アカの閉幕

「はっ、はぁっ、はぁ……はぁ……はぁ、はぁっ、ん、ぐ……」

 息を切らしながら、アカはひたすら走る。

 足下の瓦礫は疎らになり、走るのに支障はなくなってきた。どうやら町の……この国の外側に近付いてきたらしい。元々小さな国だけあって、ちょっと走るだけで簡単に『国外』に出られたとしてもさして不思議ではない。

 しかし国の外に出たところで、安全とは言い難い。

 今は遠く離れているが……争うデボラ二体にとって、国という人間が勝手に敷いた枠組みなど関係ないのだから。

「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ……! ああ、くそっ。くそっ、クソクソッ!」

 アカのやや後ろを、ハルキが走っていた。さっきから延々と悪態を吐いており、少しずつだが足が遅くなっている。喋る体力があるのなら、それを走る方に割くべきだ。ついでに言うとちょっと五月蝿い。

「五月蝿い。黙って走って」

 アカは思った事をそのまま、ハルキの方へ振り返る事もなく伝える。

「あぁクソッ! 分かってるよ! うぁぁっ!」

 するとハルキは、本当に分かっているのか甚だ怪しい叫びを上げた。

 やはり五月蝿い。が、二度目の忠告はしない。

 きっと、ハルキは怖いのだろう。

 勿論アカもデボラは怖い。踏み潰されて死ぬのなんて嫌だし、熱光線で焼かれるのも嫌だ。光彦や早苗のように吹っ飛ばされるのも勘弁してほしいし、半端な大怪我を負って動けなくなり餓死……というのは一番止めてほしい。

 だけどこんなに取り乱すほど怖いとは思わない。

 今まで何度も見てきた人や動物と同じように、自分もまた望んでいない形で死ぬだけだと思うだけだ。

 とはいえ大人達が自分と違う考え方なのは知っているし、ハルキもどうやら大人達に近い考え方らしい。ハルキはデボラの事が怖くて怖くて堪らないのだろう。そういう人間に静かにしてと頼んだところで、黙るどころかますます喧しくなるのが関の山だ。これ以上言っても仕方ない。

 幸いにしてハルキが叫んでも、アカの走りの邪魔にはならない。好きなだけ騒がせるとしよう。

 それよりも自分の方が問題だった。

「(流石に、そろそろ、疲れてきた……感じ……!)」

 もう何十分も走り続けている気がする。『ヤバい奴』から全力疾走で逃げた経験は一度や二度ではないが、こんなにも長い間走り続けたのは初めてだ。ふくらはぎが張り、痛い上に動きがぎこちなくなっている。

 根性を出せば走り続ける事は出来る。出来るが、こんな状態で走っても、歩くのと大差ないスピードが限界だ。加えて何か突発的な事態に見舞われたなら、疲労困憊の身体ではなんの対処も出来ないだろう。

 それならばいっそ休んでしまい、体力の回復に努めた方がマシではないか。

 この考えが疲労から来る甘えか、はたまた理性的判断による合理的選択か。アカには分からないが、拒絶するほどの気力もない。アカは段々と足から力が抜け、走りが歩みへと変わり、立ち止まるのと同時にその場にへたり込む。一度膝を付いてしまえば、もうしばらくは立ち上がる事すら出来そうになかった。

 後ろを走っていたハルキはアカを追い抜いた、が、彼もまた崩れ落ちるようにその場に跪く。息は絶え絶え。倒れるように寝転がり仰向けとなる。

 二人揃って、この場から動けなくなってしまった。

「もぉー……無理ぃー」

「お前……止まるなら、止ま、げほっ! ごほっ、がほっ!?」

 力尽きるアカに、ハルキが文句のようなものを言おうとしてくる。どうやらアカにつられて立ち止まってしまったらしい。だとしたら申し訳ない……なんてアカは思わず、つられたそっちの責任じゃんと感じた。尤も、ハルキのようにクレームを入れられるほどの体力は残っていないので、アカは何も言わなかったが。

 アカは残っていた僅かな体力を振り絞り、ごろんと寝返りを打って姿勢と身体の向きを動かす。形はうつ伏せ、頭の向きを自分達が走ってきた方へと変えた。そこに丁度良く転がっていた瓦礫に顎を乗せて前を見据えれば、楽に眺められる。

 地平線近くで未だ戦い続けている二匹のデボラと、そのデボラを観察する超巨大デボラが。

「(さぁて、どっちが勝つかなー)」

 アカは漫然と、そんな事を思う。

 しばし走るどころか立ち上がれそうにない。そしてデボラの戦いが、あの超巨大デボラが現れてから激しさを増している事からして……恐らく遠からず決着が付く。

 ならばその決着を見ておこう。そんな気持ちからの行動だった。

【ギ、ギィイ……!】

【ギギギギ……!】

 二匹のデボラは互いに相手の両前腕の付け根をハサミで掴み、ガッチリと固定して互いに相手を離さない。押し合い、捻り、引き……様々な動きで相手の隙を誘うが上手くいかず、膠着状態が続いていた。

 しかし一方のデボラの足下は、不運にも脆かったらしい。デボラの重さに耐えられなくなったのか、不意に鈍い音を鳴らして大地が陥没。一方のデボラが体勢を崩した。

【ギッ! ギィイイイッ!】

 そのタイミングを狙っていたかのように、無事だったデボラが片方のハサミに渾身の力を込める!

 足下の陥没で僅かに気が逸れたのか、体勢を崩したデボラのハサミの付け根は込められた力に耐えられず……ぶちりと生々しい音と共に、引き千切られた!

【ギィイイイ!? ギギギギィイイイイイイイイッ!】

 これには流石のデボラも痛みがあるらしく、大きな叫び声を上げた。されど逃げ出そうとする素振りすらなく、むしろ自分を傷付けた者に更なる敵意を見せ付ける。

 腕を切られても戦うなんて、アカにはきっと真似出来ない。果たしてこの戦いはどちらが勝つのか、アカは益々興味を抱く……とはいえこのままではどちらがどのデボラか見分けが付かない。なんとなく優しげな顔をしている ― そして今し方片方のハサミを引き千切られた ― 方を片腕のデボラ、どちらかといえば顔が厳つく見える方を厳ついデボラにしよう。

 厳ついデボラは引き千切ったハサミを投げ捨てると、自由になったハサミで片腕のデボラを殴り付けた。ガヅンッ! と響く音は遠く離れたアカの身体をも震わせ、その力の大きさを物語る。されど片腕のデボラはビクともせず。それどころかもう片方のハサミを捻るように動かし、相手を自分と同じ目に遭わせようとしていた。

 腕を引き千切るだけでは決め手にならないのだろう。

 そう思うアカの考えが正しいと物語るように、デボラ達に新たな変化が起きる。

 二体のデボラは背中の甲殻を翅のように開いているが、その翅が段々と輝きを増していたのだ。更にデボラ達の周囲が一瞬で銀景色へと変わり、アカ達の居る付近もひんやりとしてくる。パキパキと彼方から聞こえてくる音は町が、否、国そのものが凍結し始めている証だ。

 デボラ達が周りの熱を吸収している。これまでの戦いも多少なりと見ていたアカは、デボラ達が熱光線白い光を至近距離から撃ち込むつもりかと考えた。しかし少し間を開けて、どうにも様子がおかしいと気付く。輝きがどれだけ強くなっても、デボラ達が熱光線を放つ気配は一向にないのである。

【ギギ、ギ……ギィイイイッ!】

 厳ついデボラが吼えると、そいつは大きなデボラの顔面に強烈な頭突きをお見舞いする! さぞや強烈な一撃だったのだろう。片腕のデボラは大きく仰け反り、掴んでいたハサミを開いた。頭突きを喰らわせた方である厳ついデボラもハサミを開き、自由になった両者はお互い離れるように後退り。

 されど『予期せぬダメージ』を負った、頭突きを喰らった片腕のデボラの方が体勢を大きく崩している。

 厳ついデボラは、折角のチャンスを逃す間抜けではなかった。

【ギッギィイ!】

 一際大きな気合いがこもった、人間にはそのように感じられる叫びと共に厳ついデボラが飛んだ・・・

 正確には跳躍なのだろう。しかしただ跳ねただけではない。

 開いた二枚の翅の先――――そこから熱光線を真後ろに向けて射出し、その身を押し出しているのだから!

 コンクリートを易々と溶解させる熱光線を、攻撃ではなく推進力として用いる。そうして得られた加速は、厳ついデボラの巨体をただの体当たりとは比較にならない速度まで押し上げる! 仰け反っていた片腕のデボラもこの体当たりに気付いたのかビクリと身体を震わせたが、しかし高速で迫り来る巨体を避ける時間はない。

【ギッ!?】

 ぐしゃりと、体当たりを受けた片腕のデボラの甲殻が凹み、体液が飛び散る。外傷を受けるほどの一撃だ。ダメージとしては決して小さくない。

 だが、再起不能に陥るほどではなかったようだ。

 体当たりを喰らった片腕のデボラは、開いていた翅を大きく輝かせた。そう、熱を吸収していたのは厳ついデボラだけではない。攻め込まれた片腕のデボラの身体には未解放のエネルギーがある!

 片腕のデボラが一際強く翅を光らせた、刹那、翅から熱光線が放たれた! ただし熱光線が向かう先は、向かい合う厳ついデボラではなく、かといって自分の真後ろでもない。

 右斜め後方だ。

 そして熱光線を放ったのと同時に、片腕のデボラは己の身体を大きく捻り……己の長大な尾を振るう!

 熱光線による加速を受け、デボラ必殺の一撃は更なる威力を持つ! 加えて厳ついデボラは、体当たりの反動で僅かに身体が浮いていた。全ての足が大地から離れ、踏ん張る事の出来ない体勢にある。

 厳ついデボラがどれだけ足をばたつかせても、ハサミをがむしゃらに振り回しても、もう遅い。

 片腕のデボラ渾身の一撃が、厳ついデボラを打ち飛ばした!

【ギィギイギギギィイイイイィイッ!?】

 薙ぎ払われた厳ついデボラは、地上を蹴られたボールのように転がっていく。さしものデボラも自らの重量と、必殺技ともいえる大威力の一撃は大きなダメージになったようだ。巻き上がる粉塵や瓦礫に混ざり、小さな足が何本か飛んでいくのがアカにも見えた。

 足がもげるなど、人間からすれば致命的な傷だ。無数の足を持つデボラにとっても、決して無視出来る怪我ではあるまい。

 つまりそれは最大のチャンス。

 片腕のデボラは駆けた。熱光線による加速は行わない。己の筋肉だけを用いた全力疾走で厳ついデボラに接近する。切断された腕の断面から体液が溢れ出していたが、一瞥すらしない全力疾走。

 そして走り続ける片腕のデボラの、残っていたハサミが赤く輝く!

 光り輝くハサミの先からは真っ白な、人間であるアカの目にも分かるぐらい莫大な熱量を放つ! その熱の輝きは少しずつ、ハサミの周りから離れるように伸びていく・・・・・

 厳ついデボラが立ち上がった時にはもう、片腕のデボラは大きく振り上げたハサミの射程内に厳ついデボラを捉えており、

【ギギギギギギィイイイイイッ!】

 吼えるのと共に片腕のデボラは、剣のように伸びた光を腕と共に振り下ろした!

 厳ついデボラは素早く両腕を振り上げた、が、光の剣はその両腕を易々と切り裂く! 切断されたハサミからは体液が溢れず、熱を吸収するデボラの身体を焼き切った・・・・・のだとアカは察した。

 そして光の剣は厳ついデボラの頭目指して迫り、

【ギィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!】

 厳ついデボラは、その頭を強引に逸らした。

 どのぐらい強引か? 身体を構成する甲殻が砕け散り、まるで軟体動物か脊椎動物のように頭の位置を逸らすぐらい強引だ。傷口から体液が噴き出し、傷の深さを物語る。

 その強引さの結果、片腕のデボラが振り下ろした光の剣は厳ついデボラの頭ではなく、首の付け根辺りを斬り付ける事となった。頭ではないので致命傷ではない……致命傷ではないが、極めて深い傷だ。

【ギギギィイイイイイイイ!? ギィィィィ……ギ、ギィ……!】

 斬られた厳ついデボラは大きく後退りをして、崩れるようにその場に寝そべる。

 片腕のデボラも力を使い果たしたのか、その場で膝を付いた。先の一撃は、正しく必殺の一撃だったらしい。体力を大きく消耗した様子だ。引き千切られた腕の断面からの出血も多く、かなり危険な状態に見えるが……厳ついデボラに比べれば、幾分マシに思える。

 大勢は決した。アカにはそう見えた。

【ギギオオオオオオオオオオ!】

 そしてその見方は、超巨大デボラにとっても同じようだ。

 超巨大デボラが一声上げると、二匹のデボラは超巨大デボラの方へと振り向く。無論二匹とも満身創痍な上に重傷だ。その動きは酷くゆっくりなものだが、当人達としては必死な動きなよう。

 そして超巨大デボラが動き出す。

 動き方は決して速くない。しかし圧倒的な巨体だからか、凄まじいスピードでデボラ二匹に接近。

 傷だらけになったデボラ二匹は、超巨大デボラに擦り寄る。超巨大デボラは傷だらけのデボラ二匹を交互に見つめ、頭にある触角で優しく触れていく。

 最後にこつんと頭の先で触れたのは、アカが片腕のデボラと名付けた方……必殺の一撃を喰らわせたデボラだった。

【……ギキィ、ギィィィィ……】

 触れられなかった方は物悲しげな声で鳴き、しかしそれ以上の事はせず、超巨大デボラと片腕のデボラに背を向ける。傷付いた身体を引きずるようにして去る姿は、アカにも哀愁を感じさせた。

【ギィ! ギギィ! ギィギィギッ!】

 対して選ばれた片腕のデボラは、まるで子供のようにはしゃいでいる。はしゃぎ過ぎて身体中の傷口から体液が溢れ出したが、全くのお構いなしだ。超巨大デボラに擦り寄り、人間の目にも分かるぐらい喜んでいた。

 超巨大デボラはちらりと片腕のデボラを見遣ると、軽やかな動きで片腕のデボラに背を向ける。すると片腕のデボラは素早く、ある種の必死さを感じさせる身のこなしで超巨大デボラの尾に跳び乗った。

 片腕のデボラは自らの尾を巻き付けるように、超巨大デボラの尾の下に潜り込ませる。潜り込ませた尾はしばしもぞもぞと動かしていたが、不意にピタリと止めた。

【ギィギイイイイイイイイイイイイイイイッ!】

 そして片腕のデボラが大きく仰け反りながら、途方もない咆哮を上げた。

 十数キロと離れている筈のアカ達の身体が、ビリビリと震えるほどの大声だった。近くで聞いたなら、もしかしたら声に殺されるのではないか。そんな予感を覚える。

 アカは人間だ。だからあんなエビの怪物の気持ちなんて分からない。

 けれども今の声には、アカでも分かるぐらい喜びが含まれていた。何処までも純粋で、言葉に出来ないほど強い――――種の枠組みさえも超えてしまう、根源的な喜びを。

 デボラ達が何故戦っていたのか、何故あのデボラが喜んでいるのか、今のデボラが何をしているのか……どれもアカには見当も付かない。だけど一つだけ、確実に分かる事がある。

 デボラとデボラの戦いが終わった。

 つまりはこれ以上、何処かに逃げる必要なんてないという事。

「……疲れた」

 ぽつりと独りごちたアカは、デボラに向けていた目をゆっくりと閉じるのであった。

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