第25話 一件落着

目を開くと、葉月が胸の中にいた。


「あっ……あれ?」


今まで思い浮かべたことすらなかった状況に、頭が追いついてこなかった。

葉月が和馬の胸に顔を伏せたまま、むせび泣いている。

彼女の肢体の柔らかな感触に、心臓が高鳴った。思わず、唾を飲み込んでしまう。


「二階堂、さん?」


「え?」


和馬が恐る恐る呼びかけると、葉月が目をぱちくりさせて顔を上げた。

数秒間、お互いに何が起きたのか理解しかねるといった表情で見つめ合っていたが、


「ば、バカ! 離せ! きゃっ!」


一旦和馬を突き飛ばそうとした葉月が、風に流されそうになって、再び抱きつく。

ここでようやく和馬は、自分の置かれている状況を呑み込んだ。

足元に広がる巨大な『門』――感情のコントロールを失い、和馬が開けてしまったのだ。


(何とかしなきゃ!)


強張った表情でこちらを見る、藤堂たちの姿に気づいた。

葉月の祖母とメルも、相変わらず囚われのままになっている。

どうにかしなければならないが、まずはこの巨大すぎる門を封じることが先決だった。

呼吸を整える。身体中に走る痛みで、先程男たちに好き放題殴打されたことを思い出した。

満身創痍の今、果たして門を封じることができるのか――。

そもそも、ここまで巨大な門など封じた経験がない。


(だけど、やらなきゃ!)


それが自分の役割、果たすべき任務だ。

覚悟を決め、意識を集中させる。右手に封門の光が宿った。強い風に逆らいつつ、それをゆっくりと門に近づけていく。

だが――。


(間に合わない!?)


獣じみた咆哮が、こちらの世界に向かって高速で近づいてくる。

門そのものを揺るがすような巨大魔族の声はまだ遠いが、それより先に別の魔族が来てしまうようだ。


(力が……足りない!)


男たちのリンチに加え、巨大な門を開けてしまったために体力も精神力も思った以上に消耗している。このままではさすがの和馬も気を失ってしまうだろう。

しかし、逡巡している余裕はない。

たとえこの場で倒れても、やるしかないのだ。

和馬は右手を伸ばし、門に押し当てた。左手を上から重ね、詠唱を始める。

葉月が吹き飛ばされそうになりながらも、背中にしっかりと掴まっていた。


「結城……私の力を使え!」


背中越しに、葉月が魔力を直接和馬の肉体に流し込んでくるのが分かった。

彼女の父は上級魔族だというが、夢魔のメルと同様の能力を有していたのだろう。身体の奥から、熱い力が湧き上がってくる。

和馬はしっかりと目を見開き、詠唱を続けた。

徐々に紋様の色合いが薄くなっていく。だが、風の勢いは収まらない。

魔族の咆哮が、すぐ間近に迫った。和馬は己を信じ、ひたむきに作業を続ける。


「はっ!」


力強く発声すると、和馬の両手が強い光を放った。同時に、床に描かれた紋様が消えていく。

だが、閉門作業が完成するよりも一瞬早く門が歪み――危険を察した和馬は、


「きゃっ!」


葉月を抱き寄せると、横に跳んだ。

門は閃光と共に消え失せたが、その魔族は凄まじい勢いで飛び出してきてしまった。

魔族の巨体は強風に流され、両手足をバタつかせながら――成り行きを注視していた藤堂たちの方へ向かって行く。


「のわああああああああっ!」

「ぎゃっ!」


悲鳴をあげながら吹き飛ばされたその魔族の、全身これ筋肉の塊といった感じの巨体が、身を寄せ合っていた藤堂と配下の男たちを一瞬で押し潰した。

咄嗟に葉月を庇った和馬が顔を向けると――意外な者がそこにいた。


「あれ? ……もしかして、アグさんですか?」


巨大な体躯を誇る魔族は、自称・万魔堂の旋角鬼こと、アグチュラド=ゴルバトレスだった。


「い、いつまで触っているんだ、結城!」


「あ、ごめん……」


顔を真っ赤にして怒る葉月に、和馬が慌てて身体を離す。一瞬、気まずい沈黙が二人の間を流れたが、すぐに重大なことを思い出した。


「メルちゃん!」「おばあちゃん!」


藤堂の術から解放され、床に倒れている二人に駆け寄る。外傷こそ無いようだが、術によって魔力を絞り取られ、深刻なダメージを負っている様子だった。

葉月が『医師』を召喚し、大急ぎで治療にあたらせる。


「いたたたた……ぬう~、ここは一体何処なんだ? ん、あれ、もしかして人間界!? ああん? な、何だ、このむさ苦しい男どもは……って、あれ? 和馬君!?」


図らずも男たちを撃退してくれたアグが、当惑しきった様子で大きな顔を向けてくる。和馬に気づくと、慌てふためいた口調で弁解を始めた。


「いや、ち、違うぞ、和馬君! こ、今度は不法入国じゃないから! その、何だかさっぱり分からぬが、ふらふらと歩いていたら空がパカッと開いてな、で、いきなりとてつもなく強い力に引き寄せられてしまってな……いやいや、本当にビックリした! そ、それで……」


「大丈夫、分かってますよ、アグさん」


「え?」


「僕が呼んだんですよ、こっちの世界に……人間界にようこそ、アグさん。それと……ありがとうございます」


和馬がニッコリ微笑むと、アグは「へ?」と間の抜けた声で答えた。


「おばあちゃん……おばあちゃん!」


「ああ……葉月……ありがとう……綺麗になったねえ」


涙をポロポロと零し、葉月が祖母との再会を喜んでいた。

言葉にならず、ただ泣きつくだけの彼女の髪を、祖母が愛おしげに撫でる。


(良かった……)


二人の様子に、和馬も心の底から安堵していた。


やがてメルも、意識を取り戻した。何度か弱々しい瞬きを繰り返すと、


「かず……ま?」


乾いた声で問いかけてきた。和馬が小さな手をそっと握って頷くと、


「和馬!」


「ちょ、ちょっとメルちゃん。まだ動いちゃダメだって……」


ぴょこんと跳ね起き、いきなり抱きつくと唇を突き出してきた。


「やだ~、お目覚めのキスがないとお姫様は目を覚まさないの~。和馬がチューさえしてくれたら、あたしは体力全回復なの~」


足をバタバタとさせて甘える姿は、どう見ても完全復活状態だった。

治療中に葉月の手を借りて服を着させておいたから良かったものの、全裸のままだったら大変なことになっていたかもしれない。


「あ! そういえばあの嫌味な魔術師! あいつムカついたわ~、もう殺しちゃった? まだ? まだならあたしが……」


メルの言葉で思い出し、相変わらず事態が呑み込めていないアグの下敷きになっている男たちに目を移し――和馬は絶句した。


「しまった!」


藤堂の姿がいつの間にか消えている。

男たちと同様、気絶しているのだとばかり思いこんでいたのが不覚だった。

血相を変えて辺りを見渡すと、窓際に人影が映っていた。


「ふはははははっ、油断したな結城和馬! この偉大な私が……ぐっ……あの程度のことで打倒されるとでも……ふぎっ! ……思っているのか愚か者めっ!」


稀代の魔術師と恐れられる男が、和馬を指差して高笑いする。

だが、その痛々しい様子を見る限りでは、やはり骨の一本や二本は折れているのではないかと見受けられた。

和馬と葉月が同時に立ち上がるが、


「ふっ……い、いずれ、お前たちに本当の地獄を見せてやる。偉大なる我ら人類と下賎な魔族どもの共存など所詮不可能な夢物語なのだ! 楽しみに待つがよい、くくく……」


すっかり汚れてしまったスーツの裾を翻し、その場から消え――なかった。


「はいは~い、どおも~、どもども! 呼ばれて飛びてて皆殺し、みんなのアイドル、茅原市の誇る絶対暴力担当、剣巫女の佐竹美帆でぇ~す」


お馴染みの気の抜けた声――満面の笑顔を浮かべた美帆が、上弦の月を背に魔術師の前に立ち塞がっていた。

浄化した魑魅で構成された鎧は解けたようで、制服にエプロンという普段の装いだ。


「あっ……美帆さん……」


和馬は声を失った。藤堂の襟首をがっちりと掴んだ美帆の髪は、先程の術の効果なのだろうか、すっかり白くなってしまっている。


「なっ……お前は……いや、ちょ、ちょっと待っ……」


「残念でした~。私は、悪党の言葉に一切合切聞く耳なんて持ち合わせてませ~ん」


気の抜けた掛け声だが、美帆は容赦しなかった。

襟首を掴んだまま、藤堂の貧弱な身体をぐいと持ち上げる。右拳を握り締めると、


「貴方ごとき雑魚には『鬼遣』を抜くまでもありませんね。はい、まずは私の大事な葉月さんの分!」


「うべぇっ!」


強烈なボディブローを叩き込んだ。藤堂の身体が文字通りくの字に折れる。たまらず吐瀉物をまき散らすが、その程度で許す美帆ではなかった。


「続いてこれは、葉月さんの優しい御祖母様の分!」


「ごばぁっ!」


今度は風が唸るような大振りのボディフックが、藤堂の脇腹をえぐった。軽く骨の二、三本は粉砕されているだろう。

ボロ雑巾のようになった藤堂の身体が小刻みに痙攣している。


「まだまだですよ~。そしてこれは、可愛いメルさんの分!」

「んがあっ!」


天まで突き抜けるような見事なアッパーカットが、藤堂の華奢な顎を打ち砕く。

顎の骨はもとより、首にも深刻なダメージが与えられたことは疑うまでもない。


「あ、美帆さん、それぐらいで……」


「最後にこれは、私の大好きな和馬さんの分!」


「ちょっと、ミポリン!? 和馬はあたしのダーリン!」


メルが聞き捨てならぬと眉をひそめる。藤堂はもう、何も言葉を発しなかった。

襟から手を離し、宙に浮いたところへ、顔面ど真ん中への、めり込むような痛烈無比のストレートパンチ。

藤堂は血と歯を撒き散らしながらきりもみしつつ吹っ飛ばされ、そのまま床に落ちるとピクリとも動かなくなった。


「いぇ~い。これにて一件落着ですね~。あ、大丈夫ですよ、和馬さん。だいぶ手加減しましたから死んでませんよ~、えーっと、たぶん」


一点の曇りもない無邪気な笑みと共に、和馬にピースサインを向けてきた。

あれでも一応、彼女なりに手心を加えていたらしい。本気なら藤堂は間違いなく死んでいただろう。今でも生死が危ういと思われるが。

ともかく、髪が真っ白になった以外、何一つ変わらない彼女に和馬は安堵した。


「ずるいよミポリン~。いっつもおいしいとこだけ持ってっちゃうんだから!」


何台ものパトカーのサイレンが、こちらに向かって近づいてくる。和馬はようやく肩の力を抜き、太い溜め息を漏らした。

何はともあれ、事件解決であった。


(続く)

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