3章『サンシュウの街の主と従者』①

 貴族らしくきらびやかに飾り立てられた二台の馬車が草原の真ん中に作られた石畳の上を車輪を回転させながら進む。


 王都にいたアメリアも感嘆してしまう程の豪奢な飾り付けをした車体。 


 椅子にはフカフカとした高級綿を敷き詰めることでガタガタと暴れまわる振動が吸収され、静かに景色を楽しめそうな乗り心地に感心しながらも少し不安な心持ちで彼女は前方の馬車を見つめていた。


 アルア=カルメラ。


 名前くらいは何度か聞いたことがある。


 もっとも接点は無かったので最初は失念していた。


 確かにここの出身であるとは聞いていたけれど。 まさかムラン様の従姉弟だったなんて……。


 もともとイレギュラーな事態によりムランの家に仕えることになった経緯と王都とは一風変わった町並みと風景、そして主たちに振り回されていたことで彼女はこの地方の情勢についての知識はいまだ不十分だったのだ。


 だがアルア=カルメラのことはそれでも他の事に比べれば多少は知っていた。  


 もっともあくまで文字通り知っているという程度のことではあるが……。


 カルメラ家はこの国で最も裕福であり、最も新しい『貴族』だ。 


 裕福な点は王国の北方に存在して昔から交通の要衝として商業が著しく発展し、なおかつ北方交易の中心地であるサンシュウを領地としていること。

 

 また他とは違う出自による独自の物流と商業ノウハウによってただでさえ大きい交易利益をさらに莫大な物へと発展させることに成功していることだ。


 そしてカルメラ家が貴族となったのはまだ数年程で、王国では一番最近誕生した貴族である。


 これは大変珍しいを通り越してありえないことに近いことだった。


 貴族の数はここ百年位は減る一方で、新設の貴族など王国初期の内戦期の時にしか例がない。


 なのでカルメラ家勃興の噂は王都の者達の間で走り回った。


 アメリア自身もそのときに仕えていた主の屋敷でたまたま耳にした。

 

 だがそれはあくまで新しき仲間を歓迎というものではない。


入ってきた新人を冷酷に見定めようとする意地悪な家人のような視点だった。

 

 金儲けばかりうまいだけで品格も無い。


 進物にもセンスが無い。


 やはり所詮は田舎の成り上がりだ。 


 あれが無い。 これが無い。 だから駄目なのだ。


 彼女の旧主やその友人達、あるいは取り巻きが新興貴族であるカルメラ家がいかに貴族として不適格であるかを多弁しながら談笑していた。


 いや談笑というよりはっきり誹謗中傷であった。


 そんな彼らがカルメラ家から送られてきた西方の珍しい茶やお菓子を美味そうに飲み食いしながら話をしている姿を見ていると慎む深いアメリアでさえある種の滑稽さを感じてしまう。


 そんなに気に入らなければ口にしなければよろしいのに。


 もちろんそんなことを言葉にはしない。


 だがその支離滅裂さにそう思わざるを得ない。


 一体どうしてそのように言えるのかしら?


 今よりも幾分若かったがゆえに、当時には見えていなかったその理由が今ではわかる。


 大小様々の珍しい代物が次々と入ってくるであろう発展された都市、そしてなによりそれらを気前良くプレゼント出来るくらいの金銭力。 

  

 自分達が欲しても持てぬ物を持っているがゆえに彼らが持つことの出来ぬそれを実際以上に掲げ、そして見下す。


 はやい話が嫉妬なのだ。 


そして性質の悪いことにそれをあの方らは自覚していなかった。


 まったく…なんという人たちだったのだろう。 本当に……。


「前の馬車が気になるのかね? お嬢さん」


 ふと思索にふけっていた彼女を正面に座る浅黒の男、バルクアがふいにそれを断ち切る。


 綺麗に撫で付けた髪に、よく整った顔の造形。 そして耳に良く残る低めの声とその穏やかな発声。

 

「いえ…そういうわけではありません」


 彼女にとっては当たり前だが、他者から見ればやや冷たく突き放すような物言いであった。


「ふむ…それならばどうして君はそんな憂いに満ちた瞳をしているのだろう。そしてその美しさを曇らせているのかな?」


 まるで演劇のような言葉を口にしながらバルクアはその甘いマスクに上品な笑顔を載せてアメリアを真っ直ぐ見つめる。


「は、はあ…」


 戸惑うアメリアの手を取ってその小麦色をした指を絡ませてくる。


「な、何を…」


「しっ…、落ち着いて。君は何か不安を持っているね?それをどうかこの私に教えてくれないかい?」


 しっとりとした黄土色の肌とは対照的な白い歯を見せ、香水だろうか? 

 

 フワリと蟲惑するような怪しい香りがする。 


「て、手を…離してください…そ、その…困ります」


「では話してくれるのだね?君の中にある不安と戸惑いを……私に」


「べ、別に…そういうことは…ひゃっ!」


 手馴れた様子でバルクアが優しくアメリアの腕を引き、端正な顔をそれとは対照的な白くきめ細やかな肌の彼女と至近距離で向かい合う。


「や、やめて…くだ…さい」

 

 声は徐々に小さくなっていき、まるで熱にうなされているように白い肌がポーっと紅潮していく。


「美しき貴女よ、どうか私に真の唇を…っと!」


 酩酊してしまいそうな不思議に心地よい声は無粋で冷たい金属の刃先に断ち切られた。


「何をする…危ないではないか」


「うるせえ、目の前で堂々とうちのメイドを口説いてんじゃねえ」


「わ、私は…そんなつもりは…」


 と言いながらも彼女のメガネのレンズ越しには潤いとしなやかな首から見えている肌はまだ余韻が残るように血が巡っている。


「まったく無粋なやつだ…お前もあの小僧も全く変わらんな」


「こ、小僧」


 それが誰を指しているのか理解して、アメリアの瞳に厳しさが戻る。


「おやおやまだ日が浅いというのにずいぶんと忠誠心を持っているようではないか…あのお人よしの小僧は」


「…てめえ、いい加減にその泥臭い減らず口を閉じないと呼吸も出来なくしてやるぞ」


「ほお、おもしろい…獣と変わらん程度のお前がこの私に勝てるとでも?面白い冗談だ。笑えんがな」


 馬車の上でにらみ合うとささくれ立った空気が一気に充満した。


 スアピは槍を、バルクアは腰に差していた小剣の柄に手を掛けている。


 あわててアメリアが止めに入る。


「バカな真似は止めてください!いくらお互いの主が仲があまりよろしくないからって」


 最後の言葉に両者がとても苦い顔をした。 


まるで性質の悪い冗談を聞いたように。


「ああ美しき君よ、最後の言葉は間違っておられるよ、残念ながらね」


「えっ?ど、どういうことですか!」


「ああ…まあ、その…なんだ…」


 口ごもるスアピをフォローするようにゆっくりとバルクアが口を開く。


「確かに出会って日の浅い者なら解らんだろうがね、そちらの小僧と我が主はそれなりに仲がよろしいのだよ、少なくとあの方はそう思っておられるだろうね」


「へっ?う、嘘でしょ?」


 スアピの方に向くと、彼もまたポリポリと頬をかきながら、


「ああ…なんというか、あれがあのお嬢さんなりの親愛の出し方っていうのかな?」


「あんな傍若無人な行動を他家の家でしておいて…ですか?」


「あれは彼女なりの愛情表現さ、今まで王都の学園で暮らしていてここ数年はろくに顔を合わしていなかったからな、思わずあのような行動に出たのだろう」


「あのようなって…ムラン様の頬、思いっきり赤くなってましたけど」


「会えない距離が情を燃え上がらせてしまい、そのぶんだけ力が入ってしまったのだろうな」


 あきれ返るように両手を挙げたバルクアは小さく溜息を吐く。


 その仕草もまた華麗に見える。


「そ、それじゃスアピさんがムラン様をあそこまでやられてても何もしなかったのは……」


「ああ、あのお嬢さん凄え気が強くてな?下手に止めるとその後は滅茶苦茶機嫌悪くなるからムランからも気が済むまで止めないでやってくれといわれてんだよ」


「え、ええと…ムラン様ともそんなに年齢が離れていないとはいえ、一応淑女ですし、王都の学園に通っておられるんですよね?」


 頭が痛いのか、それとも理解に苦しんでいるのか額に指を当てて確認をしてくる。


 そして問いかけられたバルクアは彼の主に対する態度と何ら変化させずに顎を上げながら背もたれに背中を預けると肯定するように首肯した。


「理解しがたいだろうがねお嬢さん、それが我がカルメラ家の未来の主であり、私の主人(マスター)であるアルア嬢というお方はそういう人間なのだ。以後お見知りおきを」


 いくら新興貴族とはいえ大家な家の者とは思えない行動に頭がぐらついてしまう。


 アルア嬢に比べればムランでさえまだそれなりの慎みを持っている。


「あまり大げさに考えないほうがいいな。そうだな……ちょっとばかしお転婆だと思えばよろしい」


「ありゃお転婆というレベルを越えてると思うがな」


「なに、それでも学園では貞淑な少女として猫を被っておられる。身内だと思うがゆえの振る舞いなのだろう」


「み、身内ですか?」


 いまだ納得しきれていないアメリアに皮肉の成分を緩めた笑顔を見せ、


「ああおそらくはあの馬車の中であの小僧を説教しているだろうさ、身内として弟としてな……そういう意味ではあれは情のあるお嬢さんなのだよ、爪の先ほども理解は出来んがな」


 後方を親指で指し、言い終えた後のバルクアの顔はとても苦りきった表情をしていた。

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