第19話 悪逆無道

異様な部屋だった。

広さは学校の体育館ぐらいあるだろう。

テーブルが雑然と並べられ、その内のほとんどがフラスコやシャーレといった実験器具で占められていた。

液体がコポコポと沸騰する音が、そこかしこから聞こえてくる。

硫黄のような臭いが鼻をついた。

ねっとりとした湿気が身体に絡みついてくるような蒸し暑さだ。


「ふん、警官隊よりも先にお前たちが来るとはな。想定外の事態だよ」


部屋の奥から、不機嫌そうな男の声が聞こえてきた。

油断なく辺りを窺いながら奥へと進む。

すると、この場には似合わない黒革の肘掛椅子に腰かけた男が和馬たちを待ち受けていた。

中肉中背の、特に目立った印象を周囲に与えないような雰囲気の男だ。

年齢は二十代後半といったところだろう。

仕立ての良さそうな灰色のダブルのスーツに、茶色い革靴を履いている。

黒髪の一部が光っているように見えるのは、白髪の束のようだ。

腕組みをして和馬たちを見据える目つきも、今の口ぶりも、いかにも他人を見下し慣れたような態度だった。


(この人が……藤堂蔵馬!)


漂わせる魔力の強さに、和馬は男が秘密結社『白志正道社』の首領だと察した。

 

藤堂が気取った感じで指を鳴らすと、彼の背後に目つきの鋭い男が四人現れた。

和馬の鼓動が速くなった。

四人の力量は、見たところ外にいた連中と大差ないようだ。

だが、藤堂蔵馬――この男は、まぎれもなく危険な魔術師だった。


「藤堂蔵馬! 私の祖母を返せ!」


「メルちゃんはどこに!」


二人の問いに、藤堂が口元を醜く歪めた。

椅子に座ったまま、腕を解いて軽く手を挙げる。

彼の上方、何もなかったように思えた空間に――小柄な人影が二つ、浮かび上がった。


「おばあちゃん!」「メルちゃん!」


葉月の祖母とメルが、十字架にかけられたような態勢で宙に浮かんでいた。

異様な光景だった。

二人の身体には、薄い紫色の蔦のような物が絡みついている。

メルが一糸纏わぬ姿にされていることに、和馬の血が逆流した。

二人とも、和馬たちの呼びかけに気付いたようで、薄く目を開けた。

だが、声を発することすら困難なほど憔悴しきっているらしい。


「よくも……メルちゃんを!」


「結城!? 待て、落ち着けっ!」


和馬のかつてない憤怒の形相に、葉月の方がかえって冷静さを取り戻した。

彼女の言葉で、かろうじて和馬は爆発しそうな怒りをギリギリで抑え込むことができた。


「なぜ……何のために、こんなことを……」


「ふふ、お前は封門師の結城和馬だな。お前たちのことは事前に調査済みだ。能力だけではない、家族構成も友人関係も、全て把握している。もっとも、お前たちだけではないぞ。この茅原市に巣食う人類の敵共は全て、な。くくっ、くくっ……」


和馬の問いには答えず、藤堂はニヤニヤと不快な笑みを浮かべた。

家族・友人の顔が、次々と和馬の脳裏をよぎる。

この卑劣なテロリストは、無関係な人々まで巻き込もうというのか。

熱い怒りが再び、胸中を駆け巡った。


「この施設はな、私の研究と実験のためのものだ」


「実験……まさか、貴様は……」


「そうだ、二階堂葉月。お前は穢らわしい魔族とのハーフだったな。そう、魔薬の開発施設さ。魔族どもを捕らえ、瘴気を奪い、調合する……お前の祖母を浚ったのもそのためだ。老い先短いババアとはいえ、さすがは魔界でも最上位の血統だな。瘴気をたっぷりと搾り取らせてもらっているよ。しかも、若い夢魔までおまけで付いてくるとは、実に今宵の私はツイている」


聴く者の背筋に悪寒を走らせる、血の気を感じさせないねっとりとした口調だった。

人を人とも思わぬ極悪、まさに『冷血漢』という言葉が相応しい男だ。


今すぐにでも飛び出して二人を救出したいが、迂闊には動けない。

悲憤に胸を焦がしながらも、和馬は奥歯を噛み締めてじっと機会を窺っていた。


(どうにかして、隙を作ることができれば……いや、でも……)


相手は魔術師で、秘密結社を束ねる男だ。

容易にはつけいる隙を与えてくれないだろう。

それに和馬も、これ以上の犠牲を出すことなく事態を解決したい。

藤堂は許せないが、彼を独断で裁くのは和馬の信条に反していた。


ならば――。


(続く)

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