転 そうだんしゃ

 さて、そんな地獄の責め苦のような毎日に、ぼくとて甘んじていたわけではない。ぼくだってそこから抜け出そうと、色々なアプローチを試みた。……のだが、どうもこの辺り、ぼくはエピソードごとに纏めているようで、どうも時間軸がばらばらなのだが、そこはご了承願いたい。

 まず、トワイライトの福祉士に助けを求めた。この頃、リョウが死んだばかりだった。ぼくが前段で語っていた、「家庭裁判未遂」の直前である。ぼくはその時、その手記を福祉士に見せた。ノンフィクション小説だ、と、予め言っておいたが、彼女がぼくにくれた感想は、「リョウとのカラオケシーンでの歌の抜粋は、著作権に触れる」「レイプとか気持ちわるい」だった。まあ、仕方がない。福祉士は社会と患者、或いは患者の自立をサポートするのであって、医学的知識ではなく法知識のプロだ。彼女には、性に興味を持ち始めたぼくが、実在の人物をモデルにして書いたものくらいにしか見えなかったのだろう。

 トワイライトに単位を取りに来た大学生にも見せた。彼女達は、「凄い小説だった。一気読みしちゃった」とは言ったが、ぼくの異常性には気付かなかった。

 そして、ちんこおばけとかんつうとんかちが現れる直前には、マチにも相談した。当時は中学生が、折りたたみ式の携帯電話を漸く持ち始めたころで、まだ着メロとか、そんなのを使っていた時代だった。ぼくは夜な夜なマチに電話した。何を話したか、全く覚えていないが……。……。マチとツチの仲の良さを、腐った視点でからかったことがあった、と、当時の手記に書いた記憶がある。やってることはゴキ腐リであるが、まだ各家にネット環境が無く、そう言ったマナーも普及していなかった。――いや、マナーを造りあげている最中だったのかも知れない。マチには、ちんこおばけに飛び起きたり、かんつうとんかちに飛び起きたりしたときには、いつもメールをした。というのは、もし今ぼくの意識が幻の中ならば、メールの返信は、マチの物理法則を飛び越えた超自然的な登場になる。奴は追い込むようにぼくを犯して殺しに来る。けれども現実ならば、メールの返信だけで済む。それはメールの返信が来るまでの、ほんの数分の間の希望と安らぎだ。

 無論、夜中にそんなメールが毎日届くマチはたまったもんではない。日に日に心配する言葉は無関心の言葉になり、そして攻撃になり、最後には「死にたきゃ勝手に死ねば!! もう誰も止めないから!!」というメールを二回連続で送って終わった。それから暫くして、全く知らないアドレスからメールが来た。マチがぼくを、学校の友達に押しつけたのだ。ぼくの知らない男だったが、それくらいマチも思い詰めていたのだろう。

 だってその時、マチは十五歳で、高校受験を控えていたのだ。狂った子供の相手をして、その後の大学進路に影響するかも知れない大事な一年間を棒に振るわけにはいかないのだ。そして多くの大人が、それに賛同していた。ダンスサークルのボランティアのダンサーに、誤メールを送ったフリをして、相談した時も、「マチは今高校受験で大変なんだから、邪魔しちゃだめ!」と言われた。この頃、ぼくが不登校でリストカットしていることは皆分かっていたので、不登校なんていう中学にも行けないような「ドクズ」の為に、健康で有望な青少年の未来が邪魔されることがあってはならないと考えたのだろう。うむ、健康な40人の生徒を護る為に、1人を弾く。このような考え方は、イエス・キリストが殺された理由にも通じるものだ。素晴らしい功利主義的幸福論である。それを責めてはいけない、何故ならここに現れる登場人物は、医学の専門家ではなかったし、「お医者さんに行きなさい」という一言すら言えないくらいに、マトモで健康優良児サマだったのだから、子供がおかしな事を言っているときは、大体自分に注目して貰いたいだけだと、そう思ったのだ。うむ、誰も悪くない。強いて言うならば、彼等が無知だったのだ。どうしようもないくらい、人を死に駆り立てるほど、無知だったのだ。

 それから、インターネットにも助けを求めた。リョウがやっていたゲームの、二次創作のサイトだ。この頃、ぼくは夜通しチャットをすることに嵌っていて、父に予め了解を得て、チャットをするのが細やかな楽しみだった。ぼくは、自分のサイトの日記と、その懐いているサイトの管理人とに助けを求めたが、当たり前だがただの荒らしなので、もう二度と書き込むな、と最後通牒を突きつけられる羽目になった。画面の向こうにいるぼくを睨み付けるあのキャラクターの顔ほどの嫌悪や怒りといった表現を、ぼくはその後見たことがない。

 それから、ダメ元で父に話したこともあったような気がする。ぼくはトワイライトにこんなことをいう子がいて、と、そんな風に言ったと思うのだが、父はうんうんと聞いてくれた後、「それは妄想だよね」とわかりきった答えだけした。その後、どういう結論になったのだったか、思い出せない。

 その頃唯一、ぼくの望みだったのは、「リストカット症候群」というタイトルのサイトのBBSだった。日々の苦しみを吐き出し、孤独を慰め合い、そうして生きることを頑張っていたのだが、どこからどう見ても、有害サイトである。父がファイアウォールをかけ、出入禁止にしてしまった。ぼくがBBSの特色を話しても、父は中々納得しなかったが、最後にはフィルターを取ってくれた。……が、ぼくがリストカットをすると、当たり前だがファイアウォールが欠けられ、それは延々と続いた。

 こんな感じで、ぼくの相談先は惨敗だったが、一応頼りになれそうな大人もいたのだ。

 具体的に書類上、ぼくがどういう扱いだったのかは知らないが、児童相談所の相談員が、ちょくちょくぼくをカラオケに連れて行ってくれた。児童相談所はその特性からいってプロの精神科医とも繋がっている。話せばきっと、その医者と合わせてくれただろう。

 ただ、大きな問題が一つあった。その相談員は、マチと同じく、男だったのだ。だからぼくは、相談することが出来なかった。


 さて、実はこの話には終着点がある。多分、公演を終えたあと……、いや、そうではない。それよりも前の筈だ。時間が合わない。いつだったか、ぼくはダンスサークルの中学生だけが集まった空間でつるし上げに遭った。

その時言われたことは、ぼくはダンスが下手だと言われても良いが、ぼくがダンス音才能が無いと言うのは許されないこと、マチは力になれないから着信拒否にしていること、マチはちまっこい事を気にしていて、そのことw指摘すると泣き出す程だと言うこと。そして最後にツチが、「悲劇の主人公気取ってんじゃねえよ」と言った。ぼくが中学生達に罵声を浴びて涙を流しながらその場に絶えていると、ツチの親が来て、「喧嘩してないよね?」とか、なんかそんなようなことを言ったような気がする。無論、「喧嘩」はしていない。ぼくが一方的に詰られていただけなのだから、それはリンチと言うべきだ。いやいや、リンチとは暴力を伴うからリンチなのだ。この場合、そう、日本語としては、私刑というのが正しいだろう。

 そんなこともあったが、ぼくの居場所はダンスサークルだった。ぼくが憧れていたオリジナル演目で大役を任され、ぼくは見事踊り切ったが――その公演が終わった次の週、ぼくは精神病院から期限切れで退院してきた母と一緒に、「学校に行けるようになったら戻ってきてもいい」と追い出された。その時、中三の夏だった。ぼくは劇団の中で、最もそのソロパートを高く評価されていたが、それについてDVDで確認することも出来ず、DVDが完成する前に追い出されたのでDVDを貰うことも出来ず、呆然としている母と一緒に追い出された。理由は、「学校に行っていない子が来る所じゃない」とのことだったが、前段でも言った通り、これは肝心なことを言っていない。正しくは、「学校に行っていないアタマのおかしい子が来る所じゃない」である。だって、その時、不登校の子供が他にいたのだから。

 ぼくは勘違いしていた。このサークルの合い言葉は、「チームワーク」だった。チームワークとは、「ワン・フォア・オール、オール・フォア・ワン」であり、皆と力を合わせて何かを造りあげていくということだと思っていた。だがそうではなかった。この団体におけるチームワークとは、「問題を起こさないこと、持ち込まないこと」であって、ぼくというコマがどんな辛い目に遭おうと、知ったことでは無かった。但し、保護者会の息子のツチの親友であるマチや、その後副団長に据えられる、ぼくを私刑に処した中学生の女子達は例外で、問題児であるぼくを、チームワークでもって排斥することが出来たのだ。

 今でもぼくは分からない。良い仕事、クオリティの高いパフォーマンス、その源に問題があることは普通のことだ。どの家庭も、一皮剥けばしっちゃかめっちゃかである。けれども、その為に仲間を助けて良いのは、少年雑誌の主人公だけなのだ。友情というのは、相手のために自分の何かを切り分け与えるのではないのだ。


 だから、ぼくは友情という言葉は嫌いだ。チームワーク、なんて聞いただけで気が狂いそうになるくらいに気持ち悪い言葉だ。呪わしい言葉だ。こうやって文字に起こすのだけでも動機がして、眉間が痺れてくる。

 だが語らなければ。終段、なぜぼくがそのように考えていたのか、それを理解して貰うには、ここを手抜きするわけにはいかないのだから。

 今でもぼくは、友人というべき人々には、「ぼくを利用しろ」という言い方をする。ぼくはそれ以外にしっくり来る言い方が分からない。

 ぼくの持つ知識、労力、時間。それを利用して、キミはキミの優良な事柄をなせと。ぼくはキミから同じように、君の持つ知識、労力、時間を貰っているから、その返礼として、ぼく自身のアイデンティティを提供する、と、こういうわけだ。利用、という言い方に嫌悪感を覚える人の方が多いだろう。だがぼくは、同じくらい、友情という言葉に嫌悪感を覚えるのだ。


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