3章『サンシュウの街の主と従者』⑧

 ピイイイイイイイイイイ

 

 最後の演習を告げる合図が風に乗って周囲に鳴り響く。


 内輪揉めいたやり取りを繰り返していた四人は最後の演習が始まったことに気づいて対照的な反応を出した。


 バルクアはスアピ達の足止めが成功したことにほくそえむ。


 アルアは間に合わなかったことを悔いて非難のこもった視線を従者に向けた。


彼女らの同盟者である息子の従者たちはもはや間に合わないことを察して焦りと諦観の混じった感情を大いに表して歯噛みする。


 あけっぴらげなスアピとは違い、あまり感情を表に出さないイヨンでさえよく晴れた青空を真っ直ぐ飛ぶ鳴矢の軌跡をその髪と同質の燃え上がるような瞳で見上げている。


「もはや手遅れだ。諦めてそのまま見ていればいい。あれが無様に負ける姿をな」


 勝ち誇った勝者にも似た言葉を耳に入れて、スアピの頭の中で何かが切れる音がした。


「てめえがーーーー」


 真っ直ぐに伸びた槍先は正確にバルクアの胸を狙う。


「ちょっ…待ちなさい!」


 アルアの制止の言葉も間に合わず必中の槍は真っ直ぐにバルクアの胸を狙うが、それは空しく神速で抜かれた色濃い肌の男の刃で弾かれる。


「ふん、ちょうどいい、お前の主だけが負けっぱなしだというのも収まりが悪かろう。完膚なきまでに痛めつけてくれよう」


 はっきりと殺気のこもった一撃を交わした男は未だ目に見えるような怒りを見せる男に構えた。


「いい加減にしなさい!」


 止めようも無い程の激情に覆われた空間はその美鐘のように響く声で一気に霧散した。


「お、お母様…」


 アルアの驚いた声が場違いにその場になびいた。


 いつの間にかマルグラードがやってきて、普段は温和な雰囲気を醸し出した表情を渋らせている。


「これはこれは御領主様、このような場に来ては御身が穢れます。どうか離れてください」


「何を穢れることがあるのかしら?バルクア…良き同盟者の家内の方々のいらっしゃる場だというのに」


 言葉は穏やかだが、有無を言わさない迫力があった。


 その言葉にバルクアはそれ以上何も言わず、その場に膝を着いてひかえる。


「お、お母様…こ、これは…その…」

 

 さっきまで自身の従者と感情任せで怒鳴りあっていたことで気恥ずかしいこともあったのだが、カルメラ家の次期党首には不似合いな行動をしていたことに気づく。


流石のアルアもしどろもどろに口ごもってしまう。


 そんな彼女の前に立ち、ニコリと笑ったマルグラードはスッと優しく両手を差し出す。 

 

 そして……、


「イ、イタタッ! イヤ~~! イ、イタイって~!」


 開かれた右手でアルアの顔面を掴み上げ悠々と自身の頭の上まで持っていく。


 ギシギシという何やら恐ろしい音が数歩離れたスアピ達にも確かに聞こえた。


「まったくいつも言っているでしょう?カルメラ家の者ならいつでも冷静に淑やかにしてなさいと!その為にわざわざ王都の学校に送り出したというのに…母は悲しくて胸が潰されてしまいそうです」


 嘆くような口調とは裏腹に力は強くなっていくように見えた。


 実際に潰れそうなのは娘の頭の方なのだが、


「お、おい、その辺で……グワッ!」


「貴方は黙っていてくださいな」


 止めようとした父であるハルクマールを逆の手で掴み上げ、らくらくと持ち上げる。


「わかった!わかったから!は、早くその手を離してくれ我が妻よ…というか離してください~!お願いしま~す!」


 両手で人間二人を持った麗しき貴婦人は悲しげに瞳を下ろすとようやくその細い指先を離してくれた。


「キャンッ!」


「ギャンッ!」


 やはり親子だからだろうか? 


地面に尻から落ちた二人はハモルように声を出してまったく同じ姿勢でその場にうずくまる。


「まったく、学園ではそれなりに誤魔化せていたというのに君はまだまだ子供っぽさが抜けないな」


 悶絶している自分の主にやや飽きれ口調の従者はふっと溜息をつく。


「あ、あんたのせいでしょ!この真っ黒腹グロ男!」


「ひどい言われようだ、私ほど忠誠厚い従者など居ないと言うのにな」


 言葉とは反対の皮肉をこめた口調で返す。


「まったく…我が娘ながら困ったものです…ねえ?貴方」


 バルクアに文句を言うくらいの元気があった娘とはちがい、父であるハルクマールはまだ声を上げられないでいる。


「そ、そそそうだな…我が娘はまだ可愛いも、ものだな…出来ればそのまま可愛いままでいてもらいたいが」


 最後の言葉は涙声になっている。


 かなり本気な願いのようだ。


 その光景を見ていたスアピ達は絶句している。 


 というか余計なことを言うとかなり危ないということを理解して黙り込んでいるという方が正解だ。


 やっぱり親子だわ、二人は…。


 目の前の惨状にドン引きしながらもスアピは心の中で呟いた。


 イヨンも緊張にも似た恐怖の中で同じような顔をしている。


「お恥ずかしいところも見せてしまいましたわね…従者殿達」


「い、いえ…何でもねえ…いやなんでもないです」


「う、ううっ…ん」


 二人とも急に行儀良く背筋を伸ばして返事する。 


 アメリアも一拍遅れて同じように身体を固くしている。


「コ、コホン、とにかくですね…スアピさんもバルクアさんも喧嘩などやめてくださ……な、なんですか?」


 どうにか気を取り直して口を開いたアメリアがマルグラードに見据えられたことでその先を告げられない。


 様々な貴族の下で仕事してきたアメリアでさえサンシュウの主の相貌は中々に思いようだ。


 黙らされたのかそれとも黙ってしまったのかは誰も知る由ははない。


 それこそが支配者としての別格の風格なのだろうか?


 その場に居た全員がマルグラードの言葉を口を閉じて待っている。


 そしてそれを当然のように受け止めながら彼女は気風溢れる声でゆっくりと口を開く。


「もう賽は投げられたのです、ジタバタするのはおやめなさい…それにあの子はただやられる気はないようですよ?」


 そう言うと人間を片手で持ち上げられる膂力を持っているわりには綺麗で細く長い指でマルグラードは彼方を指差す。




 何かが変だ。


 シーザールは馬上で違和感を覚えた。


 演習は順調で、いま彼の目の前では相手側の兵士が彼らを抑えようとするどころか我先にと左右へ逃げている。


 まるで鋭い剣先で紙を突き刺しているかのように何ら抵抗も無く相手の陣地を疾駆していく。


 先ほどと同じだ。 


 自分達の勝利は揺るぎない。


 確信できる。 


だがそう思うと同時に彼が戦場で培った勘がそれを僅かに否定する。


 こういうときの違和感を彼は信頼している。 


 進撃を止めようと右手を上げ……かけたところではっきりと異常に気づいた。


 侵攻が早すぎる。 


 あまりにも敵が逃げていくので自軍が敵陣深くまで入り込み、またあまりに簡単に崩れていくので興奮した兵たちが更に奥へ奥へと駆け抜けていく。


 そしてそれはこうして考えている最中にもどんどん進んでいき、同時に先細っていく。


 軍勢は太い丸太がまるで削られていくように直線状に伸び、枯れ枝のように細く細くなっている。

 

「止まれ!止まれ!」


 大声を上げて制止するとやっと先頭部隊が駆け足を緩めたのを確認した瞬間、ゾクリと怖気が彼の背中に走った。


 その正体を見つけようと周囲を確認するが、周りには自分の部下達しかいない。


 異変を感じ取ろうと耳もすませるが逃げ出した相手側の悲鳴、部下達の怒号に満たされて聞こえてこない。


 やはり気のせいか?


 そう思った瞬間に再度また『それ』が彼の背中を走りぬけた。


 何度も感じた命あるものが当然否定しうる死への恐怖。


 それが間近に迫ったときに感じるひどく不快な感覚。


 考えるよりも先に剣を抜く。 そして知覚すらしていなかった方向へと顔を向ける。


 それは考えるよりも早く、感じるよりも鋭い行動だった。


 振り向いた彼の視界、その中心部にすでに敵はそこに存在し、まるで飛ぶように部下の肩や馬の背中を足場にして一直線に彼へと向かっている。


 しかしその速度に矛盾するようにそれはゆっくりと見え、また自分自身も比例するようにゆったりと動く。


 周囲から見れば一瞬。


 いやむしろそれよりも早く思えた刹那の邂逅は敵の突き出した攻撃を剣で受けることで防いだ。


 しかし完全に虚を突かれたことでバランスを崩し、彼はそのまま地面へと落ち、強かに身体を打ちつける。


 鎧を着ていたことで怪我はしなかったが、その重量によって一瞬だけ呼吸が止まった。 


 その機会を見逃さず敵は剣を振り下ろす。 


シーザールにとってはまさに自身の命を仕留める必殺の一撃だったが……。


 ピイイイイイイイイイイィィッィ!


 終了を示すかん高い矢笛が中空に響き渡った。


「お見事でした……私達の完敗です」


 敵はその剣を中途で止め、その頬に泥をこびりつかせた少年は不思議なくらいに眩しくみえる笑顔で自身の負けを宣言する。


「……ああ、そうだったな」


 我ながら間の抜けた言葉を発する。


そうだ、これが演習であったことを思い出したのだった。




「なんとも単純な手に引っかかってしまったものだな」


 主に謁見する為、共に馬を進めながらかつての『敵』に声をかけるが、言葉とは矛盾するようにシーザールの顔は綻んでいた。


 その横に立つ少年は何か悪戯が見つかってしまったような少し照れたような顔で、


「いや~うまくいって本当に良かったです」


 すでに乾いた泥を払いのけるように頬をかきながら答える少年にシーザールはますます痛快に思えたようで自然と笑う。


「いや~見事裏をかかれました。まさかあえて味方を崩れさせて横から大将自ら単騎で奇襲とはね」


「い、いえ…戦術としては最低です、こちらを徹底的に殲滅しないこと、一軍と一軍だけという演習くらいでしかありえない状況でしかも大将自ら突っ込んでいったわけですから」


 確かに演習という『練習』の時にしか使えない策だった。 普段の戦場であるならば無謀でしかない。 


 第一に敵側の総大将が最前線でしかも少数の中に居るという状況自体が珍しいことなのだ。


「それでもいま少しの時があれば私は貴方の剣に討たれていたでしょうな…ですが」


「はい、そのあとにはシーザール様の部下達に俺は八つ裂きにされていたでしょう」


 なるほど、それくらいはわかっていたか。


 やや意地悪な謙遜は歳若い少年に見透かされていた。 


「演習では勝ちましたが、戦場では引き分けでしたね」


 大人気ない言い方を反省し、シーザールは素直にその少年を認めることにした。


「はい…どうかそういうことにしておいてください。でないとアルア様にどやされてしまうので」


 弱りきった仕草で同年代の従姉弟に頭が上がらないことを素直に示唆され、しかもこちら側のことを気遣った物言いにさらに好感が持てる。


「お互いに遺恨の無い良い演習でしたな」

  

 国を追われて以来の心の底にたまっていた鬱屈を吹き飛ばすようにシーザールは心の底からの笑顔で少年に向き合い、そして静かに互いの手を握り合って健闘を称えあった。


 彼の部下達も妙に晴れがましい表情でそんな二人の背中をいつまでも見つめていた。




「これで貴殿の願いは叶えましたな?」


 ムランと別れ、泥で汚れた鎧を着替えて向かった宮城。 


その入り口で出迎えたバルクアに硬い表情でシーザールは確認するように口を開いた。


「ええ…確かに、ただ些か物足りなくはありましたが…ね」


 その嫌味な物言いも先ほどの少年の顔を思い出せば、サッと吹き飛ばしてしまう程度だ。


「約束どおり、貴方の仕官に対して口添えをしましょう。どちらにしろ我がカルメラ家に必要なお方のようですからな」


 淡白の物言いをしたあとにすっとその場を離れていく。


 その背中を見つめながら、これからあの男と同僚になるのかと少し気が滅入ってくる。


 それでも住む家と仕える主を手に入れたのだ。 


それだけでも良かったと思えばいいではないか。


 ざわめく心を静めるために内心でそう言い聞かせる。


 それに……。


 それに気持ちの良い若者に出会えることができたのだ。 これ以上不満を言っては神に罰を与えられてしまうな。


 夕日が地平に落ちていく。


 数日前の懸念はまるでそれのように沈み込み、未だ見えはしないが誇りに満ちた明日が来ることを予測して彼は静かに胸を撫で下ろすのだった。

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