第5話 四月十一日(金) 地上とダンジョン
オレは騒音が大キライだ。
だから今の新しい自宅はけっこう気に入っている。先月引っ越してきたばかりのこの家は、見た目こそ地上一階建ての平屋造りだが、オレの部屋は地下二階の一番奥にあるからだ。おかげで外の雑音がまったく入ってこない。窓から誰かにのぞかれる心配もないし、セミの鳴き声や虫が飛び込んでくることもない。
完璧だ。
完璧すぎる。
だからオレはこの自宅を『マイ・ダンジョン』と呼び、自分の部屋を『図書神殿』と名付けた。図書神殿とは、我が超大作に出てくる難攻不落の図書館のことだ。
しかしその『図書神殿』が、今や
ベッドが一つと本棚と、タンスと机とパソコンと、ローテーブルとノートパソコンしかないシンプル・イズ・マーベラスな我が神殿がジャストナウ、乳臭い小娘どもに侵略されているからだ。
「ねぇ、アヌキ、アヌキ~。こっちにきて一緒にあそぼぉよぉ~」
「おにいちゃん、きてきてぇ~」
「おう、シンヤ、この人数でババ抜きやるとすげぇ面白いぞ~」
「シンくん、お友達が来ている時ぐらい、パソコンいじるのはやめた方がいいですよ?」
「そうだよ、スズキくん。一緒にトランプしようよぉ~」
「なんであたしがトランプに付き合っているのに、兄さんがしないのよ……」
「
うるさいんだよ、この小娘どもがぁっっ!
オレは聖徳太子じゃねぇんだよっっ!
……と怒鳴りたいのはガマン、ガマン。机のパソコンに向かっていたオレは、我が超大作の書き直し作業を中断して振り返る。するといきなり、
「アヌキ~、あそぼぉよぉ~」
「あ~、よいもだっこぉ~」
「センパイ、きてきてぇ~」
さらに
「へぇ~、
「はい。私たちは二卵性の双子なので、あまり似ていないんです。……あ、シンくん。ウーロン茶とオレンジジュース、どっちにする? やっぱりウーロン茶?」
菜々美と和やかに話していた朝花が返事を待たずにウーロン茶をコップに注ぎ、オレの前にコースターとコップをさっさと置いた。ぬぅ。こいつは将来まず間違いなく、旦那を尻に敷くオンナに成長するだろう。
「それで、
「ええ、まぁ、そうですけど……」
「はぁ~いっ!」
菜々美に訊かれて
「は~い、センパイ。このチョコレート、おいしいですよぉ~」
隣に座った
「それで
「はぁーい、そうでぇーす! えっと、菜々美センパイと美空センパイは、深夜センパイの同級生なんですよね? センパイって、高校だとどんな感じなんですかぁ? やっぱりモテモテなんですかぁ?」
「ああ、そうだな。アタシとナナミにはモテモテだぞ」
「うんうん。それはたしかにそうだねぇ~」
「オイコラおまえら。あんまりいい加減なこと言ってんじゃねぇぞ」
オレは思わず菜々美と美空を上目づかいでじっとりと見た――直後、美空の口から爆弾発言が飛び出しやがった。
「ああ、でもこの前、クラスのヤツがシンヤの頭に水をぶっかけてたけどな」
何気ない美空の一言。
その瞬間、我が『図書神殿』は沈黙に包まれた。
朝花は顔に暗い影を落としながら、ペットボトルのキャップをグリグリと何度も締めつけている。昼瑠は手に握った堅焼きせんべいをバリバリに粉砕しやがった。夕遊はそっと顔をうつむかせ、夜以と菜々美はきょとんとまばたきしている。そして美玖ちゃんは、いつの間にか握りしめていたステンレス製の爪ヤスリをローテーブルに突き立てた。というか、それはもはやナイフだろ。なんでこの子、そんなモン持ってんだ?
「……ねぇ、美空センパイ。その、深夜センパイに水をぶっかけたヒトの名前、ちょっと美玖に教えてもらえませんか」
「え? ああ、
「……いえ、別にどうもしませんよ。月のない夜に背中を刺して路地裏に転がして、爪を一枚ずつはがすようなことなんてしませんから」
なんで何もしないと言っておきながら、そんな具体的な手段がスラスラと出てくるんだ? 前から思っていたけど、やっぱこの子、かなりネコをかぶっているな。まったく。めんどくさい展開だな……。
「おまえら、変な誤解すんなよ?」
そう言って、オレは小娘どもを見渡した。特に、顔面に黒い線が入っている感じの朝花と昼瑠と美玖ちゃんには、念入りに視線を飛ばす。
「あのおかっぱ女子にはたしかに水をぶっかけられたけど、アレはオレも悪かったからな。ちょっとふざけて菜々美と美空に『脇の下を見せてくれ』なんて言ったから、横で聞いていて不愉快に感じたんだろ。だからアレはイジメとかそういうことじゃないから、軽く聞き流してくれ――」
「ええぇっ!? 脇の下ぁっ!? だったら美玖のを見てくださぁいっ!」
いきなり美玖ちゃんが甲高い声を張り上げた。しかも一瞬でTシャツを脱ぎ捨てて、脇の下をオレの顔に押しつけてきやがった。やっぱりこの子は頭がおかしい。……と思いきや、昼瑠もTシャツを脱ぎながら飛びかかってきた。残念ながら、うちの妹にもおかしなヤツが一人いらっしゃったようだ。
「アヌキアヌキ~、うちのも見ていいよぉ~、ほらほらほらぁ~」
「おにいちゃん、よいも、よいもぉ~」
さらに一番下の子も、アホな次女に感化されてしまったらしい。白いワンピースをヨタヨタ脱いで、キャミパンツ姿でローテーブルを回り込んでくる。
ああ。もはや何がなんだか分からないテイクツーだ。
しかも床に押し倒されて上を見れば、なぜか菜々美と美空も脇の下を見せていやがる。おまえらほんとに女子高生か? 花も恥じらう乙女どころか、鼻で笑われるオバカじゃねーか。
オレは寝っ転がったまま息を吐き出し、体の力を抜いて流れに身を任せた。というか、そうする他にどうしようもない。どさくさ紛れに胸とか腰とかアチコチ触られている気がするが、もうどうにでも好きにしてくれ。
オレは騒音が大キライだ。
……だけどまあ。
たまにはこれぐらい騒がしいのも、そう悪くはないのかも知れない。
と思った瞬間、ふと思い出した。
オレの超大作の図書神殿では、侵入者がアンデッドの
こいつらけっこう汗臭い。
うーん。
やっぱり現実ってのは、小説より奥深いんだな。
主に残念な意味で。
***
「たっだいまぁ~」
駅前に建つタワーマンションの最上階の一室に、美空の声が明るく響く。すると、ソファに座って電子ブックを読んでいた若い女が顔を上げた。
「あら、おかえり。もう一泊するんじゃなかったの?」
「そのつもりだったんだけどさ」
美空は冷蔵庫からペットボトルを取り出し、ステンレスのタンブラーにコーラをたっぷり注ぎ、女の向かいに腰を下ろす。
「シンヤのヤツがさ、ほとんど徹夜で作業してるのを見ちゃったからな。邪魔しちゃ悪いと思って、ナナミと一緒に帰ってきたんだ」
「作業ってたしか、自作の小説を書き直すってやつ?」
そうそう、それそれ――とうなずき、美空はのどを鳴らしてコーラを飲む。
「……なんだか知んないけど、あいつはすごく真剣だった。自分のすべてを小説にかけているって感じだ。アタシは小説を書いたことがないし、書こうとも思わないけど、一つのことに熱中するあの姿は、けっこうカッコイイと思った。アタシとナナミが寝ている横でパソコンに向かっている背中を見た時なんか、正直ちょっと涙が出そうになったよ」
「あらあら。あのヤンチャな美空ちゃんから、そんな言葉が出てくるなんてね」
女は優しく微笑み、席を立つ。
「お昼まだでしょ? 何か食べたいものある?」
「あっ! カップラーメン食べたいっ!」
「え? また? こっちに来てから三日に一度は食べてるじゃない。よく飽きないわねぇ」
だって美味しいんだもんっ――と美空は元気に声を飛ばし、女を追ってキッチンカウンターに肘をつく。
「まあ、世話役としては、手間がかからなくて楽だけどね」
「さっすが、
はいはい――と女は軽く聞き流し、湯を沸かしてカップラーメンにゆっくり注ぐ。
「……だけどさ、暁子さん」
不意に美空がデジタル時計に目を向けながら、静かな声を漂わせる。
「アタシ、こっちに来てほんとによかったよ。人間なんて、ろくでもないヤツばっかりだって聞いてたけど、少なくともシンヤとナナミはすごくいいヤツだ。あの二人と知り合えただけでも、地上に降りてきた価値があったと思う」
「そう……」
美空の言葉を聞いたとたん、暁子は顔を曇らせてうつむいた。そしてトマトジュースをコップに注ぎ、カップラーメンと一緒にカウンターにのせて口を開く。
「……ねえ、美空ちゃん」
うん?
「実は寿々木くんのことなんだけど、彼、ちょっと大変なことになっちゃってるのよ」
え? 大変なこと……?
「ええ。もしかすると彼、学校を退学になるかも知れないの」
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