みぃの夜

 さて、この屋敷にやってきて十日目の夜が訪れた。天窓から差し込む陽の光が少なくなってきたのを感じ、アオイは本の間からソロソロと身を覗かせた。誰もいない、シラタマの気配も室内にはなかった。ただ、彼の寝ていたあの広間の方から何やら物音がしてくる。どうやらあちらの部屋に誰かがいるらしい。

 アオイは音を立てずに天井スレスレまで上昇をしてから部屋を出ると、シラタマの寝床の広間へと向かった。すると、その途中の廊下に白く透きとおった後ろ姿が見えた。二股に分かれた尾がゆらりと動く。

 《ああ、君か。ちょうどよかった。見てごらん》

 シラタマがそう言うので、アオイは目の前の襖の向こうを透かして見てみた。すると、室内には見覚えのない男女が数十人、せっせと何かの準備をしている様子が見て取れた。

 《あの人数、あのろうそくの本数、どうやら百物語をやるつもりのようだよ》

 アオイにもそれは理解できたらしく、彼はとても嬉しそうに自分の身をチカチカと明滅させた。

 《こらこら、嬉しいのは分かったけど、あまり強い光を出すと人間に見つかるよ。ボクだって今頑張って姿消してここにいるんだからさ》

 その言にハッとし、急いで光の明滅をやめる。見つかるのはごめんだ。シラタマが、そうそう、と頷くのでアオイはホッと安心する。

 改めて襖の向こうを見透かす。

 《今回の百物語は鏡を省略した一室式みたいだね。使う燭台もなかなか高さのあるものだから、天井裏に隠れて狙った方がいいだろう》

 シラタマの助言にアオイは身を縦に振った。彼の言う通りだ。人も多いし、部屋の隅に隠れるのでは火を食べる前に見つかってしまう可能性もある。何しろアオイの体は光の塊のようなものであるから、暗い部屋にひとたび入れば、人には簡単に気づかれてしまうのだ。シラタマのように意図的に姿を消したりする術をアオイはまだ知らない。うらやましそうに見ているのがわかったのか、今度教えてあげるよ、と言ってくれる。彼は優しい、まるで兄のようだ。

 人間たちは続々と集まってくる。彼らは天井裏に移動して、上から人々の様子をうかがうことにした。今室内にいるのは全部で十五人である。見知った顔はない。先日の二人の姿も見当たらなかった。あの二人はアオイの正体を知っているようだったので、来て彼のことを語ってくれることをちょっと期待していたのだが、残念だ。

 《ああ、あいつらまた来たのか……》

 対するシラタマは、どうやら人間たちの中に見知った顔があるようだった。アオイが目をしばたたかせると、あいつだよ、と彼は前足で一人の人間のことを示した。

 《あの若い奴、この屋敷のことを「化け物屋敷」呼ばわりした最初の人間さ。主が帰ってこなくなって、ボクがこの屋敷を守り始めた時から肝試しと称してちょくちょく侵入してきてさ、ちょいと驚かせれば出て行くんだけど、それ以来恐いもの見たさで色々な奴を連れてくるようになっちまってねぇ》

 はあ、うっとうしいなあ、早く帰ってくれないかねぇ……。

 シラタマは呆れたような、疲れたような、そんな口調で思念を送ってきていた。きっと何度も寝床をこうやって占拠されたのだろう。ゆっくり眠れないのは困るし、めんどくさそうだなぁ、とアオイはぼんやりと思った。

 ろうそくに火が灯されていく。まだこの段階では普通の火と変わらない。語りが始まってから少し経った辺りから、徐々に火の香りが変わってくるのである。食べ頃はそこ、それまでは機会を見逃さないように見ているのみだ。暗い室内も大分明るくなってきている。ろうそくも半分以上灯し終わり、人々は並べられた古びた座布団に次々と腰を据えていく。まじまじと見れば、男女の比率は男の方が多く、年の頃は十代から二十代ほどの若い衆と見える。一番好奇心が強い歳の頃だろう。

 やがて、ろうそく全てに火が灯り、とつとつと語りが始まった。アオイは人間の言葉がわからないので、新しい語りが始まるその度にシラタマが語りの内容を解説してくれた。

 《故人のお墓で生前の行いを悔いていたら、いきなり赤く発光する人魂が現れたんだってさ。君のお友達でしょ、ヒトダマくん》

 アオイは身を縦に振った。人魂はアオイたちの種族の外観とそっくりな火の玉だ。アオイたちが青白い光なのに対し、人魂は真っ赤でメラメラと強く燃えるのが特徴である。その姿からもわかるように、人魂たちはとても短気でけんかっ早い。自分たちの領域を侵されたら、容赦なく脅すわ、攻撃するわ、臆病な自分たちとは全く正反対な性格なのである。

 《うーん、人魂くんにオラオラされたらもっと恐がりそうなものだけど、この手の話は聞き飽きてるのかな、反応はいまいちだね》

 ま、しょうがないか、百物語の中ではわりとありがちな話だものね、と退屈そうに言うシラタマにアオイも同意する。ろうそくの火の香りは変わる気配もない。興も恐もまだまだ不足しているらしい。

 そんな目の前で最初のろうそくがフッと消えた。室内がほんの少しだけ暗くなった。

 《一本目、最初の反応はこんなもんか。食べ頃はもう少し先みたいだね、アオイ》

 アオイは頷く。

 それから、ろうそくは語りが一つ終わる度に一本ずつ消され、部屋の灯りを次第に減らして薄暗いいつもの空間へと近づいていく。

 シラタマから物語られた内容を解説してもらうが、やれ人面魚を見ただの、怪奇話をしている最中に突然寒気がしたと思ったら金縛りにあっただの、暗い夜道を延々と黒い獣が追いかけてくるだの、そんな話ばかりである。参加者のごく一握りがひいぃ、と声をあげておびえてはいるものの、大体の参加者たちは、見間違いだろうとか好き勝手に言っている。ほとんどの人間が信じていないため、興も恐も高まらない。火の香りも変化しない、これなら普通に灯されているろうそくの火を食べることと大差ないだろう。美味しい火を食べられると期待していたアオイはすっかりがっかりしてうつむいている。心なしか光も弱々しく落ち込んでいるように見受けられた。

 《まだ二十本目じゃないか、諦めるのは早いってば》

 シラタマがそう言って元気づける。小さな目をウルウルと揺らしていたアオイだったが、彼の言葉を受けてコクコクと頷く。そうだ、まだまだ宵の口、百物語の真骨頂は残るろうそくの数が五十本を切ってからなのだから。

 とはいえ、それまで退屈である。そこでアオイはシラタマに人間の言葉を教えほしいと頼んでみた。

 《そっか、君は人間の言葉がわからないのか。……いいよ、ボクの知っていることなら教えてあげる》

 曰く、何でも人間は三種類の文字を使い分け、また接する人間によって言葉づかいを変えたりするのだという。意思疎通は基本的に音声中心、アオイのするように光の明滅などでもできなくはないが、あらかじめ相手との示し合わせをしないと伝わらないということ、自分たちのように直接相手へ思念を送ることはできないということを教えてもらった。

 めんどうだね、アオイは光でそう伝えた。そうでもないよ、シラタマはそう返事した。

 《音声で意思を伝えられれば、それなりに便利なことだってあるよ。ボクと君はこうして思念のやり取りをしているから、あまり不便だなとか感じたりしないけどね。……ボクの主は人間だったから、この方法では意思が伝わらなかったんだよ》

 そう言うシラタマは遠くの方を見ているような目をしていた。アオイがいまいちわかっていない様子だったので、彼はさらに続ける。

 《ボクと主はとても仲良しだったけど、本当に正確な意思の疎通はできなかった。ボクが人間の言葉を話せなかったし、主は多分ボクの言葉が鳴き声にしか聞こえなかったろうから。だから、ボクは悔しくて人間の言葉を勉強した。せめてボクだけでも、主の意思がわかるようにって……。わかる前に主はいなくなっちゃったけどね》

 最後の言葉はとても寂しそうだった。そこでようやくシラタマの言いたいことを理解したアオイはオロオロし出した。なんと思念を送れば良いのかわからなかったのだ。すると、シラタマは尾を振りながら、気にしないでよ、と苦笑交じりに言った。

 《まあ、ボクのことは置いといて……。君も人間の言葉を覚えておくと良いよ。何言ってるのかわかれば、色々とわかることも増えてくるからさ》

 アオイは目をしばたたかせた。それは確かに便利なことかもしれない。そう思い出したら、色々なことを知りたい、という純粋な好奇心が彼の心の底から、突然フツフツとわき上がってきた。

 アオイ自身が知っていることといえば、自分が青白い光であり、ろうそくの火を主食にしている種族であるということぐらいである。他に知っていることは皆無といってもいい。

 色々なことを知りたい、そのために人間の言葉を知りたい。その思いをアオイは興奮気味に明滅しながらピョコピョコとその場で跳ねてシラタマに伝えた。すると、シラタマは驚いたようにこちらを振り返った。

 《ちょ、ちょっと、アオイ。君、その……。足なんかあったっけ?んん?いや、それってそもそも足なのか?なんなのそれ?》

 足?足とはなんだ?そう思いながら自分の体を見下ろしてみると……、おやまあ、何やら地をしっかりと踏みしめる小さな突起が二つ、いつの間にか生えているではないか。びっくりしたアオイは宙に飛び上がると、滞空したまま足とおぼしきそれをパタパタと振った。シラタマはその様子をしばらく呆然と眺めていたが、やがてハッと我に帰ると、違う違う、と首を左右に振った。

 《足っていうのはボクのこれとおんなじものだよ。こうやって地面をしっかりと踏んで、交互に前に出しながら進むことを「歩く」って言うの。君みたいに空中を飛べない子の移動手段なんだよ》

 ほら、こうだよ、こう。

 シラタマが見本を見せるように歩いてみせる。それを真似てアオイも二・三歩歩いてみた。交互に足を出すということがなかなかに難しい。てくてくと歩くシラタマに追いつこうと急ぐと、足がからまってもつれてしまう。ベシャッと転んで顔を打った アオイの目がウルウルと揺れる。

 《うーん、君は飛んだ方がよさそうだね。まあ、足もそのうち使っていれば慣れてくるよ。これも便利だし、暇があったら練習しといたらいいと思う》

 シラタマがそう言った、その時だった。

 ふいにいい香りがしてきた。突っ伏していたアオイはガバッと勢いよく起き上がるとプルプルと身を震わせる。美味しそうな香り、とシラタマに伝えてから彼は天井下に視線を落とした。視線の先では、先ほどシラタマが示していたあの若者が口を開いて何かを語っている姿が見える。部屋も大分暗くなってきている、少し遊んでいる間に語りはかなり進んでいたようだった。

 《……ねえ、アオイ》

 君はボクがいつも寝ている部屋の床の間にかかってるあの掛軸、何が描いてあるのかわかる?

 突然、シラタマがそう聞いてきたので、アオイは疑問符を浮かべながら身を左右に振った。すると彼は、そうだよね、と言いながらその場に姿勢正しく座った。何か大事なことを話そうとしているような雰囲気を感じてアオイも居住まいを正した。

 《あの掛軸に描かれた小さな人……、あれがボクの主〟アオイ〝だ。今、下にいるあいつはあの掛軸、〟アオイ〝のことを話している。どう?君も知りたい?君と同じ名前の、ボクの主のこと》

 ――かわいそうに……〟アオイ〝

 先日の二人の声がふいに思い出された。彼らの口にしていた〟アオイ〝はシラタマの主である〟アオイ〝と同一人物なのであろうか。そんなことを考えていたら、彼は唐突に〟アオイ〝について知りたい、知らねばならない、という強い思いによって思考が支配された。

 そう、自分が〟アオイ〝の〟個〝を得た以上、知らなければならないのだ。自分は果たして本当に彼らの知る〟アオイ〝本人の変わり果てた姿なのか、はたまた全く異なる別の存在であるのかを……。

 だからこそ、アオイは頷いた。知りたい、と。


 夜の語りはまだまだ続く……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青螢怪草子 朱鳥 蒼樹 @Soju_Akamitori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ