように全力全開でドアを開け放った。瞬間――オレの目玉はうずらの卵のように丸くなって飛び出しかけた。


 なんと、廊下にいたのは昼瑠ではなく夕遊ゆうゆだった。

 しかもなぜか、ブカブカのウェディングドレスを着ていらっしゃる。



 なんでウェディングドレスなの?



 しかも、その豪華な白い衣装は中学一年の夕遊にはあまりにも大きすぎて、白い肩はほとんど丸出し、ブラジャーのストラップは丸見えだ。さらに、セミロングの黒髪をまとめもせずに小さなクラウンを頭の上にちょこんとのせて、ベールをだらりと後ろに垂らしておられる。何がしたいのかこれっぽっちも分かりませぬ。オレは思わず脳みそがホワイトアウトして、全力で踊り出しそうになってしまった。



「……ねえ、兄さん。いま、ちょっといい……?」



 不意に夕遊が照れくさそうに顔を赤らめた。ほとんど思考停止状態だったオレは、部屋の中に三女を招き入れ、ローテーブルの前に正座した。



「……それで兄さん。この格好、どう思う?」



 え?

 なにその、究極の質問。


 オレは何も言えずに固まってしまった。ローテーブルの前に立った夕遊は頬を赤らめながら、片手に持った孫の手を握りしめていらっしゃる。


 というかこの子、なんでそんなモノ持ってんの? 


 いきなりウェディングドレス姿で押しかけてきて、孫の手を握りながら「この格好、どう?」なんて訊かれても、なんと答えていいのか見当もつかない。こんな超展開の質問に即答できるヤツなんて、神様しかいないだろ。



「ねえ、兄さん。聞いてるの?」

「……えっ? あ、ああ、聞いてる。聞いてるよ」

「だから、この格好を見て、どう思う?」

「そ……それはそのぉ……。か……かわいいんじゃないか?」

「もぉっ! ばかぁっ!」


 痛い。

 夕遊がいきなり顔を真っ赤にして、頭のクラウンを引っこ抜いて投げてきやがった。くそぉ。心にもないほめ言葉をかけてやったというのに、なんで怒られなくちゃならないんだよ。



「そういうことじゃなくてっ! この格好を見て何を連想するのかを聞いてるのっ!」

「れ、連想……? そりゃおまえ……かわいいお嫁さん、かな?」

「――っ!!!」



 痛い。痛い。いたたたた。


 夕遊がいきなり頬を膨らませ、両手でぽかぽかと殴りかかってきた。もうほんと、まったくワケが分からない。というか、もうどうにでもしてくれ。オレは脱力して床に倒れ、馬乗りになって殴ってくる妹に身を任せた。そして、どうでもいいが我が妹よ。おまえ、ブラジャー丸見えだぞ。



 それからしばらくの間、オレはポコポコに『ポコ殴り』にされた。


 そして落ち着きを取り戻した妹に話を聞いてみると、どうやら昨日の夜、アニメ映画を見に行った帰りにちょっと変わった少女を見かけたらしい。そいつはフリルの付いた白いドレスを着て、手には短いステッキを持ち、自動販売機の上に突っ立っていたそうだ。


「だから、その子の格好を真似してきたの」


 そう言って、夕遊は手にした孫の手をひらりひらりと振り回す。おそらく本人は真剣そのものなのだろうが、ステッキ代わりに孫の手を振り回すとは、中学一年ってちょっとかわいい。とは思うけど、そんなことを口にしたらまたポコ殴りにされそうだから黙っておこう。



「ねえ、兄さん。あたし、こういうのってよく知らないんだけど、あれってやっぱり、魔法少女ってことだよね?」

「うむ、そうだな。間違いない。その子は絶対に魔法少女だ」

「そっかぁ。やっぱりそうなんだ……」



 夕遊はアゴに指を当てて、真剣な表情で考え込んだ。



 とは言ったものの、常識的に考えれば、魔法少女なんているはずがない。しかし、オレはその少女を見ていないし、その少女を見た夕遊が魔法少女だと思ったのであれば、それを否定することは絶対にできない。なぜならば、オレの常識や推測よりも、夕遊の目で見た現実の方が圧倒的に正しいからだ。



「どうしよ、兄さん。あたし、その子の正体、思いっきり見ちゃったんだけど」

「別に。そんなの、どうもしなくていいだろ」

「え? なんで?」

「だっておまえ、そいつは悪そうなヤツじゃなかったんだろ? だったら放っておけばいい」


「え? 放っておくの?」


「そりゃそうだろ。魔法が使えるのにテレビに出ないってことは、そいつは正体を隠したいってことだ。だったら、そっとしておいてやるのが優しさってもんだろ。わざわざ正体をバラしたところでおまえには何のメリットもないし、その魔法少女が悲しむだけだ。おまえはその子を悲しませたいワケじゃないんだろ?」


「それは、まあ……うん、そうだけど」

「だったら、そっとしておくのが一番だとオレは思う。もちろん、おまえがどう考えて、どう行動するのかはおまえの自由だから、強制はしないけどな」


 オレは落ちていたクラウンを拾って、夕遊の頭にちょこんとのせた。


「まあ、とにかく、おまえが母さんのドレスを着てきた理由は分かったから、それは早めに脱いだ方がいいぞ」

「え? なんで?」

「結婚する前にウェディングドレスを着ると、婚期が遅れるっていうジンクスがあるらしいからな」

「え? 別にいいよ? あたし、結婚とかしたくないし」

「今はそうかも知れないけど、年を取ったら考えが変わるかも知れないだろ?」

「あー、うん、そっか。それもそうかもね。それじゃあ――はい」


 夕遊はオレのスマホを素早く手に取り、押しつけてきた。


「せっかくだから写真を撮って、あたしのケータイに送って」


 ぬぅ。コノヤロー。いきなりそうきたか。


 朝花あさかと同様、こいつもけっこう人使いが荒いタイプに成長しつつある。さすがは姉妹。しかもカメラのレンズを向けると、ノリノリでポーズをとって、ピースサインまでしていらっしゃる。


 なんだろ。なんかムカつく。

 でもシャッター押しちゃう。


 おそらく二、三年後にこの写真を夕遊に見せたら、恥ずかしさのあまり地べたを転げ回るだろうからな。つまりオレはジャストナウ、妹の黒歴史に立ち会っているのだ。ふはははは、ざまぁみろ。


「それじゃあ最後に、兄さんも入って」


 何枚か写真を撮ると、いきなり夕遊がオレの横に跳ねてきた。そしてオレの腕に軽く抱きつき、自撮りポーズを決めておられる。まったく。我が妹ながら、オンナってのは気まぐれな生き物だな……。オレは一つ息を吐き出し、それから笑顔で写真を撮った。


 そうして夕遊は、なぜか不機嫌そうに頬を膨らませながら我が『図書神殿』をあとにした。けっこう和やかに話したつもりだったのに、何が不満だったのかちっとも分からん。


 オレはがっくりと肩を落とし、息を吐き出す。


 それから写真データを夕遊のスマホに送信し、オレのパソコンにも転送。速攻で『妹の黒歴史ファイル』を作成して封印。にひひ。開封する時が楽しみだ。


 さてと。あとはスマホの画像データだが、やっぱり消しておいた方がいいのかな? だけど改めて写真を見ると、無邪気に微笑む夕遊の姿はけっこうかわいいような気がしないでもない。




 オレは、サプライズというヤツが大キライだ。



 だがしかし、今日みたいな驚きはそれほど悪くはないかも知れない。

 よし。

 この写真は保存して、時々こっそり見てやろう。



 保存用のタイトルは、「我が家のかわいい魔法少女」だ。

 なぜかって?

 それはもちろん我が家の三女が、一番サプライズし嫌がりそうなタイトルだからだ。




***




「…………」



 帰宅した青伊志霞あおいしかすみは暗い玄関に突っ立ったまま、無言で家の中に目を向けた。短い廊下の先にはリビングに通じるドアがあり、わずかに開いた隙間から明るい光が漏れている。


 霞は小さなマンションの二階に部屋を借りていた。ここは学校法人『仙葉学園』が、親元を離れて暮らす生徒のために用意した物件の一つだ。霞はこの四月から、同郷の少女とここで共同生活を始めている。


 今日は土曜日で学校は休み。


 一緒に暮らすルームメイトは、新しくできた友達と遊びに行くと言っていた。しかし部屋に灯りがついているということは、どうやら既に帰宅しているようだ。



「――あっ、姫さまぁ~。おかえりなさいですぅ~」



 鍵を開ける音に気づいたのだろう。リビングのドアが開き、背の低い少女が霞の前まで駆けてきた。柔らかそうな赤い髪を短く切った、笑顔の明るい女の子だ。


「……真歩まほ。もう帰っていたのか。映画はどうだった」

「はぁい! とっても楽しかったですぅ~! ……って、あれ? 姫さま? 髪の毛が濡れていますけど、雨でも降ってきましたか?」

「……ああ。ちょっとした通り雨だ」


(まさか見知らぬ少女に、不思議なチカラで水をぶっかけられたとは言えないからな……)


「そうですかぁ~」


 真歩はすぐさま風呂場に駆け込み、靴を脱いだ霞にタオルを手渡す。


「はぁい、姫さまぁ、タオルですぅ~。もう四月ですけど、夜は少し冷えますからねぇ~」


 霞はタオルを受け取り、髪を拭き、真歩の頭を優しくなでる。


「えへへぇ~。あ、そうだ、姫さま。おでんを温めておきましたので、一緒にお食事にいたしましょ~」

「おでん? 今夜は友達と食べてくるんじゃなかったのか?」


「はぁい。そのつもりでしたけど、やっぱりわたしは姫さまと一緒にお食事したいので、先に帰ってきちゃいましたぁ。夕遊ゆうゆちゃんも祈里いのりちゃんも、その方がいいって言ってくれたので、だいじょうぶですぅ~」


 真歩はにっこり笑い、リビングへと駆けていく。


 霞は音を立てずに息を吐き出し、真歩の背中を追って歩く。そしてリビングのテーブルにつくと、真歩が大きな土鍋を軽々と運んできた。ふたを開けると、白い湯気が派手に湧き上がる。中には大根、シラタキ、コンニャク、ハンペン、練り物、牛筋、ウィンナー。そしてさらにウィンナー、ウィンナー、ウィンナー。


(故郷ではおでんにウィンナーなんか入れたことはなかったが、近所のコンビニで食べて以来、真歩は相当気に入ったみたいだな)


 霞は箸を取らず、土鍋越しに赤毛の少女を見ながら口を開く。


「……真歩。こっちの生活は楽しいか?」

「はぁい! とってもおいしいですぅ~!」


 真歩はウィンナーを頬張りながら、無邪気に微笑んでいる。


冬森ふゆもりの町と、どっちが好きだ?」

「わたしは姫さまさえいれば、どこでもいいでぇ~す」


「……そうか。だが、私は町を離れたくなかった。大人たちの……いや、男たちの勝手な都合で町を追い出されたのが今でも悔しい」

「姫さま……」


 真歩はかじりかけのウィンナーを皿に置き、悲しそうに眉を寄せた。


「……しかし、新たに与えられた環境が男のいない女子校ということで、何とか怒りを抑えていた。それなのに、あのクラスには男がいた。しかも、あまりにも能天気なバカ男だ。こんなこと、到底許せるはずがない。あんなヤツと同じクラスだなんて、耐えられるはずがないだろう……」


「……それでは姫さま。わたし、そのオトコをちょっと排除してきますね」

「いや、それには及ばない」


 椅子から立ち上がりかけた赤毛の少女に、霞は手のひらを向けて動きを制した。


「あの女子高には私以外にも、男の存在を認めない女子が大勢いるらしい。今日はそいつらの代表に呼び出され、今後についての話を聞いてきたんだ」

「あ、そうだったのですかぁ」


 霞が穏やかな声で話すと、真歩は椅子に座り直した。


「うむ。上手くいけば今月中に、あの男は学校から追放される。そうなれば、私の心も少しは落ち着くだろう」

「はぁい! それはとってもよいことなのですぅ~!」


 機嫌が直った霞を見て、真歩は嬉しそうに微笑んだ。そして温かいおでんを霞の皿に取り分け、そっと差し出す。霞はようやくはしを手に取り、湯気の立つ大根を四つに割る。そして上品に頬張りながら、わずかに目元を和らげる。



 ……そうだ。私は悪くない。



 悪いのは、町から私を追い出した男どもだ。

 だから、寿々木深夜の過去なんて、私の知ったことではない。

 

 そうだ。

 私は、私さえよければそれでいい。



 だって。



 誰だって、そうやって生きているのだから。


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