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僕たちを見ていたのは、店にいた少し年老いた男性だった。

逆に男の後を追って、アパートまでつけていく。春昭の顔はずっと渋いままだった。

扉の前まで行き、本当に呼び出すのか聞こうとしたら、すでに音が鳴っていた。

「はい……」

控えめな声量で男が現れた。何が起こっているか全く分かっていない様子だ。

「あの……すみません」

「……君たちは確か」

「失礼します」

「は、春昭!」

突然扉を開けて無理やり入ろうとするのを、男性は困ったように押し返そうとしていた。でも一応顔見知りだからか、中に通した。

「ちょっと春昭ってば!」

ずんずんと進んでいくのを追いかけて部屋の中に入る。すぐ見えたのはキッチンだ。

そこで僕の目にピントが合った……雪乃ちゃんが好きだと言っていた幼児向けの、魔法少女が描かれたお弁当箱。見覚えがある。僕の頭にはすぐに一枚の写真が出てきた。もしかして……。

僕はちらりと男性の様子を伺う。困ったように立ち往生していた。彼に近づいて横顔を盗み見る。この人が? でも人は見かけによらないし……僕はもうそうとしか思えなくて、口を開いた。

「あの……いきなりなんですけど、もしかしてmoonさん……ですか?」

銀色の流しの横に置いてある黒いフライパン。床に敷いてあるカーペットの模様。それはまさしく、あのメッセージ内でやりとりしていた画像と同じだった。

「君は……?」

春昭を追っていた視線をこっちに向けた。

「僕……蒼です! あっ本名も碧って言うんですけど……あ、あのmoonさんが……! 貴方がこんなことするはずないですよね!」

出会ってから数ヶ月だけど、僕たちの間には信頼が生まれているように思えた。

「蒼……くん? 君が蒼くんなのか! あぁ、想像していた通り良い子そうだ……って今はそれどころじゃないね。どうしたの? 何かあったのかな。確か彼はみきちゃんのお兄さんだったよね」

「実は……高良さんにストーカーがいるみたいで」

言いかけた腕を春昭が掴んだ。そのまま男の方を睨む。ピリピリとした緊張感が走ったその時、玄関の方で音がした。

「……え、誰かいんの」

コンビニ帰りだろうか。ジャージ姿だった聖也くんは、不思議そうな目でこの状況を眺めていた。

「お前確か……なんとか碧。えっと、利賀松だっけ。あと違うクラスの……え? 何やってんの」

「原くん……」

「まさか親父が!」

「……蒼くんは聖也と同じクラスだったのか」

春昭はため息を吐いて、腕を掴んだまま座るように指示した。聖也くんは壁に背をつけて、腕を組んでいる。

「高良祥子、あの店では紅。アイツは碧と同じクラスです。そしてみき……雪乃は俺の妹です」

「祥子……本名はそう言うんだね」

大事そうに、噛みしめるように呟いた。

「なに、どういう話?」

聖也くんは興味があるのか、こっちに近づいてきた。

「えっと原くんのお父さんが行っていたお店に、高良さんと春昭の妹が働いていて……」

「あぁ……やっぱりな。似てると思ったんだよ」

「私は知らなかったよ。まさか息子と同じクラスだったなんて……」

「moonさんはストーカーなんてするはずないよ、春昭!」

「おい、利賀松。どういうことだ」

「紅……いや祥子ちゃんだっけ。彼女にストーカーって本当かい?」

高良さんとのことを話すと、二人は考え込むように腕を組んだ。やがて聖也くんのお父さんが控えめに笑って、口を開いた。

「こんなこと言っても信じてもらえるかは分からないけど、私は彼女達を娘のように見ていた。妻が出て行ってから……拠り所がなくなっていた私は、まだぎこちなかった彼女達に惹かれたんだ。だんだんと通っていくうちに知り合いも増えて、彼女達と一緒に成長できたみたいで……。私はいつしか若返った気分になっていた。見える景色が新鮮だった。しかし誓うよ。私は確かに彼女達の事が好きだ。愛おしい存在だが、それを異性の目で見たことはない。彼女達に危険が迫っているなら全力で助けたいし、力になりたい。決して今までを裏切るような行動はしていないよ」

「moonさん……」

「碧くんそれは少し恥ずかしいかな、はは」

「やっぱり春昭……僕たちの勘違いだよ」

隣で肩を叩いてみても、俯いたまま何も答えない。

「聖也……すまなかった。代わりに……お前のことからは目を背けてしまっていた」

そう言って立ち上がると、財布を取り出した。

「しかしさすがに君たちと同じ学校となるとね……もう行かないことにするよ」

溜まったポイントカードをテーブルに出して、破こうとした手を聖也くんが止める。その衝撃で何枚か床に散らばった。

「別に破く必要は……っ」

「いいんだよ。こうしないと意思が鈍ってしまいそうだからね」

「親父……」

聖也くんが落ちたカードを拾って眺めた。

「俺は急に変わったお前の事が不気味で、ついにおかしくなったんじゃないかと思ったんだ。そりゃあんな結婚したらそうなる。だからその反動で何かヤバいことやってんじゃないかって……それが怖くて、聞けなくて距離を置いた。けど今の親父は前と全然違う。そんなことぜってぇ言いそうになかったのに。それだけ変われたなら……わざわざ無くさなくてもいいんじゃないか」

「いや……もう充分だ。充分楽しませてもらった。これからはちゃんと親として、彼女達と接したいんだよ。だから、授業参観の紙も捨てないで見せてくれ」

「……知ってたのかよ」

「ゴミ出しをやってるのは私だろう」

「でもこの歳でわざわざ来るやつなんて、モンペぐらいだけどな」

二人の間にあるわだかまりが溶けたようだ。ふっと笑いあう様子を見て良かったと安心する。そのまま隣を向くと、春昭はぼうっとした様子でどこかを見ていた。

「春昭……大丈夫? 一回帰って仕切り直そうか」

「うん……そうだな」

「聖也くんのお父さん……その、くるりはやめないですよね?」

「おま……そんなもんまでやってんのかよ」

「そうだね。君達と話すのは楽しいから……でも少し控えることにするよ。ついつい調子に乗ってしまってね」

「はい。あ、この件がもう少し進展したらまた報告しにきます」

「無理はしないようにね。何かあったら必ず頼って」

「はい……失礼しました」

春昭は何も言わずに立ち上がる。

「おい、利賀松」

「うん?」

「いや、何か世話かけたらしいな。ありがとよ」

「ううん。僕は別に……何もしてないよ」

家を出て、なぜかぐったりした様子の春昭を支えながら歩いていると、携帯が震えた。

「春昭、具合悪いの?」

「大丈夫……それ出たら」

「うん……もしもし。あ、雪乃ちゃん?」

なぜか今から学校に来てほしいとのことだった。今は休み中だし鍵もかかっているだろうけど、許可を取っているらしい。

「どうしたんだろう……」

なんだか嫌な予感がしたけど、一応行ってみることにした。

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