第7話

「おい柳、腹減ってねえか? たくさん食材買ったからさぁ、肉でも焼いて食おうぜ!」突っ立つ生き霊に手招きして、立石が席を立ち上がる(マァ、飯〈メシ〉デモ食ウカ)。


「僕も野菜買ってきたよ」存在を示すように、柴田はちょっとばかり大きな声を出して、キャベツの形に浮き出たビニール袋を手に持つ(アッ、ソウイエバ)。


「俺も海の幸をたくさん持って来たぞ」菅田はくすんだクーラーボックスに手をかける。


「おおぉ、みんな用意いいじゃねえか、豪勢なバーベキューになるぜ」立石はビールを収〈おさ〉めるクーラーボックスに近づき、持ち物を名乗り挙げた二人を見る(ヘエ、ヤルジャンカ)。


「おら柳ぃ、ぼけっとしてねえでこっち来いよ」菅田が大きく手招きする。


「えっ、でも、ぼく、何も買ってませんし、そう、何も買っていませんし、たいして金も持ってませんから、手持ち分を食べさせてもらえると、あの、ちゃんと払いますから、いえ、無理ならいいんです。ほんとお腹は空いていますが、そんな、みんなの反対を押し切ってまでして、無理に食べたいなんて、まったく思っていませんし、ほんと、ひさびさにバーベキュー料理を食べたいですが、やっぱり、みなさんに悪く思われたくありませんし……、そう、それに、菅田君に、二度と口を開くなと言われたばかりで、あの、ほんと、口を開いているのも、決して虚栄心を満たしたいのではなく、ただ、ぼくの事情をみんなに察してもらえればと、ちょっとばかり弁解したく……」ウイスキーの小瓶を唯一の頼みとするように、両手で頻〈しき〉りにいじりながら、誰に向かってでもなく一人ぼそぼそ声を漏らす。


「うるせえ! とにかくこっち来て食え!」菅田がたまらなく立ち上がる(コイツハ、クダラネエコトヲ、何グチグチグチグチ……」。


「柳、気にすることねえよ、今日のおまえはゲスト扱いだから、どれだけ食べたって誰も文句は言わねえぞ。それよりも、遠慮して食べねえほうが、みんなに対して失礼だぜぇ? ほら、うまい肉食って楽しもうぜ」白いパックに盛られた牛カルビを手に持って、立石が偉そうに話す(コイツ、ミミッチイノハ変ワッテネエナ)。


「柳君、ビールが焦げちゃうよ」柴田は網の上の缶に触り、何の意味もなさそうに声をかける(柳君、律儀〈りちぎ〉ダナ)。


「えっ、ええぇ? それならいいんですが、ほんと、とても喜ばしいことですが、ただ、ぼくは、突然みなさんが、今言ったことを、あとになって突然取り消して、ああ、気を悪くしないでください、でも、ほんと、ぼくを……」


「いいから、食いたいだけ食えばいいんだよ!」柳の手をぐっと掴み、無理矢理引っ張る。


「痛い痛い痛い! 菅田君、そんな引っ張らないでください! ぐわあぁ! ちぎれるぅ!」よたよた引っ張られながら、大袈裟に声を挙げる。


「てめえ、わざとらしいんだよ!」菅田が怒鳴るも、どこか慣れた柔らかさがある。


 柳を座らせると、動作を予期していたかのように畏〈かしこ〉まる。それと同時に、具合良く火の焚かれたコンロの網に、立石は均等に肉を並べ始めた。汁が染み込み、胡麻のふりかかった牛カルビだ。


 柴田はビニール袋に手を突っ込んで、丸々膨らんだキャベツを取り出し、無造作に千切〈ちぎ〉って網に載せると、「立君、包丁とまな板貸して」真剣に肉を並べる立石に顔を向ける。


「ああぁ? ちょっと待て」立石は肉に話しかける(コノ隙間ニ乗セレバ……)。


「だめだぜ柴ちゃん、こういう時は、事前に仕込んでおかなきゃ」得意そうな顔した菅田が、銀のトレンチに張られたラップを剥がして、灰色の海老の尾を抓〈つま〉んで網に載せる(ヘヘヘ)。


「なんだよ菅田、やけに用意がいいじゃん」網の大半を肉で埋め、立石は菅田のクーラーボックスを見て話す(コイツ、図体ニ似合ワズ、マメマメシイヨナ)。


「へへへ、あったりめえだ!」網の中央に海老を並べていく。


「おいおい、柴ちゃん、もっときれいに並べてくれよぉ」ところかまわずキャベツの欠片〈かけら〉を散りばめるのを見て、立石が迷惑そうに話す(柴チャン、セッカクスペースヲ空ケタンダカラサァ……)。


「あのぉ、ぼくは何をすればいいんですか?」紙皿と割箸を大切そうに膝に構え、足を揃え、背筋を伸ばしてぼそっとする。


「あっ? おめえは出来あがるのを待ってればいいんだよ」指に抓んで垂れ下がる海老を、柳の顔の前に掲げて言う。


「柳君、野菜切る?」玉葱〈たまねぎ〉を手に持って話しかける。


「おい柴ちゃん、切るのが面倒くせえからって、柳に押しつけちゃだめだぜぇ? 第一、柳に包丁を扱えるわけねえじゃん」立石は黒いバックパックを探りながら、柴田に尻を向けて話す。


「違うよ立君、面倒臭いわけじゃなくて、共同で作業したほうがいいかなって……」少しむっとした口調で返事する(ソリャ面倒臭イケド、柳君、暇ソウダカラ……)。


「ああ、柴ちゃん、こいつは恐ろしく料理が下手だから、やめたほうがいいぜ? 食べる野菜も陰気になっちまう」立石同様、海老を丁寧に並べる(ヨシ、良イ感ジダゼ)。


「ちょっと待ってください! みんな、だいぶ間違ってます、たしかにぼくの切る野菜は、節〈ふし〉くれだった手から見えない成分を受けて、陰気になるかもしれません、それは否定できません。でも、ぼくは料理が下手で、包丁を扱えないというのは、まったくの濡れ衣です。なにしろ、ぼくは立石君にも菅田君にも、長いこと会っていなかったのです、約五年ですよぉ? 五年? 五年もあれば、新たに会社を立ちあげて、株式市場に上場して、倒産するのに十分な期間です。わかりますか? 五年もあれば、携帯電話から角が生えるかもしれませんよ? わかりますか? そうです! 五年もあればぼくも変わります、五年もの引き篭り生活が、必然ぼくを台所に向かわせて、包丁さばきどころか、料理全般の技能を向上させたのです。煮物だって、お吸い物だって、天ぷらだってお手の物です。包丁の扱いも得意ですが、ぼくはだし汁の取り方が一番得意です、ええ、ほんとです、野菜ソムリエにでも、いえいえ、これは関係ありませんね。とにかく菅田君の頭の中には、中学の家庭科の授業があるのだと思います、ええ、そうですよね? でも、ぼくはあの頃と違います、包丁を巨大なカッターナイフだと勘違いして、切れないからって刃を折ろうとなんかしません、ええ、あんな失態は決してしません、野菜なんて、目をつぶってだって切れます!」


 柳は突如立ちあがり、まな板に向かう料理人らしい体勢をとると、眼を閉じてキャベツの千切りを真似する。それと同時に頭を上下に振り、小気味よいキック音に合わせて髪を振り乱し、腰も一緒に振っている。


「おいおい、腰振っちゃ危ねえぞ!」立石が包丁とまな板を抱えて笑い出す。


「柳君、粋だね」柴田がうれしそうに柳を見上げる。


「ええそうです、粋です、柴田君、お褒めの言葉ありがとうございます、ぼくの料理姿を形容するに、それ以上に当てはまる言葉はありません。ええ、ぼく自身、毛細血管が破裂するほど脳に血液を集中させて、毎夜考え通したのですから、間違いありま……」


「馬鹿野郎、いくら料理が上手〈うま〉くなったって、おめえに包丁なんか握らせてたまるか! いいからおとなしく見てろ、ぜってえに包丁なんか触るなよ!」手と頭を横に振って否定する。


「ええぇ? なんですか菅田君、いいじゃないですか? 嫉妬ですかぁ? 冗談抜きに、ぼくの料理の腕前は、一流料亭の料理人ですよ? まあたしかに、ぼくの過去をご存知の菅田君にしてみれば、そんな夢の話は信じられないと思いますが、しかし、現実であり、真実です! もちろん口でいくら言ったところで、なんの証明にもなりません、ですから、ぼくが今こうして、柴田君の持っている玉ねぎを、粉微塵に切りきざんであげま……」


「馬鹿野郎! 粉微塵にしてどうすんだよ! この場じゃ、おまえの言う料理の技術は必要ねえんだよ、野菜の皮を剥けて、真っすぐに切れるだけでいいんだよ。なあ、おまえの言う料理の腕前は今度見せてくれよ、とにかく、おまえが包丁を握ると、危なっかしいんだよ。わかったか?」菅田は立石の包丁とまな板を取り上げて、柴田に手を伸ばす(オメエニ渡シタラ、人ヲ刺シソウナンダヨ)。


「そうだな、柳、今日はゲストらしく受身にまわってくれよ、腕を振舞いたいなら、次のパーティーで振舞ってくれよなぁ、いいだろ?」立石はゆっくりと柳に近づき、ぽんっと肩に手を置く(菅田ガ恐レルノモ無理ネエ、コイツハ何スルカワカラネエ)。


「柳君、残念だね」柴田は包丁とまな板を受けとり、同情を込めて声をかける(セッカクダカラ、切ラセテモイイノニ)。


「いえ、いいんですよ、たかが野菜を切るだけに、ぼくはちょっと熱くなりすぎたようですから、ええ、虚栄心です、虚栄心、自分の腕前をみんなに見せびらかしたい気持ちに取りつかれて、我を忘れてしまったんです、ええ、菅田君に感謝しなきゃいけません、でないと、ぼくは軽率な振舞いをする羽目になったんです、ええ、ほんと助かりました、でも、いえ、本音を言えば、ぼくの腕がみなさんの助けになると、いえ、でも虚栄心です、自尊心ではありません、虚栄心以外の何物でもありません。立石君にもこうして、やさしい手を置いてもらったんですから、ぼくはおとなしく、そう、ゲストらしい立ち振舞いで、料理が出来あがるのを待っていればいいのです、ええ、まさにそのとおりです、ああ、もうすこしで、ぼくは恥をかくところでした、ほんと、柴田君、野菜を切れなくてすいません、せっかくだから、そよ風に吹き飛ばされるほど粉末状にして、みんなに感涙してもらおうと、ええ、未練がましいですね、そうです、女々〈めめ〉しいですね、でも、粉々に切りきざむ、あの、アスリートに通じる興感を想像しますと、もう、ほんと、勃起らしい……」


「あらっ! 柳君じゃない! どうしたの? なんでこんな所にいんの? 生きてたの? やだっ、とっくに死んだと思ってた!」


 女が突然声を出し、ふてぶてしい笑いを浮かべて闇から現れる。温い肉に覆われた骨太の体に、真紅のビキニが目立つ。


「うおっ! 真理藻〈まりも〉か! 急に大声出すなよ」菅田は首を捻〈ひね〉り、のしのし近づいてくる真理藻に声をかける(コイツ、今日モブサイクダナ)。


「すげえな真理藻、よく柳だってわかったな?」立石はそう言いながら、アームチェアに腰掛ける(エエェ? ナンデ柳ダトワカルンダ?)。


「えっ? 柴田君、あれなんですか? なんでぼくを知っているんですか、それも、怒りを覚える馴れ馴れしさで」柳は立ったまま、隣に座る柴田を見下ろす。


「あの人、杉下さんだよ、ほら、中学で一緒だった」目立って上手くもなく、かといって下手でもなく、玉葱へ普通に包丁を入れる。


「あんな女まったく知りませんよ、初めて見ましたねあんな酷いの、いや、でも、柴田君は嘘をつく人じゃないから、もしかしたら、ぼくの通う中学にいたのかもしれません、そう、似た人がいたのかもしれません、柴田君の目をごまかすほど、似かよった人なのかもしれません。杉下? 知りませんね、ぼくの高度な頭の中を検索しても、あんな顔した杉下という人物は見当たりません、あんな顔の人物、いえ、あれぐらいの質の人物は、たくさんヒットするはずですが、あんな醜い顔、いえ、悪く個性的過ぎる顔は知りませんよ、本当にぼくの通っていた中学ですか? いえ、柴田君を疑うわけじゃないんですよ、ただ、どうもあんな人知らないから、なんだか、ええ、柴田君のせいじゃないです、ぼく達を惑〈まど〉わすあの顔がそもそも原因なんです、そうです、顔が悪いんですよ、なぜな……」


「一目見ればわかるわよ、あらうれしい、今からバーベキューを始めるところ? あたしちょうどお腹空いてたのぉ、もう、踊りすぎちゃってさぁ、色々な男と踊っちゃったわ」肉の食〈は〉み出したベージュの短パンを突き出し、膝に手をついて網を覗き込み、やけに高い声を出す(マア、豪華ナ食材ネ、ドレモオイシソウ)。


「今始めたところだぜ、好きなだけ食えよ」真横に位置する締まりのない尻に目を置き、立石はトングを掴む(ミットモネエケツダナ、短パンナンカ履クナヨ、キタネエ)。


「おい柳、そこのテーブルから皿と箸を取ってくれ、ほら真理藻、ここ座れよ」菅田は手を伸ばしてアームチェアを掴み、真横に引き寄せる(顔ハキタネエケド、良イ体ツキシテルゼ、迫力ノアルケツナンテ、マジタマンネエヨ)。


 エフェクトを抜けた女声が遠くブースに聞こえ、雲上に広がるよう谷に澄み渡る中、バーベキューコンロから肉の焼ける音が湧き、囲う五人の食欲をそそりたてる。

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