アカの生存

 重たい。

 こんなにも重たい感覚を味わったのは、産まれて初めてだ。手足もろくに動かせないし、胴体も押さえ付けられているかのように強く圧迫されている。おまけに辺りは真っ暗で、何をどうすれ良いのかもよく分からない。

 そんな状況に、今のアカは置かれていた。

「(うーん、これはアレか……生き埋め・・・・というやつか)」

 冷静に……というよりいっそ暢気なほどに、自分の状況をアカは的確に理解する。理解した上で、変わらずゆっくりと考える。

 このまま生き埋め状態のままだと、どうなるだろうか。

 じわじわと押し潰される、なんて事になるのかも知れない。仮にならなくても、このまま下敷き状態ではご飯も探せない。ご飯を食べないとお腹が空いて、やがて死んでしまう。

 死ぬのはあんまり怖くない。周りでバタバタ人が死に、死んだ亡骸からものを盗って生きてきたアカにとって、死とは忌むべきものではないのだから 。

 しかしお腹が空くのは駄目だ。出来る事なら満腹状態で死にたい。

 つまりこの死に方は『お断り』だ。

「ぬ、ぐ、ぐぎ、ぎ……!」

 唸り声と共に、アカは両腕に渾身の力を込めていく。

 本能のまま出したフルパワーは、ほんの僅かだがアカの上に乗っている『何か』を押し退けた。すると僅かながら風がアカの顔に吹き付ける。風が来たという事は、この先に外へと繋がる隙間がある証だ。

 アカは素早く腕を前へと伸ばした。真っ暗なのでろくに何も見えていないが、野生の勘によるものか、伸ばした手は一発で隙間に入り込む。

「ふぬ、ぬぎぃいいいいい……!」

 取っ掛かりを得たアカは、更に全身に力を込めた。ここで力を抜けば、押し退けたものが反動と共に一気に戻ってくる。そうなれば本当に潰される。アカはなんとなくだがそれを察していた。

 気合い、凄み、執念。

 どう表現しても良いが、要するに『根性』により、アカは己が身体をついに起こす。そのまま上へ上へと、行く手を遮るものを素手で退かしていき……

「ぶっはぁ! はぁ、はぁ……出口だぁ!」

 自力で、アカは生き埋め状態から脱してみせた。

 きょろきょろと辺りを見渡せば、一面瓦礫だらけの景色が映る。というより瓦礫しか見えない。人の姿どころか草木や動物の姿もない、彩りこそ様々だが非常に殺風景な景色が広がっていた。

 アカが埋もれていたのは、そうした景色を作る瓦礫の一部。瓦礫といっても石材の類は少なく、木の板や薄いトタン板など……この国の家々の材料が殆ど。

 つまりこの瓦礫達は元々この国に建ち並んでいた住宅であり、アカはそれらの下敷きになっていたという事だ。

 さらりと超人的生還を果たしたアカ。しかしながら彼女は何故生き埋めなどという事態に陥っていたのか。

 その答えは、アカから十キロは離れた場所にある。

【ギィイイイイイイイッ!】

 空気がビリビリと震えるほどの、恐ろしい叫びと共に『巨大エビ』が駆ける。最早家の欠片すら残っていない荒野を、身体の下に生やした無数の足で突き刺しながら猛スピードを出していた。

【ギィギギギギィィイイイイイッ!】

 その『巨大エビ』を待ち構えるのもまた、『巨大エビ』であった。

 互いに一歩も退かなかった両者は正面衝突。しばらくしてアカまで届いた爆音は、心臓が止まるのではないかと思うほど大きなものだった。しかし『巨大エビ』同士にとっては大したものではないらしく、二匹は争いを止めようともしない。

 あのエビが、デボラなのか。

 自分が生まれ育った世界をこんな風にした元凶……と色んな場所で聞いてきたが、実際に目にしたのはこれが始めて。かつて七十億人も居たという人類が束になって倒そうとしたが、呆気なく返り討ちになったという話だ。

 確かにこんなとんでもない化け物、人間が何人集まっても勝てないとアカは思う。むしろ二十年前の大人達はどうして勝てると思ったのだろうか?

 というより、デボラは一匹だけではなかったのか……

「おっと、疑問に思ってる場合じゃないや」

 無意識に考え込みそうになったが、すぐに『本能』によってアカは我を取り戻す。

 あのデボラ達の争いの余波こそが、アカを生き埋めにした元凶だ。

 何キロも離れている筈なのに、戦いの余波が飛んでくるとは思いもしなかった。遠くから瓦礫の山が飛んできたのを見た瞬間、さしものアカも頭が真っ白になってしまった。どうにか直撃する寸前で我に返り、反射的に近くの家に跳び込んだお陰で瓦礫の直撃は避けたが……建物自体が崩れて生き埋めになった、というのが事の顛末である。

 デボラ達は今も争っている。此処に居たらまたさっきのように余波が飛んできて、瓦礫も舞い上がるかも知れない。それに何百メートルもの大きさがあるデボラ達は、立ち位置を少し変えるだけで数百メートルと移動する。町を薙ぎ払った放射大気圧爆風や山をも貫く熱光線眩しい光に至っては、平然と何十キロも飛んでいったように見えた。数キロ程度の距離では到底安全とは言えない。

 もっと、出来るだけ遠くに逃げる必要がある。別行動中の光彦とーちゃんもきっと同じ事を考える筈だ。

「良し、さっさと逃げよう」

 そうと決まれば善は急げ。アカはすぐにでもデボラ達から更に離れようとして、

「ぶっはぁ! はぁ! はぁ!?」

 自分のすぐ傍で上がった声に反応に、無意識に振り返った。

 見れば瓦礫の山から身を這い出している青年が一人。

 ハルキだ。そういえばデボラが現れた時、一緒に行動していた。それから一緒にデボラから逃げて、その時にデボラ同士の戦いの余波に襲われて……

 咄嗟に建物内に逃げ込んだ時、アカは彼の事などすっかり忘れていた。そして今の今まで忘れたままだった。

 別にこのまま忘れていても後悔などしなかっただろうが、思い出した後に無視するほどアカも薄情ではない。

「あ、生きてたんだ。大丈夫?」

「な、なんとかな……お前こそ、よく無事だったな」

「まぁ、そこは気合いで。ほら、手を貸すよ」

 アカはハルキに自らの手を差し伸ばす。ハルキはアカの手を躊躇わずに掴み、アカはそんなハルキを力いっぱい引き上げた。

 無事脱する事が出来たハルキは、一時その場に蹲る。相当体力を使ったのか、過呼吸のように荒い息を繰り返していた。時間と共に段々収まると、体勢を直してその場に座り込む。

 疲れてはいるようだが、動けないほどではなさそうだ。

「んじゃ、さっさと逃げようか。また生き埋めになったら、次はないかもだし」

 ハルキを助け出したアカは、すぐにでも逃げたい意思を伝える。

「……良いのかよ。この下、多分まだかなりの数の人間が埋もれているぞ」

 しかしハルキは、アカの指針に疑問を示す。

 ハルキの言う通りだろう。アカとハルキが逃げている時にも、周りにはそれなりにたくさんの人が居た。彼等も当然巻き込まれ、瓦礫の下敷きになっている筈だ。

 アカは幸いにして根性で脱出出来たが、それが無理な状況の人も多いだろう。彼等は暗くて身動きの取れない中で、誰かの助けを待っているに違いない。

 アカにもそれは理解出来る。

「? そうだと思うけど、まぁ、自分が死んだら元も子もないし」

 理解出来るが、だから助けようという考えに結び付かないのがアカだった。生きていて困難に見舞われるのは当たり前。勿論アカとて家族光彦仲間早苗以外の者を、手助けしたりしてもらったりした経験はあるが……互いにメリットがある時や、自分の生命が脅かされない状況の時だけだ。

 今はデボラがすぐ近くまで来ている。現在進行形で生命の危機だ。人助けをしている場合ではない。

「お前の親父さんも、この下に埋まっているかも知れないのに?」

「とーちゃんが埋まってるって確信したら助けるけど、そうとは限らないし。大体何処を探すのさ」

 例えハルキが『可能性』を示しても、アカの気持ちは変わらない。

 冷淡でもなければ冷酷でもない。

 そうして『無理』な事を迷いなく切り捨てなければ、生きていけない時代に育ったのがアカなのだ。

「……だな。悪い、試すような真似をして」

「? 試す?」

「大した事じゃない。やっぱお前は面白い奴だって、再認識しただけさ。話し込むのは終わりだ。逃げるぞ」

 ハルキは話を切り上げて立ち上がった。疑問はあるが、しかし話し込んでいる暇はない。

 例えば今この瞬間、アカ達からほんの数百メートル離れた位置を、熱光線が通り過ぎたりしていた。肌が焼けそうなほどの熱波がアカ達まで押し寄せ、溶けた大地が溶岩となって飛び散る。至近距離で受ければどうなるかなど、考えるまでもない事だ。

「だね。さっさと逃げよう」

 ハルキに同意してアカは走り出す。ハルキもまた同じく走り出した。

 出来るだけ遠くに、もっと遠くに。そうして遠くに逃げればきっと助かる。

 アカはそう考えていたし、それ以外に助かる方法なんて思い付かない。だからがむしゃらに、ひたすらに走り続けた。それは自分達以外の走る人の姿が見えても、何も変わらない――――筈だった。

 ただ一つの例外を除いて。

「ん? んんんんんっ!?」

 不意に、アカは歪な声を漏らす。

「どうしたんだアカ?」

 いきなりの奇声にハルキが声を掛けてくる。が、アカは返事すらしない。ただただ一点を見つめるのみ。

 アカが見つめるのは、自分達の横数十メートル先。本来なら住宅などに遮られて見えないであろう道は、しかしデボラ同士の戦いの余波で建物が崩れ、平地となった事で丸見えとなっている。

 隣の道では、かなりの数の人が走っていた。薄汚れていたり、頭から血を流していたり……無事とは言い難い姿だが、どうにか生き埋めを免れた、或いは脱出出来た人々のようだ。

 デボラ達の戦いの余波をあまり受けなかった、という事はあるまい。恐らく開けた場所、例えば公園などに避難していた事で、大きな瓦礫の下敷きになるのを避けられたといったところか。二十年前では公園や学校が避難所に使われていたという話を聞いた時、アカは「そんなところに逃げて意味あんの?」と思ったものだが、成程これだけ大勢が助かるのなら確かに意味はあったらしい。

 しかしアカからすれば、顔も知らないような人が何百人生きていようがどうでも良い話だ。

 アカが気にしたのは、走る人間の中に紛れてちらりと見えた見知った顔の二人組。

 光彦と早苗の姿だった。

「とうちゃん! 早苗!」

「えっ?」

 突然声を上げたアカに驚くハルキだったが、アカはもうハルキの声など聞こえていない。

 大声で呼んでみたが、光彦達らしき姿は振り向きもしない。別人か? いや、遠くてこちらの声が聞こえていないのかも知れない。周りの人々の喧騒も、きっと邪魔している事だろう。

 もっと大きな声を、もっと近くで聞かせなければ……

 真っ直ぐ走るのを止め、アカは斜めに移動する。瓦礫を乗り越えながら進むのは中々大変だ。埋もれているとはいえ、道のあった場所を沿うように走るのとはちょっと違う。

 それでもアカの身のこなしは軽く、すいすいと瓦礫を跳び越えた。

「とうちゃん! 早苗ぇーっ!」

 アカはもう一度、先程よりずっと大きな声で叫ぶ。

 今度は、人影の一つが振り返る。

 降りかえった顔は、驚きの表情を色濃く見せていた。同時に明るい笑みも浮かべてくれた。それだけでアカは彼等が誰であるか確信が持てた。

 間違いなく光彦と早苗だ。あの二人は、ちゃんと生きていたのだ。

「アカ! 生きていたか!」

「とうちゃん! とーちゃぁーんっ!」

 大きく手を振り駆けるアカ。光彦は笑みを浮かべてアカを見続け――――

 ふと後ろを振り返った時、光彦の顔が強張った。

「来るな!」

 直後、アカに向けて罵声染みた声を飛ばす。

 罵声をぶつけられ、アカは怯んだ。見知らぬ人間の大声なら、大して驚きはしない。しかし光彦が今し方出した大声は、まるで酷く怒っている時のようで、彼女の足を反射的に止めるのに十分なものだった。

 そう、アカは足を止めた。

 だからアカは――――目の前を・・・・高速で横切る大量の瓦礫に、巻き込まれずに済んだ。

「……えっ?」

 呆けた声が漏れ出た時、アカの前には何も残っていない。

 そう、何も。

 建物が崩れて出来た瓦礫の道も、その上を走っていた人々の姿もない。当然ついさっき自分を怒鳴ってきた光彦も見えない。

 何故なら瓦礫が、全てを吹き飛ばしてしまったから。

 彼方で今も激しくぶつかり合っている二匹のデボラ。その二匹のうちのどちらかが放った放射大気圧の一撃が、逸れるか外れるか弾かれるかして……こちらに飛んできた。

 そして偶然アカの目の前、光彦達の居た場所を直撃か掠めたのだ。

 ……気付かなければ、そのまま呆然と突っ立ったまま、無感情のままでいられたかも知れない。けれどもアカは勘だけは良く、この残酷な時代によく適応した子である。

 どんな辛い現実も、彼女はすぐに理解出来てしまった。

「ぇ、ぁ、と、とうちゃ――――」

 ぐちゃぐちゃになる思考。喉まで登ってくる激情。

 もしもその感情を口から吐いたなら、声は耳から頭の隅から隅まで行き渡り、何も考えられなくなる。それは今、デボラ達から逃げている今、あまりにも致命的。

 だけどアカ一人では止められないものであり、

「アカ! どうした!?」

 ハルキが傍に居なければ、きっと、アカは動けなくなっていただろう。

 ハルキに呼び掛けられて、アカは振り返る。パクパクと、喘ぐように口を空回りさせるだけ。何も答えられない。

 事情を知らないハルキは、アカが答えようとしている言葉を待たなかった。

「何があったか知らんが今は逃げろ! 考えるのは後だ!」

 ハルキの叱責が、アカの心を揺さぶる。

 ハルキは言うだけ言うと、アカを待たずに走り出す。無論この場から逃げるために。

 アカは、光彦達の居た場所を……振り返らない。振り返ったら、きっとまた足が止まってしまう。だけどハルキはもうこの場には居ない。

 アカはハルキの後を追うように走る。がむしゃらに、一生懸命、ハルキよりも速く。

 きっと、とうちゃんは死んだ。

 多分早苗も死んだ。

 だけど自分はまだ生きている。

 そしてとりあえず……今はまだ死にたくない。

 アカが居なくなってしまった家族や仲間を探さず、この場から全速力で逃げ出す理由は、ハルキのお陰で思い出せたそんな考えだけで十分だった。

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