第5話 火事場の鎮魂旅行!

 車を停めようかと思った矢先、目の前を黒煙が塞いだ。

「アニキ、火事だっ」

 車の接近に気づいた野次馬は、黒煙の彼方から現れた車を見て肝をつぶした。

「誰だよ、葬儀屋を呼んだ気の早ぇえ野郎はっ!」

「おじいちゃんが、中におじいちゃんが、うわあああん」

「ええい、どけやーっ」

 花田はジグザグにハンドルを切って群衆をよけるも、燃えさかる板塀に突っ込み、なぎ倒し、ボロ家の半分を突き崩してしまった。

 半壊した家の中に、座布団に座ったままの老人がいた。

 茶をすすりながら、ぽつりと言う。

「くくっ、破壊消火とは大胆よのう。さては貴様、江戸火消しの流れをくむ……」

「急いでんだ、思い出話はあとにしてくんな」

 花田はめいっぱいハンドルを切って、超信地旋回もかくやという猛ターンでご隠居の鼻先をかすめ、くすぶっていた板塀を完膚なきまで破壊して道路に脱した。

「おらおら、どいてくれ、こちとら死体積んで急いでるんでえ」

 シンスケはドアをばんばん叩いて住民を散らす。

「なんや、だったらここで焼いときゃよかろ」

「ざけるねえ、他人の骨が混じっちまうわ」

 後部バンパーにネコよけのペットボトルやら、袋詰めした空き缶の束やらがからみつき、ガラガラゴロゴロと音を立てている。

「なんや新婚旅行みたいやなぁ」

 人々は、彼らを手を振って見送るのだった。


 ショートカットにより、花田の霊柩車は、かろうじてタカムナ葬祭の霊柩車に先んじていた。

 わずか後方に、黒漆と金メッキの宮型がじりじりと接近してくる。助手席の男が、早くも拳銃を抜いている。

「やつら客は乗せてないようでっせ」

「こっちはエンジンをチューンしてるが、重さでかなり負けとるようやな」

 なにしろバッテリーすら防爆仕様で、予備まで積んでいる。

 二台はそのままトンネルに入った。直線が少ないから、そうそう抜かれる心配はないだろう。

「シンスケ、シートの後ろからドライアイス出せ」

 運転席の真後ろは、納棺室を隔てて、狭いながらもトランクルームになっている。

 手探りで小型のガスボンベを手にすると、シンスケは空のペットボトルに、炭酸ボンベの中身をぶちまける。白いパウダー状のドライアイスが、雪のようにどんどんたまっていった。

「よっしゃ、転がしとけ」

 キャップをしめ、シンスケはドアのスキマからボトルを転がした。ボトルは二、三度はねるとさらに転がりつづけ、ちょうどアスファルトがワダチになった部分にはまり込んだ。

「よっしゃ、ついでにスモークや」

 屋外用の杉線香の束に、耐風ライターの最大火力で着火させるや、これまた車外へ投げ捨てはじめた。

 もうもうとトンネル内に煙が立ちこめる。

 数秒ほど間を置いて、爆発音と急ブレーキの音が響いた。

「まともに踏みよったですわ!」

「あの音ならタイヤがパンクしたと思うてビビっとるはずやで」

「タイヤどころか床がイカれたかもしれへんだす」

 窓から大きく乗り出したシンスケが、屋根の異変に視線を奪われた。

「やべえっす、アニキ。さっきの火事で汚ねえ煙をあびすぎて、自慢の屋根がススだらけだ」

 花田は、電動ミラーで確認して舌打ちだ。

「こんな汚ねえ霊柩車で焼き場に着いたとあっちゃあ、ホトケさんにも親族の方々にも申し訳がたたねえ。拭いたくらいじゃあ、落ちねえぞ」

 葬儀を台無しにしかねない、まさに絶体絶命のピンチだった。

「オレが彫らせてもらいまっさ」

 ダッシュボードのノミと彫刻刀をポケットに詰め込んだシンスケは、窓から身を乗り出した。

「おまえ、彫れるんかいっ」

 花田はハンドルを握ったまま怒鳴った。これから先は一車線道路だ。対向車があったらまず擦り抜けはできない難所である。

「任せてくだっしゃあ」

 さくさくじょりじょりという気持ちのいい音が響きはじめた。

「アニキ、スピード落ちとるでっ。このままだと、遺体が溶けてまうで!」

 シンスケは削る手をゆるめない。

「まさかワシを気遣うてんか。やめてくんなはれ。ワシ振り落としてでも、突っ走ってくれやぶなななな、ぶげら……っ」

 何かがぶつかる音が聞こえて、シンスケの声が消えた。

「シンスケ、大丈夫か? どっかぶつけたか?」

 答えはなかった。


 薄暗い木々の茂った道を抜けて斎場にたどりつくと、搬入口にぴたりとハッチが寄せられた。

 ストレッチャーを運んできたスタッフが、すぐさま観音開きを左右に開くと、異臭があふれ出る。

 ハンカチで口元を押さえた遺族がぞろぞろ降りてきて、それぞれが深呼吸をした。

 その隙に棺桶は三号炉へ運ばれていく。

「いやはや、ひどい暑さやったわ。冷蔵庫フルパワーにせなんだったら、熱中症で死んどったわ」

「ほんま、ほんま。棺桶からはチャプチャプ音するし、生きた心地せんかったな」

 そんな話で互いをねぎらっているうちに、一人が霊柩車を見やって声をあげた。

「おお、霊柩車の化粧直しとは粋でんな」

「白木やったはずなのに、いつのまにか赤漆塗りになっとるやないけ」

 口々にほめそやす。

 たしかに削りは間に合わなかった。

 だが、霊柩車はみごとに朱塗りされて、ぬれるような艶やかさで太陽の光を受け止めていたのだ。

「シンスケ、ようやった。ほんま、ええ仕事やった」

 首がもげ全身の血を吹き出し尽くして軽くなったシンスケの身体を、花田は抱きしめるように宮型から引きはがした。

「シンスケぇ、おまえは……おまえは男になったんやでェー!」

 花田は男泣きに泣いた。

 汗まみれの白シャツの背中には胡蝶と曼珠沙華のイレズミが浮き出て、やはり泣いているようであった。

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