3章『サンシュウの街の主と従者』③

 集団の頭目はすぐにやってきた。  


 アルアよりも頭一つ分くらいの高さでバルクアとほぼ同じくらいの身長だった。


 ムランやアルアとは違った人種の彼は彼女の前に立つと、恭しく貴人に奉るように膝を折って跪くと次のような口上を奉った。


「初めて拝謁いたします。私の名はシザール=ムラワタと申します。ここより北の地にあるスザン国の末端で剣を授かっておりました」


 スザン国。 北方の国境を接する小国の名前である。 

 

 ムラン達の住む王国とは決して友好的な間柄ではない。


 もっとも国境を接している国同士が友好的であることの方が珍しいのだが……。


「スザン国にかつては居たということは今は違うということかしら?」

 

 あからさまに警戒しているような風を残しつつ毅然とした態度で返す。 

 

 当然のことではあるが周囲の空気は強張っている。


 相手が身分上に接するような態度と早々にスザン国に所属していたが、いまは違うと話したことで少なくとも侵攻ではないことはわかった。


「はい…恥ずかしながら今の私は一介の追放者、ただただ寄る辺も無くさ迷うだけの男でございます」


「ふん、寄る辺も無く…ね」


 皮肉そうに唇を歪めながらバルクアが呟く。


「バルクア、少し控えなさい。いまはまだ話を聞いている最中ですよ」


 たしなめるアルアに形ばかりに頭を下げるが、表情は挑発的なままだ。


「後ろに控えている者達は私の一族と部下です。無能なる私を慕い、着いてきてくれたのです」


「わかりました。とりあえずはそういうことにしておきましょう……シザールと言ったわね?それで私に何を望むの?残念ながら私も私の従兄弟達も彼方達の枯渇を助けるほどの物は持っていませんが?」


 その言葉に全員が身構える。


 ムランはそっと腰を落とし、スアピとイヨンは彼の横に立ってそれぞれの武器に手をかける。


 シザール側の者たちも張り詰めるような空気を醸し出してくる。


「滅相もございません…いくら国を負われた身とて軍人としての誇りを捨てるつもりなど毛頭ございません。私たちはただただアルア=カルメラ嬢の慈悲を乞いたく参上いたしました」


「それはつまり?」


「はい、私の剣をカルメラ家に奉げたく思っております」


 内心では予測はしていたのだろうがアルアの顔が曇る。 


それはよく見知った者だけが気づくくらいの変化だった。

  

 そこまで訓練されていないムランは困ったような表情を浮かべ、アルアの従者であるバルクアは「ほう……」とだけ呻く。


 イヨンとスアピはとりあえずは殺しあいは避けられたと理解し、少し残念そうに手を獲物から降ろしていた。




 ムラン達一行がサンシュウの街の入り口にたどり着いたときにはすっかり日が暮れていた。


 ヨシュウの数倍の広さをスッポリと覆う高い城壁の上からは光が洩れていて、平地に立地するその場所もあわさりまるで巨大な燭台のようにも見える。

 

 複数ある門が開き、中に入るとその明りに照らし出された街並みはいまが夜だということを忘れそうにさせてしまうほどだ。


 王国随一の巨大都市の名は伊達ではなく、かつてある著名な詩人が街を評して『消えることの無い繁栄の火』と言ったことも決して大げさではない。



 そのサンシュウの中心部、高台の上に存在するカルメラ家の屋敷の一角の中ではとある相談がなされていた。 

 

 言うまでも無くシザール達の処遇についてだ。


 屋敷の奥、執務室に集まっている面々は五人だけだった。


 サンシュウの街の現支配者、アルアの母であるマルグラード=カルメラは年齢の割りには衰えていない美貌と意志の強そうな瞳をしながらも涼しい顔でカップに注がれたお茶を飲む。


 マルグラードの夫であり、サンシュウのギルド長であるハルクマール=カルメラは痩身の男で、やや青い顔をして口許に拵えた髭をせわしなく撫でて落ち着きが無い。


 その横で未来の当主であるアルアは腕を組んで目を瞑って何かしら考え込んでいる。


 その三人の前では禿げ上がった頭頂部をピシャリと叩きながら中年の男がやや慎重に主たちの反応を見ていた。


 もう一人はバルクアであいもかわらずの不適な表情でアルアの後ろに控える。


 ムラン達はこの場には居ない。 


いくら長年の同盟関係だとしてもお家の大事を決める会議に参加する道理も権限もないからだ。


 もっともムラン自身が参加しようとなどとは到底思っていないことは想像に難くないが……。 


「さてこのたびの案件でございますが、いかがなさりましょうか?」


 沈黙の口火を切ったのは禿頭の中年だった。 


 男の名はソルガルと言う名で、サンシュウのギルドの実務を取り仕切っており、この度のカルメラ家の貴族への昇格により家宰に任命された。


「判断に困るところね、いくら小国とはいえ他国からの追放者を迎え入れるのは、ご近所さんに変な噂を立てられても困るわ……しかし」


「貴族である以上一定の武力を持つのは当然……我が家の長年の懸案事項でもあった戦力の向上にとっては願っても無い提案でございます」 


「確かに隊商護衛として些かの兵を持っては降りますが、戦働きの出来る将は少ないですな」


 マルグラードの言葉にソルガルが補足するように付け加える。


 その後にバルクアが同意を示す。


 その二人が意を確認するように両者がハルクマールに視線をやると、サンシュウのギルド長を努める男は、


「無論、それはわかっている。だがいまは貴族への昇家を果たしたばかりなのだ、あえて火中の栗を拾わずともこれから手を回していけば……」


「それでは遅すぎます。戦の経験ある将などそうは居りますまい。ましてや国内で探そうと思えば口さがない連中がここぞとばかりに自身の手の者を送り込むでしょう。そのような者など信用は置けませぬ」


 ピシャリとバルクアが反論すると、ハルクマールは黙り込む。 


「しかしそのシザールというのは信用出来るのかしら?」


「それでしたら調べ上げております。もともとあの者は低い身の出身で彼の国では疎まれていたようですな、戦功も中々にあげておりますがそれでも百人隊の隊長どまりであったのが証拠です」


「ずいぶんと早く調べ上げてるのね」


「はい、もともと我々が将候補として調べ上げていた男ですからな」


 アルアがソルガルに問いかけると、頭頂部以外は黒々とした髪を擦りながら答え、さらに続ける。


「これは好都合ではございませぬか、能のある将がその部下と共に我が家へ降りたいと申しておるのです。どうして断る理由がございましょう。確かに彼の者を貴下に入れる際には調整と周囲への配慮、そして根回しが大変ではありますが、それくらいの苦労など銅貨で金貨を得るくらいの仕儀です」


「なるほどソルガルがそこまで仰るのなら検討する余地はありますわね」

 

 マルグラードが賛意を示そうとしたところで再度アルアが割り込む。


「しかしそれでは同盟者であるグラン家にも説明しないと無用な軋轢を生むわ!確かに自家内で将を得ることはメリットはあるけれどそれによって同盟者や周囲の家への信頼を損なえば……」


 さらに口火を飛ばそうとするアルアをマルグラードが手で制止する。


 女性でありながらサンシュウの街を支配する領主にそうされてはアルアもそれ以上言葉を紡ぐことが出来ない。


「むろんトール殿には説明をいたしますし、関係も今まで通りに続けます。なんならもう一度誓紙を出してもよろしいかと存じます。しかしながらこれは我が家の問題であります。周囲への信義も大切なことではありますが、まずもって考えることは当方の利益と未来でございますれば」


「……そうね」


 家宰の言葉には説得力があった。


 確かに信義は大事であり、律義者のトールや古くからの貴族であれば最も重要視する価値観である。


 しかしカルメラ家は商人から派生した家である。


 商人である以上、信頼を大事にはするが、それは一番では決して無い。 


 商人が最も重要視することはメリットであり、それに付随する金銭である。

 

 大きな戦など途絶えて久しい。


 だがサンシュウという街で他国や同国内の商人達との『干戈の交わさない大戦』を戦い抜いてきたカルメラ家にとっては名誉という形の無いものよりもっとも現実的な物を重要視する。

 

 それこそが最新興貴族であるカルメラ家と他の貴族の決定的な違いであった。


 そしてだからこそ名誉を持たないカルメラ家を蔑視する貴族たちをカルメア家も内心では目に見えないものを有難がる愚か者と言う目で見ていた。


 カルメラ家のその価値観はそれ自体が絶対的な家訓でもあったのだ。


「そうね…しばらくは隊商の護衛をしてもらって時期を見てから正規に雇えば…」


「いや…それはいささか気が長すぎるのでは?」


「…バルクア殿、というと?」


 会議の結論が出ようとしたところで、おそらくは未来の家宰を担うであろう男の異論に全員が注目する。


 蝋燭のオレンジ色の光に染め上げられた彼の顔は酷薄に微笑みながら一つの提案を出した。

 

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