14

《月の部屋――moon room》


ふと、定期的に思い出すことがある。今の私を形成してくれた、運命的な出来事だ。

あの日は降りる駅を間違えた。うっかり勘違いをして。改札まで来たところであれと思ったが念の為出てみると、全く聞いたことも見たこともない駅だった

栄えている駅の裏側、なんとなく薄暗い雰囲気のある場所だ。

特に急いでいる訳でもなく、本来降りたかった駅での予定はいつでもできると、少しばかり散策することにした。

穴場の定食屋でも見つかればいいと辺りを見渡していると、視界の端にチラチラと派手な色が見えた。

圧倒的に周りと浮いている二人組に、テレビか何かだろうかと思ったが、カメラがある様子はない。今時の子はこんな格好をするのかと、つい目で追ってしまった。

あどけない顔の二人組は、息子と同い年ぐらいだろうか。今は童顔の女性も多いので一概には言えないが……。

様子を見ていると、コソコソ話をしながら何かを押しつけあっていた。

フリフリと装飾のたくさんついた、服というよりは衣装。鮮やかな黄色と赤で戦隊物みたいだ。二人は覚悟を決めたように拳を握ると、おぼつかない足取りでこっちに向かってきた。

目が合ってしまった以上逃げるのもどうかと思い、そのまま立ち止まる。

「あのっ! あ……すいません私たち……えっと」

初めの一言が空振りし、ボリュームを間違えたような彼女の語尾は、後半聞こえないほどの声量になっていた。

「えっとですね! 今度そこでお店がオープンするんです! あ、あっちですアレアレ!」

すかさず黄色がフォローに入り、後ろの長方形のコンクリートを指差した。

どうみても怪しい。彼女たちが作ったであろうチラシに目を落とす。今流行りのメイド喫茶とかいうものの類だろうか……。

自分がこういうものに行く人間に見えたのかと、少しむっとしてしまったが、彼女たちの方は、こちらが見ているのに気づかないほどあわあわとしていた。

チラシが飛ばされそうになったり、髪ゴムが外れたり、わざとかと思えるほどの落ち着きのなさだ。

「よ、よかったら! お暇ができたらぜひ! お願いします!」

神頼みのようにパンと手のひらを合わせた。

「……まぁ考えておくよ。頑張ってね」

さすがに労いの言葉でもかけなきゃ見ていられなかった。ほとんど同情に近かっただろうか。

「はい、待ってます! ありがとうございます!」

最後に見せた二人の笑顔は、これからの希望と不安が混ざっていた。

私自身遊びになど行かないからか、特にこういうものが繁盛しているらしい場所には、全くと言っていいほど縁がなかった。だから余計……なのか初めての経験は、しばらく頭の中から消えてくれそうになかった。

そして運命的な出来事はもう一度続く。

私はこの前、結局満足に散策できていなかったと、自分に言い訳するようにまたこの地に降りていた。別に彼女たちのところに行こうとは考えていなかった。どこかで見れるかもと、期待が全くなかった訳ではないが……。

そんなことを考えていると、偶然にも一人の男が、あのコンクリートの中へ入っていった。

客ができて良かったと思うのと同時に、一人でないのなら恥ずかしさも薄まるかもしれないと、足は誘われるように導かれていた。

細い階段を上がると、うっすらと光る照明があった。よく見ると傘立てに和紙が張り付けてあって、その中にライトを入れたらしい。工作のような出来だが、まぁまぁよくできている。アイデアは悪くないなと扉に手をかけた。

しかしそこからの葛藤が長かった。男性が出て行ってしまったら困るから、実際にはそんなには経っていなかったのかもしれない。

最終的に、喫茶店は喫茶店に違いないから大丈夫だろう等の、よく分からない後押しで開けてしまった。

呆気なくあいた扉に「あっ……」と声が出てしまったぐらいだ。

中には二人の男性がいた。ひとりはアニメヒロインの描かれたTシャツを着ている。それは私も知っているほど古いキャラクターだったから、単に昔の物が好きなのかもしれない。

その男の隣にいる紫のフリフリを着た女の子は、ホイップクリームを持ち、一緒懸命皿に盛りつけていた。男はそれをじっと見ているだけ。どこか違和感のある光景だった。

入り口近くに座っている男は、楽しそうに緑と会話していた。呆然と見つめてしまった私に気づいた緑が、驚いた顔で近寄ってきた。

「い、いらっしゃいませ! えっと……新規……さんですよね?」

新規の部分が大袈裟なほど小さかったが、一度来た客を覚えていないのは、かなりの失礼にあたるサービスの世界なんだろう。そのとき緑と話していた男と目があった。

いや……女性だ。すらっと白いシャツに黒いパンツ姿の彼女はビシッと髪を後ろに結び、眼鏡を押し上げた。身長が高いので勘違いしてしまったようだ。

「どうも。来て頂きありがとうございます」

彼女はここの関係者なのだろう。代表者という風格で深いお辞儀をした。

「えっと……すいません。こちらにお願いします」

緑はチラシの二人組と同様、とても若く見える。初めて働くということを今しているのだろう。

暗めの店内には安物を頑張って加工した物が飾ってあり、先程から頭をちらついているものの正体に気づいた。ああこれは……文化祭を思い出すんだ。

ぎこちなく、完璧には程遠い。でも青春に染まった青い目がきらきらと輝いている。息子のには行ったことがないが、あいつもこんな風に楽しんでいるのだろうか。

それだと気づくとふっと気持ちが楽になり、ここにある物が急に尊く、凄く大事なものに思えてきた。

「失礼します……」

赤い袖が視界に入ってきた。顔を上げると、不安そうな目をした彼女と視線が交わった。水を持ってきてくれた指先は少し震えている。

「……これ、使えるかな」

私も少々緊張しながら、チラシについていたコーヒー無料券を取り出した。

彼女の顔は驚いた後、赤く染まった。下を向いて、はいと呟きそのまま行ってしまう。

そのときに見えた横顔は思わず出てしまったと言うように、口元が緩んでいた。気がつくと私の口元も緩み、暖かい空間が私と彼女の間に広がっていた。担任の教師もこんな気分なのかもしれないと水を含む。

歌謡曲のようで、そうでないような店内BGMが心地良くなってきた。コーヒーの後で何か頼もうとメニューを開いた所で、私の目は止まった。

一瞬中国語かと思ったがそうではない。そういえば一昔前に流行ったな、夜露死苦だっけ? あの要領だ。いつの間にか謎解きが始まっていた……がすぐに諦めた。

「ごめん。これはなんと読むのかな」

「あっ……ええとそれは……」

恥ずかしそうにしながらも小声でメニューを読んでいく彼女の隣で、私は大袈裟に反応してしまっていた。

「ああ! なるほど。これでパフェか……面白いね」

「あー……はい」

後に聞くと彼女自身も狙った痛いという部分が、思った以上に恥ずかしかったようだ。それを知らずに私はずかずかと、次から次へ聞いてしまった。

「ごめんね……私みたいな奴が来ても親が来ているみたいで落ち着かないだろう? やっぱり少し場違いだったかな」

そう思わず言ってしまうと、彼女は自分の袖を掴みながらふるふると頭を振った。

「初めて……自分達が作ったチラシで……来てくれて。知り合いじゃないから……嬉しい」

ぽつりぽつりと吐いた言葉は、本当のことを言っているように聞こえた。そうしたら前にいる彼は、誰かの知り合いなのだろうか。そりゃそうか……こんなところ駅名からして迷いそうだ。

結局一食分の食事をし、気になったデザートまで頼んでしまった。冷凍食品らしきドリアの上には他のオカズが乗せられていたり、チョコレートで描かれた花の模様には素直に感心してしまった。

面白いサービスだった。社会経験の為にも入って良かったと満足し、席を立とうとしたところに小走りで赤い彼女が来た。

「えっと……これ、スタンプカードです。今日は3つで……」

「ありがとう。貯めたら……またドリンクが無料になるんだね」

明らかに手作り感のあるそれを財布にしまう。

他の客は帰っていたからか、店を出る時には彼女達が総出でお辞儀をしに来てくれた。その一生懸命さにまた少し笑ってしまった。

不器用なほどに真っ直ぐが溢れたこの場所で、私は旅しているような錯覚を覚えた。

本来ならもう次はないと思っていた。悪くはないが、頻繁に行くべき場所ではない。万が一知り合いに見られたら、社会的な地位は危うくなるだろう。こんなことを考えられている内はまだ良かった。

その一ヶ月後、別居中だった妻が離婚届を送ってきた。初めは仕方ないと思った。お互いに望んだ結婚ではなかったし……だが諦めでも何でも、この立場は守り通してほしかった。私も聖也をひとりで育てられるほど立派には……いや自分に出来ることなどない。

そのときふと脳裏に浮かんだのは……彼女達のぎこちなくも、一生懸命なあの笑顔だった。

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