3章『サンシュウの街の主と従者』②

「…………」


「…………」


「…………」


 しっかりと拵えられた木材に薄い鉄板を貼り付けた内装に囲まれた場車の中は静まり返っていた。


 要人防護用として、また秘密や密談を抱えるような人間の為に特別に作られた馬車の中はしっかりと密閉されていて外からの音は入ってこない。


 もちろん内側からの音が外に漏れることも無い。


「……というのが報告です」


 少し前にあったダランとの事件の顛末(もっともあくまで噂レベルにしか周囲には知れ渡っていない)を報告し終えたが、沈黙に耐え切れずもう一度締めの言葉を発した。


「……報告は理解したわ、二つ問題点があるわね」


「ふ、二つですか……」


 恐縮しきったムランと冷めた表情で対面するように座るアルア。


その横で緊張しながら座っているイヨンの赤い毛先を弄びながら、上司のように一度軽く溜息をついた後に彼女は口を開く。


「まず一つは礼儀見習いの講師を私の家に頼まなかったこと」


「そ、それは時間が無かったし……」


 反論しようとするが口を閉じる。 


その光景が彼とアルアの関係の一部を言葉にせずとも説明できていた。


「時間が無かったからどうだっていうの?大事な事はあなたの家が私の家を頼らなかったってこと……この意味、わかるでしょ?」


「そ、それは……」


 正論だ。 正論過ぎるほどに正論だった。 


実は常識的には件の話が出たときにはアルアの家に依頼をするのが当然の処置だった。


 理由は両家の関係だ。 


 グラン家とカルメラ家は彼女らの父の関係からの同盟関係であり、成り上がりゆえに各家の致命的な弱点を支えあう関係でもあった。 


 グラン家の方は戦で成り上がったのでそういう意味での武力は随一であったが反面、内政能力特に商業に関する統治は明らかに能力不足だった。


 そしてカルメラ家はギルドが母体であるがゆえに領地経営については事実上巨大な行政地区であるサンシュウでの実務を担当していたのでお家芸でもある。 


 しかしその出身故に軍事については全くの素人だ。


 互いに得意な面が偏っているが故に両家はトールがヨシュウの街を授かったときに互いを助け合うという相互協力同盟を結んだ。


 内容としては幾分カルメラ家の方が主とする盟約ではあるが。


 そしてその同盟の友好の証としてカルメラ家の次女がトールと婚姻した。

 

 つまりそれがムランの母であり、そしてアルアの叔母である。


「ムラン、あんたの家と私の家は親戚でなおかつこちらは庇護者でもあるのよ、それが庇護されてるほうが庇護してるほうを頼らずに他の家に頼った……周りはどう思うかしらね」


 とたんにムランの顔に冷や汗が浮かぶ。 


 ムランとしてもその意味は理解はしていた。


 しかし時間が無かったうえに、敬意を持っている方からの渡りに船に乗らないわけにはいかなかった。


 第一、もう本人が来てるのに必要ありませんなんて突っぱねられるわけがないじゃないか。


 そう反論したかったが言えない。


 結果論ではあるがアメリアは優秀だったし、大分この家に馴染んでくれた。

 

 そしてムラン以外にもある程度はスアピとイヨンを抑えられるという一点だけでも破格の人材だった。


 けれどもそれはあくまでこちらの事情であって、ましてやこの勝気な従姉弟にそれを言ったところで一蹴されたあげくにまた頬をつねあげられてしまう。


 三歳のころから教育されたことでムランにとってはこの勝気な少女は頭が上がらない存在なのだ。


「そしてなにより……もう一つの理由、あんたが頼ったのがあの腹黒キザ野郎だってことが大問題なのよ」


 トーンの上がる言葉と共に横にいるイヨンが涙目になってムランを見ている。


「ね、姉さんは…オルド様を知ってるんで…ひっ!」


 おそるおそる聞いたムランの頬をまたアルアがぎゅむっと摘む。 

 

 そして笑顔になって、


「ええ…同級生ですもの、よくご存知ですよ」


 言葉遣いは急に上品になったが逆にそれがムランとイヨンの恐怖をあおる。


 なぜなら笑みを浮かべているアルアの全身からはなんというかものすごく威圧感を出しているからだ。


「な・ん・で・よ。り・に・よ・って・王侯貴族の腹黒キザの家のメイドを家に入れてんのよ~!あんたこの地方に新しい揉め事増やそうとでもしてんの!」


 さきほどまでは摘むという表現が正しかったが、アルアの怒りに比例するようにそれは摘む→掴む→抓る→もぎ取るへと段階アップしていき、それと共にムランの頬はブチブチという引きちぎる音を奏でる。


「ギャー!ごめんなさ~い!」


 痛みに涙が出てくる。


 そして怖がりながらもアルアを止めよとするイヨン。


 構わずアルアの力はどんどん増して、ムランを持ち上げながらブルンブルン揺らしている。 


「反省してんのか~!このバカ弟が~!」


「は、反省してま~す!ごめんなさいごめんなさい!」


「うあ~ムラン~、ムラン~」


 馬車の中は修羅場だ。


 しかし防音処置が施されているから悲鳴は外には漏れない。 

 

 狭い馬車内で頬だけで右に左に振られているムランは痛みのあまり失神しそうになっている。


 そしてそれが限界に達しようとした瞬間、


「それじゃ許すわ」


 と同時にもぎ取ろうとしていた彼の頬を離す。


 とたんにムランは馬車の床に尻餅をつく。


「えっ……?」


 かろうじて頬が残っているのを確認し、痛みで涙目になりながら彼は従姉弟を見上げた。 


「何をぼけッとした顔してるのよ、許すっていったの」


 今度は直前に見せたような威圧するような笑みではなく朗らかな笑顔をして彼女はムランを椅子に座るよう促す。


 そして彼が頬を擦りながら座りなおすと、


「過ぎたことはしょうがないわ。過去は取り戻すことが出来ないものね、今度からはちゃんとこちらに連絡をしなさい」


「は、はい……」


 呆気に取られながらも素直に返事する。


 そしてビクつきながらもじっとアルアの顔を見た。


「何を怖がってるのよ、もう何もしないわ……これで一応アルア=カルメラとしての仕事は終了。もうあんたのお姉ちゃんよ」


「も、もう……怒ってない?」


 叱られた幼児のようにイヨンがムランの代わりに涙で顔をグシャグシャにしながら問いかけると、


「そりゃ怒ってはいるわよ……でも過ぎたことはしょうがないし時間が無かったってことも理解はしてるわ、ただはいそうですかって私の立場じゃ認められないの。だからけじめってやつよ。これを機会にグラン家と手を切るべきだっていう意見もでてるしね」


 飄々とした説明にムランはやっと気づくことが出来た。


 この地方は中央から遠く、国境からも近い。


 また政争に敗れて王都から追放された貴族などもいる。


 必ずしも中央に忠誠を誓っている人間ばかりではないのだ。


 ましてや昨今衰退しつつある王家に地方権益に手を出されてはただでさえ経済事情の厳しい辺境貴族達にとっては死活問題である。


 その中で王国貴族であるオルドの家から人材を派遣されたということはグラン家に対して世間は王侯派とみなすだろう。


 必然グラン家はそういう目で見られ、ただでさえ成り上がりと反感をもたれているのに余計な警戒まで生まれてしまう。


 そしてそれはこの地方の権益者の代表の一人であるサンシュウ支配者のカルメラ家も同じだと思われてもおかしくは無いのだ。


 いくらカルメア家が有力な家だとしても周囲にそっぽを向かれては立ち行かない。


 それどころか成り代わろうと暗躍してくる者も少なからずいるであろう。


 オルドからの好意はそれ自体がこの地方の権力図に大きな波風を立てる一因なのだ。 


 あるいは杯に注がれた一滴の毒と言ってもいい。 


 そしてそれを意図せずとはいえ盛ったのはムランだ。


「ね、姉さん…いえアルア=カルメラ様、自分の考えが浅く大変な心痛をおかけしました」


 アルアはカルメラ家の次期当主としてムランを叱った。


 その叱り方自体は幾分子供っぽさはあったが、当然のことだった。 

 

 そしてその程度で済ましてくれたのは間違いなくアルア自体の好意であることにもムランは気づいていた。


 この幾分年長の従姉弟は考えの浅い自分を心配して怒ってくれたのだ。


 その優しさはかつて母が生きていた頃に宮城で共に遊んだ幼馴染としての一面を思い出させてくれて彼の純粋な心根にジンワリと染み渡っていく。


「まったく領主業が板についてきたとか聞いてたけどまだまだね」


「ご、ごめん…」


 照れたように頭をかくムランを見るアルアの視線には慈愛のようなものがこもっていた。


「…あっ!そうだ、忘れてたわ」


「えっ?うわっ!ちょっと…」


 忘れ物を思い出したような口調でアルアがムランをぐいっと引き寄せる。


 そして力強く抱きしめた。 


 前にあった時よりも女性らしい身体つきにフワリと良い香りが漂う。


「聞いたわよ!腹黒キザの紹介とはいえあのメイドの為に変態貴族を投げ飛ばしてやったんでしょ!女の子の為に行動できるなんてあんたは本当にいい子に育ったわね!私は嬉しいわ!よくやった!よくやったわよ~!」


 今までの態度を崩した歳相応というかその中でも大分女の子っぽい態度で接してくるアルアにイヨンも目をまるくして二人を見ている。


 だが現在進行形でアルアに引っ付かれているムランは痛快そうな従姉弟から離れようともがく。


「ちょっ、ちょっと…姉さん!イヨンが見てるから!というか恥ずかしいから!」


「う~ん?何をいっちょまえに恥ずかしがってるのよ~、せっかく弟分の成長を喜んでるんだから黙って褒められてなさい!」


 尚も感情を爆発させながら頭をワシワシと撫でてくるのでたまらない。 


 ヨシュウの街の次期領主はパニくり狼狽しながら狭い場車内を逃げ回る。


「も、もう許してよ!」


「あっ!こら逃げるな!イヨン、ムランを抑えなさい!」


「ふえっ?あっ…ああぅ…あうっ…」


 ドッタンバッタンという音が密室に響き、それ自体も三人の動きにあわせてユラユラと揺れている。  

 

「ぶげっ!」


「やっと捕まえたわよ…ふふふ、それじゃ覚悟はいいわね?」

 

 床に倒れたムランにアルアが覆いかぶさる。


 手をワシワシと動かしながら。


「た、助け…て」


 悲痛な叫びは完全防音のここでは外に漏れることは無い。 


頼りになる少女もどうしていいかわからずただただ自身の両手で顔を覆って見ないようにしている。


「それじゃ~…行くわよ!」


「い、いや~~~!」


「……何をしてるんだ君は?」


 奇跡が起きた。


 固く閉じられていた馬車の扉が開き、春風と共に誰かが立っていた。


「ちっ…勝手にあけるなんてマナー違反よ」


「緊急事態なのでな…もっとも君に言われるのは納得しづらいところだが」


 扉を開けたのはバルクアだった。 


下から見上げても端正な顔つきのアルアの従者は半分あきれ顔でムラン達を見ていたが、すぐに表情をもどす。


「我々は囲まれている。なんでも君にあわせてくれと言っているが…取り込み中だと断るかね?」

  

「ふ~ん、人数は?」


「およそ数十人。全員武装している」


「正体は?」


「不明だ。山賊とは違うようだが戦うならばそれよりも、てこずるだろうな」


「会わせろと言ってるのに自分の所属も言わないの?」


「とにかく火急だと言っていてな…断るなら無理にでもというお言葉を頂いているが?」


「ふ~ん、そうなんだ…」


 サンシュウの次期領主達はムランに馬乗りになりながら冷静に会話を交わしている。


「た、大変だ…ね、姉さんはここに居てください。俺達も出ます!」


「行くわ…バルクア手を貸して」


 ぴょんと跳ねるように立ち上がるとバルクアに手を取ってもらいながらアルアは馬車を降りる。


 無様に倒れているムランを置いて…。


「ちょっ、ちょっと姉さ…いえアルア様!危険すぎます」


 先ほどの名残かアルアのことを姉と呼びそうになるが、彼女自身にジロリと睨まれたことですぐに気がついて外向けの言葉に直してムランも馬車から飛び出る。


「っと、これは…」


 屋外に出たムランが見たものは四方を取り囲む騎馬兵達。


 そのどれもが鎧をつけ、槍に剣や弓を装備している。

 

 確かにこれは山賊なんかじゃないな。 


 納得しながらも思考を止めずに彼らの正体を考える。


 装備から言って夜盗の類では無い。 そして周囲の貴族の私兵でもない。 


 その鎧も装備も王国内で拵えたものではないことが見て取れる。


また兜を被っているとはいえエキゾチックな顔つきをしているところを見ると異国人であろう。

 

 もちろん他の貴族の私兵の中にも異国の人間もいるだろう。


だがあまりにも数が多すぎる。


 また隠蔽の為に異国の装備に統一したとしてもそれならば取り囲まずに奇襲すればいいことだ。


 もしかして他国からの侵略? いやそれならば会わせろとは言わないか?


 それじゃ一体何が目的だ?


「考えすぎよ」


「えっ?」


 溌剌としたアルアの声に顔を向けると、不適に笑いつつもリラックスして彼女はそこに立っている。 


「ああ、こっちのことよ…それで?あちらさんのリーダーはどこ?」


 屈強な兵士達に取り囲まれているというのに変わらないアルアの姿にあきれつつも不思議にホッとしている自分がいることにムランは気づいた。


 ああそうだ、そういえばこの人は昔からそうだったな~。


 落ち着きはらったアルアに励まされてムランも身体のこわばりをなおし…つつも周囲の警戒を怠らずに彼らのリーダーがやってくるのを待つ。


 やっぱり自分には真似できないな~と心の中で苦笑しながら。

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