リアルレイド

小谷杏子

第四章 共謀の落とし穴

【リアルレイド 第四章 共謀の落とし穴

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「うん、今回の出来はかなりいいわ。みんなどんな顔するかなあ」

 私はかばんの中に入れてある一冊のノートを思い出し、ふふふと笑いをこぼした。もう長いこと使っているので少々の綻びはあるけれど、とても大切なノートだ。

「やっほー」

 部室のドアを開けると、三人の見慣れた顔がこちらを向く。

「よう、秋良あきら

 いつものように渋谷が軽い挨拶をする。

「秋良ちゃん、今日は遅かったのね」

 大人しそうな声で早代子さよこが言う。

「ごめーん。これ書いてたら遅くなって」

 言いながら私は、かばんに入れていたノートを三人の前に出した。

「おー、待ちくたびれたよ」

 イヤホンで音楽を聞きながら読書をしていた和人が、ノートを目にし、ようやく私の到着を歓迎する。

 和人は読んでいた小説を机に置くと、私が書いたページを開いた。

「なぁ、あの後どうなった?」

 渋谷が私に訊く。私は得意げに笑うと、人差し指を伸ばした。

「昨日一気に書いちゃったから、もう『雪夜ゆきや』が犯人の元へ向かうところを……」

「おまっ、言うなよ! ネタバレ厳禁!」

 和人が怒る。ネタバレ嫌いな彼だから怒るのも無理はないけれど、シナリオは和人が担当のはずなんだよなあ……。

「ごめんごめん。今回の出来が良すぎて、つい言いたくなって」

 素直に謝ると、和人は少しムッとしたまま、すぐにノートへ視線を戻した。


 私たち四人は文芸部に所属している。このごろは合作の小説を書いていた。

「リアルレイド」

 それが私たちの書いている小説。

 主人公は「雪夜」という高校生の女の子で、特殊能力を持っている。そんな彼女が、法から隠れた犯人を抹殺するというダークファンタジーだ。

 大まかなプロット立ては早代子、各章のキャラクター設定は渋谷。プロットをもとにシナリオとトリックを作るのが和人、私がまとめて執筆するというスタイル。

「しっかし、なんなんだろうな。この雪夜ってさぁ。犯人追い詰めて、殺すとか」

 渋谷が伸びをして言った。

「自分でも書いといて、何を急に」

 茶化すように言うと渋谷が苦笑いする。

「ふと思ったんだよ。現実にいたら怖いよなぁって」

 その言葉に、私は照れくさく笑った。

 内容はぶっとんでいるけれど、リアルなスリルを重視しているし、渋谷が「怖い」と言ってくれるだけで作家冥利に尽きる。

「雪夜の前じゃ、絶対に悪さできねーよなって」

「まぁなぁ……」

 読み終えたのか、和人も会話に加わる。彼はノートを早代子に渡すと腕を組み、何やら難しい顔をした。

「犯罪とまではいかなくとも、雪夜の前で悪さしようものなら、すぐに抹殺されそうだし。雪夜の発火能力によって燃やされる……僕、焼け死ぬのはやだなぁ」

 なんだか、こうも二人から絶賛されると鼻高々で仕方ない。

 読み終えた早代子から渡ってきたノートを、渋谷は読みながら口を開く。

「もし、犯罪を犯してしまったとして、雪夜に追い詰められたら……やっぱ怖くね? 手から火が出るんだぞ。しかも白い火」

「いやいや、ありえない。そんなのが現実にいるわけないじゃない」

「だーかーら、現実にいたらって話だよ」

 くすぐったい私に、渋谷は真剣な顔つき。真面目な話のようだ。私はすぐさま、にやけ顔を隠した。

 そんな私たちに、早代子はつれない顔で見ていた。

「どうしたの、早代子?」

 なんだか様子がおかしい。早代子の目が泳ぐ。

「え、いや、なんでも」

「そんなわけないだろ。さっきから、話したそうに見てるし」

 渋谷が詰め寄る。和人も心配そうな顔をした。早代子がますます俯く。

「何かあったの?」

 しつこく訊けば、逃げ場がない。ためらいの口から、思わぬ言葉が飛び出した。

「み、見たのよ……私、雪夜を……」

「え?」

「は?」

「何言い出すんだよ」

 和人が呆れたように言うが、早代子は必死に首を振った。

「本当よ! 見たのよ! 昨日……夜、家から見えて……赤い髪で、セーラー服で、白い火を手から出して、こっちを見ている女の子を……!」

 早代子は切れ切れに言った。指は震え、額から一筋、光る汗が流れている。

 突然に、部室に重たい空気が流れた。

 私は堪らず渋谷からノートをひったくると、冒頭のページを捲った。



【その髪色は燃えるように赤い。いつも同じ白いセーラー服を身につけている。】



 それが「雪夜」の設定。確かに、早代子の言う通りではある。

 でも……

「気のせいじゃないの?」

 不穏な空気を吹き飛ばすように、和人が穏やかに言った。

 だが、それでも早代子の曇った表情までを払拭することはなかった。

「見間違いじゃない」

 早代子は勢いよく立ち上がった。そして、かばんを取って私たちから目を背ける。

「ごめん。私、帰るね」

 部室を出ていこうとする早代子を、私は慌てて引き止める。

「一体、どうしたのよ。大丈夫?」

「別に……なんでもないの」

「なんでもないなら、何もまだ帰らなくても」

 しかし、早代子は逃げるように部室から出て行った。扉がバタンと閉まっても、私たちは息をひそめるように黙っている。

 やがて誰かが息を吐いて、空気が動き出した。

「早代子、どうしたんだろ」

「さあ……具合が悪かったんじゃない?」

 渋谷の声に答えるように和人が苦笑いする。

「具合悪くて、あんな変なこと言い出すかよ、普通」

 すかさず言い返す渋谷。

「あいつ、前からあんなだろ。ちょっとメンヘラなとこあるし、多分、そんなだよ」

「あー、メンヘラって言うか『かまってちゃん』かな、あれは」

 和人も言う。私はそんな二人を睨んだ。

「早代子は繊細なのよ。あの子のこと、なんにも知らないくせに、そういうこと言わないでよ」

 私の言葉に、渋谷と和人はばつが悪そうな顔をした。二人とも、本心は早代子のことを心配しているはず。

 早代子が今まで空気を乱すようなことはなかったから。

 その後、和人がノートをかばんに押し込んだと同時に、私たちはゆるりと部室を出て行った。



 ***



 その夜。好きなバンドのCDを聞きながら勉強をしていると、スマートフォンが突然に着信音を響かせた。

 早代子だ。急いで電話に出る。

「もしもし。早代子?」

『秋良ちゃん……』

 返ってきたのは、疲れているのか掠れた声だった。

「何? どうしたの? 大丈夫?」

『お願い。すぐに家に来て。すぐに』

「え? なんで……?」

 言ってるうちに電話は切れてしまった。

 夜中の12時。非常識な時間だけれど……私は家族が寝静まっているのを見計らって家を出た。




 早代子の家は何度か行ったことがある。

 田んぼと大きなショッピングモールしかない町だ。小、中、高、この辺りの子供はみんな同じ学校に行くので渋谷も和人も見知っている。

 だからか、先に二人の姿を見つけた。白い大きな家の前に佇み、二人も私を見る。

「よぅ、秋良」

 呑気な渋谷と和人。

 私は「どうして」と言いかけて口をつぐんだ。早代子が玄関から出てきたからだ。

「三人とも、入って」

 不躾な呼び出しなのに挨拶もない。

 険しい表情の早代子に言われるがまま、私たちは家に足を踏み入れた。

 広い玄関を上がり、床板を踏んだ瞬間、鼻をつく異臭に気がついた。背中を走る悪寒。振り返ると、渋谷も和人も眉をひそめている。

 早代子は緊張しているように息が上がっていた。

「ねぇ、一体どうしたの?」

 なんだか尋常じゃない空気のせいで、思わず強い口調で問う。すると、早代子は肩を震わせて息を吸った。そして、リビングに入ったと同時に言った。

「私、お父さんとお母さんを殺しちゃったの」

「はっ……?」

 渋谷と和人が呆れの声を出す。

 私もわけが分からない。

「何て言ったの、今」

「殺しちゃったの。お父さんと、お母さんを。ほら、うち、仲が悪いって言ったでしょう? それで、さっき、色々あって……」

「早代子、分かるように言って。とにかく落ち着いて……あっ」

 リビングに広がる惨状を、目にしてしまった。

 血がほとばしったカーテンは締め切られていて、外界を遮断している。そのほうがいいだろう。

 スーツ姿の男性と、部屋着の女性が倒れている。

 男性は頭と背中、女性は胸から真っ赤な血を垂れ流して。

 私はその場に座り込み、荒く呼吸した。後ろの二人も後ずさって恐怖に怯えている。

 心のどこかでこれは悪い冗談だと考えていた。そういうのはすべてフィクションの世界で現実にそうそうあるわけがないと。

 いくら早代子の家がギクシャクしていようが、仲が悪かろうが、なんてことは――ない。

 そう決め付けていた。でも、これは現実らしい。

「お父さんとお母さんって、顔を合わせるたびに口喧嘩するから……」

 一人冷静な早代子がポツリポツリ語り始める。

「お酒が入るとお互いの容姿や気に入らない所を罵りだしてね、私に当たるの」

 そういう話は前から聞いていた。喧嘩した両親は、どちらか一方の気が収まらない時、決まって早代子を引っ張り出すのだと。私が聞いていたのはそこまでだ。

 しかし、早代子の口から出てきた言葉は、それ以降の話だった。

「私、いつも殴られていたの。私が泣けば、お母さんがうるさいと言って殴る。お父さんも殴る。物みたいにしか考えていないのよ、この二人は」

 早代子の声は段々、暗く、低くなっていった。声に熱がこもっていく。

「よく考えてみればおかしな話よ。なんで私がこんな目に遭わなくちゃいけないの? 悪いことしていないのに。存在自体が悪いみたいに、私が口答えするのが許せないのよ」

「それで……殺したの?」

 遮るように言ったのは和人だった。

 早代子の長い髪が揺らめき、私たちを見る。その目は赤く血走っていた。

「そうよ」

 恐ろしく静かな声に、私は凍りついた。

 そんな私を押しのけて渋谷が前に出る。

「ど、どうやって……」

「隙を見てお父さんのかばんで殴り返したの。私に投げつけたかばんでね。打ちどころが悪かったのよ。咄嗟に、頭を狙ったから。重たい物が入っていたし」

 早代子の首が、倒れた男性に傾く。

「お父さんが倒れて、でもまだ息があったから、今度はお母さんが殴ったの」

「お、お母さんがやったの?」

「そうよ」

「それじゃあ、お父さんを殺したのは、お母さんってこと?」

 早代子はゆっくり頷いた。

 それから全員、押し黙る。

 こんな現実に耐えられるはずがないのに、なんだか切り取られた画像を見ているかのように思えてくる。頭が少しは正常になったのだろうか。鼻は赤い臭いでいっぱい。

 その臭いは脳へ到達し、ふと何かを思い起こした。しかし、それが一体なんなのか、小骨が喉に引っかかったように、もどかしくも分からない。

 沈黙を破るように、早代子が息を吸った。

「お母さんが、私に言ったの。こうなった以上、もう心中するしかないって……私にかばんを振りかざしてきた」

「それで台所に逃げて、お母さんを包丁で刺した?」

 私はつい口を挟んだ。咄嗟に出てきた言葉だった。

「えっ」

 早代子の驚いたような、息を飲む声。

「何言い出すんだよ、秋良」

 渋谷がたしなめる。でも、早代子は初めて動揺を見せた。

「そ、そのとおりよ。台所まで逃げて、包丁があったから……」

「ねぇ、早代子。それ、リアルレイドにそっくりじゃない?」

 私は合作小説のある一節を思い出していた。第四章の部分、彼女の言ったものとまるまる同じなのだ。

 私は落ち着くべく息をついた。頭を回せ。

 こうして犯人である早代子と私が話していること自体、大事だ。

 その丁度、和人が声を低めて言う。

「……早代子。警察に言うよな?」

「え?」

 その驚いた声に、私はつい呆れてしまった。

「いやいや、当たり前じゃない。警察に連絡しよ、ね?」

「あ、あぁ……そうね……」

 早代子の声はどこか、うつろで聞いているのかいないのか分からない。

「まさか、しないつもり?」

「………」

 妙な沈黙が続く。胸の鼓動が早くなる。嫌な予感がする。

「みんなならどうする?」

 しばらくの沈黙後、早代子はとんでもないことを訊いてきた。

 そして、私たちは言葉に詰まった。

 殴られて、蹴られて、苦しめられてきた早代子。もう、自分を否定する者はいない。それなのに、罪を償えと言われるなんて――もし、私が早代子と同じ境遇だったならば、私は逃げることを選ぶだろう。

 でも――

 嫌な思いを振り切ろうと、頭を振った。

 しかし、

「あぁ、もう遅いわ」

 彼女の声は震えていた。恐怖ではない。これは冷笑だ。

「私、あの小説を使う。こんなやつらのために、私の人生、滅茶苦茶にされたくないもの」

 早代子は私たちにも刃物を向けていた。ぬらりと赤い光をちらつかせて言う。

「秋良ちゃん、渋谷くん、三苫みとまくん、手伝って」

 早代子は屈託のない笑顔を見せた。

「ちょっ、早代子! あんた、何言ってるか分かってんの?」

 私は早代子の肩を掴んだ。渋谷がそれを止める。でも、構わずまくし立てた。

「早代子、馬鹿なこと考えてないで自首してよ! あんな、お遊びの小説なんか使えっこないわ」

「私が立てたプロットが役立たずだって言うの?」

「そんなこと言ってる場合じゃない!」

 声を荒らげる私に、渋谷と和人が止めに入る。私を早代子から遠ざけた。

「あまり刺激するな、秋良」

 囁く和人の声。私は息をつき、二人の手を払い除ける。

 早代子は顔色一つ変えない。ただ、手にある刃物が恐ろしい光を放っている。

「――秋良ちゃん、友達だよね?」

 早代子が唐突に言う。私は怪訝に眉をひそめた。

「え?」

「私と秋良ちゃん、渋谷くんも三苫くんも……友達でしょ?」

 早代子は笑顔のまま。私たちはその笑顔を見て、固まってしまった。

「友達は裏切ったりしないのよ。私がつくる小説は、絶対に」

「早代子……」

「困っていたら助けてくれる。それに、この話は秋良ちゃんが書いたんだよ?」

 その言葉に、私は思わず身震いした。同時に、リアルレイドの第四章を思い出す。



【惨劇の間に四人、彼女は友人の手を強引に掴み、「手伝って」と囁いた。彼女の手にする包丁が赤い光を放ち、三人は恐怖からか無意識に頷いてしまう。友人という鎖が繋がれた瞬間だった。】



 いやだ。そんなの。

 渋谷と和人を見ると、二人は渋い顔つきで早代子に近づいた。

「……どうしたらいい?」

 訊いたのは和人だった。

「秋良は帰れ。関わりたくないだろ」

 渋谷も言う。私を逃がそうとしている。しかし、早代子はそれを許さなかった。私に向かって刃物を投げようと振りかぶる。それを和人が止めた。

「ダメよ! 小説どおりにしなくちゃダメ!」

 その悲痛な声に、私の体は痺れていく。もう、動けやしなかった。




 私は早代子に言われるまま家に帰り、小説を取って早代子の家に戻った。

 刃物と彼女の気迫にはもう逆らえなかった。それに、自分が書いたものに罪悪感を抱いている。

 私のせいで早代子が壊れていく、と。

 私はみんなの前でノートを広げた。

「犯人が殺した両親を燃やして川に棄てるっていうシーンがある」

「まさか、早代子、川に……」

「そんな小説どおりにいくかよ」

 渋谷の声に和人がたしなめる。私も強く頷いた。

「そ、そうだよ。小説の【犯人】はともかく、どうやって川まで、それも大人二人を連れて行くの?」

 私はノートの一節を探す。



【まず、四人は遺体を川に運ぶため四肢を解体した】



「まさか……これを、やるの?」

「やるわよ」

 早代子の声に淀みはない。

 そして、思い切り刃物を振りかざし、自分の父親の肩に落とした。血が飛び散り、私は思わず嗚咽を漏らす。渋谷が私を部屋から出して、二人は早代子の手伝いを始めた。

 淡々と。それは不気味なほどに。

 何かに操られているようにも思えた。




 時間は飛ぶように過ぎた。

 私と渋谷と和人は帰り道、疲れた目を合わせた。何度も息を吐きながら。

「このことは忘れよう」

 和人が切り出す。

「いつもと同じように過ごすんだ。大丈夫。小説どおりならバレやしないんだから」

「でも、素人が書いた小説。現実ではそう簡単には上手くいかないよ」

「じゃあどうするんだよ。早代子の為とは言え、ただの友人だ。その友人の為に殺人の肩を持ちました、なんて。お前、言えるのかよ」

 和人のきつい言葉。私は口ごもり、頭を振った。

 結局は、私も早代子に手を貸したのだ。彼女を警察に連れて行くはずが、出来なかった。立派な犯罪だ。

「小説どおりなら上手くいくだろうけどさ、もし、なら、俺ら、危ないんじゃないか?」

 渋谷が重々しく言った。

「どういうこと?」

 私が訊く。和人も首を傾けている。渋谷は眉を頼りなさそうに下げた。

「こないだ、早代子が言ってたよな。『雪夜』を見たって」

「それが?」

「もしかすると俺ら、雪夜に殺されるんじゃないかって、そう思えてきて……」

「はぁ?」

 和人が声を上げる。そして、嘲笑混じりの息を吐いた。

「おまっ、馬鹿だろ。雪夜はリアルレイドの主人公だ。僕らが作った架空の人間キャラクター。しかも、現実に手から炎を出す女、どこにもいない」

「でもさ、このこと俺ら四人と雪夜しか知らないんだよ?」

「だから、それは小説だ! いい加減にしろよ!」

 和人が声を荒げる。私は何とも言えない。

 渋谷の言うことは確かに馬鹿げている。雪夜なんて存在しない。

「渋谷、大丈夫よ。いずれはバレるかもしれないけど……殺されはしないよ」

 ――多分。

 震える手をもう片方の手で押さえつけながら、小さくなっていく可能性に懸ける。



 ***



 午前5時。家についた途端だった。

 突然、スマートフォンの着信音が鳴る。

 表示を見ると、渋谷からだった。

「もしもし、どうしたの?」

 何かあったのだろうか。しかし、電話の奥では微かな物音だけ。私は、画面に出ている表示を再度確認して、また耳に当てた。

「もしもし? 渋谷?」

 応答を待つ。

「ねぇ、渋谷ってば」

「あ、アキ……ラ……」

 ようやく返事が返ってくるが、彼の声はこちらにも伝わるほどに怯えていた。

「秋良、助けて……」

「何? どうしたの、渋谷!」

「ゆ、雪夜がっ……」

 渋谷の声は裏返っていた。寝静まる家族なんかお構い無しに叫ぶ。

「渋谷!」

 だが、返ってくるのは悲鳴だけ。私は両手で携帯を握り締めた。

「ねぇ、渋谷ってば! 返事して! 渋谷!」

「やめろ……」

 彼の声は相変わらず裏返っているが、私に向けた言葉ではないことは分かる。

「やめて……殺さないでくれ!」

 

 電話の向こう、渋谷の目の前に雪夜がいる。

「お、俺は何もしてない! 本当だ! それは……違う! 俺じゃない!」

 何かを話している。

 だが、すぐに渋谷の悲鳴が聞こえた。私の耳をつんざく。

 そして、恐ろしい程の静寂が続いた。

「し、ぶや……?」

 しばらくして、ブツっという音がして電話は切れてしまった。

「え……そんな、冗談でしょ……」

 切れてしまったスマートフォンを見つめた。液晶画面にポタリと水滴が落ちる。

 私は無我夢中で家を飛び出した。走って、渋谷の家に行く。

 すると、沢山の人だかりができていた。制服警官と、救急隊員といったものが横切っていく。渋谷の両親が見える。救急隊員が運ぶ、ビニールシートにくるまれた何かを見て、渋谷のお母さんが泣き崩れる。

 私は、その光景を呆然と眺めていた。

「――秋良」

 背後で声がした。私と同じように顔面蒼白な和人だった。

「し、渋谷が……!」

「ただの事故だ」

 和人は無表情に言った。彼の声は震えている。

「渋谷は事故で……」

「嘘よ! そんなはずない!」

 和人は唇をぎゅっと結んだ。私の肩を強く掴んで人だかりから離れる。

「それって、渋谷が言ってた、小説どおり殺されるかもしれないって」

 和人は冷や汗を流して苦しそうに笑った。私はその顔に頷いてみせる。

「いや、関係ない。だって雪夜は、存在しないんだから」

 和人の言うとおり、雪夜は私たちが創った架空の人物。現実にはいない。

 そのはずだ。でも、雪夜はいるんだ。絶対に。

 早代子も渋谷も見たのだから。

 頭を回せ。どうしたらいい。この非現実的な現実をどうしたら変えられる?

「――ねぇ、和人……あのノート、今、早代子が持ってるよね」

「は? あぁ、うん。そうだけど……何する気……」

「書き換えなきゃ」

 私はうわごとのように呟いた。和人の手を払い除ける。ふらりと足を早代子の家に向けて。

「おい、秋良!」

 和人は私の手首を掴んで怒鳴った。途端に、叱られた子供のように足がすくむ。

「秋良、ここは現実なんだ。小説じゃない。そんな非現実的なこと、あるわけないだろ!」

 あぁ、もう。イライラする。息が荒くなる。なんで分かんないのよ。

 だって、

「だって、渋谷は死んだのよ! 私が書いたとおりに! 早代子だって、自分が書いたように事件を起こした!」

 激しく口に出すと、和人の喉が動く。そして、私から目を逸らした。

「そんなこと、あるわけない……」

 そうだけど、もう現実はおかしなことになっている。後戻りはできない。

「とにかく、全部忘れよう……もう家に帰ろう」

 彼はクルリと私に背を向けると、そのまま歩いて行った。



 ***



 朝が来た。寝ていないのに学校へ行く。

 早代子はもう来ているらしい。私も和人もいつもどおりに振る舞う。でも、渋谷はいない。

 全校朝礼で彼の話を聞かされた。

 不慮の火災事故だと校長は説明したが、私は心の奥で「違う」と感じていた。

 渋谷の死は、罰なのだ。私たちが犯してしまった罪の犠牲だ。

 あの、燃え盛る炎で私と分からなくなるまでに焼かれて、死ぬ――。

 黒焦げになった私の顔が思い浮かび、背筋が凍る。決して寒くないのに、腕には鳥肌が立つ。

 死にたくない。あんな風には、死にたくない。

 挙動不審に私の目はあちらこちらへと動く。その時、私の右隣からずっと先の列にがチラリと見えた。黒い髪の毛の群れの中に目立つ、その色はゆっくりとわたしの方を向いた。前髪に隠れて見えない目を向け、私の姿を見ると、彼女は真っ赤な唇をキュッと釣り上げて笑った。その狂気じみた笑顔に、私は思わず目を背ける。

 もう一度、見ればその子はもういない。

 ――雪夜だ。雪夜がいる。

 私は逃げ出したい気持ちを押さえつけるのに必死で、時間がいつの間に経ったのかわからなかった。体育館を出ていく生徒の群れ。私はいつまでも動けずにいた。




 とにかく、早代子からノートを取り戻さなくては。そして、書き換える。誰もいない廊下を無心で歩けば、見知らぬ棟にいた。

 ふと、窓の外を見る。旧校舎がよく見えるその位置から、屋上にある人影を私は見逃さなかった。

 誰かがいる。

 私の目はしっかりとその人物を捉えた。

「和人……」

 窓から顔を出して屋上を見つめる。

 彼の動きが不自然だ。何かから逃げるように、あとずさっている。腕を無造作に振り、何かを拒むような動作で屋上の端まで行く。

 瞬間。

 体が白い炎で包まれた。その炎は徐々に燃やすものを確かめたかのように真っ赤に染まっていく。

 火に包まれ、彼は踊るように暴れた。足を踏み外し、落ちていく。

 火だるまの和人の顔が苦悶に満ち、開かれた大きな目で私を見つめている。

「和人ぉっ!」

 彼はやがて、白い砂が敷かれた校庭に消えた。下に誰もいないのだろうか。騒ぎの声は聞こえない。

 こんな時なのに、私はある文を思い出していた。



【影に染まった校舎から、美しい炎を纏って消えた。その様子を雪夜は右手に従える白い炎の欠片を満悦な表情で吹き消す。そして――】



 そして、なんだ。

 いや、今はそんなことどうでもいい。

 目に映るあの赤い悪魔から逃れなければいけない。

 赤い髪の少女は、何かを探すように首を階下へと向けた。何かに目に留まる。恐怖に震える女子生徒わたしを見つけてニヤリと笑った。

 逃げなきゃ……いや、書き換えればいい。

 私はスマートフォンを出して、震えながら早代子を呼び出した。

 ブツッと繋がる音がする。

「早代子! ねぇ、早く、早くその話を、続きを書き換えて! でないと、私……っ」


【モウ、オソイ】


 ぼやけた声がスマートフォンと、背後から二重に聴こえた。

 耳に届いていても、脳で言葉を変換することはできない。

 振り返るとそこには、燃えるように真っ赤な髪の毛と、セーラー服の女の子。右手には白い炎を従えている。

 小さく真っ赤な唇を舐めると、彼女は囁くような声で言った。


【コレハ、罰ダ】


 いや、それはアリエナイ。

 あってはいけない。何故なら、彼女は……

 雪夜が眉をひそめ、私を見る。無理もない。私は笑っている。

 腹の底をくすぐられているような感覚だった。体がよじれるほどに可笑しい。可笑しくてたまらない。


【コノ死ハ、罰。アナタタチガ犯シテシマッタ罪ノ犠牲】


 小説のセリフが彼女の口から流れていく。

 ここは、現実だ。

 どこが、現実だ。

 どこからが、現実だ。

 私たちが創り出した現実に、雪夜が存在する。そんなことが起こるなんて、アリエナイ。

 顔を上げると、視界が真っ白になった。燃え盛る白い炎が舐めるように体を燃やしていく。

 炎の中から、雪夜の姿を見た。彼女の唇がゆっくりと動く。


【コレガ、現実ダ】と――





 *


 *


 *







【その続きがどうなったのかは知らない。果たして犯人の少女が、雪夜によって殺されたのか、あるいは助かったのか、確かめる術はない。


 リアルレイド 第四章 完】

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