僅かな反撃 後編

「……立ち直ったか、惜しい逸材だな。もっと早く出会っていれば……いやそれでも変わらんな」


 一瞬表情を曇らしてカンバルが部下達に視線を向ける。


「お前達に副長として命令する。すぐに退却し、武装を解除して解散せよ」


「な……何を……我々はまだ戦えます!それにその悪魔さえ殺せば連中を追い散らすことなど……」


「いいから命令に従え!この戦いには何の名誉もない……ただの尻拭いだ……我々のな」


 部下達は納得行かない顔をしているが、副長の命令には逆らえることが出来ず、ゆっくりと後方に下がろうとする。


 悪魔と呼んだ少女を睨みつけながら……。


 イヨンがすっと横に移動するが、カンバルも同じように動く。


「ふん、あくまでも突っ込んできた敵を殺そうとするか……、腕は中々だが頭の方は愚直を通り越して愚かだな。だが上官はさらに輪をかけて愚かなようだな、全く才能を生かしきれ……ヌウッ!」


 最後まで言わさずにイヨンが獣じみた動きで切り込んでくる。 


綺麗な緋色の髪と一緒に目に炎を宿して。 


「だが、調教するのは得意なようだな、上官の中傷は許さないか!」


 イヨンの大剣を弾き返して、カンバルがさらに続ける。


「惜しい……惜しいぞ……そして歯痒いぞ!まさか最後の最後になってこれほどの才能とめぐりあってしまうとはな!」


 弾かれた身体で着地し、同時に地面を蹴って超低姿勢でさらに切り込んでくるイヨンにさすがのカンバルも言葉を止めて応戦する。


 両足ごと切断するような一撃が繰り出されるが、それより一瞬早くカンバルの鉄槌が足と刃の間に割り込む。


 ガギイン! と言う金属音と弾かれる火花が華開く。


今度は弾かれた勢いで反対側の足へと剣を回転させて攻撃をしかけようとするが悪寒が走ったのを感じ、そのまま横へと転がる。


 ほぼ同時に地面にカンバルの鉄に包まれた無骨な拳が地面に激突していた。


「勘も鋭い!……だがもう終わりにするとしよう」


 鉄槌を持ち直し、再度構える。


 対峙視したイヨンも準備を整える。


 どちらかともなく聞こえる歓声と悲鳴が二人の間を通り抜けている。


「…………」


「…………」


 まるで時が止まったように二人は動かない。 


すでにカンバルの部下達は命令どおりに退却して坂を上っていた。


 二人の周囲には誰も居らず、何も無い。 


それなのに相対する戦士二人は全く動かない。


 ただ周囲の空間を圧倒するような緊張感だけがその場を支配していた。


 その刹那、片方が動いた。


 イヨンが全身の筋肉を使って地面を疾走し、まっすぐ剣を振り下ろす。


 カンバルは動かない、もうすぐ彼を切り裂く死の刃が迫っていても微動だにしない。


 振り下ろした大重量の剣がカンバルの左肩に向かって斜めに切り出されたその時カンバルが動く。


 大きく足を砂ごと蹴り上げ、それらはちょうどイヨンの顔に当たり、思わず彼女が目を瞑る。


 それを見計らい鉄槌をイヨンの剣刃の根元という絶妙の位置へと当てた。 


 振りきる直前で、なおかつ持ち手に近い部分に体重を乗せた強烈な一撃は彼女の大剣を弾き飛ばすには十分な威力だった。


 握り締めていた状態で剣を無理やり弾き飛ばされたのでイヨンの体勢が崩れてしまう。


 同時にカンバルが倒れこんだイヨンの細い腹部を鉄靴のつま先で蹴り上げた。 

 

「アグウッ!」


 悶絶しながらも、きっと睨みつけて殴ろうとする腕ごと脚で踏みつけ、目の上を指で一閃する。


「アアアアアアアッ!!」


 咆哮する獣のように目を抑えるイヨンの首をカンバルが乱暴に掴んで絞り上げる。


「ぐ……ああ……」


「本当に残念だ……戦場の戦い方を知る前に殺すのは……恨むなら無能な上官を恨むんだな」


 気道ごと潰そうと指先にさらに力を入れようとするが、急に掴んでいた手を離す。


「うっ……ゴホッ、ゴホッ……」


 地面に倒れたまま苦しそうに咳き込む。

 

「……大した奴だな」


 カンバルの左目の上から血が垂れていた。


 力を込めようと顔を近づけたところでイヨンが右手で思いっきり引っ掻いたのだ……。


「だがな……視力はまだ回復していないだろう……だからこれで終わりだ」


 鉄ごしらえの靴ごと足を上げてイヨンの頭上に持ってくる。


 巨体の体重を乗せた振り下ろしと鉄で包まれた足の一撃はまさに鉄槌そのものである。


 どんな人間だろうとその一撃をくらって死なぬものなどない。


 そしてその一撃は悪魔のような少女に裁きとして振り下ろされ……、


「ちょっと待てやおっさん」


 悪魔に裁きの一撃が振り下ろされるその直前、誰かがそれを止めた。


 不機嫌そうな顔で、槍を肩に担いだ少年が立っている。

 

「こいつの仲間か?全くお前らの上官は腐っているな……まだ年端のいかない子供を使うとは……」


「ああん?」


「まあいい、助けに来たのなら次はお前を屠るだけだ」


 上げていた足をそのまま一気に下ろす。


 頭蓋を叩き割るグシャリとした音が辺りに響き渡る……はずだった。


「なっ……なに?」


 カンバルの足は確かに降ろされていた。 


しかし地面には辿り着いていない。


 足と地面の間にある潰されるはずの頭の上には手が入っていて、それが死の鉄槌を止めていたのだった。


 カンバルがさらに踏み込む。


 しかし彼がいくら力と体重を込めても敵の頭を踏み潰すことは出来ない。


 むしろ下げようとしている足が徐々に上がってきている。


「ふ~ん……大分キレちまってるな」


 少年が淡々と呟く姿が反転して見えた。 


次の瞬間には背中に地面の感触。


 つまりカンバルは地面に仰向けに転ばされていたのだった。


「なっ……なん……なのだ……お前……は」


 慌てて後ろに転がりながら起き上がったカンバルが信じられないものを見た顔で見る。


 多少腕っぷしが強いだけだと思った。


稀に見る才能だとも気づいてはいた。


ただそれだけのことだと思っていた。


 どんなに才能があっても経験が圧倒的に不足している今では自分の敵では無い。


剣筋も体術も予想の範疇内で、自分のあんな拙い奇襲にも引っかかった存在だというのに……。


いま目の前に立っている少女に勝てるという予測がつけられない。


 ゆらりと立ち上がったその姿は頼りなくふらついていて、殴打した箇所は青くなっており視力もまだ回復していないはずだというのにただそこにいるだけで少女は圧倒的な存在感を垂れ流していた。


「本当に……悪……魔……なのか?」


 およそ馬鹿らしい一言が口から出る。 


言った後ですぐに思い直した。


 悪魔など存在するはずが無い。


 目の前にいる敵はすでにボロボロで、立っているのがやっとの状態……恐れるに足らない。


 敵を倒した後はすぐに槍を持った少年との戦いが待っているのだ。


見たところこの少年も稀有な才能を持っていそうだが、まだまだ自分には敵わないだろう。


 だから……早く……すぐに……目の前の敵を……倒さなければ……しかし……、何故身体が動かない? 


「何故だ!何故お前達は戦っているのだ!こんな馬鹿らしい……しかも見捨てられたというのに……名誉も無く何の執着も無い無意味な戦いに!」


 槍を肩に担いで少年が振向く。 


その顔はあきれているような表情をしている。


「無意味もクソもあるもんかよ……もともと俺達は使い捨てられる道具だよ。ただ……大事に使ってくれる奴がいるからこんなクソ面倒くさいことに参加してるんだろうが」


「たとえいつか使い捨てられてもか!」


 気がついたら叫んでいた。 


槍を持った少年の言葉は何の飾り気も無く修飾も無いが、それゆえに自身が少年だったころの気持ちを思い出さずにはいられなかった。


 いつから我らは名誉を求めたのか? 


対価を求めはじめてしまったのか?


 自分が将になった理由はただただ国を守るということ……。


 その原初の決意が少年の言葉には何のブレも無く備わっていた。


 才能はともかく、経験も知識も負けるはずの無い若造に、何故自分が負けているかのように叫ばなければならないのか?


 疑問がわいても問わずにはいられなかった。


 たとえそれが自分自身を否定したとしても……。


「うるせえな、この俺が、俺達が簡単に使い潰されてたまるかよ。それこそあいつが死ぬまで一緒に戦い続けてやる……お前もそうなんだろう?」


ようやくダメージから回復できたのか、剣を支えにゆっくりイヨンが立ち上がる。


「どうするよ?おっさん……うちの馬鹿娘はやる気みたいなんだけどな、あんたの言う名誉も無い戦いって奴に殉じて死ぬかい?」  


 不敵なスアピの言葉にカラカラと豪快に笑ってカンバルが答える。


「ふっ、名誉が無いというなら殉ずる魂などないわ……」


地面に落ちていた武器を持ち上げてイヨンたちに背中を向けて悠々と去っていく。


「……大人しくしとけ」


 立ち去ろうとするカンバルを追いかけようとするイヨンの腕を掴んで止める。


「いま闘ったら死ぬぞ……お前はもうあいつと離れるつもりなのか?」


「……グッ……ウゥッ……」


 顔を俯いてただ静かに唸っていた。


 本人もそれに気づいてはいても感情とは別の存在で、それを止めることは出来ない。 


 スアピは立ち去っていく背中を見つめながら、


「あんな奴がゴロゴロいるのかよ……世界ってのは広いな」


 それだけ呟いてイヨンの腕を取って後方へと下がっていく。




 イヨンが迫る幾人もの追っ手を切り倒したという報告は兵士達の心中をわずかながら安堵をもたらした。 


「そうか…よくやってくれたな…イヨン」


 少し硬い笑みでムランはイヨンの身体についている返り血をふき取りながら褒め称える。 


 イヨンの全身についている血は乾いて赤黒く変色していた。


 そのくすんだ色が彼女の身体を侵食してしまうのではないかという怖れを感じ、ムランは慌てて拭おうとしている。


「そんなことよりな……敵の副長とやりあったぞ」


 神経質に血を落とそうとしているムランの手を意外に強い力で取ってスアピがカンバルと戦ったことを報告した。


「それで?どうだった?」


 初めて手を止めてムランが問いかける。


「勿論痛めつけて追い返してやったさ。中々強かったもんでな」


 余裕しゃくしゃくと言わんばかりに右手を上げて人差し指と中指を開く。 


 つまりは楽勝だったと言いたいようだ。


 スアピのその姿を見て、兵士達の中から歓声が上がる。

 

 国境地帯で他国の侵攻を防いでいた百戦錬磨の精鋭部隊……。 


その隊員たちをあっという間に倒して、副隊長ですら退けるその強さを見て兵士達の顔に始めて希望の色が見え始めた。


 逃げるのを止めて戦うことを決意したとはいえ、不安は彼らの心の中の過半を占めていた。


だからこそムランもイヨンを殿に立たせて説得後の士気向上を期待していたのだった。


 一応その目論見は上手くいったように見えたが、ムランの表情はまだ硬い顔のままだった。


 いやむしろ返り血を落とそうとしていたときよりも緊張は増している。


 先ほどの報告で、彼は始めて自分の従者が『強い』という単語を敵に対して使ったのを聞いた。


 今まで彼が強いと言ったのは数人だけで、ここ数年は久しく聞いていない言葉だった。


 スアピが強いと言った……一対一ならば、ムラン達の周辺地域で勝る者などいないと思っていた男が……。


 そしてイヨンのこの状態を見れば、笑みを見せられるような状況ではないということは解っていた。


 イヨンは申し訳なさそうに俯いて、手足を動かしている。


 落ち着かないのと戦いに影響があるかを確認しているのだ。


 ムランは黙ってそばに近づいて、ゆっくりとイヨンの頭を撫でた。


 イヨンも何も言わないでそれを黙って受け入れている。


 スアピはその二人を何か遠い目で見ている。


 訪れた淡い希望に兵士達が喜んでいる中で、ムランたち三人だけはまるで処刑場に向かう罪人のように静かだった……。



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