3章『サンシュウの街の主と従者』⑦

「二戦目ですな、次も同じように?」


「ああ、所詮我らに選択肢など無いのだ。だが人死にとムラン殿に大怪我はさせるなよ?いくらあの男が約したとはいえやり過ぎればあれは我らを切り捨てるだろう」


「造作も無いことです。ただムラン殿にとっては不幸なことではありますな」


 副官は未だ年若な演習相手に同情の言葉を漏らす。 


 ムランの父であるトールとグラン家の武名は他国である彼らも聞き知っていた。 


 一兵卒の身から武力のみで立ち上げたその誉れは同じ武人であるシーザール達にとっても敬意の対象でもあるのだ。


 たとえ子息であろうとグラン家が流れ者の武人達に手も足も出なかったとあってはその評判は地に落ちるであろう。


 そしてそれはグラン家にとっての衰退にも繋がる。 


 武力一辺倒でのし上がってきたからこそ、それが折られればもはや家名は立ち行かなくなる。 

  

 近隣の領主達もその民たちもグラン家の武力も衰えたと判断するならば手の平を返すだろう。


「それを狙っている者たちもカルメラ家にもいるのでしょうな…あの男だけではなく、あるいはその筆頭がバルクア殿なのかもしれません」


 副官の言葉はますます哀れみを帯びてくる。 


 武で生きてきた者たちだからこそ、抱く旗が違うとはいえ同胞にも思える者たちの止めを刺すことに些かの逡巡がある。


「是非も無い。どこであろうと敗北は死を免れたとしても死んでいくものだ。その名も名誉も未来も…な」


 悲しげな言葉を口ずさみながら、シーザールは冷酷な斬刃を振り下ろした。 


 転がる首のようにムラン達の前線が再度騎兵に弾き飛ばされるのを眼前に写しながら。



 

「なんてざまだよ!次で終わりじゃねえか」


 主の敗北を見せられて悔しそうに膝をうつ。 その姿を隣のバルクアが唇の端を僅かに上げて見ている。


「チクショウ!黙って見てられるか、イヨン!行くぞ俺たちも演習に参加するぜ」


「うん!」

 

 各自の獲物を持って観察場から出ようとする二人に後ろから鋭い声が響く。


「待て!これはカルメラ家の演習だ。部外者は参加できない」


「何言ってやがる、それならムランはどうなんだ!」

 

「アレとは話は別だ。あの小僧の家はカルメラ家での軍事を主から任せられているのだからな、なればこそ演習の相手をすることも彼奴の仕事の一つだ」


 当然の反論も鼻で笑うように、いや嘲笑するような顔で一蹴する。


「それなら俺たちが参加しても問題は無えだろうが!」


「いいやお前たちは部外者だ。ゆえにあの演習に混ざることは出来ない…どうしても参加するというのなら……」


 脇につけた小刀の柄を掴み、僅かに引く。 


キラリと鈍い光が刀身から漏れた。


「そっちのほうが手っ取り早いな、お前の首をぶち飛ばす方が…な」


 スアピも狂暴な笑みを浮かべて自身の槍を悠然と構える。 


その後ろでイヨンも同じように…どころか剣をすでに抜いている。


 ヒリつくような空気が場に広まっていく。


「ちょっ、ちょっと…いい加減にしてくださいな!」


 アメリアが二人の間に割って入ろうとするが、その歩みをせき止めるかのように二人が一歩距離を詰めてしまう。


 イヨンも彼女を守るようにアメリアの服の裾をひっぱって強引に彼女を後ろへと引き寄せる。


 だ、だめ…止められない。 ど、どうしたら……。


 弱り果てたアメリアがオロオロとしてどうしようもできなくなってしまう。


 ことこれだけ緊迫してしまったならば、いくら彼女でも止めようが無い。

 

「…いいわよ、行ってきなさいよ」


 硬直した空気に割り込むような良く通る声が彼女達の耳朶に入ってきた。


「…君は一体何を言っているんだね」


 鉄面皮な気障面を崩していないが、その言葉には若干の怒気が含まれていた。


 そう、珍しく彼は怒っていた。 憤っていたのだ。

 

 急いで走ってきたのか、やや息を荒げ、上気しながらもその産まれついたときに備わっていた気高さを少しも損なわいでいる彼の主に。




 バルクアとスアピ・イヨンが剥き出しの殺気をぶつけ合うその少し前から異様な雰囲気をサンシュウの首脳陣達は気づいていた。


「どうしたのでしょう?ずいぶんと叫んでいるわね」


 領主であるマルクラードが頬に手を当てながらバルクア達の方に向き直る。


「はて?若い者たちは威勢がよろしいですな」


 ソルガルが惚けた返事を返し、チラリとアルアに目線を配る。


「また下らないことで揉めているんでしょう、私が行って来ます」


 彼の視線に込められた意味を察したアルアは返事も聞かずに駆け出していってしまう。


「あの子もまだまだ子供ね…素直すぎて不安だわ」


 全速力で走り出して行ってしまう娘の背中を心配げに横のソルガルに語りかける。


「ははは、下手に才気走ってしまうよりかはマシでございましょう。アルア様は順調にマルクラード様の後に続いていらっしゃってますよ」


 快活に笑う老臣に、サンシュウの現主は些か困ったように言葉を続ける。


「まったく自分の部下に良いように利用されてしまうようではまだまだ任せられないわ、あの坊やが何か仕出かすのなんて解りきっていたでしょうに」

 

 マルグラードはすでにバルクアがシーザール達を炊きつけたことに気づいていた。 


 しかし別段それを不快にも快にも思わず、ただ黙認していたのだった。


 その結果がバルクアの思惑通りに行ってもまた可能性は少ないが行かなかったとしてもそれを最大限に一族の利益にすればいいだけだと思っている。


 それが愛娘の思いと反していても、また長き同盟家の不利益になったとしてもだ。


 ことさらサンシュウの女領主はアルメラ家の行動原理をすでに身の内に飲み込んでいた。


 それは実の娘からしてみても想像も出来ないほどに深く、強く、揺るがないほどに。


 次代の者達の思惑などあっさり乗り越えるほどのスケールで。

   

「もっともあの子も少しは一矢報いてくれるでしょうけどね」


「そうですな、そうでなくてはつまらんというものです」


 幼児の遊びを見るようなほほえましい気持ちで二人は笑いあう。


 その横でマルグラードの夫であるハルクマールが胃の辺りを押さえつつ、いかに今回の『結果』を良い方向に持っていくために頭を悩ませていた。



 一方その頃、叔母たちの談笑も従者たちの諍いも、従姉弟の憤りも知らない少年は二度目の敗北からの巻き返しに全力に挑んでいた。


 巻き返しとは言っても勝つための方法ではない。 そんなことは不可能だ。

 

 彼は彼自身の周囲から見れば確かに有能の方に位置されるだろう。


 しかし彼は所詮は人間であり、敗北必死の状況をひっくり返すほどの馬鹿げた武勇も天地ほどもある実力差を入れ替えるほどの稀代の天才でもない。


 彼の一番の長所は自身の能力の限界を十分に知っているということだ。


 ゆえにこの兵の質、地の利、演習という本来の戦場であるならばもはや戦略的敗退に近い互角の状況を省みて、もはやシーザール達に勝てないということを当然のように理解していた。


 ではいま考えているのはなんだろうか?


 頬にべっとりとついた泥を払いもせず、最悪の中の最善を彼は模索していた。


「よし、これで行こう」

 

 見た目と反比例するような清清しさえ感じる表情をして最後の決戦に挑む覚悟を決める。


 すぐに彼は自軍の副官に指示を告げる。


 ほんの数秒で済んだ指示を副官は半ばホっとした顔で各員に報告していく。


 大きな怪我人も死人も無いとはいえ、本職の武人相手への演習がやっと終わることを喜んでいるその背中を見送りつつ。


彼は苦笑気味たように歯を噛み締めて三度目の合図を待ち続けるのだった。

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