第4話 四月十日(木) 転生
オレはイジメが大キライだ。
世の中に百億のニンゲンがいれば、百億の性格がある。それだけいれば、好きなヤツとキライなヤツに分かれるに決まっている。だけど、キライなヤツがいたとしても、無視したり、嫌がらせしたり、そんなことをしたってしょうがないだろ。
むしろ、そんなことをすると自分の心が汚れてしまう。
堂々と胸を張って生きていけなくなる。家に帰って夕飯を食べながら、家族に向かって「今日はクラスのヤツをイジメてきたんだぜぇ」とか「あの子なんとなくムカつくからみんなで無視してるの。きゃぴきゃぴ」って言えるのか?
はっきり言おう。
イジメをするヤツは他人を見下している。差別している。
しかし。
おまえはヒトを見下せるほど偉い人間なのか?
おまえはヒトより価値のある人間なのか?
立派なニンゲンなのか?
いいや、違う。
誰かを無視してイジメた時点で、おまえは最低のクズヤローだ。
だからオレは、上履きをゴミ箱に捨てられたくらいでは泣いたりしない。オレの机だけ廊下に出されていても気にしない。オレにだけプリントが回ってこなくてもどうってことはない。
イジメをするヤツの心は醜い。
そんな汚いモノを、わざわざ真正面から受け止める必要なんてないからな。
だからオレは、雑草を口の中に突っ込まれても、頭にツバを吐かれても、泣きながらスルーした。自慢じゃないが、けっこういろんなイジメを受けてきたからな。もはやちょっとやそっとの嫌がらせじゃビクともしない。
だがしかし――。
このパターンは初めてだ。
オレは思わず下駄箱の前で固まってしまった。いつもどおり登校して、上履きに履き替えようと下駄箱を開けたら、なぜか新品の上履きと手紙が入っていたからだ。
「あっ、スズキく~ん、おっはよぉ~」
ん?
真横からのんきな声がふわふわと漂ってきた。見ると、ちょっぴり寝ぐせのついた菜々美が突っ立っている。相変わらずののんきフェイスだが、気取りがないところはキライじゃない。むしろゆるみすぎていて、こっちが心配になるほどだ。こいつ、ちゃんとオトナになれるのか?
「えっ? なになに、その手紙? もしかしてラブレター? きゃあ~、さっすがスズキくん。やっぱりかわいい男の子ってモテるんだねぇ~」
そんなんじゃねーよ――と呟き、オレは菜々美に手紙を渡す。
のんき女子は、たった一行だけの文面を読んだとたん、きょとんと首をかしげた。
「……え? なにこれ? 『上履きを燃やしたので、弁償します』? え? ちょっと意味がわかんないんだけど、どゆこと?」
「さあな。オレにもまったく分からない。上履きを燃やされたことは何度もあるが、弁償されたのは初めてだ。……だけどまあ、ご丁寧に手紙までつけているんだから、悪意はないってことだろ」
「えっ? スズキくん、上履き燃やされたことあるの? なんで?」
ただのイジメだよ――と答え、オレはまっさらな上履きに履き替えて歩き出す。
「あっ、ちょっと待って、スズキくん」
菜々美も慌てて靴を履き替え、追いかけてくる。
「スズキくん、イジメられてたの? なんで?」
「よく分からんが、オレの顔が気に入らないんだとさ」
「顔? なんで? スズキくん、ちょーかわいいのに」
「それはよく言われるけど、どうやらそれが女子たちには気に食わなかったらしい。自分よりオレの方がかわいいから好きな男子にフラれた――とか、そういうワケの分からない文句を言うヤツがけっこういたからな」
「うわぁ~、オンナの子ってこわいねぇ~」
おまえも女子だろっ! と、オレは反射的に菜々美の寝ぐせを軽くはたいた。
「てへへぇ、そうでしたぁ。でもさ、スズキくん。それじゃあなんで女子高に入ったの?」
「ん? ああ、実はオレ、女子のいない男子校に入ろうと思って見学に行ったんだけどさ、そしたらいきなり男に押し倒されちゃったんだよ」
「うわぁ~、オトコの子ってこわいねぇ~」
「いや。そいつは教師だったんだ」
「うわぁ~、オトコのセンセイってこわいねぇ~」
「それで、警察が駆けつけてけっこう大きな問題になってさ、教育委員会のお偉いさんがいろいろ話し合った結果、なぜか女子高に入れって勧められたんだ」
「へ? なんでいきなりそうなっちゃうの?」
「それがさ、どうやらこの学校は近い将来、女子高から共学に変更する計画があるらしいんだ。それでモデルケースの男子生徒を探していて、オレに白羽の矢を立てたらしい。話を聞いた時はビックリしたけど、たしかにここなら新しい自宅から近いし、男子生徒がいなければ女子から嫉妬されることもないだろうと思って承諾したんだ」
「へぇ~、なるほどねぇ~。あ、だからスズキくん、女子の格好してるんだ。女子高だから」
まあな――と言いながら、オレと菜々美は階段をのぼり始める。
なぜか前を進む赤い上履きのヤツらがこっちを振り返ってひそひそと話しているように見えるが、まあ、気のせいだろう。
「ほんとは男子用にデザインした制服もあるそうなんだが、ほら、この学校の教師ってオンナだけだろ?」
「え? うん、そういや、そうだね」
「それで、オレが男子の制服を着るかセーラー服を着るかで、教師たちにアンケートを取ったらしいんだ。そしたらなぜか満場一致でセーラー服に決まったんだよ。しかも大量のカツラまでうちに送ってきたから、それで仕方なくこんな格好をしてるってわけだ」
「うわぁ~、オンナのセンセイってこわいねぇ~」
「いやいや。オレとしてはすごく助かる。ここの教師って、ほとんどがここの卒業生みたいで、お古のセーラー服を大量にもらったからな。中には『一か月ほど連続で着て、クリーニングに出さずに返してほしい』っていう、ちょっと変わったヤツもいるけどな」
「うわぁ~、オンナのセンセイって、ちょっとヤバいねぇ~」
「いや。そいつはたしか、理事長だったかな?」
「うわぁ~、オンナの権力者って、欲望に忠実だねぇ~」
「――おっはよぉっ! ナナミっ! シンヤっ!」
うおっ!?
背後から明るい声が飛んできたとたん、いきなりオレの体が宙に浮いた。
「うは、おまえ、やっぱ軽いなぁ」
首だけで後ろを見ると、やはり美空だった。ボブカットのチャキチャキガールがオレの脇の下に両手をつっこみ、高い高いをしてやがる。見た目は細いくせになんちゅー腕力だ。
「なあ、シンヤ。おまえ、体重何キロだ?」
「四十二だ」
「えぇっ!? スズキくん、四十二キロなのぉっ!? わたしより軽いじゃん!」
菜々美がこっちに手のひらを向けて驚きの表情を浮かべている。
こんなベッタベタな感情表現を見たのは久しぶりだ。
「当たり前だ。オレのDNAには、胸にも尻にも肉がつく予定がないからな」
「うそぉ~ん、ちょっとショックぅ~」
「ははっ! たったの四十二キロかっ! だったらっ!」
美空は軽く笑い飛ばしたとたん、いきなりオレの体をお姫様抱っこして廊下を駆け出した。
「このまま教室まで運んでやるよっ!」
「あっ、いいなぁ~。美空ちゃ~ん、わたしも抱っこしてぇ~」
「おうっ! あとでなっ!」
美空は横を走る菜々美にチャッキリ笑い、そのまま教室までダッシュする。
うーん。お姫様抱っこって、けっこう楽チンなんだな。
そんなことを思いながら教室に入ると、今日もクラスはガラガラだった。
***
「……転生? なんだそりゃ?」
午前の授業を受けたあと、一緒に昼飯を食べていた美空が不意に首をかしげて訊いてきた。
「だから、生まれ変わりだよ。オレの超大作のジャンルは異世界転移だが、主人公の肉体は一度コッパミジンに爆発するんだ。だから新しい肉体に生まれ変わって、それから冒険の旅に出るんだよ」
「へぇ、なんだか難しそうな話なんだな。都会じゃ、そういう小説が流行ってるのか?」
「だから、千葉は都会じゃねーだろ」
「でも、スズキくん。それってつまり、ファンタジー小説ってこと?」
ザッツライっ――っと、オレはピンクのお箸を持つ菜々美の額を指でつついた。
「というか、おまえの持ち物は全部ピンクなのか? まさかパンツもピンクじゃないだろうな?」
「え? うん。今日もピンクだけど、見る?」
「立たんでいい。そんなモン、妹のヤツで見飽きているからな」
オレはいきなり立ち上がった菜々美のセーラー服をつかんで座らせた。
「へぇ、スズキくん、妹さんいるんだぁ」
「ああ、四人いる。中三が二人と中一が一人、それと小学一年生だ」
「おお、そいつはすごい。シンヤのとこは大家族なんだな」
「いいなぁ~。うちは一人っ子だから妹とかちょーほしいんだけど、お母さんに頼んでも産んでくれないんだよねぇ。『そんなにほしいなら自分で産みなさい』って、そればっかり。……あ、そうだ、スズキくん。わたし妹を産んでみたいから、ちょっと手伝ってくんない?」
うん。
こいつはゼッタイ間違いなく、自分が何を言っているのか理解していないな。
「……昼飯時に生臭い話すんな。だいたい妹なんか産めるわけないだろ。そんなにほしかったら今度うちに来い。一番下以外ならまとめてくれてやるから」
「えっ! いいのっ! やったぁ~! じゃあ、明日! 学校帰りにお泊りしてもいいかな?」
「は? 明日? ああ、そっか。明日は金曜で、土曜は学校が休みだからか。まあ、別にいいけど、親にはちゃんと許可を取ってこいよ?」
「はぁ~い。それじゃあ、スズキくん。ちょっと写真撮っていい? お母さんに見せたいから」
そう言いながら、菜々美はオレの椅子に無理やり腰かけ、スマホで自撮りを始めやがった。なるほど。腰は細くても、お尻はちょっと大きいんだな。
「美空ちゃんも入って、入って~。一緒に撮ろ~」
「おっ、いいねぇ。それじゃあ、ピースっ! ほら、シンヤも笑えっ!」
「ピースは古いぞ。最近の流行りはキツネだ、キツネ」
そう言ってオレが手でキツネを作ると、菜々美も美空もキツネ指でポーズを取る。そうしてできた写真を送信してもらったら、なぜかオレが一番笑ってた。
世の中に百億のニンゲンがいれば、百億の性格がある。それだけいれば、好きなヤツとキライなヤツに分かれるに決まっている。オレは菜々美と美空はキライじゃない。好きかどうかはよく分からないけど、一緒にいるとなぜか心が軽くなる。
なんでだろ?
好きとキライの境界線ってどこなんだ?
どうして二つに分かれるんだろ?
……よく分からない。
よく分からないけど、まあ、いっか。
とりあえず。
学校って、意外にけっこう楽しいんだな。
***
「お母さ~ん、ポン酢買ってきたよぉ~」
Tシャツにウィンドブレーカーを羽織った菜々美がダイニングに入ると、母親が夕食の準備を済ませていた。
「あら、ありがと。お父さん、ポン酢がないとキャベツ食べられないからねぇ」
「お父さんは、今日も遅いの?」
「どうかしら? たぶん九時過ぎには帰ってくるでしょ。ほら、あんたはさっさと手を洗ってきなさい。お夕飯、冷めちゃうでしょ」
はーい、と菜々美はお風呂場に駆け込み、手を洗ってテーブルにつく。
今夜のメニューはトンカツだった。
「……あ、そうだ、お母さん。明日、お友達のおうちに泊ってもいいかなぁ?」
「別にいいわよ。どんな子?」
この黒髪の子――と言って、菜々美はスマホの画面を母親に向ける。そこには長い黒髪の深夜と、茶髪の美空が映っている。
「え? この子? あらまあ、すごいわね。お母さん、こんなにかわいい子初めて見たわ。あんたよりかわいいじゃない」
でしょ~、と菜々美は嬉しそうに目元を緩める。
「あ、それとね、お母さん」
「うん?」
「その子のおうちから、妹さんを一人、もらってきてもいいかなぁ?」
「いいわけないでしょ」
そっかぁ……。菜々美はしゅんとして、トンカツを小さくかじる。
「あ、それじゃあ、お母さん」
「今度はなに?」
「わたし、妹を産んでもいいかなぁ?」
「……あんた、そんな頭でよくあそこの高校受かったわね」
「やっぱ、ダメ?」
「ダメに決まってるでしょ」
そっかぁ……。菜々美はさらにしゅんとして、味噌汁を静かにすする。
「あ、それじゃあ、お母さん」
「今度バカなこと言ったらぶっ飛ばすわよ?」
「転生って、どうやったらできるのかなぁ?」
テンセイ?
聞いたとたん、母親は首をひねった。
「なぁに、そのテンセイって?」
「ほら、あれだよ、あれ。ファンタジー映画とかでよくある、生まれ変わりってやつ。どうやったら生まれ変われるのかなぁ?」
「なに、あんた。うちの子で不満なの?」
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