第四段 ぼくのいのち

一つ目 ぼくのいのち

 

 さてはて、こういう訳で、ぼくのセックスとそれにまつわる諸々の事象は一息ついた。でも実は、まだ先があるのだ。それは、今度はぼくがそれを乗り越えた後の話だ。

 序段で、ぼくの身の周りには憐み深い人々―――つまりキリスト教系カルトの信者が多かった話をした。その後紆余曲折を経て、ぼくと母は、カトリックに落ち着いた。

 ただ、母とぼくでは、抑々信仰のルーツが違う。

 分かりやすく言うと、ぼくは生来の勉学好きが高じて、何でもかんでも調べないと気が済まないし、カルト「憐み深い人々」に所属する祖母キヨ子の影響のせいで、知識に貪欲だった。幸いにもぼくの父は、宗教であったとしても、それでぼくの知的好奇心が満たされるのならばと、交通費を惜しまなかった。ぼくは都会も田舎も、講座があると聞けば飛んでいったし、母は講座の費用を工面してくれていた。あの頃のぼくは、いのちに満ち満ちていて、全てが輝いて美しい恵みの中にあった。ぼくの心の傷は癒えることなどないのだけれども、神父や講師が教えてくれる、短く深い言葉は、ぼくの心を優しくうった。

 いつの間にかぼくは、親子三代信者である老人たちよりも、ずっとずっと神父や神学者と話が合うくらいにまで、知識を膨らませていた。

 カトリックに置いては、三つの条件を侵害しなければ、何を言っても良い事になっている。神父だとそうでもない、というのは勿論あるのだろうが、ぼくたち信者が聖書を使って何をしようと、基本的に組織としての断罪はない。

 その原則と言うのは、「父なる神を信じる」「子なる神を信じる」「聖霊なる神を信じる」。これだけ。

 識者ならば気付いたかもしれない。カトリックは、「聖書を読め」「なんたらを守れ」「オナニーをするな」「毎日祈れ」「信者同士で結婚しろ」「三位一体を信じろ」等と言う事は一言も言っていないのだ。

ぼくの信仰の父であるポール神父に聞いたところによると、「人間はバカだから戒律なんて作っても覚えられないし守れない」だそうだ。無論聖職者には義務の祈りとかがあるらしいが、それはそれ。

 ぼくは二千年の時を駆け、激しく激しく、その時代に恋をした。それはきっと、初めての愛だったのかもしれない。少なくともやおいを見ている時とは別の高揚感があって、それをぼくは他人に憚らず言う事が出来るのだ。

あの時代に行く事も触れる事も叶わない。そもそも聖書に書いてあるだけでは、存在を証明する事にはならない。神だとかイエスだとか、そんなことはどうでもいい。ただ知りたい知りたい。もっともっと、もっと知りたい。ギリシャ語でもラテン語でも、アラム語でもいい。イエスが恋をしたのか? イエスは腹が減るのか? そんなことすら愛しい疑問だ。そしてそれらに解答が存在する。

中でも、ぼくが一番感動したのは、まだぼくが信者にならず、キリスト教そのものを攻撃していた時のことだ。ぼくは原理主義と保守派とリベラル派、過激な所ばかりをつまみ食いした全ての知識をポール神父にぶつけたのだ。ポール神父は最後までフムフム、と聞いた後、流暢な日本語で、すっぱりと断言した。


「知らん!」


 ぼくは衝撃を受けた。いやしくも二千年の伝統を誇り、キリスト教の主たるものと称するカトリックの、末端とはいえ聖職者だというのに、ポール神父は聖書の疑問を「知らん!」と言ったのだ。

 尚もぼくは食い下がり、さらにあれやこれやと尋ねた。するとポール神父は、「どうでもいいや」「好きに想像していいよ」と、これまた通常の社会であれば右ストレートを咬まされるかのように、スッパリと、気持ちよく断言したのだ。

 ぼくは感動した。大いに感動した。世の中には数学以外に、否、真理ですら、「知らない」という正解があるのだと。知らないことが当たり前だから、知っていることが優れているということではない。知らない筈だから、何を考えても良いのだ。


 如何にぼくが、カトリックで開放的な知的活動をしてきたかが伝わったのなら上場だ。


 教会はぼくのいのちで、時折訪れる激しい過去の津波に人々は優しかった。友達が、老人ばかりだった事や、平日の昼間に仕事に行けないような病人ばかりだったことが、悲しくなかったと言えば嘘になる。しかし彼等は、まだ十代のぼくが、神父にタメ口をきいて、尚も自分達よりも遥かに知識を持つぼくに、一目おいていたようだった。ぼくは疑問を持つ事を恥ずかしいとは思わない。知らない事について考えて、間違っていたとしても答えを捻りだす過程を尊ぶ。つまり思考する事はぼくにとって最大の祈りだったのだ。普通の信者なら恐れ多い、だとか言い訳をするようなことも、ぼくは率先して手を挙げて質問をし、そこから新しい知識や格言を引きずり出す。

 ぼくは活き活きしていた。中学校に行けずに燻っていた知的好奇心、学ぶ楽しさ、喜び、そんなものが一気に押し寄せてきていた。

 ぼくはダンスをやっていたので、肺活量が多く、朗読をすればその声は聖堂によく響き、それも弱々しい声帯と人並みの恥じらいを持つ信者達からは褒められた。ぼくは確かに、ダンスグループを追い出され、劇団を追い出された。そんなぼくに与えられた、最後の舞台。それが朗読台の前だったのだ。

 その内、ぼくの行動力や音読の発音の良さ、手慰みのイラストが認知されて行き、ぼくは指名を受けた。

 一つは、盲目の信者に教会報を音読したテープを送るボランティアの会長の仕事。

 もう一つは、ぼくの描いたイラストを、クリスマスの教会報に乗せるということだった。


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