じゃいあんとすいんぐ

雷藤和太郎

年またぎの遅刻

 たなびく白いため息は、君に届く前に青空に消えた。

「ホンットーにゴメン!」

 神さまでもない僕に拝み倒すキミは、それまで見えていた寝ぐせを揺らして上目遣いで僕を見る。

「……何度も聞いた」

「ホント!ホントに反省してるんだってばー!」

 しおらしい態度をとっていれば僕が本気では怒れないことをキミは知っているんだ。いや、知らなくてもそれを天然でやっているんだ。

「家を出る前にメールの一つでもしてくれて良いだろ」

「だってだって、まさかいるとは思わなかったんだもん!」



 大晦日。

 アリスはその日の夕方に僕にメールをよこした。


 『大みそかの二十三時に、稲荷神社に集合!年越しデートしようよ!』


 文面には散りばめられた絵文字。

 恋人同士になって初めての年越しを一緒に過ごしたい、という気持ちは僕も同じだった。だから僕もサムズアップの絵文字と共に快諾した。

 だというのに。

 アリスは日が昇ってから現れた。

 元旦だ。

 寝過ごしたというレベルじゃない。

 去年。いや、去年と言ってもほんの八時間前のことなんだけど。僕は何度もアリスにメールをした。

 来るの?来れなくなった?何か反応してよ。

 反応はなし。稲荷神社には着ぶくれしたカップルが着々と増えていく。二人握った手と手が、あるカップルは彼氏のポケットに、あるカップルはそのまま外でしっかりと握りあって通り過ぎていく。

 除夜の鐘が鳴り響く。

 僕の煩悩はだんだんと諦めを思考の井戸に貯めて、あふれるころにはすっかり新年を迎えていた。

 カップルたちが次々と初詣を済ませて帰路に着くのを、僕は路傍の石となってジッと見つめていた。

「寒くありませんか?」

 不審者に思われたのか、あるいは単に同情をひいたのか、参拝者に甘酒を振る舞っていた巫女さんの一人が僕に一杯の甘酒を置いていってくれた。

「大丈夫です、彼女が来るはずなんですけど」

 その言葉を聞いて、巫女さんは少しだけ目をまるくして、それからわずかに微笑んでもとの場所に戻っていく。その後、時折感じる視線はその巫女さんから話を聞いた神社の関係者からのものだった。

 ひっきりなしに訪れる参拝者は、時間帯で色を変えて、まるで川を流れる四季折々の木の葉のよう。大きいものもあれば小さいものもあり、外套の色もそれぞれ。

 煌々と照らす夜明け前の神社の電灯。通り過ぎる自動車のヘッドライト。

 誰もが新年への希望をその目に浮かべている。

 そんな様子を僕はぼんやりと見ていた。

 アリスからの連絡が来るとか来ないとか、悲しいとか悲しくないとか、そういった一切の感情は、幸せそうな人々の目の前を流れていく姿と、足先と尻からキリリと冷えていく真冬の寒さの前に消えていった。

 一口だけ飲んだ甘酒は、いつの間にか僕が包み持つ白い紙コップの中ですっかり冷めきって、不味そうなドロドロした何かへと様子を変える。

 この辺りの住民が全て参拝を終えたのではないかと思うくらいに人が流れ去ったころ、東の空の方が白み始めた。

「ねー、おかあさん!はつひのでだよ、はつひので!」

 ピンク色のダウンジャケットを着た小さな子どもが、母親の袖を引いて言う。

「あらホント、綺麗ねえ」

 子どもの声を聞いた周りの人も同じように東の空を望む。

 僕だけが、西を向いていた。

 彼女の、アリスの家がある方向を。



「そんなことを言われたってえ、ワタシもまさかこんなことになるなんて思わなかったんだもの」

 彼女にふるまわれた温かい甘酒を一口すする。

 その白い紙コップは、冷え切った僕の指先をじんわりと温めた。

 離しがたいその紙コップに未練を感じていると、アリスは僕のその両手を上から包むように覆った。

「アリスがこんなに寝坊助だとは思わなかったよ」

「むー」

 こわばりの解ける僕の指先をしっとりと包むアリスの白魚のような指先。

 人魚のように僕の心を掴んで離さない、ころころと変わるアリスの表情。

「あ、そうだ!ねえねえ、おみくじ引こうよ、おみくじ!」

 すっかり昇った元旦の日の光は、晴天、すべからく暖かさを届ける。年またぎの夜は、放射冷却で今年一番の冷え込みだったらしいが、それだけの好天は年明け夜明けとともに十一月中旬の暖かさになるらしいとアリスは言った。

 抜け目なく朝の天気予報をチェックしていたらしい。今年一番の冷え込みって、新年なのに不思議な言い回しだよね、とアリスは参道の途中で語った。

「ワタシがお金出すからさ!」

「待て待て、他人の金で引いたおみくじにどんなご利益があるっていうんだ」

 可愛らしいポシェットから取り出した財布を広げて僕の分もおみくじの代金を出そうとしたアリスの仕草をさえぎる。

「アリスには、おみくじじゃなくてこの後のデートの代金を出してもらうから」

「えー!そこは裕太が出してよ」

 しれっと自分の咎を放り投げて、こういうことを言えるのがアリスのすごいところだ。僕が渋い顔をすると、彼女も渋々といった調子でそれ以上何も言わなかった。

 口を尖らせて、一番オーソドックスなおみくじを一つ引く。

「お前、自分が九時間遅刻したことを忘れんなよ」

「それはもう何度も謝ったじゃんかあ」

「それはそれ。ちゃんと償いはとってもらうんだからな」

「ぶーぶー。あ、ねえ見て見て裕太!」

 彼女が嬉々として僕の目の前におみくじの結果を広げる。

「……末吉?」

「うん!末吉!」

「末吉の何がそんなに嬉しいんだ?」

 裁判所前にたむろするマスコミ陣に勝訴の半紙を広げるような自信満々のアリスの顔は、僕のその一言でキョトンとした。

「えっ?末吉って良いんじゃないの?末永く良いことが起きますよー、みたいな」

「いや、一番いいのは大吉だろ?末吉なんて一番出やすい運勢だろ。……ほら」

 僕が自分の金で買ったおみくじも、目の前できょとんとする彼女と同じ末吉だった。

「あ、同じ末吉だ!やったねえ、よかったねえ」

「いやだから別にそれほどいい運勢じゃあ……」

 顔をわずかにしかめる僕を、彼女は満面の笑みで見返してくる。大して良い運勢なわけでもないのに、同じ運勢だからってそこまで笑顔になれるものかと、僕は変な気持ちになる。

 そう、変な気持ちだ。

 愛おしいのと、呆れるのと。感心するのと、軽蔑するのと。

 妙にバランスの取れた、不思議な気持ちにさせてくれる。彼女はそういう微妙なところで僕にバランスをとらせるのがすごくうまい。

 ちょっとズレれば、痛い女の子だ。面倒くさい女の子だ。

 でも、僕にとって彼女のその性格は、変にバランスがとれている、ように感じる。

「あ、ほら見てよここ」

 一緒に広げたおみくじの内容を見比べて、彼女はここと指さした。

 恋愛運の項目だ。

「ワタシの方は『多少振り回しても縁は切れない』で、裕太の方は『待ち人は必ず来る』だって!すっごい当たってると思わない?」

「振り回してるって自覚はあったようで嬉しいよ」

「そりゃあ、ワタシだって少しは反省してるよお」

 肩と肩が触れ合う距離。そのまま横を向けば、彼女の唇まで数センチメートル。待ち人は必ず来るのは確かかもしれないけれど、年をまたいでやって来るのはサンタクロースだってあり得ない。

 なんて思っていると、不意に彼女は僕のおみくじを持っている手を握った。

「ねえ、おみくじって木に結ぶんでしょ?」

 アリスの視線の先には、境内の低木に所狭しと結ばれたおみくじの数々。

 一週間もすれば木に結ばれたおみくじは全て関係者の手によって剥がされる。それでも、気分だからと木に結んでいく人はたくさんいる。

「いや、いいおみくじなら木に結ぶ必要はないんじゃあなかったかな」

「え、そうなの?……でも、みんなやってるし、ワタシたちもやろうよ」

「末吉は良い運勢じゃなかったのか?」

「さっき普通の運勢だって言ったのは裕太じゃん」

 おみくじの言葉に味を占めたのか、アリスは積極的に僕を振り回してきた。それでも強く出られないのは、僕が彼女に心底惚れているからなのだろう。

「ほら、低木はもうほとんど埋まってるし、上の方に結ぼうよ」

「って言っても、あんまり上の方は届かないだろ」

 低木の奥には背の高い普通の木もあって、その枝が張り出しているところにも、いくつか結ばれたおみくじはあった。

 でもそれは背伸びをしたくらいでは届かない場所だ。

「ほら」

 口を開けてぼんやり見ていた僕に彼女は背を向けて、両腕を肩と平行になるように上げた。

「何?」

「いいから、ほら。抱っこして」

「ええ……」

 フード付きのボアコートを着たまま、アリスは僕に催促する。

「裕太のも一緒に結んだげる!」

 思い出し、ひったくるようにして僕からおみくじを取ると、再び同じ格好をした。

「いや……もう!仕方ないなあ!」

 やめろと言うのも興ざめだし、仕方ないとばかりにアリスの脇の下に手をかけて、思い切り高く持ち上げた。

「アハハハ、くすぐったい!」

「抱っこしろって言ったのはアリスだろ」

 バタつかせるアリスのかかとがみぞおちに入る。

「あ、ごめん」

「ゴメン、じゃないよ」

 思わず両手を離してうずくまる僕を、アリスは上から覆うかぶさるように眺める。

 労わるように頭を撫でられると、悔しいけれど痛みが引いていくのを感じる。腹が感じる痛みが頭を撫でられることで解消するのは何か納得がいかないが、男なんて多分そのくらい簡単に作られているのだろう。

「痛いの痛いのとんでけ~」

「それをやるなら痛いところを触ってくれ」

「えー、それじゃあお腹出してよ」

「こんな寒いところで腹なんて出せるかよ」

「そうじゃないでしょ」

 目の前に座ったアリスが、立ち上がるようにうながす。

「はい、痛いの痛いのとんでけ~」

 うながされるままに立ち上がった僕の正面に近づいて、彼女は僕のダッフルコートの上からお腹をさすった。

 白魚のような指先が、真っ黒なコートに沈んでいく。その感触は分からなかったが、ほんの少しの圧迫感が、触られているという気持ちにさせてくれる。

「どう、治った?」

「ま、まあね……」

 肩と肩が触れ合う距離から、目と鼻の先の位置へ。

 待ち人は必ず来る。

 待っていて良かった、というよりも、きっとアリスの場合は、僕は待つしかないのだと思った。

 待っていれば、彼女は必ず来る。気まぐれな妖精のようでいて、家に居つく猫のように必ず彼女は帰ってくる。そんな気がした。

「良かったあ。それじゃあ、お願いね」

 今度は蹴らないから、と言って、アリスは再び僕に抱っこされるのをねだった。

「はいはい」

 僕はそれから結構長い間、彼女を持ち上げ続けた。

「まだ?」

「ん~、もうちょっと」

 もうちょっとの問答を何回繰り返したか、数えるのも諦めたところで彼女は下ろして良いよと言った。

「えへへ~、ハート型にしてきちゃった」

「何が?」

「ほら」

 アリスが指さす。

 そこには、ハート型に結われた、おみくじの紙があった。

「これが本当の、かみだのみってね」

「上ってこと?それとも材質ってこと?」

「ん~、両方かな。それより、ご飯食べに行こ?ワタシお腹すいちゃった」

「言っておくけど、僕の方がお腹空いてるんだぞ」

 朝食抜いてるんだから同じことでしょ、とアリスは言った。そのまま境内を飛び跳ねるように歩いていく。

「ほらあ、早く行こ?今の時間ならサイゼかな~」

「駅前の?混んでるんじゃないか?」

「それならなおさら急がないとね!」

 急いでも混み具合は変わらないのだけど、きっと彼女はそんなことを気にしない。飛び跳ねるように戻ってきた彼女は、僕の両手を握ると、ぐいと振り回した。

「ほおら、急ぐよっ」

「はいはい」

 友人には凸凹カップルだと言われた。

 でも、そうやってデコボコだから、きっと互いの悪いところを補いあえるんだと思う。ハート型に結わえられたおみくじは、左右で僕とアリスのを一繋ぎにしてあった。

「あっ」

「わ、ビックリした。何さ裕太」

「おみくじ!恋愛運以外見るの忘れた」

「えー、ちゃんと見ないとダメじゃん」

「アリスがさっさとひったくったんだろ!」

「そうだっけ?」

 舌を出して笑う彼女は、僕の両手を握る力を強めるのだった。

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じゃいあんとすいんぐ 雷藤和太郎 @lay_do69

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