及川蘭子の衝撃

 海からやってきたデボラと、山から出てきたデボラが対峙している。

 上空数百メートルの高さで浮遊しているヘリコプターからその姿を眺めている蘭子は、その光景を目の当たりにして思わず息を飲んだ。

 海からやってきたデボラ……恐らく彼こそが、この二十年間人類を苦しめてきた個体だろう。一目で分かるような特徴がある訳ではないが、二十年間蘭子はずっと彼の事を研究してきたのだ。だからなんとなくではあるが、海から来た方は自分達の知るデボラだと分かる。

 そしてカメルーン山より出現したデボラ……あれは『新顔』だ。目立った違いがある訳ではない。強いて言うなら山から出てきた方が、海から来た方より顔立ちが少し無骨だ。蘭子にはそう見えた。

 山から出てきた方を新デボラと呼ぶとしよう。デボラと新デボラは向き合いながら、じりじりと距離を詰めていく。互いに警戒している様子だが、しかし近付かないという選択肢はないらしい。少しずつ、町を踏み潰しながら、着実に二匹は接近し――――

 最初に動いたのは、デボラの方だった。

【ギギ、ギイイイイイィィィ!】

 デボラは前足である二本の巨大なハサミを開き、新デボラへと跳び掛かった!

【ギイイイイイィィィィ!】

 僅かに遅れて新デボラも動き出す。デボラが繰り出した二本のハサミは、一本は新デボラの右のハサミを掴み、されどもう一本は新デボラが繰り出したハサミに挟まれてしまう。

 互いに相手のハサミを掴み、身動きが取れない。しかしどちらも自分からハサミを放すつもりはないようだ。

【ギイイィィ!】

 デボラは雄叫びを上げながら、新デボラを押していく!

 体格は互角。されどパワーではデボラの方が上らしく、新デボラはどんどん押されていく。新デボラは踏ん張っているようだが、その身の後退が止まる気配はない。

 掘っ立て小屋のような建物が、新デボラとデボラにより踏み潰されていく。そこにはたくさんの人々が暮らしていたが、二匹は足下の虫けらに興味すら持たない。

【ギィイイイアッ!】

 押され続けていた新デボラは、吼えるや否やデボラを掴んでいた方のハサミを放した……のも束の間大きくその身を屈ませる。

 デボラは新デボラの動きに付いていけず一瞬その身を強張らせ、新デボラはその隙を突いて屈ませていた身を一気に起こす! 新デボラの頭部はデボラの胸部を下から突き上げるように打ち、強烈な衝撃を与えた事だろう。打たれたデボラの身体は浮かび、堪らずデボラも挟んでいたハサミを開いた。

 突き飛ばされたデボラは数百メートルと後退。だが新デボラはここで休憩を挟むほど優しくはないらしい。打撃を喰らわせたのも早々、一気にデボラ目掛け駆ける!

【ギ、イイィッ!】

 そしてぐるんと回転しながら、自らの尾を振るった!

 尾の直撃を受け、デボラは大きく吹き飛ばされた。百五十万トンはあるだろう巨体が浮かび、ひっくり返って大地を転がる。

 背中と比べれば幾分柔らかい腹を晒してしまったデボラに、新デボラは追撃とばかりに突撃する! 自慢のハサミを振り上げ、新デボラは止めの一撃をデボラに喰らわせようとした

【ギッ、ギィイイイイ!】

 瞬間デボラの頭部より放たれたのは放射大気圧!

 顔面に放射大気圧の直撃を受け、新デボラは大きく仰け反りながら後退。この隙にデボラは体勢を立て直し、二発目の放射大気圧を放つ!

 一撃で町をも吹き飛ばす破壊。連続で受ければ如何に新デボラでも……

 そんな甘い願望を叶えてくれるような存在ではない。

 新デボラもまた放射大気圧を撃ち、デボラからの攻撃を相殺――――否、押し返す! 肉弾戦ではデボラに分があったが、放射大気圧の力では新デボラが勝っていたようだ。

【ギギィッ!? ギッ……ギイイイイイイッ!】

 新デボラからの放射大気圧を顔面から受けたデボラは、だが後退りはしない。むしろ怒りを滾らせ、新デボラ目掛け突進する!

 新デボラの方も放射大気圧でデボラを止められるとは思っていないのか。数発の放射大気圧を喰らわせるや、こちらも自ら突撃を始める。

 時速六百キロオーバー同士の接近。相対速度は音速を超え、百五十万トン同士が一切の躊躇いなく衝突!

 新デボラの身体が僅かに浮くのと同時に、あたかも爆撃でも行われたかのような衝撃波が周囲に広がる! デボラ達に踏み潰されずに残っていた家々も、この衝撃波で軒並み吹き飛ばされていく。

 二匹による肉弾戦は何もかも破壊していくが、されど二匹は止まらない。デボラは浮かんだ新デボラに追撃の体当たりを喰らわせるが、デボラはぶつかってきた新デボラを両手のハサミで抱え込み、着地と同時になんと豪快に投げ飛ばす! 人間やサルほど器用な飛ばし方ではないが、それでも百五十万トンという巨大隕石並の質量が一度は宙に浮かび、自由落下で墜落したのだ。大地が揺れ、空気の震えが何もかも打ち砕いた。

 もしも地上でこの戦いを見ていたなら、恐らく蘭子は今頃死んでいたに違いない。大神官達からもらったヘリコプターが早速役に立った。尤も、空中に居ても放射大気圧の流れ弾が飛んでくればその瞬間にお陀仏だが。

「ら、蘭子さん! 逃げましょう! 早く!」

 共にヘリコプターに乗り込んだアランの意見は、至極尤もなものだ。折角高速で移動出来る乗り物に搭乗しているのだ。撃ち落とされて死ぬなど間抜けにもほどがある。ヘリコプターを操る操縦士 ― ヘリコプターを蘭子の家に送り届けた後、のんびり昼食を取っていたのが幸いした ― もこくこくと頷いていた。

「駄目よ!」

 だが、蘭子はすぐにこれを拒む。

「な、な、なんでですか!?」

「『一式』を知ってる!? あの巨大兵器の起動時、デボラは『一式』の下までやってきた! つまり奴は『一式』の活動を検知し、そして接近したという事! 動力として積まれていた、核融合炉の熱を探知したんじゃないかってのが有力な説ね!」

「それがなんだって言うんですか!? そんな事より早く逃げないと……」

「まだ分からない!? デボラは莫大な熱量を発する存在……自身と同等の何かを感知する力があるのよ! そして此処にデボラがもう一体現れた! つまり!」

「つ、つまり……!?」

「つまり、デボラにとってこの出会いは必然! 最初からアイツは想定していたのよ! 自分以外の・・・・・デボラと・・・・遭遇する事を!」

 蘭子の告げた言葉に、アランは驚愕からか口を喘がせるようにパクパクと空回りさせる。

 蘭子にとってもこれは推論だ。想像力をフル回転させて生み出した、ただの仮説でしかない。

 しかしそうとしか思えないのである。遙か彼方に存在する、自身と同じだけのパワーを感知する性質……それはよもや『一式』という人類がぽんっと作った代物を探知するために備わった器官ではあるまい。

 最初からデボラは、いや、デボラの種族は想定していたのだ。

 同種内での積極的な出会い、その結果から生じる闘争を。

「最初から疑問だったのよ。放射大気圧にしろ、熱による防御反応にしろ、どう考えても地中で必要になるものじゃない。だって地中の、マグマの中に空気なんてないんだから」

「……でも、地上で同種と戦うのなら、それらは必要になる」

 アランの言葉に蘭子は無言で頷いた。

 地上では未だデボラと新デボラの争いが続いている。

 デボラは殴るには遠過ぎる距離から、放射大気圧を放つ。体内に宿る莫大な熱を物理的運動量に変換して放つこの攻撃は、熱を吸収してしまう同種相手にもそれなりの打撃を与えるだろう。一方的に相手を嬲れるなら、それに越した事はない。

 これを迎え撃つ新デボラは身体を赤くし、膨大な熱を放出した。熱による大気膨張は、同じく空気の塊である放射大気圧を霧散・消滅させる。更には身体の細胞が活性化させる事により傷も癒え、戦う力を自分に与えてくれる一石二鳥の策。

 人類の攻防を容易く粉砕してきた二つの力は、同種との戦いでこそ本領を発揮するものなのだ。人間に使用してきたのはその応用に過ぎない。この闘争こそが彼等本来の生態なのだろう。

 そしてこの二つの形質は、地上でなければ役に立たない。

 何故彼等は地上で戦うのか? 地上で戦うために、どうしてこんな能力を身に付けた? そこにはなんらかの、デボラという種にとって大切な『意味』がある筈だ。

 この戦いがデボラの自然の姿であるなら……この戦いを見逃せば『デボラ』の真実を解き明かす事は永遠に出来なくなる。蘭子はそう確信していた。

「二十年間の謎が解けるかも知れない以上、この戦いから逃げる訳にはいかないわ。どうしても逃げるなら私を下ろしてからにしてちょうだい」

 蘭子のこの言葉は、せめて自分の身勝手にアランを巻き込むべきではないという、微かな理性から零れたもの。

 仮に本当にこのヘリコプターから追い出され、デボラ同士が戦う地上に降ろされたとしても……蘭子は一切後悔しない。デボラの謎に半生を費やした蘭子にとって、何があったか分からないままの方が、踏み潰されるよりもずっと辛いのだ。

「……ええいっ! ボクも学者です! そんな事言われて、おめおめと逃げられますか!」

 しかしアランがこう言った時には、少しだけ後悔した。

 自分の語った話が彼の好奇心に火を付けたのだとしたら、自分が彼をこの危険な地に縛り付けたのと同じ事なのだから。

 そして同時に、助手である彼が学者らしい姿を見せた事が、ちょっと嬉しかったり。

「……学者ってのは難儀な種族よねぇ」

「難儀な種族だから学者になるんです」

「そうかもね。あ、そうそう。操縦士さんはどうする? あなたがNoと言うなら、私達二人で降りる事になるけど」

「ご冗談を。あの話を聞かされて、おめおめと逃げられませんよ。私も、デボラの真実を知りたいのは同じなのですから」

 ヘリの操縦士を務めている三十代前後の白人男性は、屈託のない笑みを浮かべて答える。怖がっている様子はない……むしろギラギラとその目を輝かせているように見えた。

 操縦士も何かデボラに対し想うところがあるのか。しかしそれを問い詰めている暇はない。

【ギギギィイイイイイイイッ!】

 デボラが叫びを上げた、次の瞬間、背中の甲殻が開かれる・・・・

 デボラが出現して二十年。その二十年間でただ一度だけ確認された行動だ。蘭子はそれを知っている。

 同種である新デボラも知っている筈だ。だからこそ彼もまたその背中の甲殻を開き、二枚の翅のように広げたのだろう。

 『翅』を広げて向き合う二体。周辺の気温が急激に下がり、大地や家々の残骸が凍り付いていく。更に気圧までもが変化したのか、上空に分厚い雷雲が広がり始めた。雷鳴が轟き、地上に幾つも落ちていく。雷撃を受けた家は、凍り付きながら燃え出した。

 その恐ろしい光景に、蘭子の背筋に悪寒が走る。

「っ! 離れて! 出来るだけ!」

「え、あっ、はい!?」

 蘭子は反射的に指示を出し、操縦士はそれに応えてヘリを動かす。本当に急いで動かしたのか、慣性が蘭子達の身体を襲う。内臓が掻き回されるような感覚に、蘭子は吐き気を覚えた。

 結果として蘭子の判断は正しかった。

【ギィィイイイイッ!】

【ギギギイイイイッ!】

 二匹の怪物が吼えるや、四枚の翅の先から光が放たれる!

 熱光線だ。一撃で人類最強の兵器であった『一式』の上体を吹き飛ばした、恐るべき攻撃。デボラと新デボラは、その力を容赦なく同胞に放った。

 人類には抗いようのない力は、しかしデボラ達にとっては想定されていた力なのだろう。熱光線の直撃を受けた甲殻は弾け、デボラの肉片と体液が飛び散った。だが、デボラ達の身を貫くには至らない。

 何故なら熱光線の直撃を受けた箇所が、猛烈な勢いで再生していたからだ。肉を吹き飛ばす熱光線を、盛り上がる肉塊が押し返す。熱光線は甲殻こそ貫いたが、その肉の深部には達する事すら叶わない。

 デボラの肉体は熱エネルギーにより活性化し、劇的な再生能力を発揮する。爆薬を積んだミサイルどころか水爆にすら耐えるその力は、デボラ同士の撃ち合いにも活躍していた……いや、本来はこの熱光線に耐えるための進化か。水爆への耐性など『おまけ』だったという事だ。

【ギ、ギ……ィギィイイッ!】

 デボラは大きくその身を傾ける。

 すると熱光線の一本が、まるで反射するようにデボラの身体から逸れた! 熱光線はデボラから数キロ離れた地上に命中――――した瞬間、その場所の大地が加熱・溶解。

 紅蓮の溶岩と化した大地が、激しく弾け飛ぶ! 一千度を超えるであろう液体が町だった場所に降り注ぎ、木々で出来た家々を燃やしていく。その下に、まだ生きている人々が居るかも知れないのに。

 だがデボラ達は人間の命など気にも留めない。デボラは当てられる二本の熱光線を弾きながら全身。その身の動きによって熱光線は乱反射し、あちらこちらに飛んでいく。彼方の市街地が一瞬で焼き尽くされ、大地が溶岩に沈み、畑が焦土へと変わり果てる。

 時には空へと熱光線は飛び、蘭子達が乗るヘリコプターのほんの十数メートル先を通り過ぎた。

「うわぁっ!?」

「ぐっ、く……!」

 熱光線により加熱された大気が、暴風となってヘリコプターを襲う。機体が大きく揺さぶられ、危うく墜落するのではと思うほど傾いた。

 もしも蘭子が指示を出さず、熱光線が放たれる前と変わらぬ位置に居たなら……直撃したとは限らないが、より強い暴風を受けた筈だ。本当に機体がひっくり返り、墜落したかも知れない。

 蘭子は自分の心臓が破裂しそうなぐらい鼓動している事に気付いた。無意識に手は己の胸に当てられ、乱れた呼吸で酸素を吸い込む。本当に死ぬかも知れなかった事態に、身体は悲鳴を上げていた。

 されど心は、かつてないほど昂ぶっている。

「(凄い……)」

 賞賛の言葉が自然と沸き上がる。

 デボラは新デボラの熱光線を切り抜けて肉薄。巨大なハサミを新デボラの顔面に叩き付ける! 怯んだ新デボラは大きく仰け反り、撃っていた二本の熱光線はあらぬ方向へと飛んでいった。そのうちの一本がカメルーン山に命中し、開けた穴より多量の溶岩が噴出する。

 噴火だ。新デボラが引き連れてきたマグマが、未だカメルーン山には蓄積していたのだろう。僅か数十キロ先で起きた『地殻変動』……下手をすれば地球環境が更に悪化しかねない要因だ。

 されどデボラは山など振り向きもせず、新デボラを殴る。殴って殴って殴りまくる!

【ギィイイイッ!】

 新デボラは堪らず後退。熱光線も止めた。追い打ちを掛けるようにデボラは更に大きく腕を振り上げ、

 新デボラの身体が、一瞬眩く光った。

 瞬間、新デボラの周囲に爆風が吹き荒れた!

 爆風は音速を超えていたのか、白い靄のような『色』を付けて広がる。そのパワーは、あろう事かデボラを大きく押し退けるほどのものだった。

 推定体重百五十万トンのデボラを押し退けるのだ。人間が作り出したものに耐えられる訳もなく、半径数キロのものが跡形もなく吹き飛んでいく。いや、家々だけではない。大地すらも吹き飛び、巨大なクレーターが形成された。

 周囲はついに完全な荒野と化した。付近に居た人間は一人残らず消え去ったに違いない。

 体力回復のための防御反応とは違う、始めて見せた行動だった。恐らく肉弾戦で押し込まれた際の反撃手段……膨大な熱を瞬間的に放ち、空気を一気に膨張させ、その圧力で『敵』を吹き飛ばすのだろう。

 人類が作り出した兵器の中で、唯一デボラとまともに戦えた『メカデボラ』……だが、アレさえもデボラに本気を出させるには足りなかったらしい。デボラはまだまだ、恐るべき技の数々を持っている。

 それを理解した蘭子は、恐怖と同じぐらい興奮した。人智など足下にも及ばない、生命と生命のぶつかり合い。これを前にして、どうして恐怖を感じる余裕などあるのか。

 そしてこの戦いが、まだまだ『序の口』である事を蘭子は理解する。

【ギィイイイィイイイギギギィイイイ!】

【ギギギギギィイイイイイイイイイイ!】

 二匹のデボラの闘志は未だ衰えず、一層強く燃え上がっていたのだから……

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