第26話 安寧秩序

藤堂と男たちは、厳重に警備された護送車に乗せられて去っていった。

彼らの背にずっと鋭い視線を浴びせていた大崎だが、護送車の姿が完全に見えなくなると懐から細長い煙草の箱を取り出した。

口に咥えかけたところで和馬に気づくと、


「まあ、またすぐに釈放されるんだけどね……腹が立つけれど、こればっかりはどうしようもないさ。あいつがまた悪事を働くようなら、また必ず捕まえてやる。それしかないんだ……とにかく、お疲れさま、和馬君」


「ありがとうございます。でも……すいません、僕たちが勝手なことをしてしまって、大崎さんにも理子さんにも、本当にご迷惑をおかけしました」


和馬が深々と頭を下げると、大崎はカラカラと笑って首を振った。


「いやいや、和馬君。僕はね、君にかけられる迷惑ならむしろ大歓迎だよ。それよりも、君が無茶をして万が一のことがあったら……その方がずっと心配だ。ああもう、そんなに頭を下げなくてもいいって。今日のことを忘れなければ、それでいいよ」


和馬はその言葉を肝に銘じた。

門を封じるための力が、自分の意思とは無関係に門を開けてしまうことにもなり得る――二度と同じ過ちを繰り返してはいけない。


「あの、それと……アグさんですが……」


「ああ、彼ね。うん、心配することはないよ。取り調べもお咎めもなし、すぐに魔界に帰れるからね。まあ本人は、もっとこっちにいたいって、ごねてたけど」


その様子を思い浮かべ、和馬は苦笑した。


「じゃあ、今日は家に帰ってゆっくり休んでね。怪我が治るまで、無理な運動とかはしないこと。いいね?」


そう言って煙草に火を点けると、軽く手を挙げて去っていった。

その背中に向けて、和馬はもう一度静かに頭を下げた。


「はいはい、和馬君お疲れ~。え? ああ、もう怒ってないよ。っていうか、最初から怒ってないって。和馬君たちを信じてるからね~。うん、話は聞いてるよ。ご両親にも、もち連絡済み。それより、怪我は大丈夫? いっくら和馬君が頑丈だからって、無理しちゃダメよ~。ま、人のことは言えないけどね。昔のあたしなんて、周りの大人の言うことろくすっぽ聞かなかったからさ、あはははははっ! その点、和馬君は本当に偉いよ、うん。それじゃ、落ち着いたら約束のステーキ食べに行こうね~。バーイ♪」


理子は相変わらずのマシンガントークだったが、優しい言葉に和馬は胸が温かくなるのを感じた。自分を信頼し、心配もしてくれる彼女は、和馬にとって理想の上司だった。


「ミポリンは歩いて帰るの?」


「はい~。命より大事な商売道具を置いてはいけませんから~」


もちろん商売道具とは、リヤカー屋台のことだ。どう考えても非常時における移動の足枷としか思えない。だが、ここまで言われては彼女に手放せとは誰も言えないだろう。


「あ、車が来たみたいだね。じゃ、そろそろ帰ろうか」


「うん! じゃあね、ミポリン、ハズハズ~」


ふと空を見上げると、月が真上にまで昇っていた。

和馬とメルを迎えるタクシーかと思ったが、


「あ、田村さん……」


葉月のお抱え運転手、田村が乗る黒塗りの高級車だった。

そして、その後部座席には、


「あれ、ハズハズのお母さん……だよね?」


誰が見ても一目で分かるほど、葉月にそっくりな顔立ちの女性が心配そうな表情で座っていた。きっと葉月が成長して髪を長く伸ばしたら、そのままこの姿になってしまうのではないだろうか、というほど似ている。

隣には、やはり気が気でないといった表情の、銀髪をきっちりと整えた壮年男性が座っていた。紺のパリッとしたスーツに身を包む、映画俳優かと思えてしまうほどの二枚目だ。

車が止まると、二人はドアを開けるのももどかしいといった様子で外に出てきて、


「葉月~!」「葉月ちゃ~ん!」


捜査中の警察官たちが驚くほどの大きな声をあげて、一目散に駆け出して行った。


「葉月ちゃん? ん、これは面白そう、追っかけよう!」


「え? あ、ちょっと……メルちゃん!?」


興味津々といった顔で袖を引くメルに付き合わされ、和馬もなぜか彼らの後を追うことになった。


葉月は祖母とにこやかに談笑していたが、自分の名前を気恥ずかしくなるほどの大声で呼びながら駆け寄ってくる両親の姿に、


「パパ!? ママ!? どうして来たの! 別に来なくてもいいって……」


瞬時に頬を赤く染め、狼狽の色をあらわにした。

さらに、彼らの後ろに立つ和馬とメルに気づくと、


「あっ……」


言葉を失い、その場に立ちすくんでしまった。

隠し通していた秘密をとうとう知られてしまった、という絶望的な表情だ。


「え……二階堂さん?」「パパ? ママ?」


口をポカンと開ける和馬に対し、メルは意地悪そうな笑みを浮かべた。

あっという間に、葉月は頬どころか耳まで真っ赤になってしまった。


「あああああああああっ! 葉月! パパ、心配したんだぞお!」


「葉月ちゃんに何かあったらどうしようって、ママはもう、もう、ううううう……」


呆然とする葉月を左右から挟み、頬と頬をすり寄せて両親が泣き崩れる。

口をパクパクと動かすが、もう言葉も出せない葉月の手を祖母がしっかりと握り、うんうんと何度も頷いた。


「あら~、葉月さんたら、まだパパ、ママって呼んでいるんですね~。もう中学で卒業したものだとばかり思っていました~」


「あ、う、美帆、それは……」


言いよどむ葉月の太ももに、なぜだか意味は分からないが幸せそうな顔で美帆が頬をすり寄せる。相変わらず行動が読めない人だ。


「あ、気持ち良さそう! あたしも混ぜて~」


美帆の反対側の足にメルが抱きつき、同じように頬をスリスリさせる。自由気ままで天真爛漫な彼女らしいが、傍から見ると凄い光景だ。


「こ、こら、な、何を、して……ゆ、結城、み、見るな……」


今にも消え入りそうな声で葉月が抗議するが、誰も聞いていないのか止めようとしない。もちろん和馬も止める気はなかった。


「それにしてもビックリだね! ハズハズ、甘えん坊さんだったんだ~」


「そうなんです~。もう中学の頃から変わりませんね~。指輪の霊魔も、全部パパさんからのプレゼントなんですよ~。うふふ、本当はパパさん、ママさん大好きっ子なんです~」


「へー、そうなんだ~。何か血統がどうこうとか、光と闇の狭間のなんちゃらとか前に言ってたけど……」


「うう~ん、そう、あれはいわゆる一つの中二病というものですね~。言うと怒るから、私も今まで黙っていましたが~」


「あはは、そっか、そういえば黄昏の騎士とか言ってたしね! ぶはははははっ!」


太ももを挟んで交わされる二人の容赦のないやり取りに、葉月は今にも逃げ出したいといった表情で硬直していたが、


「あ、もしかして貴方は……結城和馬さん?」


ようやく落ち着いて周りが見えるようになったらしい母親の言葉に、思わずびくりと反応してしまった。すかさず、父親も目を輝かせて和馬に顔を向けてくる。


「あっ……はい、結城和馬です。初めまして」


照れ笑いをして軽く頭を下げると、両親が葉月を掴まえたまま迫ってきた。

勢いに押されてたじろぐ和馬に、


「ああ! 和馬さん、先日はうちの葉月を助けていただいたそうで……本当にありがとうございます! この人間界に来てかれこれ二十年、これほど嬉しいことはございませんっ! この御恩、千年宮の守り手、バルロメイン=ナープアルヴィーグ、決して忘れませぬぞ!」


涙を滂沱と流しながら、感極まった口調で捲し立ててきた。まるで一国の王女でも救出したかのような扱いだ。


「いえ、その、お父さん。僕は……」


隣の母親の方はといえば、こちらも満面の笑みで、


「葉月ちゃん、あれからずっと、お家では和馬さんのことばかり話すんですよ。転校してうまくやっていけるか心配でしたが、良いお友達ができたみたいで、私も本当に嬉しくて……」


「は、はあ……」


普段の葉月からは想像もできないようなことを教えてくれた。


「ママ、よ、余計なこと言わないでって! あっ……ゆ、結城? 勘違いするなよ!? 私は別にそんな……」


和馬はちょっと困ったように首の後ろを撫でるだけだったが、メルは敏感に反応した。


「ちょ、ハズハズ!? ダメだよ、和馬はメルのダーリンなんだから~」


「うぇ!? な、何を言って……私はそんな、結城のことなんて全然……いや、気にならないっていうんじゃなくて……えっ……ち、違う、そうじゃない! ママ、ちょっと黙ってて……」


「あら~、じゃあ私も混ぜてください~」


ぐったりとした様子の葉月に、怒った顔を見せながらも変わらず太ももに抱きつき続けるメル、何を考えているのかさっぱり分からないが、とにかく楽しそうな美帆。

目の前で繰り広げられる大騒ぎに、和馬も自ずと笑みがこぼれてしまった。


(やっぱり、平和っていいなあ……)


暖かな微風が、和馬の頬を優しく撫でていった。


(終)

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封門師・結城和馬の平和主義 加持響也 @kaji_kyoya

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