総司令官の死と敗走への道

 大きく吹き荒れた大雨は長くは続かず、月が天頂に来る頃には嘘のように雲ひとつ無い空になっていた。


 その淡い月光の下で、ムランとガルムが二人対峙している。


ここに呼び出されてからずっとこの調子だ!


一体何の用なんだ? 


 ただでさえ苦手な人間と一緒に居て、無言でいられることを得意とする人間はいない。


ムランも勿論その範疇だが、そればかりではなかった。


 休憩の時のスアピの言葉を思いだす。 


『あのおっさんは何考えてるかわからねえ』


 確かに出陣の時は目の回るほどの忙しさで深く考えられなかったが、持っていく物資の変更など将軍クラスでも勝手に変えていいはずが無いのだ。


物資が有限である以上調整が必要になる。


 故に物資の急な変更というのは総司令官ですら、綿密な話し合いが必要になる。


 二人とも無言である。 


「……一体何のご用なのですか?」


 ムランが焦ったように質問をするが、ガルムはじっと月を見上げている。 


やはり……罠だったのか?


 しかしそんなことを直接口にするわけにもいかず頭の中で焦りと不安がドロドロと流れ始めてくる。


「……心配するな」


 急にガルムが口を開く。 が、しかし何のことかわからずムランが黙っていると、


「物資の件であろう?心配するな、もしこのまま何も起こらずに目標地点についても私が命令したといってやる…何も起こらなければな…」


 そう意味深げに話すと、また黙り込み月を見上げる。


 何もなければ…とはどういう意味だ? 


まるでこれから何かが起きるみたいじゃないか。


「それはどういう…」


「来たか…」


 ムランの言葉を無視してガルムが呟く。


 その時、月明かりの下で何者かがムランたちの前に飛びこんできた。


 黒いローブを纏い、身軽にその場に着地すると頭に羽織っていたフードを上げる。


「お、お前は…!」


 ムランが驚いたように声を上げた。 


 飛び込んできたのは、数日前の夜にムランたちを見物しにやってきた少年の一人だった。


「総司令官様が死にました」


 少年はムランに一瞬だけ視線を移した後に簡潔にそう言う。


「そうか、ご苦労であったな」


 ガルムも、まるでわかっていたかのように少年をねぎらう。

 

「ど、どういうことですか!それは…」


 狼狽したようにムランが叫ぶと、ガルムは落ち着いた表情で、彼の肩を掴む。


「聞いての通りだ、総司令官殿が戦死した」


「そ、そんな…」


「呆然としている暇は無いぞ、すぐに敵が我等を殲滅しようと出撃してくるだろう。準備をしろ!」


 そのままスタスタと歩いていってしまう。


 しばらく呆然としていたが、事態の深刻さに気づき、大急ぎで兵達の元に戻る。


 一体何故ガルム様は見張りなど…何か知っていたんじゃないのか?


 頭の中に疑問が過る。 しかし今はそれどころではない、敵の襲撃があるかもしれないのだ。 


余計なことを考えてる場合ではない。


 よぎる疑問をとりあえず置いておいて、これからすべきことを冷静に頭の中で整理していた。 




 総司令官のアルベルトが何者かに暗殺された。 


そのことが本隊の中に電撃的に広まり、撤退か進撃か右往左往しているところに反乱軍が押し寄せてき、あっさりと部隊全滅の報告が来たのはちょうど夜も明け、ムランたちが目標地点に着いたばかりのことであった。


「で、あるか……」


 ガルムは落ち着いた声で報告しに来た兵士に返事をする。


 兵士達には動揺の色が見える。


 当然だ。 あくまで自分達は敵をひきつける為のおとりだったのだ。 


真正面から戦えるほどの錬度を持った兵士ではない。


 いや、いささかそれは語弊があった。


 ガルム将軍の率いる兵士達だけは実際にグラム率いる反乱軍とは互角に戦えるだろう。


 しかしガルム将軍の兵士の数は決して多くはない。


 その他の大部分の兵士達は実戦の経験も無い義勇軍だけである。


 兵数は多少は勝っているが、まともに戦えばひとたまりも無い。


あっという間に蹴散らされて屍を無残にさらすだけである。


「どうしますか……?」


 副長であるキッツが緊張した面持ちでガルムに指示を仰ぐ、


「退却するぞ……我等だけで戦ったところで到底勝ち目はあるまい、後発の部隊と合流し、その後、対策を考えるしかあるまい」


 ガルムの命令をキッツが『はっ!』と短く返事をし、すぐに命令を下部の兵士達に伝える。


 にわかに兵士たちが騒がしくなった。


 いつ迫り来るかわからない敵の襲撃に恐れをなし、皆が退却の準備を始める。


 しかしそれなりに戦の経験のあるガルムの兵達はともかくとして義勇兵達の恐れおののきようは凄かった。


 ある者は身の回りのものだけを持って自分だけ後発部隊に向かって勝手に退却する者、物資をいくらか奪ってそのまま逃走する者、酷いのになるとやけくそになって他の兵士と喧嘩をしたりする者さえもいた。


 まさに地獄絵図である。 誰もが自身のエゴ向き出しにして恐怖し暴れまわる。


「まったく、慌ててたらかえって逃げるのが遅くなるってのによ……」


 スアピが呆れたように、物資を奪い合って喧嘩をしている兵士らを槍で叩いて気絶させながらぼやく。


「仕方ないだろ、自分の命がかかっているんだからな……それにしてもひどい……」


 兵士達のフォローをしながらも、眼前に広がる光景に内心ショックを隠し切れない。 


 退却開始の命令が出てから、約数時間、いまだに退却どころか物資の積み込みすらできていない。 


慌てふためく兵士達をガルムの兵が叱咤しているが、一向に退却作業は続かない。


 それどころか逃走を始める兵士達が徐々に目立ち始め、すでに半数はいなくなっているのではないかという状態であった。 


「それで、どうするんだ?」


「どうするんだと言われてもな……」


 困り果てたようにムランが考え込んでいると、頭の禿げ上がった大男が馬に乗ってやってくる。


「よお、キッツじゃねえか……どうした?」


「どうしたもこうしたもあるか!ちっとも退却準備が進まん。これだから戦の経験の無い者を連れてくるのは嫌なのだ」


 プリプリと苛立ちを隠せないよう態度でキッツが答える。


「とにかく、ガルム隊長から新しい命令だ。物資は武器だけを持って全て廃棄し、すぐに出発だそうだ。遅れる奴は置いていくから、その事をよく通達しておいてくれ、俺は先に出発して後続部隊と打ち合わせをしてくるから後は頼むぞ」


 そう言って馬首を返して走り去っていく。


「後は頼むってよ?副長殿?」


「……簡単に言ってくれるよな、この混乱状態でそのことを通達するだけでも大変だってのに……」


「まあ、それだけ頼りにされてるってこった。」


 豪快に笑いとばしながら、今度は馬を盗んで自分の横をすり抜けようとした者を飛び上がり、顔に蹴りを入れて叩き落していた。





 一晩明けて、勝利に酔う部下達を馬の上から見下ろしながらグラムは素直に喜べずにいた。


 この俺を逃がしてくれるという約束が出来る上にあれほどの使者を用意できるというとかなり身分の高い人間だということは予測できた。


 そしてそれが王国軍の総司令官だと俺は予想していた。


 だが先ほどの戦いで総司令官は死んだ。


 何者かに首を切られていたそうだ。


 仲間割れ? 暗殺? いずれにしてもどうやら約束を交わしたのはそいつではなかったようだ。


 すると、俺を逃がすと約束したのは誰なのだ? 


 いやそれよりも大事なことがある。


 ……果たして俺は逃げられるのか?


 そこまで考えたところで憎憎しげに自分の馬を引いている男を見る。


 まだ十代のあどけなさの見える少年。 


それが俺を悩ましている。


 こいつの名はアッサーム。 つまりあの使者の正体はこんなガキだったのだ。 


 大雨の降る中、突如砦に現れたこいつは姿を現し、いつものようになんの感情も混めない言葉でそれを教えてきた。


「敵の司令官が砦の裏から進撃してきています。すぐに迎撃の準備を始めてください。大丈夫、この大雨で敵の足元はぬかるみ、ろくに反撃は出来ません」


 その言葉どおり、確かに敵はいた。


 そしてぬかるむ地面に足を取られ、尚且つ坂の上から勢い良く攻め込んでいる自分達に何の抗せず敵は全滅した。


 文字通りの全滅だ。


 そこにもこの忌々しい使者の言葉があった。


「敵の兵士は必ず皆殺しにしてください。そうすれば敵の士気は落ちますし、将軍達も自身の兵が損耗するのを避けるはずです……必ず皆殺しにしてくださいね?」


 わざわざ戦闘にまでついてきて、命令が遵守されているかの確認をしてくる様にこの使者の主人の酷薄さがにじみ出てくるようだ。


 戦闘後に初めてフードを上げたときはさすがに言葉を失った。


「これからは最後まで貴方様について、頃合を見て逃がす方法を教えたいと思います」


 まだろくに戦経験もないような若造が警備厳重な砦に何度となく入り込み、そして残酷極まりない命令を平然とこちらに伝えに来たのだ。


 いくつもの死線を潜り抜けた俺でさえ恐怖というものが浮かんできた。


 そしてこいつは最後の命令を俺に下す。


 もはや俺にこいつとこいつの主に逆らいようがないのだからすでに遠慮はいらなくなっているようだ。 


こともなげにこいつは、いやこいつの主は命令する。


『砦の正面の坂下に駐留する部隊を皆殺しにせよと』


 そしてその後に俺は山の秘密の抜け道から単騎で抜け出せるらしい。 


 その時に俺の集めた財産の隠し場所を教えることになっている。


 果たして俺は失敗をしたのか?


 まだ確定したわけではない。


 しかし確定してからでは遅いのだ! 


だからこそ俺は保険をかけておいた。 果たしてその保険が聞くだろうか?



 馬を引くアッサームは何を考えているかわからない無表情で遥か下に位置する部隊を見下ろしている。


 数はさほどではない。


 慎重に手を上げ、そしてすっと降ろした。


 進撃の合図だ。 そして部下たちが坂を下りていく。 敵を皆殺しに。 俺を逃がす為に。









 退却は相も変わらず進まない。


 散り散りに逃げ出す兵士達をどうにか落ち着かせ、なんとか整列させたときには大部分が逃亡した後だった。


「大分居なくなったな…すぐに出発しよう」


 ムランが退却の下知を下して歩き始めたところで、悲鳴が上がる。


「敵だー!敵が来たぞ!」


 後方を確認すると、長い坂の上に武装した兵士達が降りてきている。


「逃げろー、逃げろー……殺されるぞ!」


 誰かが叫ぶと辛うじて形になってきていた隊列が一気に乱れる。


 迫り来る敵を視認した後方からどんどん押されていき、隊列がまるで乱暴に引きちぎられた麻縄のように乱れていく。


「落ち着け!先ほどの大雨で坂道はドロドロになっている、敵はすぐにはたどり着かない、落ち着いて陣形を整えるんだ!」


 ガルムが叫ぶが、恐慌状態に陥った兵士達には聞こえていないようで、散り散りに逃げていく。


「くっ……、ガルム隊!後方に出ろ。敵を食い止めるのだ!」


 命令を聞いて、ガルム隊が動こうとするが、こちらに向かって逃げてくる兵士達の波に押されて身動きが取れない。


そうこうしているうちに敵がどんどん近づいてき、さらに兵士達の恐慌状態がひどくなってくる。 


 悪循環だ。


 敵を食い止めるどころか、流れてくる兵士の波に押されてますます後方から離れていく。 


 このままでは敵に蹴散らされて全滅してしまう。 


 こんな……こんな……ところで死んでたまるか! まだやることがある! 嫌だ!死にたくない! 助かりたい!


 当然の本能が、彼等の口から漏れてくる。 


 ああ、残念なことにそれは死への合言葉。 死にたくない! 兵士達の心はその一点だけで統一される。


 しかしそれでは助からない。


 震える足を止め、歯を食いしばり振り返り、何故自分達がここに来たのか?


 何故参加したのか?


 それを思い出し、戦うという意思を持って対峙しなければ到底助かることは出来ない。  


 もしかしたら死ぬかもしれない。


 その想像をねじ伏せ、それでもなお、手に力を、目は敵を、足はしっかりと地面を、全員がそうしなければ待っているのは確実な死。


 だが実戦の経験も無い者たちにその真理がわかるはずが無い。


 ではどうするか? 


誰かがその場に踏みとどまり、敵の攻撃を受け止めねばならない。


敵の攻撃を一度二度と防げば、味方はその真理に本能から気づく。


 闘争もまた死への恐怖と同じ本能なのだから……。


 だが、それをわかっているガルムの命令も空しく、部下達は後方にたどり着けない。


 歯噛みしながら、ガルムは迎撃を諦め、部下達に全員退却を下す。


 このままここに居るということは明確な死を意味する。


 無駄死にだ。


 ならばここは敵とまともに戦える自分たちが退却し、後続部隊と合流し、敵と対峙する。


 そのためには哀れであるが、この義勇兵たちには足止めになってもらう。


 つまり敵に彼等が殺されている間に我々は上手く退却を成功させるのだ。 


 何て無様。 将軍としては無能の証拠、それでも戦に負けるわけにはいかない。

 

 ここで負ければ王国に力なしと思われ、外国や反乱勢力の勃発も有り得る。


 だからこそ無能とののしられようが、ここは彼等を見殺しにして逃げおおせるのだ!


 屈辱に歯噛みしながら、せめて敵の姿を見ようと振り返ると、ちょうど敵の先頭が坂を降りきろうとしていたところだった。


 降りきったか…これでますます混乱に拍車がかかるだろう…。


 その時、坂を降り切った敵の一人がまるで何かにぶつかるように落馬した。


 そして後続の敵兵たちも続々と落馬していく。


 あれは……なんだ? 


 坂の下から何か光るものが一閃して敵を射抜いていく。


 まるで流星のようだ。 思わず馬を止めてそれを凝視する。 


 そこには二人の姿があった。


 遠目で誰かはわからなかったが、なんとなく予想はついた。


 あの若造、何故あんなところに…………?




 坂の終わり、平地に差し掛かるところに武器を入れた木箱を横一列に並べてその前に二人男が立つ。


 一人の男は腕にボウガンのような物を巻きつけて、小さい矢のようなものを敵の乗っている馬に向かって発射する。


 馬はそれをまともに顔面に受けたり、避けようとしてぬかるむ地面に足を取られ次々と転んでいく。


 もう一人は木箱に収納されている槍を一つ取り出して、思い切り身体をそらし、振りかぶった後にそれを敵兵に投げつける。


 槍はまるでそれ自体が一つの矢のような勢いで敵に向かって飛んでいく。


 その時に太陽の下で刃先がキラリと光り、それがまるで流星のように見えていたのだった。


 地面はぬかるみ、ましてや下り坂である。


 急に止まろうとしても止まれるものではない。


ましてや足元で他の兵たちが馬と共に倒れているので、彼等は退却することなく、倒れこんでいる味方を飛び越して男たちに突っ込もうとしていた。


 しかし何割かは飛び越して、着地した瞬間に馬がバランスを崩し落馬する。


 何割かは目の前に味方が倒れてきたため慌てて馬を止めようとして、そのまま倒れてきた味方と衝突して馬の下敷きになる。


そして残った何割かも男たちの小矢と槍によって容赦なく倒されていく。


 運良く動けるものもいたが、あとからやってくる味方に押しつぶされたりはねられたりしてどんどん身体を坂の中腹に重ねていく。


 やがて坂の中腹に人間の身体と馬で出来た壁が出来上がる頃になってやっと坂を降りてくる兵士たちはいなくなった。


「なんなのだ……あいつ等は?」


 グラムが苛立たしげに呟く。


「たった二人ではないか……このまま一気に駆け下りて殺せばいい、第ニ陣突撃せよ!」


 あと少しで敵を殲滅させて、逃げられるというところまで来たところでグラムは冷静さを失っていたようだ。 


 そう、それなりに戦を体験していればわかる単純な話だった。


 いくら飛び道具があるとはいえ立った二人で軍勢を止められるはずが無い。


 二陣がグラムの下知にしたがって、坂を駆け下りる。


 さすがに最初の部隊の轍を踏まないように坂一杯に広がり、後ろから別の部隊が弓で援護する。


 弓を避けるために二人は木箱の影に隠れて反撃をするが、先ほどと比べれば発射してくる武器の本数は少ない。 


 いずれ兵士達が奴等の所にまで達するだろう。


 何のことはない、自分の予定には何の影響も無い……。


 グラムが確信し顔を緩めかけたとき、


「後ろ!」


 馬を引いていたアッサームが飛び上がる。  


 そして頭上でガキィッ! という金属音が響き渡り、グラムの前方に何かが着地する。


 それは少女だった。


 まだ女と呼ぶほどの歳ではなく、鮮血にも似た赤く長い髪を地面に広げながらうずくまるように着地している。


 少女はキッとグラムを睨むと、背中に背負っていた剣を振り降ろす。


「ヌグッ!」


 とっさに鐙を蹴って馬の後方に飛ぶ。


 その瞬間振り下ろされた剣が、長年苦楽を共にした愛馬の頭をグシャリと叩き潰す。


 目の前に噴出す血液。 一瞬視界を真っ赤に染めてさえぎる、再び見たときには少女はいない。


「上か!」


 グラムが剣を抜き上を見上げる。


 しかしいない!


 しまったと思い、視線を下に向けると、馬の死体の影にまるで這い蹲るような格好で少女がひざまづいている。


 まるで猫科の猛獣のような動きで、馬の頭蓋を潰していた剣を半円になぎ払う。


 足当ての上からでも切断できるであろう程の鋭く暴力的な一撃だが、グラムは足をとっさに跳ね上げその一撃を回避する。


 しかしその代償としてその場で尻餅をつく、少女はそれを見逃さず振りぬいた剣を今度は直角に上げ、三角形の軌跡を描くように斜めに振り下ろした。


 やられるとグラム自身さえ思ったその刹那、短刀が少女の心臓の辺りを正確に狙って放たれた。 


 少女は振り下ろす剣を返して短刀を剣の横で受け止めるとグラムからの反撃を警戒するようにふわっと後ろに跳び下がる。


 この間、一秒にも満たない攻防。


 当事者以外は反応することすら出来なかった。


「おのれ!」


 やっと状況に気づいた護衛兵達が少女に切りかかるが、その数瞬後には全員身体をバラバラにされて地面に転がっていた。


「……ば、化け物だ!」


 無数の返り血を全身に浴び、それでも髪だけは怪しく輝いている少女を兵士達は化け物と言った。 


 実際、その通りだ。


 なんなのだこの非常識な者は? 


グラムも信じられない表情で少女を見ている。


 何故あの華奢な身体であんな巨大な大剣を振り回せる?


 それでいて何故あのように身軽なのだ?


 何よりあの……赤い髪……。


 見た目は少女でありながら、その圧倒的なまでの強さ、そして見たことのない赤い髪。


 まさに化け物と言っても差し障り無い存在ではないか……。


「こ、殺……せ、殺してしまえ!」


 グラムが恐怖のあまり叫ぶ。


 兵士達がジリジリと周りを囲むが、誰も切りかかろうとはしない。


先ほどの惨劇を目の当たりにしている以上、うかつに近づくことはできないのだ。

 

 少女は目を伏せて足元を見ている。


 何故か落ち込んでいるような泣いているようにも見えた。


 兵士達が緊張に耐え切れず、一斉に切りかかろうと、足を一歩進めた時少女と兵士達の間に槍が一本降ってくる。


 槍の穂先には何か袋のようなものがついていて、槍が地面についた瞬間袋がはじけて辺りを白い煙が包み込む。


 煙幕だ。 白い煙が周囲の視界を奪う。

 

 この瞬間にも少女が自分達に切りかかってくるのではないかとあわてて兵士達は煙の外へと走り出していった。


 やがて白煙が風と日差しによって霧散するころにはそこには誰も存在しなかった。


 ただ少女が居たという証に、幾人かの兵士の亡骸がそこには倒れているだけなのだった……。




「急げー!敵はすぐにもやってくるぞ!」


 緊張した面持ちでドロだらけになりながら走っている兵士達をさらに急かすように馬に乗った男達が叫ぶ。


 列の最後尾にはムランたちがついて敵の接近を見張っている。


「もう少しだったな……」


 坂の上でこちらを見下ろしている敵達を見上げながら悔しそうにスアピが言う。


「いや、とりあえずは足止めは出来たんだからよしとしよう……それでも」


「ああ、それでも……」


 二人は振り返って前方を見る。


 味方の隊列は形にはなっているが、牛の歩みのように遅い。


 ぬかるんだ山道を降りるときは登り以上に慎重にならなければならない。


 うっかり誰かが足を滑らしたら、二人が足を取られる。


 そしてその二人が四人を……四人が八人を……と巻き込んでしまい、またパニック状態になる恐れがある。


 そしてそこを敵に襲われたなら文字通りの全滅になってしまうことは必死だ。


 だからこそ数十メートルの距離ごとにガルム隊の面々が馬に乗って、隊列をなんとか維持させている。 


 ムランとスアピが顔を見合わせて不安そうにもう一度坂の上を見上げる。


「いま攻めこられたら俺達は死ぬ」


 その真理はその場にいた全員の共通認識だった。 


 一方その時、坂の上でも問題が起きており、攻めるに攻められない状態になっていた。


「どういうことだ?今更攻めるなとは」


 部隊から離れた場所でグラムが少年を睨みつける。


「攻めるなとは言ってません。もう少し待てと言っているのです」


 相変わらずの涼しい顔で少年が答える。


「ふん!同じことであろう。敵は浮き足立っている、いま攻めれば確実に勝利することが出来るのだぞ!お前の命令など聞けるものか」


 そう言って鼻を鳴らずグラムに少年は困ったような顔を浮かべ、そっと耳打ちをする。


「実は我が主様があの隊列の中にいるのです。いまここであそこに攻め込んだなら乱戦になり討ち死にしてしまう可能性があるのです」


「むっ、そ、そうか……それならば」


 あの隊列の中に自分を救ってくれる者がいる。


 確かに今ここで王国軍に勝つのは簡単だが、それでは意味が無い。


 今回勝てても次に攻め込まれた時に勝てる保障は何処にも無いのだ。


 グラムは不満そうに黙り込むことしかできなかった。


「それではいつまで待てばよいのだ!ノロノロしていたら部下達にも疑惑をもたれてしまう!」


 焦るグラムをまるで子供に接するようにあやしながら、少年は口を開く。


「もうすぐです……後方にいるのは遠征途中で集めた者達、その者達を盾にして我が主は逃げおおせるのです。どうかそれまでは静かに……」


 坂の下……ノロノロとムカデのように連なった隊列を見下ろしながら少年とグラムは合図を待ち続けていた…………。




「後方部隊を見捨てるですって!正気ですか!」


 ムラン達から数キロ離れた司令部のテント内にオルドの抗議がこだまする。


「見捨てるとは言葉がひどいですな……オルド殿、ようは殿軍を任せたのです。つまり転進する我らの後方を守らせるという名誉のある任務を彼らに任せたのですよ」


 にやついた顔で独りの将軍が答える。


「しかし後方部隊は数はそこそこ多くてもまともに戦いをしたことの無い者達ばかりなのですよ?一緒にいるガルム隊だけでは御しきれるはずがありません!」


「ああガルム将軍にはすでに撤退命令を出しておりますので、もうすぐやってくると思いますよ?部下達と一緒にね」


「なっ……、それじゃ指揮する将軍一人すら残さないで殿を任せたのですか!」


「指揮するものならいるじゃありませんか……後方にはねえ?」


 ニタリと笑った一人が目配せすると他の将軍達もベタつくような笑みを浮かべる。


「ま、まさか……」


 絶句したオルドに答える。


「そう、貴方の副官のムラン君ですよ、彼ならきっとこの難しい任務をやり遂げてくれるでしょうね、何しろ私達にあそこまで大見得を切ったのですから……いやはや彼もここまで大きな任務につくことが出来て感涙にむせているでしょうな……たとえ死んだとしても……ね、ふふふ」


「いやいや全くですな」


「さてさて私達は殿を務めてくれているムラン君のためにも急いで転進しないと行けませんな」


「私の部隊はすでに準備は整えておりますぞ?」


 オルドは俯いて拳を震わせていた。


 この者達は軍を預かる立場にあるのに、自分達が損をしないようにしか動かない。


 しかも自分達に非礼な態度を取ったムランを執念深く恨みながら捨石にしている。


 情けないことに退却中のことを考えてまともな指揮が出来るガルム将軍を戻して自分達の保守はしっかりと考えている。


  彼らは……いやこいつらは純粋な気持ちで討伐軍に入ってきた市民達をも見捨て、盾にして逃げるつもりなのだ。 


そしてそれを恥じ入ろうともしない。


 全くなんて予想通りの奴らなのだ! だからこそ私は……。


 拳の震えが止まる。 


そしてオルドは新たな決意を持って顔を上げた。 


嘲笑するように笑っている将軍達はその決意に気づかずにいつまでもだらしなく笑い続けている。 


 そのことがどんな結果を生むかを知らずにいつまでも……。



 

 ガルム隊に撤退命令が出たのはオルドが後方部隊を見捨てると知ったときより少し前だった……。


「無念です……彼らを置いていくのは」


 部下の一人が唇を噛んで呟く。


 まだ歳の若いその部下は自分達が義勇兵を見捨てて先に進むことに涙を流して悔しがっている。


 ガルムはその部下に淡々と、


「命令ならば仕方が無い……軍人が命令に従わなければ国は滅びる」


 馬を進めながら答える。


 すでに最後部にいた部下には命令を出していて、彼らさえ合流したのならガルム隊は全速力で司令部まで駆けつけなければならない。


 たとえそれがプライドばかり高くて無能な集団の命令であっても……。


 ガルムはそっと後ろを振り返る。 


「あの小僧も不幸な……だがいくら力があろうと運が無ければ生きられない。あいつにはそれが無かっただけか」


 数多の戦場を駆け抜けたグラムは実力や頭脳だけではどうしても越えられない一線があることを知っている。


 類まれな才能を持っていながら芽が出る前に死んでいく者を何人も見てきた。 

 

 そういう者達はつまり決定的に運が無かったのだ。


 最後の最後で生死を分けるものは運……。


 あの小僧はその運が無かった、ただそれだけだ。 


そうだとしても……、


「あの才は勿体無いものだ、神も何故すぐ死ぬものに才能などを授けるのか……」


 ガルムの独り言は山道を降りる自身らの音により消されて誰の耳にも入らないまま消えていった。


 誰も知らない小さな悲しみだった……。




 最初に気づいたのはムランだった。


 今まで自分達の数十メートル先にいたガルム隊の隊員がいなくなったのだ。


 確かに前にいる他の隊員からの情報を受け取るために時々はいなくなっていたが、今回はあまりにも長い。


「まさか……」


 ムランが呟いたと同時に隊列が止まった。


 少し前にいる兵士達が騒ぎ始めている。 慌ててムランがその場に向かう。 


向かう途中でもガルム隊の隊員はいなかった。


 騒ぎの中心に辿り着くと中年の兵士がわめきたてて他の兵士ともみ合っていた。


「俺達は見捨てられたんだよ!その証拠に見ろ!俺達を守ってくれるガルム隊の人間が一人もいなくなったじゃねえか!」


 中年の兵士が身体を回して周囲にそれを言ってしまう。


 誰もがもしかしたら……と思い、口にするのを躊躇っていた疑惑が兵士達全員に伝播する。


「いやきっと本隊との連絡を取りに言ってるんだ」


「それなら別に一人や二人で十分だろう!何で全員居なくなっているんだ!」


「そうだ!俺達は見捨てられたんだ!畜生」


「嘘だ!本隊が義勇兵を見捨てるはずが無い!」


 完全な混乱状態になった中で誰かが叫んだ。


「ああ敵が!」


 その場にいた全員が坂の上を見る。


 坂を上りきった所に武装した兵士が規律正しく並んでいた。


 それはつまり……、


「て、敵が来る~!に、逃げろ~」


 その一言で混乱がさらに一層深まる。


 そしてそれはまるで音波のように周囲に広がっていき先ほどとは比べられものにない完全な恐慌状態へと陥る。


「おい!一体どうしたんだこれは」


 最後部にいたスアピが混乱が伝達されてきたのを見て、ムランの元へとやってくる。


 イヨンも心配顔でその後ろに続いてきた。


「い、いやだ!俺はこんなところで死にたくねえ!は、早く逃げろ」


 誰かが叫ぶとそれを合図に列の崩壊が加速した。


 荒れ狂う濁流のように兵士達が我先にと逃げ出し、スアピたちの周囲を駆ける。 


「み、見捨てられたんです!僕達は見捨てられたんですよ!どうしましょう!どうしましょうか!」


 あの少年兵がムランにしがみついて叫ぶ。


 顔は蒼白でガチガチと恐怖に震えている。


 彼だけじゃなく、他の兵士達も皆同じ顔をしている。


 迫り来る敵、現実味を増す死の恐怖……見捨てられたという絶望感……その全てが混ざりドロドロとしたそれが本能を剥き出しにする。 


 誰も死にたくなんかない。


 彼らが義勇兵として入ったのも金のためだったり、貧乏暮らしから抜け出して軍人になることだったりあるいは純粋に国のためだったのかもしれない。


 不純も純も関係なく彼らは兵士としてここにやってきた。


 しかし将軍達は彼らを見捨て、時間稼ぎとして使った。 


 ムランの心中に怒りの炎が点火される。


 たしかに自分達も見捨てられた。 


しかし元々叩き上げの軍人の息子としてオルド将軍の副官として戦場に立っている自分達と彼らは違う。


 そういえばオルド様も自分達を見捨てたんだろうか?


「ああどうしましょうどうしましょうどうしましょう!」


 自分にしがみつく少年兵がまるで祈りのように同じことをひたすら呟いている。


 その哀れな姿を見たムランは決意してスアピたちに振り返った。

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